第11話 公爵令嬢は淑女らしさをすぐに忘れた
クラリッサは鏡の前で悩んでいた。
「どれも素敵ですけれど?」
「う……うーん」
今日はサロンでアリスさんに会う日。
前回大失態をしたので、いつもの家庭教師用の服ではなく、淑女らしさを忘れないように、淑女らしく外出用のドレスで出掛けようと考えたのだが。
「どのあたりに問題が?」
侍女のマリアが不思議そうに訊いてくる。
クラリッサは悩みながら答えていく。
「……五月らしくて」
「では、こちらの鮮やかな若緑色、もしくはちょっと淡い緑色、のどちらかが」
「でも若緑色の方は鮮やかすぎて……」
「では、淡い方で?」
「う……うーん、なんか地味では?」
若緑色の隣に並べると、淡い緑が一気に沈んで見える。
「どちらもいつものお洋服よりは華やかかと」
「……そう、ですわね」
自分でも何をこんなに気にしているのか分からない。
「アリスさんの好みが分かれば苦労しませんのに」
クラリッサはポツリと呟いた。
マリアがそれに目を真ん丸にしていることには気づかなかった。
* * *
アリステアはいつものように支配人に案内されて、サロンの個室のドアを開けた。
(は?)
「ようこそいらっしゃいました」
公爵令嬢が丁寧に挨拶をしてくる。
しかも家庭教師用の服ではなく、本気の外出着だ。
鮮やかな若緑色のドレスが、彼女のピンクブロンドの髪に映え、とても華やかな装いだ。
気圧されるように一歩後ずさり、個室から出てドアを閉めた。
「え? アリスさん!!」
中から驚いたような声が上がった。
支配人がまだドアの近くに立っていて、アリステアの奇行に珍しく驚いていた。
「アリスさん! どうしてですの? わたくし前回を反省して、とても淑女らしく……」
意図は読んだ。
おかげでアリステアは冷静さを取り戻した。
支配人がドアを開けようとしてくれたが、それを手で制して、目礼する。
そうしてドアノブに手を掛けた。
* * *
「そんなに、この格好が変でしたの?」
公爵令嬢は立ち上がっていた。
「違う。そうじゃない」
「……それでは、まだ怒っているとか?」
今度は上目遣いでアリステアを見る。
瞳をうるうるとさせるのはやめてほしい。罪悪感だけを刺激されるわけではないのが、問題だ。
「とにかく座れ」
「……怒ってません?」
「怒ってはいない。というか、今まで普通の家庭教師の格好で来てて、突然それで来たら驚くに決まってるだろう」
「……驚く」
「そうだ」
「まぁ、そうでしたの!!」
公爵令嬢はいつもの調子を取り戻したらしい。にこにこと椅子へと戻っていく。
淑女らしさはどこへ消えるのか。アリステアはあまり淑女らしい彼女を見ていないような気がしてきた。もちろん一つ一つの所作は綺麗で、文句のつけようもない。だが、どうにも行動は破天荒だと思う。
侍女が紅茶を置いた。
アールグレイの爽やかな香りに、心が落ち着いてきた。
「そうだ。ウィンスロー先輩がお礼を言っていた」
「……ウィンスロー……先輩?」
「司書だ」
「……お礼?」
「他の司書のところも回っているだろう?」
「あ、ええ」
「とても助かったと」
「まぁ、良かったですわ!」
ふふっと彼女は笑ったあと、フォークを持つ手を止めた。
「どうかしたのか?」
「……手で掴めるお菓子じゃなくて、全部ケーキにしたらいいのかしら?」
(絶対に論点がずれている)
「そもそもタルトは手で掴むものじゃない」
「……そうですけど」
(何故、前回のことを蒸し返されなくてはいけないのか?)
「アリスさんも、食べなければ良かったのでは?」
「……あのなぁ」
反省はどこへ行ったのか?
ちらりと壁際へと目を向ければ、侍女の視線が逃げた。
いつもはじっとこちらを見ているのに、完全に目を逸らした。
「口元に食べ物を持っていかれて、食べてしまうものなのですか?」
責めているように聞こえるが、いや、半分は責めているのだろう。だが、もう半分は本当に疑問を感じているようだった。
「アリスさん、試しにわたくしに」
「……普通は食べない」
アリステアは危険を察知して、先回りして答えた。
「でも、アリスさんは食べましたわ」
ぐっと喉元で唸ってしまう。
食べてしまった理由など、言いたくはない。だが言わなければ、食べさせろと、彼女の口元にお菓子を運ぶように要求される。好奇心が強いのだ。淑女らしさなど忘れている。いや、ここは思い出させればいいのか。
「淑女の口に食べ物を詰め込む趣味はない」
「今だけ忘れましょう。わたくしは淑女ではありません。アリスさんのお友達ですわ」
「……何か違わないか? そもそも友達だとして……」
「違いません。友達ならありです。ほら、アリスさん」
そう言って口を開けようとするので、アリステアは慌てて答えた。
「ソフィが」
「ソフィア様?」
「アイツは嫌いなものや食べきれなかったものを俺に寄越す習性がある」
――お兄さま、これいりませんわ
何度も口元に押し付けられる。食べるまで押し付けられる。
最初は拒否していたが、向こうも頑固なのだ。こちらが食べるまでずっとだ。
「……ソフィア様、ちょっとアリスさんに甘えすぎでは?」
その通りだと思う。
「あと、アリスさん、甘やかしてますわね?」
「違う!!」
そのつもりはないので、アリステアは強く否定した。
* * *
(アリスさんは、絶対に甘いのです)
クラリッサは自身も甘やかされている実感があるので、これだけは間違いないと思っている。
ソフィア様が普段からアリスさんに甘やかされているであろうことも、先ほどの話から推測される。
(あと、あの司書さん)
いつの間にやら『ウィンスロー先輩』と呼んでいる。絶対に仲良くしている。
アリスさんは認めないけれど、絶対に仲良しだ。
クラリッサはウィンスロー先輩とソフィア様が羨ましくなってきた。
こちらは二週に一回しか会えないのに。たまに図書館で遭遇出来ることもあるけれど、本当にたまになのだ。
それに比べてウィンスロー先輩は週五回。ソフィア様に至っては毎日だ。
ずるい以外のなにものでもない。
(むむむ……)
淑女らしさを忘れさせるのは、アリスさんだ。
フォークを持つ手に力が入りそうになって、手を止めて、睨んでみた。
「……なんだ」
「ずるいですわ」
「……意味が分からない」
「アリスさんは、とってもずるいですわ」
「……そうか」
(ほら、よく分からないこちらの言い分を、なんのかんのいって受け取りますのよ)
そういうところも含めてずるいのだが、アリスさんは全然理解していない。
クラリッサはちょっと不満に思いながら、イチゴとピスタチオのケーキを口に含む。
イチゴの甘酸っぱさと、ピスタチオの濃厚な甘さが口の中に広がる。
(……なんだか、アリスさんのようですわ)
クラリッサは目の前で静かに紅茶を飲んでいるアリスさんを、やっぱり睨んでしまった。




