第18話 公爵令嬢は蕾の夜の花である
(嫌な予感しかしない……)
アリステアは逃げ出したい気持ちに駆られた。
向こうから歩いてくるのは、妙に目立つ三人。
にこやかに三人で談笑しているようだが、なぜこんな壁際に来るのか。
涼みたいというのなら、テラスへの入り口はこちらではない。
アリステアはそっと、そっと、場所を移動する。
だが、彼らは優雅な足取りで華麗に方向転換し、確実にこちらへと近づいてくる。
(……三人とも動きが異常だろう)
走ってでも逃げようか、と考えを巡らす。
そのわずかな隙を突かれた。
「アリステア」
決して大きくはない、だがよく通る声がアリステアを呼ぶ。
アーサー殿下に声を掛けられて、無視などできようもない。
アリステアは諦めた。
すっと殿下に向けて一礼する。
「まぁ」
公爵令嬢の声が聞こえた。
とても弾んでいて嬉しそうである。
「そんな形式ばった挨拶はいらないよ」
殿下の言葉を型通りに受け取るわけにはいかないが、かといって礼をしたままでいるわけにもいかず、顔を上げた。
目の前にはアーサー殿下とその婚約者のベアトリス・ウェクスリー、そして公爵令嬢が並ぶ。
アリステアの目にはどうしても公爵令嬢だけが映る。
遠目からはよく見えなかったドレスの繊細な刺繍、耳元で揺れる銀色の耳飾り。そのすべてよりも輝くローズピンクの瞳。
(……綺麗だ)
呆然と見つめてしまいそうになるのを、なんとか視線を剥がして、アーサー殿下の方を向く。
アリステアの視線を受けて、アーサー殿下が鷹揚に頷いた。
「久しぶり……って、この間会ったばかりか」
「その節は助けていただきありがとうございます」
「いいよいいよ。とっても楽しかったから」
人の悪い笑みを浮かべるアーサー殿下に、アリステアはなんと返していいのか分からない。
「しかし、君は相変わらず壁と仲良くするのが好きだね」
「……壁は話しかけませんから」
「あれ? 今僕に文句を言った?」
「まさか。そのように聞こえたのでしたら」
「そのようにしか聞こえないけど、君のその不敬な感じが大好きだから別にいいよ」
「……」
「ね、クラリッサ」
「はい」
なぜそこで公爵令嬢へと語りかけ、彼女も『はい』と返すのか。
頭が痛い。
彼らの隣ではいつもの冷めた眼差しでベアトリス・ウェクスリーが立っている。
(こちらは相変わらず、何を考えているのか分からない)
アリステアは心の中だけでため息を吐き、三人が去るのを待った。
「じゃあ、用は終わったし、行こうか」
引き際が良いのがアーサー殿下の美点かもしれない。
そう思えたのは、ほんの一瞬だけだった。
「じゃあね、アリステア、クラリッサ」
ベアトリス・ウェクスリーだけを連れて、去っていく。
「は!?」
取り残されたアリステアはさすがに声をあげた。
だが殿下は聞こえなかったのか、それとも聞こえないふりをしたのか。アリステアは絶対に後者だと感じたが、とにかく、無視され、そして、目の前に公爵令嬢だけが立っているという状況に陥る。
(なんで置いていくんだよ!!)
心の中で不敬にもアーサー殿下に叫ぶ。
だが、当の公爵令嬢は呑気に二人の背中を見送っている。
「ベアトリスさん、とても綺麗ですわ」
感嘆の声を漏らして、それからアリステアを見た。
(……どうしろと?)
アリステアの脳内は焦っていた。
ふたりきり、いや、周りに人がいたとしても、夜会という場で、たかだか伯爵家の三男と二人並んでいるだけでも良くない。しかも先ほどまでアーサー殿下がいたせいで、目が集まっている。
即座に彼女をここから離脱させなくてはいけない。だが――
集まっているのは目だけではない。
彼女に声を掛けようと、あわよくば踊ろうとしている男たちの視線を感じる。
ひとりで兄君のところに戻らせるわけにはいかない。
(やられた)
これはアーサー殿下の策略だ。
なにを思ってこんな馬鹿なことをするのか。
高貴な人は、人で遊ぶと聞いたことはあるが、悪趣味ではないだろうか。
「アリスさん、心配なさらないで」
にこりと公爵令嬢は微笑んだ。
「わたくし、お兄様のところに戻りますから」
アリステアの気持ちの一割程度は正しく理解し、残り九割は大きく誤解したまま、彼女はそう言った。
ここまで言われて情けなく『はい、そうですか』と返せるほど、アリステアは弱くはない。……いや、弱かったのかもしれない。
彼女をその辺の男に触れさせたくなどないのだ。
一人で歩かせるのは危ないとかそんな建前を取り払えば、見えてくるのはどうしようもない独占欲。
「……」
すっと彼女の前に腕を差し出す。
驚いたように大きく見開かれるローズピンクの瞳。
アリステアの心臓は大きく拍動する。
呼吸が苦しい。
(くそっ……)
断られたら立ち直れない、と心のどこかで思っていた。




