第10話 公爵令嬢は復活する
お母様に助けを求めてから、もうすぐ一週間。
クラリッサは、いつものように図書館に来ていた。
(き、緊張するわ)
入り口で大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせてから奥へと進み、アリスさんがいないか、それとなく周囲を確認する。
(……いないわ)
ほっとするような、残念なような。
クラリッサは複雑な気持ちになった。
* * *
「ペンフォード君のおかげであの子、全員を平等に回るようになったんだよ」
ウィンスロー先輩が、お昼の時間に地下の休憩室に来るようになってしまった。
最初は『なんとかしてくれ』だったのが、『今日は、僕以外のところに行ったんだ』で、その次が『また別の人のところに行ってくれたよ』で、それから『ここ静かでいいよね』だった。
それなら、静かに過ごせばいいのに、ずっと喋っている。
言っていることと、やっていることがまるで違う。一度指摘したことがあるのだが、『え? ごめん。静かにするね』と言った後、数分後には話し始めた。
お喋りが好きなのだろう。それなら何故アリステアを相手にするのか。それだけが分からない。
「あの子、気遣いもしっかり出来てさぁ、司書長がいるときには絶対に僕たちのところに来ないんだよ」
「……司書長」
「ほら、最初にあの子に文句を言った」
「ああ」
「司書長、こういうところに来る女性が嫌いなんだよね。家にいるべき、みたいな考え方で。あれさえなければ、そんなに悪い人でも」
「……ウィンスロー先輩、結構嫌味言われてませんでした?」
「うん。そうだけど、僕の仕事が遅いのは事実だし」
「でも、先輩はきっちり仕事しますよね?」
「え?」
先輩の手が止まった。なぜか不思議そうにアリステアを見ている。
「ペンフォード君……」
「なんですか?」
「君、やさしいね」
「は?」
「ん~あの子が君に懐くの分かるなぁ」
アリステアの手が今度は止まる。
(……懐く)
懐いたら人の口の中に物を突っ込むのか。
あれから一週間近く経っているのに、まだアリステアはあの日のことを引き摺っている。
「あ、今日ラズベリーのゼリーなんだけど、一口食べる?」
「……」
赤い実が二個、赤いゼリーの上に載っている。
あの時もラズベリーだった。
口の中に広がった甘酸っぱさが、今も忘れられない。
「……いりません」
「そう? 美味しいのに」
ぺりっと蓋を開ける音がした。
見ていられなくて、アリステアは休憩室の薄暗い壁へと視線を動かした。
* * *
「お兄さま」
口にラズベリータルトを押し込まれた翌日、ソフィアがアリステアの部屋に来た。
また数学の問題かと思ったのだが。
「これ、お兄さまに」
そう言って渡されたのは白い封筒。
「なんだこれ?」
「先生がお兄さまに渡してくださいって」
「……」
「心配なさらなくても、先生とはいえブランデルウッド公爵令嬢のお手紙を勝手に開けたりしませんわ」
言外にブランデルウッド公爵令嬢ではなかったら、開けていた可能性を示唆される。相変わらず生意気で恐ろしい妹だ。
「なんだか、泣きそうなお顔でしたわ」
「……」
(泣きたいのは、こっちの方だ)
「お返事を届けて欲しいなら、受け取りますので」
にっこりとソフィアは笑った。
そして、いつもなら数学の問題を教えろとねだるのに。
「今日は自主学習しますわ」
と、やっぱり生意気に部屋から出ていった。
* * *
ひとりになったアリステアは、封筒を丁寧に開けた。
中には便箋が一枚。水彩画のアジサイがすぐに目に入る。
(……ほんと、アジサイが好きだよな)
便箋には見慣れた彼女の筆跡で、アリステア宛てにメッセージが書かれていた。
親愛なるアリスさん
先日は大変失礼いたしました。
わたくし、アリスさんともっとお話がしたくて、でも、アリスさんは全然気にされていないのが、とっても、とっても悔しくて、つい頭に血が上って、目の前のタルトを気づいたらアリスさんの口の中に入れていました。
アリスさんに怒られても仕方がありません。
とても反省しています。
淑女のすることではありませんでした。
絶対に、次はそんなことしません。淑女らしさを忘れずに、きちんとしますので、どうか、どうか、次も会って下さい。
本当に申し訳ありませんでした。
クラリッサ・ブランデルウッド
「……これが礼法一位の手紙かよ」
呆れてしまう。きっと色々……考えたかどうかも怪しいが、素直に書いたのだろう。
(素直すぎなんだよ)
こっちは別に怒ってもいない。淑女らしくないとは思っているが、ここまで謝られることではない。
(毒を飲まされたわけでもないし)
かえってこの手紙でとどめを刺されたような感じになっている。
「ほんと馬鹿だな」
それは自分に対してなのか、彼女に対してなのか。
アリステアにも分からなかった。
* * *
「あ、そうだ」
ぼんやりと手紙のことを思い出していたアリステアを、先輩の声が現実に戻した。
「……なんですか?」
「この間君が探してた『レイヴンズクロフト博物誌の彩色原本』」
「あ、はい」
「あれさぁ、僕が配属されてすぐの時にも、司書室で所在確認されてたんだよね。で、なかったからあの時も資料室に『紛失書』として依頼を出したんだ」
「……まぁ、そうでしょうね。その時見つかってないから、また『紛失書』として探すよう依頼が来たんでしょうし」
「だよね。でもさぁ、一度調べて見つかってないのにまた探すのって変だよね?」
「それは室長に訊いたのですが、必要とされている以上、何度も探すそうです」
「え~面倒だね。せめてリスト化されてないの? 前回はこんな感じで探しましたとか、この日に探しましたとか」
「……先輩、意外と鋭い指摘ですね」
「だってさぁ、あの彩色原本って価値が物凄く高いのに、紛失って異常だし、それなのに」
「……貴重本の紛失書ならリストぐらいあってもいいということか」
「……ペンフォード君って、素で話すと口が悪いよね」
「あ」
「別にいいよ。いつもお世話になってるし、そのお礼も兼ねて、今の話もしたんだし」
「……室長に相談してみます」
「ん~敬語は別にいらないよ。素で話してよ」
アリステアはウィンスロー先輩の私的な方の提案は、無視した。
* * *
昼食を終え、アリステアは一度資料室に戻ってから、一階へと上がった。
依頼書に記載された『紛失書』を探すためだ。
(あ……)
角を曲がったところで、見慣れた侍女の背中と、その少し先に公爵令嬢の姿を見つけた。
アリステアはそっと彼女のもとへと歩いていった。
* * *
クラリッサはウロウロと館内を歩いていた。
二階の専門区画の閲覧許可も下りたため、一階も二階も歩き回ることができる。
(ソフィア様の帝国語の本は……)
この間は詩集にした。短い言葉の羅列で単語が覚えやすいのと、発音練習もしやすいという理由から選んだ。
(今度は詩集を一冊と、ちょっと短い小話とかがいいかしら)
一階の帝国語の書架を見て回る。
(ちょうどよさそうなもの……)
すっと一冊の本を手に取った。
ぺらぺらとめくる。少し厚めなので、借り出し期間内に読み終わらないかもしれないが、もし読み終えたら達成感も得られるかもしれない。
ぱたんと、閉じようとした、その瞬間。
横から伸びてきた腕が、すっと本に何かを差し込んだ。
「え?」
隣を見ても誰もいない。
でも、少し先に図書館の制服を着た猫背の姿を見つけた。
クラリッサは急いで本を開いた。
『別に気にしていない。約束の日には行く』
便箋でも、封書でもない。
贈り物などに添える時に使われる、小さなカード。
派手な装飾は一切無くて、白いだけの小さなカードに、アリスさんの綺麗な文字。
「ふふ」
嬉しくて、声が弾む。
図書館の本に挟んだままにしたら忘れそうで、すぐに持っていた手帳に仕舞う。
(気にしていないんですって! ちゃんと次も会って下さるんですって!!)
ソフィア様の本を探しながら、どうしても浮かれてしまうクラリッサであった。




