↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家庭教師になった公爵令嬢は、我儘をつき通す  作者: 星見蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/33

第19話 公爵令嬢は蕾の夜を歩く

 目の前に差し出された、黒の燕尾服の腕。

 クラリッサは思わずそれをまじまじと見てから、ゆっくりと顔を上げた。


 そこには、正装姿のアリスさん。

 白のハイカラーのシャツに、灰黒色のベストと濃紺のクラヴァット。その組み合わせは、黒髪のアリスさんによく似合っている。前髪はいつものようにもっさりとしていて、目元は見えず、口は真一文字に結ばれている。


 クラリッサは息が苦しくなった。

 どうしてなのか分からない。

 目の前の腕に、どうしてこんなにも動揺しているのか。


(差し出された腕は……エスコートという意味で……)


 礼法の授業でソフィア様に講義した内容が頭の中で響く。


(これは……エスコート?)


 不自然なまでに差し出された腕。

 何も言わないけど、動かないのだから、きっとエスコートだと、クラリッサは理解した。


(エスコートを受けたら、さっと手を伸ばして)


 イヴリン先生の授業でも、学園の授業でも、完璧にこなしたはずなのに、クラリッサの指先は震えて、腕がのろのろと動いている気がする。


(こ……こんなの、淑女の作法としては零点ですわ)


 それでもなんとか黒の燕尾服の腕の上に、クラリッサの指先が届く。


(この後は……お互いに歩幅を合わせて……ってアリスさんの歩幅なんて知らないわ!!)


 先ほどまで何人もの男性からダンスのたびにエスコートを受けていたことなど、クラリッサの頭にはない。相手が合わせて当然ぐらいの気持ちで、歩いていたことさえ思い出せない。


 ちらりとアリスさんを見る。

 こくりと頷かれて、クラリッサの心臓は口から飛び出すんじゃないかと思った。


(わ……分かりませんわ!!)


 なにもかもが分からない。

 正解が導き出せない。家庭教師失格。クラリッサの頭の中は大混乱したまま、アリスさんのエスコートで歩きはじめる。


「速すぎたら言ってくれ」

「え?」


 何を言われているのかも分からない。というか、いつもより声が聞こえてくる位置が近い。高くて、でも近い。

 しかも気配がする。すぐそばで。熱い。熱い。

 頬が火照っている気がする。


「歩く速度の話だ」

「え……あ、はい」


 なんとか頭にアリスさんの言葉を叩き込む。


(えっと、歩く速度。速度はどのくらいがちょうどいいんでしたっけ?)


 礼法の教本に載っているはずの言葉さえ思い出せない。

 すぐ近くから薫るアリスさんの匂い。


(あれ? ……アリスさんっていつもこんな匂いでしたっけ?)


 今ほどの距離ではないが、たまに近づくことはあったはず。でも、その時にこんな……


(そうだわ! これはサマーホワイトの木の香り)


 慣れ親しんだ爽やかな木の香りが、アリスさんからする。

 思わず嗅ぎたくなる衝動をクラリッサはぐっとこらえた。

 と、同時にアリスさんが香水をつけているのだと思うと、なぜかくらくらした。


(お、大人の男性みたいですわ)


 急激に自分が子供じみていないか不安になる。

 エスコートひとつに動揺し、正しい歩幅も速度も思い出せず、挙句――


(ま、まともに会話してませんわ!!)


 今さらながらそのことに気づいた。

 だが、喉は何故か渇きを感じていて、綺麗な声が出せそうにない。

 クラリッサは泣きたくなった。

 淑女のなんたるかをあれほど学んだはずなのに。そして、それをソフィア様に教えるべきなのに。


(……これが、本番と練習とは違うということですのね)


 思わずぎゅうっとアリスさんの腕を掴んでしまった。


「……どうした?」


 アリスさんの足が止まる。


「あ……えっと」

「何か問題があったか?」


 問題があったのはクラリッサであって、アリスさんではない。

 だが誤解していそうな雰囲気に必死に頭を左右に振った。


 ふっとアリスさんの口元が緩む。

 笑われたのだとクラリッサは理解した。


 恥ずかしくて堪らない。

 思わず睨めば。


 すっと視線が逸らされた。

 ただし、目元は見えないのでおそらく、である。


「行こう」

「あ……はい」

「兄君が、ものすごい勢いこっちに来てるな」

「……」


 そこで交代になってしまうと思うと、今度はクラリッサの方が足を止めた。



 * * *


 

 足を止めた彼女の手は、やはり震えているような気がした。

 アリステアがエスコートをしている間、ずっと震えていて、途中で腕をぎゅっと掴まれた。何か問題があったのかと問えば、首を左右に振られた。


 (くそ……っ!!)


 彼女の耳元で銀の耳飾りが揺れる。自然と目が白い首筋へと吸い寄せられる。

 すぐ近くで彼女の熱を感じて、アリステアに余裕などなかった。

 早く終われと思いつつも、どこかでこのままでいたいと感じてしまう。

 だが、向こうから彼女の兄君が凄い勢いでこちらに向かってきている。

 もうすぐこの時間も終わる。そう思った時、彼女の足が何故か止まる。

 

 不可解な動きにアリステアは声を掛けようとして、その手首に巻かれたリボンのような物が気になった。

 花のように綺麗なのだが、公爵令嬢が身につけるものとしては、どこか違和感を覚えた。


「……それ」

「え?」

「どうして、それにしたんだ?」


 デビューの令嬢に許される一輪の花。

 胸元を飾る首飾りでもなく、耳元で揺れる耳飾りでもなく、そして豪華な腕輪でもない。


 尋ねたアリステアに対して、彼女はバッと手首を庇うような動きをした。


(ん……?)


「あの、これは、別にもう平気なんですの、痛むとかそういうことでも全然なくて」


 何が言いたいのか分からない。そもそも痛みとはなんなのだ?

 彼女からは見えないだろうが、アリステアの眉間に皺が寄る。


「お父様やお兄様にうるさく騒がれると困りますし、たいしたことないのにアリスさんが……」

「俺?」


 次の瞬間、彼女は固まった。

 その顔には『しまった』と確実に書かれていた。


 アリステアは考えた。

 すぐ近くまで彼女の兄君が来ているのが見える。

 先ほどまではさっさと回収しに来て欲しいと思っていたのに、今は違う。考えがまとまるまで時間が欲しい。


「違います。今のは間違いです」


 必死に取り繕っているが、嘘が下手すぎる。

 だが、あまりにも必死すぎて、これ以上彼女を追い詰めるのも違うと思った。


「そうか」


 ひと言アリステアがそう返すと、明らかに安堵のため息を零した。

 そして。


「アリスさんは全然関係無いですからね」


 ローズピンクの瞳が強く訴えてくる。


(……俺のせいか)


 アリステアは理解した。

 そうなると心当たりは一つだけ。


 にっこりと微笑む彼女を、自分は傷つけたのかと思うと愕然とする。


「それに、わたくしこの飾りとっても気に入ってるんですの」


 それは嘘ではないのだろう。

 嬉しそうに微笑み、手首を愛おしそうに撫でた。


 その様子に、アリステアはぞくりとした。


 喉が渇く。

 異常なまでの渇きに声が出ない。

 だが、それで良かったのだと思う。


「クラリッサ」


 兄君が来た。

 彼女を迎えに。


 アリステアは公爵家の嫡男に一礼をする。


「……妹を連れてきてくれて礼を言う」


 冷たく掛けられた言葉が、今のアリステアにはちょうどいい。

 熱く昂りそうな気持ちがスッと沈んでいく。


「いえ、これで私は失礼します」


 アリステアは敢えて彼女を見なかった。


「アリスさん!!」


 声が追いかけてきても、振り返ることはしなかった。



 * * *



 アリスさんは振り返ってくださらなかった。

 お礼ぐらい言いたかったのに。


「……お兄様、来るのが早いですわ」

「……どういう意味だ?」


 お兄様の青い瞳が細められた。


「言葉通りの意味ですけれど?」

「……そんなに、あの男といたかったのか?」


 お兄様は当たり前のことを聞いてくる。


「何を仰ってますの」

「そうだろう。そうだろう」

「そんなの当然に決まってます」

「は!?」

「……せっかく、アリスさんがエスコートしてくださったのに。お兄様は気が利きません」

「待て。クラリッサ、何を言っている!?」

「……素敵でしたわ、アリスさんのエスコート」

「どこがだ!? あんなもっさりとしていて、可愛いクラリッサをエスコートする資格なぞどこにも」

「それに比べて……わたくしときたら……」


 震えて、全然淑女らしくなくて。

 クラリッサは己の至らなさを後悔する。


(ソフィア様と一緒に、わたくしも一から学び直さなくては)


 次の『星の夜』の時に、もしまた運よくアリスさんにエスコートしてもらえることがあったなら。


(その時は、完璧な淑女として、アリスさんにエスコートしていただくわ)


 ふんわりと薫るサマーホワイトの香水に動揺なんてしない。


(アリスさんが大人の男性なら、わたくしは大人の女性になってみせますわ)


 クラリッサは強く誓った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。