第22話 公爵令嬢は見られている
ソフィアはムズムズしていた。
いつもの帝国語の授業。
教本を持つクラリッサ先生の左手首にはハンカチが巻かれている。
そして、ピンクブロンドの髪には青いリボン。
見覚えがありすぎる。
お兄さまがひっそりと買った物と一緒ではないだろうか?
「ソフィア様、どうされたのです? 授業に身が入っていませんよ?」
クラリッサ先生の厳しい指摘。
ソフィアはさっきから何度も、帝国語の簡単な単語のつづりを間違えていた。
このままではダメだと悟った。となれば、授業に集中できるように、ソフィアはもっとも気になる問題を解決することにした。
「先生!」
勢いよく手を挙げる。
「はい、なんでしょう?」
「それは、お兄さまから贈られたものですか?」
クラリッサ先生のローズピンクの瞳がやわらかに細められた。
そして。
ふふ、と形の良い唇から声が漏れた。
反射的になぜかお母さまには聞かせられないと思った。なぜかは分からない。
「ええ、お詫びの品として頂きましたわ」
(お、お詫びって……なに?)
ソフィアの頭の中に疑問符が浮かぶ。
だが、目の前のクラリッサ先生はソフィアのそんな様子など気にもせず、左手首のハンカチを撫でた。とても、とても愛おしそうに。うっすらと頬を染めて!!
(こんなクラリッサ先生……お兄さまに見せてはいけないわ!!)
一番に見るべき相手は贈り主であるお兄さまかもしれないが、破壊力が半端ない。
お兄さまが勘違いしてしまう。
(あれ? 勘違い? 勘違いなの?)
ソフィアは分からなくなった。
「アリスさんは凄いですわ。わたくし、アジサイがとても好きなんですの」
(……勘違い、かもしれない)
アジサイに焦点が当てられたことにより、ソフィアは少しだけ落ち着いてきた。
とりあえず、手首のハンカチが間違いなくお兄さまからの贈り物であること。そして、それをクラリッサ先生が喜んで身につけていること。……事実の確認は終わった。これ以上はソフィアには関係のないことだ。
(そうですわ。わたくしは王子妃になるのですもの。この程度のことで動揺するなんて情けない)
ふわふわと笑うクラリッサ先生の、髪に揺れる淡い青のリボンのことも『素敵だな』で済ませることにした。
「質問はおしまいですの?」
「はい!」
「では、もう一度、先ほどのところから」
「はい。今度こそ間違いません」
「さすがですわ。ソフィア様」
ソフィアの意識は今度こそ、目の前の教本へと向けられた。
* * *
ソフィアがハンカチに気づいた数日後。
アリステアは、いつものように図書館の一階の書架で本を探していた。
ちょうどその時、遠目に公爵令嬢の姿を見つけた。
背伸びをして本を取ろうとしていて、危ないなと感じた。
すぐに侍女が気づいて彼女の代わりに本を取る。侍女は女性にしては背が高い方だ。そういう利点も込みで外出時の彼女専任の侍女になっているのだろうか。
勝手に一安心して、彼女から目を離そうとしたその視界の隅で、彼女の左手首で揺れるハンカチに気づいた。
(……気にするな。気にするな)
アリステアはそう言い聞かせ、仕事に戻ろうとした。
だが、どうしても気になってしまう。
くるりと踵を返そうとして、もう少しだけ、と彼女の方を見た。
本を探している彼女が少しずつこちらへと近づいてきていた。
侍女はすでにアリステアに気づいている。アリステアは侍女に頭を下げた。
(もう行こう)
今度こそ、と背を向けようとした一瞬、彼女のピンクブロンドの髪を結わえているリボンが目に入る。
淡い青だった。
(違うかもしれない……でも、そうかもしれない)
口元が緩む。
アリステアは足早に館内を歩いた。
本当はまだ、探さなくてはいけない本があるのに、どうしても今は探せそうにない。
一度地下に戻って、気持ちを落ち着けて、それから、仕事に戻ろう。
アリステアは地下へと続く階段を下りていった。
* * *
「あれ? ペンフォード君、戻るの早くない?」
資料室の自席に座ると、室長からそう指摘を受けた。
「気のせいです」
アリステアは嘘をついた。
「まぁいいけど」
室長もすぐに興味を失う。
基本的にこの室長はアリステアにあまり関わってこない。声は掛けてくるが、こちらの反応が悪くても気にしない。
(……よく分からない人だ)
アリステアがもっさりとした前髪のままで勤務できるのも、室長のこの分からない性格のおかげだと認識している。
資料室に戻ってきてしまったので、ついでにもう一件、依頼書を見ることにした。室長の机に置かれた優先度の高い箱へと手を入れる。指先にざらりとした紙の感触。そのまま一枚だけ手に取った。
『北方諸州古地図集――初版』
(また……貴重書)
アリステアはうんざりする。
どう考えてもおかしくないだろうか。
こんな頻度で貴重書が紛失するなど、あってはならないはず。なんらかの理由があって紛失しているのだとしたら、その記録を残すべきでは。
ウィンスロー先輩の言う通りである。
「室長」
「ん?」
「……また貴重書が紛失書扱いになってるんですが?」
「え~困ったね」
室長は台帳を見ていて、こちらを見ない。
別に珍しいことでもない。
「これほど貴重書が紛失しているなら、以前のウィンスロー先輩の提案通り、やはり捜索台帳を作るべきだと思うのですが」
「……だから、それは申請に時間がかかるから」
「ええ、それは図書館全体としての公式の管理簿であれば、という話ですよね?」
室長が顔を上げた。薄い茶色の瞳がアリステアを見る。
「資料室で管理するだけの捜索台帳を作成するのであれば、別に問題ないのでは? もしくは現在ある移動台帳に紛失の記録などを残すのは?」
資料室に、いつもの沈黙が下りる。
室長は考え込んでいた。
それからしばらくして、室長は言った。
「ん~、移動台帳に記載内容を追加するのは、たぶん無理だね。……それから、捜索台帳だっけ? それを作成して、資料室内だけでの運用が問題ないかは、館長に確認するよ」
「めんどくさいですね」
アリステアがそう返すと、室長は笑った。
「組織ってそういうものなんだよ、新人君」
室長はそう言うと、アリステアからまた『依頼書』を奪った。
「とりあえず、これも僕が預かるから」
「え?」
「館長に話をする際に、この依頼書を見せた方が分かりやすいだろう?」
「……分かりました」
アリステアは釈然としない気持ちを抱えたまま、席へと戻った。
* * *
(困ったね……)
自席で大人しく台帳に目を通している新人を、資料室の室長エドガー・クロフォードはこっそりと見つめる。
(仕事を覚えるのも早いし、仕事も早いし、優秀で助かってたんだけどなぁ)
前髪がもっさりとしていようが、上司に対する態度に多少問題があったとしても、そんなことはどうでも良かった。
(優秀すぎるというのもあるだろうけど、無駄が嫌いなんだろうなぁ……)
新人の指摘はもっともだ。
実際の発案は司書室のハロルド・ウィンスローだったらしいが。
どちらにしても、惜しい人材だ。
できれば、このまま長いこと図書館で働いてほしい。無事に何事もなく、働き続けてほしい。
(このままでは……見つかるな……)
エドガーはひっそりとため息を吐いた。




