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家庭教師になった公爵令嬢は、我儘をつき通す  作者: 星見蒼


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第20話 公爵令嬢はすっかり忘れている

 『蕾の夜』の翌日、クラリッサはお母様に呼び出された。

 お母様の部屋にはいつも通り、侍女のイーディスも控えている。


「夜会デビューはどうでした?」


 お母様の言葉にアリスさんの香水の香りを思い出す。


「わたくし……まだまだでしたわ」


 そう伝えると、お母様は不思議そうに首を傾げた。


「あら? とても堂々と踊っていたように見えたけれど?」


 お父様とお母様はきちんとクラリッサの様子を見ていてくれたらしい。嬉しいが、なんだか気恥ずかしい。


「ええ、ダンスは問題なくこなせたと思いますわ」


 クラリッサ自身の採点でもダンスは百点満点だった。


「それなら?」

「……わたくし、エスコートでは失敗しましたの」


 悔やしくて悔しくて堪らない。

 そんなクラリッサにお母様がやさしく声をかけてくださる。 


「……エスコートで失敗って、そもそも貴女は受ける側でしょう?」

「お母様。わたくしもそう思って、軽く見ていましたわ」


 ただ相手の腕に手を添えて、歩くだけだと思っていたのに。

 まさか、それがあんなに難しいとは。


「手は震えて、足も速度とか歩幅とか、なんか全部わけが分からなくなりましたの」

「……貴女、どなたと踊ったのかしら?」

「え?」

「踊った方よ?」

「……」


 クラリッサは首を傾けた。

 斜め上の虚空を見つめながら、すでに記憶の片隅へと追いやったものを探る。

 

 さすがにアーサー殿下は覚えている。そういえば学園時代の学友もいた。はじめましての方も、きちんと把握していた。

 ……その時は。


「クラリッサ」


 お母様の声の温度が、急激に下がった。


「……お、お母様、わたくしダンスをしている時は覚えていましたの。ちゃんと分かってましたの。きちんと会話もできましたの」

「それで?」

「で、でも、今改めて訊かれますと、学友だったウィットモアさんと、ベルグレイヴさんとエルズワースさんは覚えているんですが」

「すべて貴女の学友ね」

「は、はい」

「それからもう学園は卒業したのですから」

「ウィットモア伯爵子息とベルグレイヴ侯爵子息とエルズワース侯爵子息です」

「……はぁ」

「でもダンスは完璧にこなしましたわ!」

「……それは見ていたわ」

「はい!」


 クラリッサは胸を張った。


「で、どのように失敗したの?」


 お母様がため息を吐きながら、じっと呆れたようにクラリッサを見つめている。

 恥ずかしくはあったが、淑女の見本ともいえるお母様の助言を受けるべく、クラリッサはアリスさんからエスコートを受けた話をした。



 * * *



「お兄さま、見て! 素敵なリボンがいっぱいありますわ」


 『蕾の夜』の翌日は、休日だった。

 サロンでの約束の日に当たるが、『蕾の夜』の翌日ということもあって、予定を一週間後ろへとずらした。それは、慣れない夜会でお互いに疲れるだろうと判断したからなのだが、間違っていなかった。

 アリステアは、疲れていた。

 だが、それは体力的なものではなく。


「お兄さま、どれがいいかしら?」


 ソフィアはアリステアの疲れなど気にしない。

 アリステアはソフィアに連れられ、服飾店へと来ていた。

 ソフィアの誕生日が近いということもあり、髪に飾るリボンを買うよう要求されている。

 ソフィアはリボンが好きだ。

 灰黒色の髪にいつもリボンをつけている。

 お気に入りは銀糸のレースのリボンだ。


「聞いてます? どれがいいと思いますか?」

「今つけているのと同じようなのでいいんじゃないか?」

「……本気で仰ってますの?」


 琥珀色の瞳がアリステアを睨んだ。


(……気に入っているなら、いいだろう?)


 とはさすがに口にしなかった。

 言い返せばその倍、いや五倍ぐらいの反論が返ってくる。

 余計なことは言わないに限る。


「あ!」


 ソフィアが一本のリボンを手にする。


「クラリッサ先生みたいな色ですわ」


 ローズピンクのレースのリボンを嬉しそうに髪に合わせている。

 その様子に半年ぐらい前の記憶が蘇る。

 

 学園の東屋で、同じようにピンクブロンドの髪にリボンを合わせて、アリステアにどちらが似合うのか訊いてきた少女がいた。


(……昨夜は本当に綺麗だった)


 卒業してからは、もう少女とはいえないな、と感じていたけれど、昨日アリステアの隣を歩いていた彼女は、紛れもなく淑女で、公爵令嬢で、ひとりの女性だった。


「お兄さま、どうです?」


 ソフィアがぐいぐいとアリステアの腕を掴んでくる。

 その力の強さに。


(くそっ……なにを呑気なことを考えているんだ)


 自分は彼女を傷つけたというのに。

 そんなことも忘れて、彼女の美しさに心奪われて。


「はぁ……」


 思わずため息が漏れる。

 当然それはソフィアの耳にも入り。


「お兄さま!!」


 怒りを増幅させてしまった。



 * * *



「で、貴女はアリステアさんにエスコートしていただいたけれど、まともに歩けなかったと?」


 お母様の指摘にクラリッサはうなだれる。

 自分でも思っていたことを、他人から改めて言われるとこんなにも刺さるものなのだと、クラリッサは初めて知った。


「……そうなのです」

「……アリステアさんのエスコートが下手だったのでは?」


 お母様の言葉にクラリッサは目を吊り上げた。


「お母様!! いくら何でもアリスさんに失礼ですわ!!」

「そうかしら? だって貴女、他の方とは問題なかったのでしょう?」

「それは、アリスさんがとっても素敵な大人の男性だからです!!」

「……」


 お母様が黙った。


「アリスさんはいつもと違って、サマーホワイトの香水をつけていらして、とても大人で、それはもう、ほんとうに、素敵だったんですから!!」

「……そう」

「あまりにも素敵すぎて、心臓はバクバクするし、慣れないし、本番と練習はこんなにも違うのだと、実感しましたわ」


 クラリッサは素直に伝えた。感じたことをありのまま。

 そうでなければお母様は『アリスさんが悪い』と判断してしまうのだ。

 それだけはあってはならない。アリスさんにはなんの落ち度もないのだ。


「お母様、アリスさんは」

「クラリッサ、もういいです」

「でも!!」

「……よく、分かりましたから」


 お母様は静かにそう言った。

 クラリッサはきちんと伝わったことが嬉しくて、にこりと微笑んだ。



 * * *



「お兄さま、きちんと選んでください」

「……分かったから」


 ソフィアから延々と説教を受けた後、アリステアは諦めて商品棚に並ぶリボンへと視線を向けた。


(……分からない)


 それがアリステアの正直な感想だ。

 どれも似合うと思うのだが、そう言ってもソフィアは納得しない。

 ……公爵令嬢は納得したのだが。


「……好みの色は?」

「お兄さまに選んで頂きたいのです」


 何故そこまで頑ななのかアリステアには分からない。

 だがテキトーに選ぶと怒られるのは目に見えている。


(同じ銀糸のレースがダメなら……白は雰囲気が近いしやめた方がいいか。そうすると……)


 先ほどソフィアが選んだローズピンクのリボン。それから、公爵令嬢が好きな淡い青のリボン。その隣にある薄紫も彼女が好きな色だ。


(……ダメだ。思考が彼女から離れない)


 アリステアは彼女から離れるために、ソフィアを見た。

 琥珀色の瞳がこちらを見ている。


 もう一度商品棚へと目を向けた。

 ソフィアの瞳と同じ琥珀色のリボンがあった。


「これでいいか?」

「……お兄さまが考えてくださったのは、分かりましたけど」


 にこりとソフィアは笑った。だが、琥珀色の瞳は笑っていない。


「これでいいか? という訊き方は間違っています!!」


 ソフィアは手強かった。



 * * *



 贈り物として包装してもらおうとしたのだが、ソフィアは琥珀色のリボンが気に入ったのか、つけて帰ると言った。

 店員は手慣れていて、新しい琥珀色のリボンをソフィアの髪に結び始めた。


 待っている間、なんとなく店内を見渡していると、ふと目に入ったアジサイ柄のハンカチ。


(……)


 好きそうだな、で収まらなかった気持ちがアリステアを動かす。

 足が勝手に商品棚の前まで行く。


 昨日の彼女の手首に巻かれたハンカチ。それからリボン。

 セットで買えばいいのか、とまで脳裏に浮かんで、慌てて消して。

 だが、唐突に、これはお詫びだ、という大義名分が、現れてしまった。


 伸びた手は止まらない。


 アジサイ柄のハンカチと、それに似合いそうな淡い青のリボンを手に取った。

 ソフィアの視線がこちらを見ていることには気づかないふりをする。

 すぐにソフィアが視線を逸らしたことも、気づかないふりをした。


 店員が手際よく包装しているのを見ながら、後悔が押し寄せてくる。


 彼女につけた痕を、浅はかにも利用している。


 そうとしか思えなくなる。いや、実際にそうなのだ。

 だが、今さら戻すこともできない。


「お兄さま」


 ソフィアがアリステアのところに来た。


「わたくしの新しいリボン、どうです?」


 くるりとその場で回るソフィアの姿が、彼女の姿と重なった。

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