第23話 公爵令嬢は疲れている?
クラリッサは気合が入っていた。
今日はアリスさんと会う約束の日。
贈られたアジサイのハンカチと、淡い青のリボン。
とても気に入っていて普段使いをしているが、アリスさんに会うのだから、絶対に身につけたい。ついでに大人の女性であると見せつけたい。
昨夜から、お母様と、お母様の侍女のイーディスと、そしてクラリッサの侍女マリアを交えて大騒ぎであった。
「ど、どうかしら?」
クラリッサは用意した服を着て、改めて三人の前でゆっくりと回ってみせる。
「大丈夫よ。とても素敵」
「お嬢さま、立派に成長されて……」
「マリア、貴女は後で説教です。お嬢さま、本当に良くお似合いです」
うんうんと三人がとても満足している。
クラリッサは再び鏡と向き合った。
髪はサイドを軽くまとめ、アリスさんから頂いたリボンで結う。左手首にはアリスさんのハンカチ。
リボンとハンカチに合うように、淡い青を基調とした、淑女らしく初夏らしい、上品で涼やかな服を選んだ。
(アリスさん……気に入ってくださるかしら?)
自分の姿をくまなく見ようと、クラリッサは鏡へと近づく。
ゴン!!
近づきすぎて、鏡にぶつかる。
「……クラリッサ」
「は……恥ずかしいわ」
額を抑えた。
「……どうせなら、口紅の色も変えてみる?」
「え?」
「貴女、いつも同じ淡いピンク色にしているでしょう?」
「え……ええ」
「でも、奥様、お嬢さまにはこれくらいの上品な感じが良くお似合いかと」
「あら? 少しだけ遊び心があった方がいいわ」
「……」
「そうですか?」
イーディスは口を挟まず、お母様とマリアだけが話している。
クラリッサはこれまで口紅の色を気にしたことがない。いつもつけている色味が可愛いし、充分だと思っていたのだ。
「あ……あの、変だったら戻してもいいのでしょうか?」
「もちろんよ。口紅はすぐに落とせるんだし、心配しなくても平気よ」
「じゃあ、試してみたいです」
クラリッサがそう言うと、お母様は微笑み、イーディスがすぐさま支度をする。
その後ろでマリアが興味深げに見守っているのが、鏡に映っていた。
* * *
「おかしくないかしら?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「まったく問題ございません」
「アリスさんに嫌われない?」
「……」
「ど、どうしてそこで黙るの?」
クラリッサはサロンに着いても、落ち着かなかった。
自らがホストということもあり、いつも早めにサロンに来ているのだが、アリスさんを待つ時間がこんなにも長かっただろうかと不思議に思う。
(今日は……いつもより遅くなったはずなのに)
そこまで考えて、もしかしてアリスさんが遅れているのかもしれないと不安になった。
「アリスさんは、まだ?」
「……お約束の時間まで、あと十分程度ございます」
「え? そうなの?」
もうクラリッサの心臓はバクバクしている。
そういえば、この間もバクバクしていた。
(……おかしいわ。わたくし、疲れているのかしら?)
心当たりはある。
『蕾の夜』の準備、本番、そして次の『星の夜』の準備。加えてソフィア様の家庭教師。
(でも、泣き言なんて言ってられないわ!!)
自分で選んだ道。そして、とても楽しいのだ。
疲れたなんて言いたくない。
(そうよ!! アリスさんに会って、元気をもらうんだから)
クラリッサは気合を入れ直した。
* * *
いつものようにサロンの個室のドアを支配人に開けてもらう。
アリステアは一歩中に進んで、そして、足を止めた。
「……あの」
小さな声がアリステアの耳に入る。
わずかに開いた唇の、その色がいつもと違う。しかも艶がある。
喉で変な音がしそうになって、なんとか飲み込む。
ただし飲み込んだことによって、ごくりと嫌な音がした。
「アリスさん……?」
立ち止まってしまったアリステアに不安そうな視線が向けられている。
ついでに言えば、侍女からは凄く強い視線を感じる。
言われなくとも分かる。これは圧力だ。
これほどまでに綺麗に整えた彼女に何も言わないつもりか、という無言の訴えだ。
気持ちをそのまま伝えるなど、アリステアはできない。したくない。
だが、社交辞令ぐらいは口にすべきと分かっている。
それでも何も言えずにいるのは、喉がカラカラに乾いて、上手く声が出ないからだ。
「……侍女殿、まずは水をいただきたい」
ジロリと睨まれた。
自分でもおかしいなと思った。
侍女相手には声が出ているのだ。
発声場所が違うのか? いや、そんなわけはない。
アリステアの要求に、侍女はすぐさまグラスに水を注いでくれた。
それを受け取り、アリステアは喉を潤した。声はなんとか出そうである。
ただ問題は。
(……なにを伝えれば?)
じっと彼女を見る。
なぜか震えている唇、不安そうに見つめてくるローズピンクの瞳。
白い耳がほんのりと淡く染まって――
(くそ……っ可愛い)
さっきまではあまりの美しさに目を奪われ、今はとにかくアリステアの言葉を待つ彼女が可愛くて堪らない。
(あ~……落ち着け、落ち着け)
社交辞令のギリギリを探す。
こんなに綺麗に着飾って社交辞令だけではきっと彼女はがっかりする。だからギリギリ、なんとかギリギリ伝えないといけない。
「……その」
「……」
さっき飲んだばかりなのに、もう喉が渇いている。
飲み干してしまったグラスは空。
侍女がすかさずもう一度注ぎ直しているのが見えた。
(……さすが、公爵家の侍女は優秀だな)
アリステアは頭の片隅でついそんなことを思ってしまった。
「に、似合ってません?」
「似合っている」
思わず被せるように言ってしまった。
「ほんとうに?」
「ああ、すごくよく似合ってる、綺麗だ、その、なんて言っていいかよく分からなくて、うまく伝えられないんだが」
「……きれい」
「ああ、すごく綺麗だ」
「……あの、口紅の色も変えたんですけど」
「……」
口元に指を置いて示すのは、止めて欲しい。
目が離せなくなる。
「これは変ですか? 初めてでちょっと不安で」
(あぁ……なんなんだよ!! ひとつひとつ訊いてくるな!! 全部まとめて綺麗じゃだめなのか? 頼む)
「……変ではない」
「ほんとうに?」
「ああ……その、いつもの口紅も、とても似合っているが、今日のは」
「今日のは?」
相変わらずぐいぐい来る。
自信なさそうなくせに、訊いてくる。
(い……『色っぽい』は絶対に気持ち悪いと思われる。なんて言えばいいんだ? 『大人っぽい』か? なんかそれも……)
アリステアは困っていた。
礼法の成績は悪くなかった。だが、淑女を褒める言葉なんて本気で覚える気は無かった。今更ながら後悔した。
「と、とにかく目を奪われる」
「……奪われる?」
「そうだ」
「奪われるということは?」
「……見ていたくなる?」
自分でも何を言っているのか。
だが、アリステアの言葉に嬉しそうに頬を染めているのを見ると、たぶん正解だったと思われる。
(というか……地獄の時間じゃないか?)
アリステアはサロンで彼女と過ごす時間が、唐突に恐ろしいものへと変わり始めたことを理解した。
* * *
(……見ていたくなる。綺麗)
アリスさんから無理やり吐き出させた言葉。
でもアリスさんが嘘をつかないことを知っているから、クラリッサはとても嬉しい。
改めてふたり向かい合って椅子に座る。
イーディスが今日は雰囲気を変えてハーブティーを淹れてくれた。
気持ちが落ち着くようにって。
「アリスさん」
「……ん?」
暑いのか、さっきから水ばかりを飲んでいるアリスさんに、声を掛けた。
「あの、今日はアールグレイじゃなくて、ハーブティーなんです」
「……そうなのか?」
「ええ。わたくしはすっきりして飲みやすくて好きなんですけど」
「……なるほど」
「でも、アリスさんが苦手とか、いつものアールグレイが良ければ」
クラリッサの話を静かに聞いているアリスさんが、カップに手を伸ばした。
骨ばった指が見えた。
(……アリスさんの指って……あんなかんじでしたっけ?)
いつも見ていたはずなのに、ちゃんと見ていなかったらしい。
(いけないわ。常に意識をきっちりと持たないと)
クラリッサは公爵令嬢として、そしてソフィア様の家庭教師として改めて気を引き締めた。
そこへ。
「ん。ハーブティーも悪くないな」
アリスさんの口元が緩む。
クラリッサの心臓はそれだけで、ドクンと大きな音を立てた。
(……な、なんですの!?)
唐突なそれに、クラリッサは動揺した。
思わずアリスさんをもう一度見れば、彼はハーブティーを飲んでいるところ。
(疲れがたまりすぎているのかしら……)
クラリッサは、家に帰ったら今日はゆっくり寝ようと心に決めた。




