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家庭教師になった公爵令嬢は、我儘をつき通す  作者: 星見蒼


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第16話 公爵令嬢は命じられた

 公爵夫人はクラリッサが戻るよりも早く、影から報告を受けていた。

 ただその報告は、図書館で騒ぎがあり、その騒ぎの中心にクラリッサたちがいたこと。そしてアーサー殿下が収めたというだけであったため、最終的に問題はなかったと公爵夫人は思っていた。

 クラリッサとイーディスが公爵夫人の元に顔を出すまでは。


「お母様……」


 へにょりと情けなく顔をゆがませたクラリッサに、公爵夫人は声を掛けようとして、娘の手首に不自然に巻かれた白いハンカチに気づいた。


「……それは?」

「ちょっと痕が残ってしまいまして……」


 そう言いながら、右手で左手首の白ハンカチをもたもたと外そうとする。イーディスがすぐさまそれを手伝う。

 はらりとハンカチが取られ、クラリッサの手首が公爵夫人の前に晒される。

 白い肌にうっすらと赤い痕。


「これは?」


 痛むかもしれないと、手首から少し離れた手の甲を支えるように持ち、クラリッサに問いかけた。


「アリスさんがわたくしをかばって下さいまして」

「……どういうこと?」

「図書館に嫌な司書長がいて」


(影が報告してきた話ね)


「アリスさんの髪に触ろうとしたから」


(……話がよく分からないところに飛んでるわ)


「弾きました」


 妙に得意げにクラリッサは報告してくるが、弾いただけでできる痕とは思えない。


「イーディス」


 仕方なく控えている侍女に声を掛けた。


「はい」

「どういうことなのかしら?」

「……手を弾かれた司書長が激高し、お嬢さまに威圧的な態度に出られました」

「まさか、その男が!!」


 公爵夫人は存在も知らない男に怒気を募らせた、が。


「いえ、お嬢さまを庇おうとペンフォード様が前に出られまして」

「……まぁ!!」


 一瞬にして怒りが消える。


(……で?)


 ついついワクワクと次の答えを待つ。だが、はたと気づいた。今問題としているのはクラリッサの手首についた痕。


「これは、アリスさんがわたくしを後ろに庇おうとして、ぐいってしたときに付いた痕です!!」


 得意げだ。クラリッサはどこまでも得意げで、とても嬉しそうである。

 そのうちその痕にすりすりと頬ずりさえするのではないかと、公爵夫人は思った。

 それを喜ぶべきなのか、危うさを覚えるべきなのか、判断に悩む。

 それでも公爵夫人は、まずは淑女としての常識を伝えることにした。


「クラリッサ」

「はい」


 上機嫌な声の調子に、公爵夫人は敢えて厳しい眼差しを向け、声も低めにした。


「いいですか。淑女の体にそのような痕はあるべきではありません」

「はい」


 返事はいい。だがとても分かっている様子ではない。ずっと笑顔だ。とてもよい笑顔だ。


「そのようにつけられた痕を喜ぶのは、はしたないと思いなさい」

「……で、でもアリスさんが付けた痕ですし」


 公爵夫人は喉元で唸った。

 すぐに次の言葉を続けられなかった。


「……誰が付けた痕であったとしても」

「アリスさんがわたくしを守ってくださったんですのよ」

「……それは分かりました。それでも、アリスさんはもう少し加減をすべきでした」


 公爵夫人は動揺していたため、アリステアをアリスさんと呼んでしまった。


「加減……」

「ええ、現に力が強すぎて貴女の手首に痕が残ってしまっていますよね?」

「でも……男性の方は力が強いのではなくて?」


 公爵夫人の胸は再びキュンキュンした。思わず胸元を押さえる。


「お、お母様!? どうされたのです?」


 クラリッサは慌てているが、イーディスは冷静に水の入ったグラスを差し出してきた。長いこと公爵夫人の侍女をしているだけのことはある。

 公爵夫人はグラスを受け取り、口をつけた。

 すっと喉を通る冷たい水が、公爵夫人を冷静にさせる。


「貴女の仰る通り、男性は力が強いです」


 クラリッサはコクリと頷いた。


「だからこそ、女性に対して力を加減するのです」

「……」

「アリスさんは……」

「んんっ!!」


 また呼び間違えた公爵夫人の言葉を、今度はイーディスが咳ばらいで止めた。


「……アリステアさんは、それを間違えたのです。本来は付けなくてもすんだ痕を、貴女に残してしまったのです」

「……アリスさんは悪くないわ」


 むぅっと膨れる頬と、唇。


(分かるわ、娘。言いたいことはよく分かる。でも母には役目というものがあるのです!!)


「ええ、もちろんアリステアさんが貴女を守ったというその事実は変わらないでしょう。ですから、我が公爵家がアリステアさんに抗議をするようなことはありません」

「当たり前です!!」


 クラリッサのローズピンクの瞳がギラギラと光を発している。

 とても興奮している。


 公爵夫人はちらりとイーディスを見た。イーディスは頭を左右に振った。


「クラリッサ」


 公爵夫人は、それまで立たせたままだったクラリッサの腕をひき、隣へと座らせる。


「……お母様?」

「もう一度言います。ちゃんと聞くのです」

「はい」


 じっと公爵夫人を見る瞳は、純粋でまっすぐで。

 だが、それが今とても危険だと、感じた。


「この痕は喜ぶべきではないのです」

「でも!!」

「たとえアリステアさんになんの落ち度がなかったとしても、淑女の体に痕などあってはなりません」

「……これは」

「わたくしはアリステアさんを責めているのではないと、分かりますか?」

「……はい」

「貴女が、この痕を嬉しそうにしていることを問題視しているのです」

「……」


 なぜか泣きそうになっているクラリッサの体をやさしく包む。


「クラリッサ」

「……」

「貴女は、アリスさん以外に痕を付けられても、同じことを思うのかしら?」


 公爵夫人はわざと『アリスさん』と言った。

 だがクラリッサはそれに気づくことなく、首を傾けて考え込んでいる。


「アリスさん、以外の、人?」

「ええ」


 クラリッサは手首を見つめ、その痕に自身の手を重ねていた。


「お母様の手の大きさは知っています」

「は?」

「この痕は、アリスさんの手の大きさを教えてくれています」


(……まさか、そう来るとは)


「では、アーサーは?」

「……なんと……なく?」


(これは……難しいわ)


 クラリッサは致命的なまでに、身内以外の異性との交流がない。

 筆頭公爵令嬢として守ってきたせいでもある。

 公爵夫人は、今この場で娘を諭すことは諦めた。

 だが、問題をこのままにするわけにはいかない。


「もうすぐ蕾の夜ね」


 クラリッサの夜会デビューはすぐだ。素敵な白いドレスも用意した。


「……はい」

「ファーストダンスは」

「お兄様です」

「ええ。ウィリアムね」

「はい」

「おそらくファーストダンスの後は、貴女にたくさんの誘いがかかります」

「……はい」

「公爵令嬢として、順番に、体力が尽きるまでお相手なさい」

「え?」

「いいですわね」

「……お兄様と踊った後は好きにしていいと」


 クラリッサが呆然と公爵夫人を見た。

 それに、笑みを浮かべて答えを返す。


「ええ、確かにそう言いました」

「それならどうして?」

「貴女があまりにも淑女らしくないからです」

「……」

「淑女として、ダンスをなさい。これは命令です」


 公爵夫人はクラリッサの反論を受け付けなかった。



 * * *



 その日の夕食時――


「ん? その手首は?」


 お父様とお兄様の視線がクラリッサの手首に吸い寄せられている。

 それに対して、クラリッサはお母様が描いた脚本通りに言葉を返す。


「お母様の部屋で見つけたハンカチがとても可愛らしくて」

「おお、そうかそうか」


 お父様は簡単に納得されたが、お兄様は不信そうな顔をしたままだった。


「試しに手首に巻いたら素敵で」


 クラリッサはふわりと笑って。

 お母様の言われた通り、顔のすぐ横でハンカチを巻いた手首を軽く振ってみせた。

 ゆらりと結ばれたハンカチの先が揺れる。


「お兄様、如何です?」


 とにかく可愛く笑えとお母様に言われていたので、頑張った。

 可愛いがどんな感じなのか自信はなかった。

 イーディスはいつも通りで大丈夫ですと安心させてくれたけれど。


「あぁ……可愛い。ん、可愛い。クラリッサは何を身につけても、何しても可愛い」


 お兄様の目元が緩み、にこにこと笑ってくれた。しかも、『可愛い』までいただいた。これで一安心。


 すかさず、お母様がクラリッサに声を掛けてくる。


「クラリッサ」

「はい、お母様」

「蕾の夜の花もそれで作りましょうか?」

「ええ、おねがいします」


「は?」

「え?」


 打合せ通り話を進めると、お父様とお兄様が驚いたように目を丸くした。

 でもこれもお母様の脚本通り。


「だって、こんなに可愛いんですもの。わたくしとても気に入りましたわ」


 ハンカチを巻いた手首を、もう一度振る。


(本当に花みたいで……とっても素敵だわ)


 イーディスが『花』に見えるようにと頑張ってくれたのだ。

 クラリッサの手首には間違いなく今、ハンカチの花が咲いている。


「ダメかしら?」


 うるうると瞳を潤ませて、お父様とお兄様へ訴える。

 ちなみにこれはお母様が先ほど教えてくださった手法だ。

 お母様はあっという間に涙が目に溜まる。しかも綺麗に泣くことができるのだ。


 ――女優になった気分で。いえ、わたくしは女優と言い聞かせなさい


 クラリッサは今、女優としてお父様たちに演じているのだ。


「……だ、だめではない」

「か……可愛いとは思うが、だが、用意した飾りは……」

「だって、蕾の夜の花飾りは一輪だけの決まりですわ。お父様たちには申し訳ないですけれど、わたくしこの花が気に入りましたの」

「そ……そんなハンカチの花など」

「あら? 可愛いと仰いませんでした?」

「か、可愛いが!!」

「可愛くても!!」


 クラリッサはそこで頭を垂れた。

 がっくりと肩を落とし。そして。


「……残念ですわ」


 ちいさく呟くように言った。


 すると。


「わ、分かった!! よし、それでいいだろう」

「父上、もっといいハンカチを!!」

「そうだ。公爵家の威信をかけて、最高級のハンカチを!!」

「ハンカチで最高の華を作るんだ!!」


 お父様とお兄様はとても盛り上がっている。

 作戦は大成功だ。


 お母様を見れば、満足げに口の端を上げていた。


(さすが……お母様ですわ)


 クラリッサはお母様への尊敬の念をさらに強くしつつ。


「ありがとうございます」


 家族みんなに感謝の言葉を伝えた。

今回の話の裏側?を番外編として、『公爵令嬢たちの、ちょっとしたお話』に投稿しています。

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