第17話 公爵令嬢は蕾の夜に踊る
『蕾の夜』が始まる。
クラリッサは令嬢たちが集まる控室で息を整えていた。
この控室にいるのはクラリッサと同じ歳の、今宵が夜会デビューの令嬢たちだけ。
みな一様に白いドレスに身を包み、施されている刺繍のデザインは蕾。
唯一許される一輪の花をどこに咲かせるのか、どのような花にするのかで個性を出す。
クラリッサは、お父様とお兄様が用意して下さった肌触りの良い薄紫色のハンカチで、左手首に花を飾る。
これが予想以上に可愛らしい。同じ色のリボンを重ねるように巻いてあり、動くたびにふわりふわりと揺れるのだ。
家族からも大絶賛された。
その花を見つめつつ、クラリッサは周囲の空気に呑まれまいと気を張る。
――緊張と興奮。
なにせみな、初めての夜会。初めてのダンス。
(ダンス……お兄様と踊ったら……ダンス)
ため息を吐きそうになるのをクラリッサはこらえた。
(……お兄様や殿下以外の方と、ダンスなんてしたことないわ)
正直、気が乗らない。お兄様たちとはダンスをしたいと思っていたが、その他大勢とダンスをするつもりはなかったのだ。それでもお母様から命じられた以上、クラリッサは公爵令嬢としての義務を果たさなくてはならない。
(アリスさんは……誘ってくださらないわよね)
考えるまでもない。
きっと今日も壁際でひっそりと立って、時間が過ぎるのを待つだけだろう。
(わたくしもアリスさんと並んで、ただ眺めているだけが良かったわ)
それはそれで楽しい時間だと思う。
きっとアリスさんは、クラリッサの話に短い相槌を返すだけ。
それでも。
(アリスさんといるだけでいいのに)
気分が落ち込みそうになるのを、クラリッサは深呼吸を繰り返すことでなんとかやり過ごす。
ふと、手首へと視線を落とす。
綺麗な薄紫色のハンカチの花。
(……アリスさん)
ハンカチの下の手首にあったはずの、アリスさんの痕。もうすっかり消えてしまっていた。それでもそこには確かにアリスさんの手の痕があったのだ。
イーディスに作ってもらった花が壊れないように、そっと撫でる。
なんだか一緒にいるような気持ちになった。
(ふふ、お守りみたいですわ)
クラリッサの口元は自然と緩んだ。
* * *
兄君にエスコートされて会場に現れた公爵令嬢は、会場中の視線を集めていた。
慣例通りの白いドレス。肩までのピンクブロンドの髪が歩くたびにさらりさらりと揺れ、そして。
(……リボン?)
手首に巻かれた薄紫色の花を象ったそれが、ふわりふわりと揺れている。
遠目からでも彼女の美しさは見てとれた。
(……さすがだな)
こういう場で彼女を見られたのは、良かったのかもしれない。
変な勘違いもできなくなる。
彼女は紛れもなく、筆頭公爵家の令嬢なのだ。
伯爵家三男のアリステアと並ぶべき相手ではない。
(分かりやすくていい)
アリステアは、彼女の姿を遠くから見つめた。
* * *
クラリッサは大忙し。
ウィリアムお兄様とのダンスが終わると、次にお父様、エドマンドお兄様、ヒューイお兄様と踊り、アーサー殿下がいらっしゃったので殿下とも踊る。
そうしていよいよ、他の方々とのダンスの時間となる。
いつの間にかずらりと行列ができていた。
学園時代の見知った方もいれば、まったく知らない方もいて、頭に叩き込んであった名前と実際の顔を一致させる。
手を取られ、くるくると回りながら、会話も忘れない。
家庭教師としてソフィア様に教えているせいか、相手からの話題に乗ることも、こちらから話題を振ることもさして苦ではなかった。
ただ、ダンスは人によって違うのだなと痛感する。
リードが上手な方、上手に踊られるがクラリッサに合わせるのが下手な方、どちらもできない方。
(……あら? この経験はソフィア様に教えるのにとても有意義では!?)
そのひらめきはクラリッサにとって天啓だった。
そこからはダンスが苦でもなんでもなくなり、どんな方でも誘いに来て欲しかった。もじもじと来られようが、馴れ馴れしく来られようが、クラリッサは一切気にしなかった。
その様子に家族が冷や冷やし始めていることに全く気づかず、クラリッサはくるくると回っていた。
* * *
(……さ、さすがに疲れてきたわ)
体がふらつきそうになるのを根性だけで押し留め、なんとか笑顔を浮かべたまま相手と挨拶を交わす。
心配そうにこちらを見ているエスコート役のウィリアムお兄様に目線だけで中止を伝えた。お兄様は即座に迎えに来てくださり、誘いに来てくださっていた方々にクラリッサの代わりにお断りの言葉を伝えてくださる。クラリッサもその隣で優雅な笑みを浮かべた。
「クラリッサ、頑張りすぎだ」
「ええ。わたくしも今、思いましたわ」
お兄様の注意に頷く。体力を過信していた。
(でも……これも意味がある疲れだわ)
ソフィア様に伝えられる情報が増えていく。
「クラリッサ」
呼ばれて振り返れば、アーサー殿下がベアトリスさんと一緒に現れた。
アーサー殿下とのダンスはとうに終わっている。どうして婚約者を引き連れて、クラリッサのところに来たのか不思議に思っていると。
「学友に挨拶に行くのだが、君もどうだい?」
意味不明な誘い文句に、疲れているのでお断りしようとしたのだが、ベアトリスさんの視線が動いた。
クラリッサは知っている。この視線の誘導の意味を。
学園の卒業パーティーで、アリスさんへの導線を見せた視線なのだ。
(大好きですわ、ベアトリスさん)
ベアトリスさんに最高の笑顔を向け、そのままウィリアムお兄様へ断りを入れる。
「お兄様、殿下たちとお話して参りますわ」
さらりと嘘を……半分真実を交えた嘘を伝え、信じた兄を置いて、クラリッサは二人の後ろを歩こうとした。
「クラリッサ様」
それを止めたのは意外にもベアトリスさんだった。
「殿下のもう片方の腕が空いてますわ」
「え? ……でも?」
「ベアトリス、僕としてはどっちも君のための腕なんだけどね?」
「可愛らしいクラリッサ様になにかあったらどうしますの?」
「……君、僕よりクラリッサの方が大事なの?」
「もちろんですわ」
よく分からない言い合いが目の前で展開されている。
しばらくして、ベアトリスさんのアイスブルーの瞳がクラリッサに向けられた。
「どうぞ、殿下のエスコートを受けてくださいませ」
「……えっと?」
「殿下も分かりましたね?」
「……まぁ、君がいいなら、ね」
「わたくしは、まったく、これっぽっちも、気にしませんわ」
「それは僕が気にする」
「さっさとエスコートしてくださいません?」
「……クラリッサ、ほら」
とても投げやりに殿下がクラリッサの前に腕を出してきた。
クラリッサもまぁそれなら、と殿下のエスコートを受けることにした。
「僕、すごく節操のない王子になってない?」
「余計なことは喋らないでくださいませ」
殿下とベアトリスさんは、とても仲良しでした。




