第9話 公爵令嬢は困らせている
公爵令嬢を図書館で見かけるようになってから、一週間ほどが経った。
アリステアは地下の休憩室で、昼食をとっていた。
「ペンフォード君!!」
バンと勢いよくドアが開いた。
ドアの前に立っていたのは、知り合いでもなんでもない、一階の一般書架の司書ハロルド・ウィンスローだった。
地下のこの休憩室は、ほとんど利用されていない。アリステアが知る限り、他に利用しているのは室長ぐらいだが、その室長はアリステアと交代で昼休憩をとるため、休憩室は基本アリステアの独占状態だ。
そこに、司書が飛び込んできたのだ。
「もうなんとかしてよ~」
「……なんとか、とは?」
「君の妹の家庭教師さんだよ」
「……いつどこで、そんな偽の情報を掴まされたんですか?」
アリステアは、それこそ嘘をついた。
「え? あの子が言ったよ? ……あ、内緒ですとも言ってたな」
(……内緒の意味とは?)
「しまった!! あ、でもペンフォード君は知っているというか関係者だし、いいのか? 心配しないで。他の人には話してないから」
「ええ、ぜひ今後も口を開かないでください」
「うん。守るよ。それより助けてよ」
気が弱そうに見えたはずの司書が、すごい勢いで話してくる。
なにかを思い出させる。ちょうど一年前ぐらいの出来事だ。
「助けて、とは?」
「あの子さ、僕のところにばっかり来るんだよ」
「……懐いたんでしょうね」
アリステアは少しだけイラっとした。
だが、目の前の司書は喜んではいない。むしろ嫌がっている。これはかなり珍しい。
「たぶんそうだと僕も思うよ。でも、こっちは先輩たちから嫉妬されるんだよ。僕があのカウンターでは一番の新人なの!!」
(あ~……)
「仕事だって一番遅いのに、先輩たちを差し置いて、あの可愛い子と話すなんてしたくない。嫌だ。怖い。一階の休憩室にいるのも針の筵だし、食堂でも先輩たちにたまに羨ましそうに見られるし」
「……だからって、ここで食べる意味は?」
「あるよ!! 他に場所が無いっていうか、良かった。ここで食べられるんだね? もしかしたらって可能性に賭けて良かった」
先輩は食堂で買って来たらしいパンを頬張り始めた。プリンもテーブルの上に乗っている。
「あ、食堂のプリン、甘くて美味しいんだよ? 食べる? 一口くらいならあげるよ?」
「……遠慮します」
「そう? で、お願いだから、あの子に僕以外のところに行くように言って」
「……」
「できれば、みんなのところを公平に回るように伝えて」
なかなか面白い提案だな、とアリステアは思った。
自分のところに来て欲しくないというのも珍しいのに、公平に回れとは、意外と頭がいい。
「……分かりました」
「ありがとう!! 助かるよ」
司書は上機嫌でプリンの蓋を開けていた。
* * *
「ふふ、こちらの色は如何ですか~」
約束の日。
公爵令嬢はサロンの個室で、くるくると回っていた。
彼女が披露しているのは、淡い緑色の家庭教師用の服。
足元まであるスカートが彼女の動きに合わせてひらひらと舞う。
(……図書館でこの間見た)
とはさすがにアリステアは言わなかった。
「春らしくていいんじゃないか?」
「ちょっと灰色がかっているところが、家庭教師らしさなのです!」
「そうだな、落ち着きがある」
「これはお店の方が勧めてくださったんです」
色味は落ち着いていても、今現在の彼女は浮かれているようにしか見えない。
(図書館では落ち着いた物腰で、家庭教師らしいというか、公爵令嬢らしいというか)
あれからも図書館で何度か彼女の姿を見かけている。
図書館に貴族令嬢の外出用のドレスで来ることはなく、家庭教師用の服を身に纏い、最近では髪をひとつに結んだだけの、とても簡素な髪型をしている。それでも、相変わらず注目を浴びていた。
(正直……あの髪型は、好きじゃない)
彼女にはとても聞かせられない本音。
肩までしかない髪を一つにまとめるのだ。形のよい耳も、白いうなじも晒されている。侍女が何度か注意しているのを見かけたが、彼女は『邪魔』の一言で黙らせていた。そのせいか、あの髪型をするようになってから、侍女の目が以前より鋭い。
それでもアリステアを見つけると、侍女は丁寧に挨拶をする。勿論こちらも返す。
だが公爵令嬢は、アリステアにまったく気づいていない。集中力が凄い。周りが見えなさすぎなのが、かなりの難点だ。
「そういえば」
「はい!?」
アリステアが口を開いたら、なぜか彼女の声が上ずった。
しかも目がキラキラしている。
(……なんだ?)
「なんですの? アリスさん、なにかありました?」
妙に前のめりで、アリステアとしては引きそうになる。
だが、向こうはとにかく話せと目で訴えてくる。
「あの司書が、他の司書のところも回るよう泣きついてきた」
「……え?」
彼女の声が低くなった。それから目が険しくなる。
「……どういうことです?」
「いや……」
なんと説明すべきか悩んでいると。
「わたくし、もしかして司書さんの邪魔をしてます?」
おろおろし始めた。やはり、落ち着きはない。
「いや、あれが仕事だから邪魔ではない」
「それなら、なぜ?」
「公平性、平等の問題」
司書たちの内心の説明などできるわけもなく、そう伝えたのだが。
「……どういう……あ、なるほど。それもそうですわね」
公爵令嬢はあっさりと納得した。
アリステアとしてはちょっとだけ拍子抜けだった。
* * *
サロンの小窓から夕陽が差し込む。
(……早い。早いですわ)
まだまだ話し足りないのに、時間は過ぎていく。
クラリッサは時間稼ぎとばかりに、取り分けられたラズベリーのタルトを、淑女らしさを捨て、ちびちびと食べる。
「お嬢さま」
イーディスが声を掛けてきた。
無視を決め込もうとした。
「侍女が呼んでいるぞ」
アリスさんからダメ押しをされた。
クラリッサを呼んだイーディスではなく、アリスさんをジッと見るも、首を左右に振られた。
「……ずるいですわ」
「意味が分からないが、侍女を困らせるのは違うだろう」
アリスさんはいつでも正論で、クラリッサは負けてばかり。
(いえ、正論だから勝ち負けではないんですけど……)
それがとても悔しい。
だから、クラリッサは反発してしまったのだ。
食べかけのタルトを素手で掴んで、そして。
「んぐっ!!」
アリスさんの、ちょっとだけ開いていた口に押し込んだ。
「……お嬢さま」
イーディスの呆れたような声が聞こえてきたけど、でも、悔しかったんですもの。
「帰りますわ!!」
そうして飛び出そうとしたけれど、次の約束をしないといけないことも思い出して、手帳の頁を破いて日付を書き、そして。
「次はこの日ですからね!!」
まだ口の中で咀嚼しているらしいアリスさんの前、テーブルの上に置いていった。
* * *
(……おい!!)
ひとり残されたアリステアの心中は大荒れだ。
向こうは絶対に、なんの意味も、いや、嫌がらせかもしれないが、それ以外の意味はない。だが、食べかけだ。はしたないというよりも、彼女が口をつけたものを、彼女が手ずから、アリステアの口元まで運び、含ませたのだ。
(公爵令嬢!! 礼節はどうした!!)
文句を言いたくても、本人はいないし、アリステアとしても感情が渦巻きすぎて、結局なにも言えなかっただろう。
(……最悪だ)
アリステアは、支配人が呼びに来るまで個室で頭を抱えていた。
* * *
サロンを出て、クラリッサは馬車に勢いよく飛び乗った。
イーディスも慌ててついてきた。
閉じた扉、馬車の揺れ。
いつもの道を進む馬車。
「ど、どうしましょう~!!」
少し時間が経てば、クラリッサとて冷静になれる。
「……お嬢さま」
「わ、わたくし、なんてはしたないことを!!」
自分の食べかけを、人に、アリスさんに食べさせてしまった!!
「どうしましょう? アリスさん怒ってますかしら? 怒りますよね?」
向かいのイーディスに救いを求めて訊くも、呆れたような視線が注がれるだけ。
「大丈夫ですよ」という安心させる一言も、マリアのような「まぁ~お嬢さまですから」とかいう謎の慰めもない。
「あーん!! 次、来てくださらなかったらどうしましょう!!」
クラリッサは馬車の中で大騒ぎし、そして、家に着くなりお母様のところへと駆け込んだのだった。




