第21話 公爵令嬢はお詫びの品を贈られる
『蕾の夜』から一週間が経った。
彼女とサロンで会う、約束の日。
アリステアはいつものように身支度を整え、部屋を出た。
「お兄さま」
家を出る間際に、ソフィアに声を掛けられた。
「忘れ物ですわ」
勝手に人の部屋に入るのは如何なものなのか。
机の上に置きっぱなしにしていたことを後悔した。
「それは……」
「別に大したものではないでしょう? ハンカチですわ」
「……」
「あと、わたくしとお揃いのリボンです」
ソフィアはとても生意気だ。
いつか王子妃になる日が来るかもしれない。
アリステアはふとそんな馬鹿なことまで考えてしまった。
* * *
(アリスさんに会うだけですのに……なんだか緊張しますわ)
サロンの個室でアリスさんの到着を待ちながら、胸元を軽く抑える。
あの夜会でアリスさんが大人の男性なのだと思い知らされたせいか、どうにも落ち着かない。あれから図書館で何度かアリスさんを目撃はしていたけれど、きちんと顔を合わせるのは今日が初めてだ。
トントントンといつものノックの音に、クラリッサの心臓はバクバクと音を立てはじめる。
それでもイーディスに視線で合図を送り、扉を開けさせた。
* * *
(あら?)
緊張していたクラリッサだが、なにやら様子がおかしいアリスさんが気になりすぎて、心臓はいつもの早さに戻っていた。
アリスさんはクラリッサとイーディスに挨拶をしてから、椅子に座ったあと、手に持っていた紙袋をどこに置こうか悩んでいるようだった。
紙袋がテーブルの上を彷徨った後、アリスさんの膝の上に落ち着こうとしていたので。
「あの、預けましょうか?」
親切のつもりで声を掛けたのだが、アリスさんはなぜか肩をびくりと震わせた。
「いや……これは」
歯切れの悪い答えに、クラリッサはピンときた。
「ソフィア様への贈り物ですわね?」
今月末にソフィア様は誕生日を迎えられる。
アリスさんは何も言わないが、きっとそうだ。
「羨ましいですわ」
ソフィア様からは、アリスさんの話をよく聞く。
甘えて、甘やかされての関係性がとても羨ましい。
「何を贈られますの?」
「……」
アリスさんからはどんな言葉も返ってこなかった。
もしかして余計な質問だったのだろうか。
「……ごめんなさい、立ち入ったことを」
そう謝ると、アリスさんの少し俯いていた顔が勢いよく上がった。
* * *
彼女への『お詫びの品』を持って来たはいいが、どうしていいのか分からずにいた。
見かねた彼女から預けましょうかと気遣われ、さらにはソフィアへの贈り物と勘違いされた。それならそれで、そういうことにしてしまえばいいかと思い始めた頃、アリステアの反応の悪さを自分のせいだと勘違いした彼女が、謝ってきた。
(……何をしているんだ、俺は)
情けない。彼女は何一つ悪くないというのに。
アリステアは覚悟を決めた。
どう思われようが、というか、どう思われることもないだろうが、とにかく渡すと決めた。そもそも、これは。
「お詫びの品だ」
そう言って、アリステアは目の前の彼女へと紙袋ごと渡した。
本来の礼儀としては中から取り出すべきだと分かっていたが、そこまでする余裕は無かった。
「え?」
驚いたように見開かれるローズピンクの瞳。
アリステアの心臓は激しく律動する。
カラカラに乾いた喉を潤したくとも、紅茶はまだ置かれていない。
というか、彼女の侍女がなぜか動かない。
せめて水でも、と侍女へ視線を送れば、侍女が慌てたように水ではなく紅茶を用意し始めた。
「あの……もしかして、わたくしへの?」
「そうだ」
「お詫びの品って」
まるで心当たりがないという顔をされるが、どうして忘れることができるのだろうか。
今もまだ彼女の手首にはハンカチが結ばれている。
「淑女の体に傷をつけるなど」
「違います!! これはもう治ってますの!!」
彼女は慌てたように声を上げ、それから手首に巻いたハンカチを外した。
露わになった白い手首には、確かになんの痕もない。
アリステアは、ほっとした。
「良かった」
「ええ、ですから」
「綺麗な肌に、痕など残ったら……」
「……き、気になさらないでください」
安堵のあまり、アリステアの手が彼女へと伸びる。
「んん!! 紅茶をお持ちしました」
侍女の咳ばらいと、漂うアールグレイの香りがアリステアを正気に戻す。
彼女へと伸ばしてしまった手を膝の上に置き、二度とテーブルの上には出すまいと強く握りしめた。
* * *
クラリッサの脳内では、アリスさんの声で『綺麗な肌』という言葉が何度も繰り返されていた。
(これは……一般的な表現であって)
社交辞令、社交辞令と、今度は心の中で何度も言い聞かした。
少し気持ちが落ち着いてくると、今度はアリスさんから渡された紙袋の中身が気になってきた。
(お詫びの品)
そんなものは要らない。
けれど、アリスさんからの贈り物は嬉しい。
ちらりと向かいを見れば、珍しく紅茶を飲もうとしていない。
アリスさんは甘いものはさほど好きではないようだが、紅茶は別だ。
いつもきちんと飲んでいるのに。
「飲まれませんの?」
クラリッサが尋ねれば、アリスさんはしばらく考え込む素振りを見せ、ようやく紅茶へと手を伸ばした。
(……やっぱり今日のアリスさんは、なんだか変ですわ)
いつもとは違いすぎる様子を不思議に思いつつ、クラリッサは贈り物への好奇心が抑えきれない。
目の前で贈り物を開けるなんて、別にしてはいけないわけではないけれど、親しい間柄だけで許されることである。
(わたくしとアリスさんの間柄は)
それが許されるのかどうか、分からない。
でも開けたい。今すぐ開けたい。
もう一度アリスさんへと視線を向ければ、お菓子を取り分けてくださっているところだった。
甘やかしが得意なアリスさんに、思い切ってクラリッサも甘えてみることにした。
「あの……」
「どうした?」
即座に返ってくる答え。
いつの間にか、それが当たり前になっている。
「開けてもいいですか?」
そう訊けば、ふっと彼の口元が緩んだ。
「好きにすればいい」
彼らしい答えに、クラリッサはウキウキと紙袋の中へ手を入れた。
* * *
彼女は嬉しそうに紙袋から贈り物の箱を取り出し、綺麗に包装されたそれを丁寧に解いていく。
途中で侍女が代わろうとするのを断って、自らの手で開けていく。
その様子にアリステアは勝手に勘違いしそうになる。
(……彼女は、こういうタイプだ)
人から贈られた物を純粋に喜び、楽しむ。
「まぁ!!」
箱の蓋を開けた彼女の瞳が輝く。
弾む声にアリステアはムズムズした。
目の前でここまで喜ばれて嬉しくないわけがない。
「素敵ですわ!」
アジサイ柄のハンカチを手にして、広げて、それから、淡い青のリボンにも気づいたようだ。
「あら? ソフィア様の琥珀色のリボンとよく似て……」
「あ、それは」
「もしかして、あれはアリスさんからの贈り物でしたの?」
無理矢理買わされたようなものを、いいように言われるのはなにか違う気がして、それには頷くことはしなかった。
「アリスさん、ありがとうございます」
「いや……お礼を言われるようなことではなくて、それはお詫びの品であって」
「でも、わたくしとっても嬉しいですわ。あ、そうですわ」
彼女は侍女を呼んだ。
そして、侍女が彼女の左手首にアリステアの贈ったハンカチを巻き、その上からリボンを結う。
あの夜会の時のような『花』が現れた。
「どうです? アリスさん」
綺麗だという言葉以外は見つからない。
けれどそれをアリステアは言えない。
ただ、頷くだけに留めた。




