第13話 公爵令嬢は寂しくなる
アリステアがいつも通り自室を出たところで、ソフィアと母が並んで現れた。
既にサロンで会う日は家族に把握されているらしい。
「アリステア」
母の表情は妙に真剣だ。その隣でソフィアもじっとアリステアを見ている。
「いいですか、何があっても冷静に」
「……はぁ?」
「お兄さま、勘違いしたくなる気持ちは分かりますが、深呼吸を忘れないでください。わたくし、お兄さまなら大丈夫だと思っています」
二人が何を伝えたいのか、アリステアは理解できず、「わかりました」と頷けない。
「……行ってきます」
「ゆっくり歩いて帰ってくるのですよ」
「寄り道するぐらいがいいと思います!!」
後ろからしつこいぐらい、声を掛けられた。
* * *
(なるほど……)
アリステアはサロンに着いて十分ほどで、母とソフィアの言葉の意味を理解した。
「日ごろのお礼を込めて、刺しましたの」
薄い箱を渡され、中を開けるよう要求され、出てきたのは真っ白なハンカチ。
そこに刺繍された茶色の、妙に目が可愛い――
「……もぐら?」
「良かったですわ! ソフィア様に勘違いされるかもしれないと言われましたので、ちょっとだけ心配でしたの」
(それはソフィアの言いたかったこととは、絶対に違う)
アリステアはため息を吐きそうになるのを、ぐっとこらえた。
「……ひとつだけ忠告しておくが」
「……?」
不思議そうにアリステアを見る瞳。
曇ることのないローズピンク。
今までも何度も見てきた。
「異性に贈り物をすることの意味は深い」
「ソフィア様も仰ってましたわ」
「そうか」
彼女の一言で、母と妹の謎の送り出しが、最後の最後、苦肉の策であったことをアリステアは悟る。
「心配なさらなくても、アリスさん以外には贈りませんわ」
「……」
喉の奥で何かが詰まりそうになった。
侍女の視線が痛い。
「……とにかく、気を付けた方がいい」
「わかりましたわ」
にこやかに微笑むその無邪気さが、どれほどの刃となっているのか、彼女は知る由もない。
「アリスさん?」
「……ありがとう」
零れそうになるため息を、なんとか感謝の言葉に繋げた。
* * *
いつも陽の傾きや、小窓から見える空の色で、終わりの時間を知る。
ただ、今日はちょっとだけ違った。
アリスさんの指がトントンと落ち着かなげにテーブルの上を叩いた。
「……アリスさん?」
「え? ……あぁ、すまない」
無意識だったのだろう。
彼の指が静かになる。
けれど、先ほどの音がクラリッサの耳に残っていて、不安になる。
「……もしかして、予定がありました?」
「いや、ない」
「……本当に?」
急に苦しくなった気がする。
喉の奥がきゅっと詰まる。
「ああ、予定があったらそもそも来ていない」
そう、アリスさんはそういう人。
嫌なら来ない。嫌ならしない。
でも、優しい人だから、拒絶もしない。
「……無理な時は、ちゃんと言ってください」
「ああ」
「でも、その代わり」
「分かってる。他の日に、だったな」
「……ええ」
クラリッサは怖くなった。
いつかアリスさんが来ない日が来るのか。
代わりの日さえ、なくなってしまうのか。
約束が消えてしまう、その時があるのか。
苦しくて。苦しくて。
ぐっと目の前の紅茶を飲み干す。
「……そこまで急がなくてもいいんだが?」
驚いたようなアリスさんの、その目を見たいと。
思ってはいけないのに、考えてはいけないのに。
クラリッサは、なぜかそう思ってしまった。
* * *
アリスさんはしばらくクラリッサと話した後、夕日がちょうど小窓からテーブルに差し込んだ頃に、帰っていった。
帰り際にもう一度、「ありがとう」とハンカチのお礼をして。
よくよく考えたら、あれはアリスさんへのお礼なのだから、「ありがとう」と言われるのはおかしな話だった。
「イーディス」
「はい」
「……まだ、帰りたくないわ」
アリスさんの居た場所。アリスさんの気配が少しだけ残っている。
なぜか、ここから離れたくない。
今日の自分は何かがおかしい。
「……紅茶を淹れましょうか?」
「そうね……」
「甘いケーキも追加しましょうか?」
「ふふ、いいわね」
イーディスが準備を始める。
いつもは気にならない、その些細な音でさえクラリッサの耳は拾う。
「……寂しいから、一緒に食べてくれる?」
そうわがままを言ったら、イーディスは少しためらった後、
「奥様に内緒にしてくださいますか?」
と優しく返してくれた。
* * *
(ゆっくりと帰る……か)
母はそう言った。
ソフィアは寄り道でもして来いと言った。
確かにこのまま家に帰る気にはなれなかった。
空を見上げれば、夕闇が迫っている。
夕暮れの茜色、淡い紫、そして藍色。
美しいグラデーションが空を染める。
(……もぐら、か)
地下の暗い場所で生きていくモグラと、日の当たる場所で咲き誇る花。
笑えるほどの、似合わなさ。
勘違いなどしようもない。
誤解など出来るわけもない。
それでも胸は痛む。
アリステアは、目的もなく街を歩いた。
母の言う通り、ゆっくりと家に帰るために。




