雲の中の揺り籠で
どうでもいい話
以前、ミカエルは『任意の対象を即死させる』ユニークスキルを持った転生者を相手に勝利した事がある。
暦が38000年を数える間に、この世界では26回も文明が滅んだ。
そしてその度に新たな文明が芽を出し、それも数えて27回目。
【第27文明】―――今のこの世界は、そう呼ばれている。
観測歴38000年 7月1日
15時33分
オースレリア アデレード上空 回遊型浮遊大陸アルカディア沖
気流結節点突入前
果てなく広がる空の海原。
人類が文明を生み出すよりも遥か昔から―――この惑星が、宇宙という暗黒の海原に誕生したその日からずっと、空はあった。時には雲が、時には夕日が、そしてこの世界では浮遊大陸が空に彩を加え、人類よりも遥かに長い時の中で歴史を重ねてきた。
あの巨大な気流結節点を見ると、やはり空は人類にとって未だ未知の領域なのだと痛感させられる。飛行機や空中艦を始めとした航空技術が発達し、今となっては近所のコンビニに行くノリで空を飛べるご時世となった今でもなお、だ。
《ラウル、クラルテ、間もなく気流結節点に突入する》
「了解、見張り任務を終了。艦内に戻る」
艦橋右舷にある見張り台に据え付けられたブローニングM1919重機関銃がふっ飛ばされないようしっかり固定されているのを確認。念のため持参した番線で固定具を補強してボルトカッターで切断、安全を確認してからハッチを開けた。
エアロックを閉鎖し与圧を確認。MARS-Lを背負って艦橋の中に戻ると、ちょうどアルカディア航空管制局からの通信が入っているところだった。
《こちらアルカディア管制。ソーキル、速度を270㎞/hまで落とし高度3500まで降下されたし。進路維持》
「こちらソーキル了解。高度3500、速度270㎞/h。進路維持、了解」
《”女王”を先に行かせる》
「……”女王”?」
なんだよ女王って、と首を傾げている間にも、気流結節点はすぐそこまで迫っていた。まるで爆撃機のコクピットのようなデザインのソーキルの艦橋。窓の向こうには天空目掛けて屹立する超巨大積乱雲―――”気流結節点”の威容が迫っており、打ち付けてくる強風に船体の装甲が軋む音を立てる。
純正の対消滅機関を持つ艦でなければ突入できない気流結節点。それも、少しでも侵入コースがズレればたちまち横殴りの突風を一身に受けて空中分解待ったなしだ。逆に脱出時はあの積乱雲を巨大なスイング・バイにして脱出するだけなので簡単らしいが、突入時は艦の推力に加えて操縦士の技量も要求される。
だからなのだろう、戦闘人形ではなく、この時ばかりはソコロフがソーキルの操縦桿を握っていた。
「なあ、”女王”ってなんだよ」
先ほど無線で聴こえてきた”女王”とやらについてヴォイテクに尋ねる。
「女王ってのはな、協商連合に所属してる客船だ」
「客船?」
「意外か?」
「ああ……軍艦とか貨物船ばっかりだと思ってたからさ」
「まあ、協商連合も手広くやってるのさ。んでまあ、客船ってだけあって戦艦スラヴァよりデカいし、対消滅機関のおかげで速度が出る分小回りが利かない。だから俺らよりも優先させたんだ」
「へぇー……」
そういえばだいぶ昔、聞いた事がある。海では入港する際、小型船よりも大型船を優先させるというルールがあるのだそうだ。直前になって避けようとしても遅いので、大型船を優先させるのだ、と。
しかしスラヴァって確かモニカ艦隊所属の空中戦艦だった筈だ。戦艦長門くらいの図体の艦なので、当然ながらソーキルよりも大型の戦闘艦になるわけだが……それよりもデカいってどういう事だ?
いったいどんなデカブツが先に行くのか、と思っていたその時、唐突に艦橋が暗くなった。
停電……ではない。ソーキルの頭上を、巨大な何かが通過しているのだ。それも太陽の光を遮ってしまうほどの巨体が。
いやいやまさか……と顔を上げ、そして息を呑む。
ごう、と重々しい轟音を響かせながらソーキルの頭上を通過していくのは、さながら空飛ぶシロナガスクジラみたいな大型艦だった。ソーキルよりも500mも高い場所を飛んでいる筈なのに、まるで手を伸ばせば船体に触れられるのではないかと錯覚してしまうほどの大きさだった。
貴婦人の如く優美なデザイン。しかしその圧倒的なサイズ感に俺たちはただただ圧倒されていた。いつぞやのテンプル騎士団の一件でも思ったが、あんな質量が空を飛んでいいのかとすら思ってしまう。
「―――客船【フライング・アルビオン号】。協商連合が保有している中で一番デカい船だ」
ヴォイテクがフライング・アルビオン号と呼んだその超弩級空中客船は、そのまま気流結節点へと突っ込んでいった。流れに逆らわず、されどコントロールを怠らない繊細な舵取りに、向こうの操舵手の技量の高さを感じずにはいられない。
あんなクソデカ空中客船で世界一周なんてできたら一生の思い出だろうな……なんて思っていると、むにゅ、と後ろから柔らかいおっぱいを押し付けられた。
「ねえラウル、私たちの新婚旅行……ああいう豪華客船で世界一周しましょ?」
「そ、そーっすね」
ロザリーの提案に、ちょっと恐ろしくなる。
いったいそれだけでどれほどの額の札束が飛んでいくのか、と。
アイツら離陸許可出してないのに勝手に羽生やして飛んでいくからな……などと思いながら、気流結節点の中にすっかり見えなくなってしまったフライング・アルビオン号の後ろ姿をいつまでも眺め続けた。
「はいコレ」
「え、何スかコレ」
ぼん、とチャンさんが預けてきたのは電話帳……みたいに分厚い買い物リストだった。
え、今時の学生は電話帳を知らない? まあその、俺も物心ついた頃からインターネットに慣れ親しんだデジタル世代ではあるのだが、実家のあった岩手の田舎はもう昭和の雰囲気がそのまま令和まで保存されたタイムカプセルみたいなバチクソ田舎だったので、普通に電話ボックスとか電話帳とかあっt……え、電話ボックスも知らないの今の子って!?
そうよね今時なんでもかんでもスマホだもんね、と多分これ読んでるみんなと同年代なのに生まれ育った環境のせいで生じたジェネレーションギャップに苦しむラウル君。
しかしそんなラウル君の心境も知らず、チャンさんは続けてみっちみちのパンパンに膨らんだアタッシュケースを手渡してくる。
「なあにこれは」
「お買い物、そのお金使う良いヨ。それで今晩の食材買う、いいネ?」
「アッハイ」
買い出しですか、つまりは。
しかし何だろうな、こんな現金の入ったアタッシュケース映画でしか見た事ないんだが。よくある武器とか麻薬の違法取引の現場に置いてあるようなアレだ。もしやチャンさん、食材って何かの隠語だったりする? あ、しない。そうですかよかったよかった。
「食材、お店が船まで届ける。荷物そのアタッシュケースだけ。簡単ネ?」
「ッス」
んじゃあ行ってきます、と告げてからソーキルより下船。格納庫に用意してあったベスパGTS300に跨ってエンジンをかけ、そのまま軍港から市街地へと突っ走る。
他の皆も休養と生活用品の補充のために下船、艦に残っているのは機関長とチャンさんくらいだ。
クラルテはフルールの付き添いで冒険者管理局(つーかアルカディアにも管理局あるんだ……)に向かい彼女のギルド加入手続きやらなにやらをしてくるらしいし、ユリウスとロザリーは別件でお買い物。クロエは久しぶりに教え子であるミカエルの子供たちのところに行くと言って、着陸するなりすぐ飛び出していった。
というわけで珍しくラウル君単独行動である。
アルカディアの市街地は随分と栄えていた。まるでここだけ天地戦争の爪痕からすっかり遮蔽されたかのようで、100年にもわたる世界規模の戦争で荒廃した地上を他所に繁栄を謳歌している。
街中には企業の広告や立体投影されたホログラムが所狭しと並び、客引きの声が大通りに響き渡る。
有料の駐車場にベスパを停車。電話帳みたいな分厚さの買い物リストを片手に店を探し回ってみる。
「うへぇ……こんなに買うのか」
買い物リストをペラペラめくりながら、イーランド語とスパーニャ語が併記された看板が掲げられた店に足を踏み入れる。とりあえずここで人参とネギ、白菜とチンゲン菜をそれぞれ2箱ずつ購入。届け先は3番ドックのソーキルまで、とお願いし次の店へ。
さて、ラウル君はスパーニャ語と竜人語の話せるバイリンガルなのだが、そろそろ真面目にイーランド語も覚えておこうと思う。なぜならば形式的にではあるが、アルカディアでの公用語はイーランド語とされているからだ。
ヴォイテクの話ではアルカディアはイーランド語話者が4割、その後に竜人語話者が3割、スパーニャ語話者が2割と続き、残りの1割はその他の言語なのだそうだ。なのでスパーニャ語はあくまでも第3言語とうポジションに落ち着いている。
とはいえアルカディアの住人は南米から移住してきた層もそれなりにいるので、こうしてイーランド語とスパーニャ語を併記している店も多いらしい。
こういう配慮本当にありがたい……つっても俺が慣れ親しんだ本場のスパーニャ語じゃなくて南米のスパーニャ語だから発音とか文法とか微妙に違うけども。
というかチャンさん、どんだけ札束詰め込んだんだこれ。
みちみちパンパンのアタッシュケース。たぶん力業で詰め込んだのだろう、ギチギチになったケースの縁のところからはなんかその……圧縮されまくったのであろう札束の水分っぽいものが漏れてるんだけどナニコレ。
つーかそもそもこの買い物リスト通りに食材買ってたら大型トラック1、2台分くらいにはなりそうなんだが、ソーキルの冷蔵庫ってそんなに面積あったっけ? もしかしてチャンさんって四次元ポケット的なものでも持ってる? それともこのみっちみちのアタッシュケースみたく力業で食材詰め込んでるのか?
今後、ソーキルのペイロードがオーバーする事があったら真っ先にチャンさんを疑ってみよう……と思いながら、ラウル君はお買い物を続けるのだった。
買い物が終わった頃には、もうお昼の時間になっていた。
腹も減ったし飯食ってから帰ろう、と思い、たまたま近くにあったアルカディアの冒険者管理局へ。さすがにクラルテとフルールの2人とは入れ違いになってしまったようで(そりゃそうだ)、他の管理局よりも小ぢんまりとしたアルカディアの管理局の中はなんというか、閑散としていた。
無理もない話である。アルカディアは全体が協商連合によって徹底的に管理されており、食材や家畜、研究用として飼育されている例外を除いて魔物の生息事例はゼロ。治安も良いので盗賊退治のような仕事が来る事もなく、薬草や食材も毎日大型の貨物船でイライナからの直送便が届くから、よくある薬草採取系の依頼もほとんどない。
だからアルカディアの管理局ではもっぱらパーティーとかギルドの加盟申請の発行、冒険者登録などの手続きのみが行われていて、冒険者としての仕事は殆どないに等しい状態なのだろう。依頼の掲示板は一応あるがDランクまでの依頼しかなく、掲示板に依頼書らしきものの掲示がない事からも、アルカディアは冒険者目線では「旨みのない」場所である事が分かる。
そういう場所なので宿泊施設は用意されておらず、建物はコンパクトにまとめられていた。
とりあえず併設されていた食堂……というか酒場へ。
席についてメニューを見るが、まあ慣れ親しんだ料理ばかりだった。カレーにハンバーグにナポリタン、子供が見たら喜びそうなメニューが名を連ねている。こういうのは大人になっても嬉しいものだ。冷え切った心の奥にある童心を呼び覚ましてくれる。
チキンカレー(目玉焼きのトッピング付き)を注文してしばらくスマホを弄りながら待っていると、ホカホカと美味しそうな湯気を立てながらチキンカレーが運ばれてきた。トッピングの目玉焼きもラウル君が大好きなとろりとした半熟である。
久しぶりに食べるなこういうの、と思いながらがっつく。チキンはしっかりと煮込まれて柔らかくなっていて、ルウは濃厚。それでいて食材の風味や食感を塗り潰してしまうようなものではない塩梅になっているところに、ここの料理人の技量の高さが垣間見える。
「Excuse me, Sir? 」
「わう?」
アルカディアのカレー美味しすぎるだろ! 教えはどうなってんだ教えはと頬張っていると、随分とまあお上品な発音のイーランド語が聴こえてきた。アメリアのイーランド語ではない。本場イーランドの、正真正銘のイーランド語だった。
声をかけてきたのは女性の猫型獣人……ケモミミと尻尾を人間に生やしたような姿の第二世代型だった。
「相席いいかな?」
「え、あぁ……いいッスけど」
こんな閑散としてるのに相席?
周囲を見渡したが、食事をしているのは俺の他に2、3人ほど。いずれも冒険者ではないらしく、その辺で仕事をしている労働者のようだ。あるいは協商連合の関係者なのか。
俺に何か用があるのかな、と思いながらカレーを食べていると、彼女はメニュー表をペラペラとめくってから卓上ベルを鳴らして店員を呼んだ。
「フィッシュ&チップスとエールを1つずつね」
フィッシュ&チップスってあのイギリス料理のアレだよな。白身魚のフライとでっかいフライドポテトのセット。転生前、日本で調理されたものを食べた事があったがあれは美味かった。ふわっふわでサックサクの衣に包まれたジューシーな鱈のフライ、揚げ物特有のしつこさは感じずいくらでも行けそうな感じがあったが……本場イギリスのものはちょっと違うらしい。
本場のレシピで調理されたやつは食べたことないが味は大丈夫なんだろうか。注文を終えて店員が去るとすぐエールが出されたが、目の前の猫獣人はすぐに半分も飲み干した。
「ところでキミ」
「わう?」
俺の発音……というか拙いイーランド語でスパーニャ語話者とすぐ理解したらしい。話す言葉をイーランド語からスパーニャ語に切り替えるなり、彼女は言った。
ちょっと観察し続けてるのは失礼だったかな、と反省していた俺に彼女が投げかけたのは、あまりにも意外な言葉だった。
「―――隠し持ってるサブコンパクトはグロック、かな?」
「!?」
コイツ……俺がコンシールドキャリーしている事を見抜いた?
確かに彼女の言う通り、羽織っているジャケットの下にはグロック29が収まっているが……そんな事よりも、だ。
この女―――転生者か?
不敵に笑う彼女を見つめながら、俺は警戒するしかなかった。
どうでもいい話
カシウスの序列は30位となっていたが、あのレベルでも30位に収まる事ができていたのは天地戦争で転生者が大勢死んでしまい大幅な繰り上げを受けたためである。




