血筋
どうでもいい話
ノヴォシア共産党のレーニンが誕生日を迎えると、ミカエル君は毎年欠かさず厳重な警備を掻い潜って自らバースデーケーキのデリバリーを行っている。どれだけ警備を増やしても、どれだけ情報を秘匿し別荘に隠れていても次の瞬間にはバースデーケーキがお届けされているためレーニンは自分の誕生日を怖がるようになった。これは「いつでもお前を殺せるぞ」というメッセージだと考えられたためである。
レーニンがメルキア戦後に失脚しスターリンが党の実権を握ると今度はスターリンの誕生日にバースデーケーキが届くようになり、スターリンは暗殺ではないかとガチで怯えた。しかしそんなスターリンにもミカエル君は容赦なくケーキをデリバリーし続けている。もちろん影武者ではなく、正真正銘の本物のところにである。
イライナと協商連合を敵に回せば誕生日にデリバリーされるのがケーキではなく銃弾にそのまま切り替わるため、ノヴォシア首脳部は暗殺を恐れて迂闊にイライナに手出しできない状況にある。
サン・パライソ島は天空の牢獄と化した。
飛行場は占拠され、飛び立てる飛行機や空中艦はすべて破壊され、協商連合の巨大空母の着陸を許してしまった―――紛れもないチェックメイト、ここからの逆転の手立てはない。
降伏し刑務所に一生放り込まれるか、あるいは死ぬまで戦うか。マフィアの構成員たちの運命は2つに1つしかなかった。
―――冗談じゃない。
麻薬密売、人身売買、殺人……それ以外にも様々な罪を犯した者たちばかりだ。法廷に引きずり出されれば言い渡されるのは九分九厘無期懲役、あるいは死刑である。法の支配を嫌い力による支配を妄信してきた彼らが、よりにもよって保身のために法に縋ろうとはなんと皮肉な事であろうか。
それを防ぐための手段ならば、ある。
攻め込んできた正体不明の敵―――協商連合の強襲部隊を殲滅する事だ。
ビジネスに対する大打撃は免れないが、それでも命だけは助かる。刑務所に入る必要もない。命さえあればまたいくらでもビジネスを始められるのだ。
しかしそれは、いくつもの関門を潜り抜けなければできない事である、と断っておこう。
協商連合の中でもとりわけ最精鋭と名高いくまさんハウスと、トランス・コンチネンタル・エアライナーの両者を打倒する必要があるからだ。それも壊滅状態からの反撃で、である。複数の転生者を含むうえ、その内の1人は序列2位の猛者。それ以外の転生者も百戦錬磨の猛者ばかりで、到底常人が太刀打ちできる相手ではない。
だがしかしそれでも……と一縷の望みをかけ、邸宅の奪還を企図して最期の攻勢をかけようとするマフィアの構成員たち。雑多な小銃や刀剣、それからどこからか引っ張り出してきた適性Cの魔術師までかき集めて、滅茶苦茶に破壊された邸宅の前に立つ。
既に邸宅内部の守備隊は壊滅状態だ。ここを奪還したとしても、島からの脱出の見込みは―――。
がくん、と魔術師が頭を後ろに揺らして、仰向けに崩れ落ちていった。ピッ、と返り血が周囲の戦闘員たちに降りかかる。
早くも切り札を喪失し絶望するマフィアの戦闘員たち。いつもは弱者相手に威張り散らかし、銃やナイフ、暴力をちらつかせている彼らも今ばかりは真っ青だった。
「おい、あれ……」
戦闘員の1人が声を震わせる。
邸宅の入り口―――カールグスタフの榴弾を撃ち込まれ、瓦礫と炭化した人体のパーツが転がるばかりの地獄の真っ只中に、双眸から紅い光を放つ人影が見える。
ハイイロオオカミの獣人だろうか。
奇妙な斑色の模様―――マルチカム迷彩のコンバットシャツにコンバットパンツ、同色のチェストリグ。その上からオリーブドラブの空軍ジャケットを羽織っているが、その服も装備も、そして普段であれば可愛らしい顔も全てが返り血に染まっている。
間違いない、敵だ。
殺すべき相手だ。
しかし誰一人として、即座に銃口を向けようとはしなかった。
攻撃の意思を見せたら最後、あの得体のしれない相手に”敵”と認識されてしまうのではないか―――万一降伏した時に許してもらえないのではないか、という恐怖があった。
そんな心配が不要だという事が行動を以て示されたのは、その直後だった。
敵兵―――ラウルが手にしたサプレッサー付きのMARS-L、その14.5インチのバレルから放たれた5.56㎜弾の無慈悲な一撃が、戦闘員の1人をヘッドショットしていたからである。
お前たちは生かして帰さない―――無言の殺意が、否応なしに殺し合いの口火を切った。
「う、撃て、殺せ! あの獣人を殺せ!」
戦争は嫌いだ。
ありゃあ度が過ぎている―――資源も、金も、食料も、そして人命さえもどんどん吸い上げて、国が疲弊するほどの浪費を毎日続けて、それでいて国民に還元されるものなど何もない。
ニュースで伝えられるプロパガンダなどで腹が膨れるものか。政府の垂れ流す綺麗事で懐が温まるものか。身に着け誇る者のいない勲章と二階級特進で戦死者が帰ってくるものか。
そんな常識すら、自分の中で揺らぐ事なく打ち立てられていた最後の良識すらも揺らいだ。揺らいでいた。
相手にも家族がいる。人間の命は尊いものだ。
―――うるせえ黙れ。
声高に自制を促してくる日本人としての良心を、理性から完全に締め出した。
―――こんな奴らの命が尊いものか。
「かかって来い。皆殺しにしてやるよ」
火薬で撃ち出されたかのように走り出し、頭を狙った銃撃をスライディングで潜り抜ける。今となっては水の枯れた噴水の影に滑り込むなりホロサイトのレティクルを敵兵へと向けて引き金を引いた。
銃撃戦の基本は遮蔽物をまず確保する事だ。それすらせずに銃を撃つ事に夢中になっているのだから、相手は素人と見ていいだろう。
匍匐姿勢のままごろりと噴水の影から転がり出て発砲。パススッ、とサプレッサーが空気の抜けるような音を発し、戦闘員が1人腹を抱えて崩れ落ちた。
現代の5.56㎜弾は、人体に命中すると体内で横転と呼ばれる現象を起こす。これはその名の通り、被弾した対象の体内で弾丸が横転する事で筋肉繊維だとか臓器だとかをズタズタに引き裂く現象だ。
大口径のライフル弾が主流だった時代にも似た設計思想の弾薬はあったが、大々的に使われ始めたのはアサルトライフルが小口径弾の時代に入ってからか。口径が小さく弾速の速い弾丸では人体に穴を開けるだけで終わってしまい、運動エネルギーの多くを持て余したまま貫通してしまう事から殺傷力が低く、現場では「撃たれた相手が撃ち返してきた」という事例も多発したのだそうだ(傷口を塞ぐだけで治療も容易である)。
そこで相手を確実に死傷させ、確実に仕留めるための手段としてこのような現象を起こすよう弾丸を改良したのがこれである。
頭を狙って殺す事も出来た。むしろヴォイテクからは「頭を狙って確実に仕留めろ」と指導されていたから、意図的に狙いを外し腹を撃つのはちょっと難しかった。
「ご、ごろぜっ、ごろじでぐれ……ッ」
南米訛りのスパーニャ語で、仲間に介錯を求める戦闘員。しかし仲間たちもそんな手負いの仲間に構っていられる余裕などない。一刻も早く俺を殺さなければ、地獄の苦しみを味わうのは自分たちだからだ。
姿勢を低くしたまま花壇の影に隠れ、スモークグレネードを投擲した。
カランカラン、と石畳の上を転がる音に続いて、スモークが溢れ出る音がする。
この世界で現代兵器を使ってみて思ったのだが、浮遊大陸では思いのほかスモークグレネードの視覚的遮蔽効果が低い、という事だ。
ここは浮遊島である―――地上よりも空の方が風が強く、スモークが風に吹かれて霧散しやすいのだ。
だからやるには短時間で決めなければならない。
左手にグロック29を、右手に鉄パイプを持ってスモークの中へと踊り込んだ。傍らで今にも泣きそうな声で「くそ、どこだ!?」と喚くマフィアのクソ野郎の頭を鉄パイプのフルスイングで叩き割り、こちらに気付いて目を見開くバカの顔面目掛けて10㎜オート弾を2発。
しかし弾丸が肉にめり込む音ではなく、硬質な何かに弾かれるような音に違和感を感じた次の瞬間には、上半身を外殻で覆った戦闘員がこっちに掴みかかってきやがった。
面倒な、竜人の外殻だ。
獣人は動物の身体能力や特性を併せ持っているのが種としての特徴だ。例えばハイイロオオカミの獣人として生まれた俺は瞬発力に優れるし単純に足も速い。加えて嗅覚はもはや野生動物のそれで、風向きに左右されがちではあるがこの嗅覚には何度か命を救われている。
そのような能力は竜人側には無いが、しかし彼らもまたドラゴンの遺伝子を宿したヒューマノイド。体表にドラゴンの外殻を生成する事で銃弾や砲弾、斬撃に魔術から身を護る事ができるのだ。そしてその硬質な外殻はそのまま殴打すれば鉄板をも破壊する威力を保証するし、仮にそうでなくとも竜人たちの筋力や五感は常人以上。戦時中はそういった理由から白兵戦を忌避する獣人兵士も多かったと聞いている。
押し倒されても、頭の中は自分でも驚くほどクリアだった。
こんなにも透き通った状態で「殺す」と思った事はない。
決して揺るがない殺意―――それに突き動かされるように、ポーチの中から手榴弾を1つ掴み取る。慣れた手つきで安全ピンを引っこ抜くなり、それを力いっぱい戦闘員の口の中へと押し入れた。
ばこん、といい音がした。口腔の中にすっかりはまり込んだ手榴弾。出そうと思っても簡単に引っこ抜けるものではなく、慌てて両手を放して自分の口の中の手榴弾を取り出そうとする戦闘員。無防備になった彼の胸板を両足で蹴り飛ばし仲間たちの方へとふっ飛ばしてやると、5秒後に数名のマフィア戦闘員の合い挽き肉が出来上がった。
返り血を浴びながら武器をMARS-Lに持ち替え、撃った。
中には逃げようとする奴もいた。武器を捨てて背を向けたその姿があまりにも無様だったから撃ってやった。
命乞いをする奴もいた。南米訛りのスパーニャ語だ。でも聞き入れる気にはなれず、ソイツも撃った。腹の中に5.56㎜弾を押し込まれて血の混じった涎を撒き散らしてぎゃあぎゃあうるさいので、度重なる射撃で熱を持ったサプレッサーで口を塞いでやった。
くぐもった悲鳴。手足を必死にばたつかせる姿が滑稽で、もっと深く押し込んでやる。
今まで食い物にしてきた弱者もこうやって追い込んだのだろうに。こうやって搾取してきたのだろうに。
いざ自分たちが奪う側から”奪われる側”に回るとこれだ。みっともなく命乞いをして、泣き叫んで、被害者ぶる―――その姿が滑稽で、無様で、だからこそ殺したくなる。
涙を流しながら暴れ回るソイツの瞳の中に、今の自分の姿が映った。
―――笑っていた。
今の、俺か?
引き金を引いてソイツを楽にしてやり、口からサプレッサー付きの銃口を引っこ抜きながら、血にまみれた左手で自分の顔に触れる。
殺しを楽しんでいた―――俺が?
「あ……悪魔……め」
まだ息のあった戦闘員が、血を吐きながら罵ってくる。
悪魔―――帰り血まみれになり、殺しを愉しむ悪魔。
俺が?
違う……違う、違う。
銃を投げ捨て、ソイツの上に馬乗りになった。左手で喉元を押さえつけ、右の拳を力いっぱい振り下ろす。
「違う……違う、俺は悪魔じゃない。お前たちと一緒にするなッ!!」
違う、違う、とうわ言のように繰り返しながら、何度も何度も男の顔を殴りつける。
骨が潰れ、眼球が飛び出し、拳から伝わる感触が人の肌のものから湿った肉のようなものに変わってもお構いなしに、何度も何度も殴った。
違う、と口では否定しても、理性は違った。
だって―――返り血にまみれ、笑いながら敵を殺す姿はどこからどう見ても……。
唐突に、誰かが俺の右手を掴んだ。
白く、暖かく、けれども力強い大きな手。
クラルテだった。
「ラウルさん……もう、死んでます」
「……」
「島の制圧は完了しました。奴隷たちを連れて……早く帰りましょう」
「……」
もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
俺って、いったい何だ?
俺は誰なんだ?
《やあ、君かヴォイテク。そろそろ電話してくる頃だと思ってたよ》
きっと今頃、彼女は戦争とは無縁な場所で甘い紅茶でも啜っているのだろう―――しかしまあ、そんな事にいちいち目くじらを立てている場合ではなかった。ミカエルもミカエルで厳しい戦いをしているのだ。
銃弾飛び交う戦場ではない―――彼女は政治という場で戦っている。
ミカエル・パヴリチェンコという女が銃を手に取る事があるならば、それは世界が終焉に近付いている時くらいのものであろう。それはそれで一番見たくない光景だと思いながら、ヴォイテクはスマホを耳に当てて用件を話し始める。
「こっちは終わった。やはり資金はミストルテインに」
《奴隷にコカイン、それから……東の納屋を調べてみるといい。武器の密売もやっている筈だ》
初耳だった。
奴隷は情報通りだったし、コカインも未確認情報ではあったがそれらしき話は聞いていた。しかし武器の密輸までやっていたという情報は、ヴォイテクの情報網にもトランス・コンチネンタル・エアライナーの持っていた情報にもなかったものである。
ミカエルが独自のネットワークを持っているのか、それともそれが明らかになった未来でも見たのか。
「……分かった。人員を割いてそっちも調べる」
《そうしてくれ》
「それと、ラウルの件だ」
《……続けて》
邸宅の窓から外を見つめる。
戦闘で疲れたのか、それとも自分の本性に気付いてしまったが故か―――仲間たちと共に奴隷の救助活動を行っているラウルだが、その後ろ姿にいつもの元気は微塵もない。
落ち込んでいるのに、無理に元気なふりをしているようにも思えた。
「あの殺気、間違いない。アイツはほぼ確実にヘンリックの血筋だ」
―――ヘンリック。
天地戦争における獣人側の英雄とされているが、しかし実際に戦場で彼を見たヴォイテクはそんな華々しい称号よりも『悪魔』という表現が適切である、と確信している。
『皆殺しのヘンリック』、『鉄拳のヘンリック』、『破壊者ヘンリック』、『八艘飛びのヘンリック』―――誰もが地獄と評するメルキアの戦いで、戦争を心の底から楽しんでいたのはあの男だけだった。
マフィアを血祭りにあげていたラウルの姿と、あのメルキアの地獄で目撃したヘンリックの姿が完全に重なったのだ。
だからこそヴォイテクは言外にミカエルに尋ねていた。
ラウルを―――最悪の悪魔の血筋の者を協商連合に迎え入れて大丈夫なのか、と。
《大丈夫、心配はいらない》
「……それもお前の”視た”結果か、ミカ」
《確かに父親の生き写しかもしれないが……現時点では、ラウルが世界に害をなす脅威になったという結末は”視ていない”》
「信じていいんだな」
《信じろ》
旧友の言葉―――それだけで十分だった。
了解、と短く返答し通話を切るヴォイテク。
その黒い瞳は、しっかりとラウルの背中を見据えていた。




