第26話 公爵令嬢は星の夜に挑む
「はい、今日はここまでですね」
クラリッサはソフィア様に声を掛けた。
後ろで伯爵夫人が穏やかな笑みを浮かべている。
「先生! 帝国語の発音どうでした?」
「……そうですわね。口の開け方も舌の使い方も、だいぶ正しくなってきました」
「ということは……まだですのね」
「ふふ。そんなに簡単ではありませんわ」
「はい、がんばります」
ソフィア様は本当に熱心で愛らしい。
ついつい頭を撫でてしまいたくなるのを、淑女として、家庭教師としてぐっと抑える。
「あ! クラリッサ先生も明日は星の夜に行かれるんですよね」
ソフィア様の琥珀色の瞳がキラキラと輝く。
「ええ」
「どんなドレスを着られるんですの?」
これにはクラリッサもちょっと驚いた。
ソフィア様はあまりドレスや宝飾品の話をされない。だから興味がないのかと勝手に思い込んでいた。
(でも、リボンは毎回違いますし、意外と好きなのかもしれないですわ)
「わたくしにどんなドレスが似合うと思いますか?」
淑女の嗜みの授業のつもりで、クラリッサは質問に質問で返してみた。
* * *
「さぁ、今日も素敵ね」
お母様が満足そうに微笑んでいるのが、鏡に映っていた。
同じようにお義姉様たちも嬉しそうである。
「その口紅の色もいいですわね」
「髪型もとても大人っぽいですわ」
その後ろでは、お父様とお兄様がなぜか渋い顔をされていた。
* * *
(……おかしいですわ)
クラリッサはダンスを踊りながら、内心首を傾げていた。
お相手はハーグリーヴス侯爵子息。
クラリッサよりも三つ年上らしい。エスコートもダンスのリードも完璧な方だ。
「蕾の夜のドレスも素敵でしたが、今宵のドレスも素晴らしいですね。愛らしく上品な貴女によくお似合いです」
微笑みを浮かべながら伝えてくる社交辞令に、クラリッサも微笑みを返す。
(あんなにもアリスさんとのエスコートには悩まされたのに、他の方とのエスコートは完璧にできますわ)
それはもう、息をするかのように自然に。歩幅とか速度とか考える必要すらなかった。
(これでは、お母様の仰る通りアリスさんのエスコートが下手ということに!!)
そんなはずはない、とクラリッサは思いたかった。なにせアリスさんは、礼法五位だったのだ。そう考えれば、前回、今回とクラリッサと踊った方々の中には、アリスさんより絶対に下手な人がいたはずだ。
(……もしかして、アリスさんは本番に弱いのかしら?)
クラリッサは思った。
だが、試そうにもアリスさんにエスコートしてもらえそうにはない。
今回もアリスさんは壁に張り付いて……
(あら? 先ほどまで、あそこにいらしたのに?)
同じ場所から全然動こうとしないアリスさんを、クラリッサはきちんと見つけていた。
それなのにいつの間にかいない。
(どこに行かれたのかしら?)
踊りながら話しかけてくるハーグリーヴス侯爵子息に、完璧な受け答えをしつつ、クラリッサはアリスさんの姿をそれとなく探した。
* * *
(……どこなんだ、ここは)
アリステアは『星の夜』の会場から離れたと思っていたが、そうではなかったらしい。
騎士に案内されるままに、王宮にしては狭い廊下を歩き、月明かりに照らされた中庭へと出る。そして、さらに奥へと進むと階段が見えた。
階段を上がった先には、石の柱と腰壁によって区切られた、個室のようなテラス。
騎士が控えるガラス扉の向こう側は『星の夜』の会場で、暗いテラスに会場のきらびやかな光が零れていた。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
テラスには、ローテーブルとソファがあり、テーブルの上にはガラスの水差しとグラスが置かれていた。
「宜しければどうぞ」
アリステアを案内した騎士はそう言い残し、テラスから去っていった。
どうにも場違いなところに来たとしか思えない。
だが、アリステアは帰ることはできない。
何故なら。
――アーサー殿下が、貴殿にお訊きしたいことがあるそうです
そう言って連れて来られたのだ。それなのに、殿下はいない。となると、待つ以外ない。
(はぁ……なんなんだ)
めんどくさいとは思ったが、この静かなテラスで人目を気にせず、ゆっくりできるのはありがたい。
それに。
(今日も目立っていたな)
公爵令嬢は、星の夜らしいドレスに身を包み、くるりくるりと踊っていた。
アリステアは、ただそれを眺めるだけ。
誘われるままに笑顔を浮かべて、楽しそうに踊る彼女。
それをずっと見ているのにも飽きてきたというのに、アリステアの目は勝手に彼女を追いかける。
だから、こうして彼女の姿が視界に入らない場所へ連れて来られたのは、好都合だった。
(……心地いい)
夏とはいえ、夜ともなるとぐっと気温が下がる。
テラスに吹く風は涼しい。
ぼんやりと見つめた先には、濃紺の夜空に微かに瞬く星々。少し欠けた月は、庭園を静かに照らし出す。サマーホワイトの木々は、月明かりを受け、その身に咲かせた小さな花たちを淡く白銀に輝かせる。
穏やかでやさしい光景に、アリステアは目を瞑る。
このまま眠ってしまおうかとさえ、思っていたその時。
* * *
「え? アリスさん?」
クラリッサは驚いた。
気合を入れて踊っていたクラリッサだが、疲れを感じ始め、途中で休憩を挟むことにした。それをお兄様に告げると、このテラスの入り口まで案内してくださり、お兄様自身は飲み物を取りにクラリッサの傍を離れた。
クラリッサはお兄様の背中を少しだけ見送り、テラスの前に立つ騎士に会釈をして、奥へと進んだ。
そうして、そこで、アリスさんの姿を見つけたのだ。
(消えたと思ったら、こんなところに?)
アリスさんはクラリッサの声に振り返った。
* * *
ため息が出そうになる。
どうしていつも、アリステアの前に現れるのか。
公爵令嬢は、薄い紫色を基調とした、美しいドレスを着ていた。
ドレスのスカートは二重となっており、薄紫色のスカートの下からは、淡い青から濃紺へと色を移すグラデーションの美しいスカートが覗いている。
彼女がアリステアのもとへと歩くたびに、その裾が軽やかに揺れ、星の刺繍が光をやわらかに反射する。
だがアリステアの目を奪うのは、豪華で繊細なドレスではなかった。
(……なんで)
遠目からも気にはなっていた。
彼女の左手首を飾る布。
それはアリステアが贈ったアジサイのハンカチで。
よく見れば髪にも同じく贈った淡い青のリボン。
そのリボンで、彼女のピンクブロンドの髪が片側で緩くひとつに纏められていた。
(そんな安物を、こんな大事な夜会で身につけるんだよ)
まるで特別みたいで、嬉しさと、どうしようもないやるせなさが押し寄せる。
「アリスさん?」
サロンで見た時と同じ、艶のある口紅がアリステアを追い詰める。
(くそっ……)
何も言わないアリステアに、彼女は不用意に近づいてくる。
こちらがどんな気持ちでいるのかなんて、お構いなしだ。
このまま抱き締めたらどうするのだろう? どうしてそんなに無防備でいられるのか?
(……なんとも思っていないからだ)
アリステアを、学園の頃の延長で、先生として、もしくは学友としてしか見ていない。だから、どこまでも無邪気にアリステアに近づいてくる。
着飾って、美しくなって、大人の女性になっているくせに、そこだけは変わらない。
「……アリスさん?」
それでもアリステアが不機嫌になっていることだけは感じ取って、不安そうに声を掛けてくる。
(ほんと、最悪だな)
無視できればどれほど楽だろうか。そんな時期は、とうに通り過ぎた。
「立っていないで座れば? 休みに来たんだろう?」
感情を抑えるために敢えてそっけなく言った。
言い終えてから自分が発した言葉のおかしさに気づく。
何の権限もないのに、何を偉そうに言うのか。
ここはおそらく王族と、特別に許可された者だけが利用できる場所だろう。アリステアはアーサー殿下に呼び出されたから来た。だが、彼女は国王陛下の姪として、この場にいる。
(……すごいな。釣り合わないどころの話じゃない)
「アリスさんは、どうしてこちらに?」
さすがにアリステアとて、それに答えることはできない。
たとえ彼女であったとしても、アーサー殿下から密かに呼び出されたことを伝えるわけにはいかない。
「……あ、ごめんなさい」
すぐに気づいたのか、彼女の方が謝る。
「別にいい。というか、俺にもよく分からない」
「……そうですの」
彼女は珍しく大人しい。
なんだかやりにくい。
アリステアは彼女から視線を外して、白く輝くサマーホワイトの木々を見つめる。
「……きれいですわね」
「……そうだな」
ただ、それだけ。
なにも話さない時間が流れる。
彼女が何を考えているのかは分からないが、
アリステアは隣に彼女の気配を感じる、それだけで。
精いっぱいだった。




