第24話 公爵令嬢は成長中
ゆっくり休んだこともあって、クラリッサは元気いっぱいだ。
いつもの家庭教師の服に着替え、全身を鏡の前でチェックする。
昨日、アリスさんのハンカチを身につけたので、今日はリボンだけ。
(このリボンも昨日アリスさんに見ていただきましたけど……あら? わたくし毎日同じリボンをつけているけれど……淑女としてどうなのかしら?)
でも、毎日アリスさんがくださったリボンをしたい。
(あ、そうだわ!)
クラリッサは、鞄につけている『守り袋』の通し紐にリボンを結ぶ。
(本当は『祈り袋』の方がいいのかもしれませんけど、『守り袋』の中のサマーホワイトの実はアリスさんが選んでくださったものですし)
それに『祈り袋』だと一年が過ぎたら、燃やさないといけない。
でも『守り袋』はずっと持っていてもいい。
(ん~……でも、やっぱり髪につけたいわ)
クラリッサはすぐにリボンを解いた。
そして、侍女のマリアを呼んで髪に結んでもらうようにお願いした。
* * *
「クラリッサ先生、今週はこの記事にします」
授業が終わる頃、ソフィア様が机の上に畳んで置いてあった新聞を広げた。
「あら? これは帝国語。まぁ! リューネライヒ帝国の新聞ですの?」
「はい。お父さまがリューネライヒ帝国の新聞を誕生日の贈り物として買ってくださいましたの」
「素敵ですわね」
「ええ」
ふたりでニコニコと笑っているその後ろで、伯爵夫人がため息をついていたことに、クラリッサは気づかなかった。
「新聞に載っている記事は全て読めましたの?」
「いえ、まだなんです。辞書で単語の意味を調べてはいるんですけど、それでも分からないところがあって。だから、お兄さまに教えてもらってます」
「……お兄さま」
「はい、アリ兄さまです」
(……アリスさんが優秀なのは知ってますけど、やっぱり悔しいですわ)
とはいえ、クラリッサ一人で『好奇心の塊』のソフィア様を教えきるのは難しい。しかも数学にいたっては、既にソフィア様の方が上である。
(情けないですわ)
自己反省しつつ、クラリッサは記事を読む。
「ネーベル湖から古い街道が現れた……?」
「すごいですわ! クラリッサ先生はすぐに記事を読めてしまうのですね」
「ええ、帝国語の読み書きにはあまり困りませんわ。ところで、ソフィア様は今回どんなことを調べたいのです?」
「はい! まず、帝国の地図とネーベル湖の位置、それからその周辺地域の現在の様子」
「なるほど」
「で、古い街道が現れたってなってるので、街道があった頃の歴史でしょうか?」
「……でも、記事にはいつ頃の街道かはまだ分からないって書いてありますわよ?」
「え? そうなんですの?」
「ええ。ソフィア様は、この記事の全文は訳せていないのですね?」
「はい」
「……では、まず明日、いえ、今週の最後の授業までに、この記事の全文をきちんと訳してください」
「明日までにやります!」
「そしたら、明日はこの記事の答え合わせからしましょう」
「はい!」
「その後に、課題について一緒に考えましょう」
「はい!」
「帝国語で」
「え?」
「ちょうどいいですわ。帝国語の授業を帝国語でしてみましょうか?」
「……は、はい」
珍しくソフィア様が戸惑っているが、きっとすぐに調子を掴むだろう。
ソフィア様はとにかく頭の回転が速い。しかも実践向きである。文字を追うよりもおそらく実践的に使用した方が覚えていくに違いない。
「では、今日の授業はここまで、ですね」
「はい」
「……あと、全文と言いましたけど、無理はしなくても大丈夫ですよ」
「え?」
「できるところまで、ソフィア様のペースでいいんですからね」
「でも……」
「もちろん、最終的には全文です。ただ、明日までに全文でなくていいです。一文でも、単語一つでもいいから、訳してください」
「はい!」
ソフィア様は元気に返事した。
ずっと静かに様子を眺めていた伯爵夫人が、クラリッサに向けて優しく微笑んでいた。
* * *
「お兄さま!!」
夕食後、自室で本を読んでいたアリステアのもとにソフィアが突撃してきた。
腕に抱えているのは分厚い辞書と新聞。
今日は数学ではなく帝国語のようだ。
新聞記事をアリステアの机の上に広げて、トントンと指で示した。
「これと、これと、これの単語が見つかりませんの!!」
「……」
「あと、この一文がどう訳してもおかしな内容になりまして」
「……」
「できれば、明日までに記事全文を訳したいのです!!」
「……で?」
「教えてくださいませ」
アリステアは本を読むのは好きだったが、別に勉強は好きではなかった。だが、ソフィアはそうではないようで知識をとにかく得ようとする。最初は王子妃になるためだったはずだが、今はそれよりも知識欲の方が明らかに勝っている。
「……お前、先生を困らせてるんじゃないだろうな?」
「……」
以前は『そんなことありませんわ』と返していたはずなのに、とうとう否定しなくなった。
「そ、そんなこと言ったって知りたいことばかりなんですもの!!」
「それなら、他の先生も雇って、負担を分担させるべきだろう?」
「嫌ですわ! そもそもクラリッサ先生がいいんです! それにわたくしが他の先生を雇ったら、絶対にがっかりなさいます」
「……」
それは確かにそうだが。
だが。
「それでも、お前のためならちゃんと納得すると思うぞ」
「……お兄さまは」
「なんだ」
「……クラリッサ先生のことを」
「……」
そこでソフィアは、しばらく何も言わずに。
それから。
「よく知ってらっしゃるんですのね」
相変わらず生意気な妹だ。
絶対に気を遣われた。
「……学友だからな」
「そうですの」
ソフィアの琥珀の瞳に、アリステアが映っている。
どんな感情も読ませない。たぶん、そんな表情をしていたと思う。
「ほら、貸せ」
「……あ! お兄さま、答えはいらないんですの!!」
「分かってる。単語の意味と、文法だな」
「ええ。お願いします」
アリステアは開いたままだった本に栞を挟んで、閉じた。
そしてソフィアが持って来た新聞記事を読む。
隣で覗き込んでくるソフィアに椅子を持ってくるように言ったのだが、集中しすぎて聞いていない。
仕方なく椅子に座らせようとしたのだが、なぜかソフィアはアリステアの膝の上に着地してしまった。




