花は未だ枯れず
ぶぉー、とドライヤーの音が部屋の中に響く。
ちょこんと椅子の上に座っているフルール。いつものシスター服……ではなく白いワンピースに着替えた彼女は綺麗になった銀髪を乾かしてもらいながら、ちょっと照れくさそうな顔でこっちを見つめてきた。
カシウスに仕えていた頃はよほどひどい仕打ちを受けていたのだろう。さっき着替えの時にちらっと見えたが褐色の肌には痣があり、日常的に暴行を受けていたようだ。それでも折れずに毎日を耐え抜いてきたのは彼女の心が強かったからなのだろうが……。
とはいえ、もうそんな心配はしなくていい。彼女を虐げるカシウスは、もうこの世にいないのだ。
「はい、終わりましたよ」
「あ、ありがと……」
すっかりサラサラになった自分の銀髪に手で触れ、その変化にちょっと驚くフルール。しっかりと手入れしてもらったのはこれが初めてなのだろうか。
クラルテのメダリオンを見てから、自分の胸元に視線を落とし不安そうな顔をするフルール。巫女の証でもあったあの太陽のメダリオンは、しかしもう既にフルールの胸元には無い。
そりゃあそうだ。彼女のメダリオンはあの時、俺が破壊してしまったのだから。
彼女の削除を防ぐために破壊したメダリオン。あの後、フルールのメダリオンはフェードアウトして消滅してしまい、彼女はそれを介したマザーとの交信の手段を完全に失った。
つまりはもう、フルールは巫女ではないという事。
転生者に仕えなくていい―――しかしそれは自由であると同時に、マザーからの庇護の一切を受けられないという事も意味している。
あの時、俺が頭を撃たれた際にクラルテが応急処置をしてくれたそうなのだが、ロザリーの証言では「自分の転生者が撃たれたにもかかわらずクラルテは冷静だった」との事だ。それこそ、パニックを起こす事無く淡々と処置をしていたらしい。
普通であれば大なり小なり取り乱すであろう。それが人間というものである。しかしクラルテは(ロザリーの証言をそのまま信じるのであれば)全く取り乱さず、やるべき事を淡々とやったというのだ。
どうしてそんな芸当ができたか―――クラルテが以前言っていた『マザーからの調律』によるものだろう。
巫女として派遣されてきたばかりの頃、彼女に聞いた事があるのだ。『戦ったり人を殺す事に罪悪感を感じる事はないのか』と。
その返答がマザーの調律であった。曰く、『殺人の罪悪感やストレス、パニックなどはリアルタイムでマザーが検出し不要な感情や衝動を排除してくれる』―――だからこそPTSDに苦しむ事もなく、極限状況下でもまるでお昼の休憩中のように落ち着いて対処できるのだ、と。
今後はそのようなマザーからの庇護が、フルールは一切受けられなくなる。
不安そうな表情の原因はそれだろう―――今まで親に守られてきた年端も行かぬ子供が、いきなり大都会に1人で放り出されるものだ。
「自由」とは聞こえがいいが、準備も出来ていない個人にとってそれは時には途方もない残酷ともなり得る。
「大丈夫さ」
そんな彼女の心境を何となく読み取って、そう口にした。
「フルールはもう独りじゃない」
「そうだよ、私たちがいるもん♪」
ねーラウル、と後ろから抱き着きながらニコニコするロザリー。相変わらず距離感バグってないかなこの子。
後頭部にでっけえOPPAIを押し付けられて凍り付く俺。そんなラウル君を他所に人の頭をモフって狼吸いするロザリー氏(16)。
既にフルールはギルド『くまさんハウス』への加入の意思を決めており、それはヴォイテクにも伝えてある。転生者の巫女としてではなく、フルールという個人としての決断だそうだ。
人手が足りないくまさんハウスとしてはまさに願ってもない優秀な人材確保、棚から牡丹餅とはこの事なのだろう。あんな二つ返事で採用が決まった瞬間は初めて見た。
というわけでこれからはフルールもウチのギルドの仲間。それも最初から優秀な戦闘技能を持つ人材として重宝されていく事だろう。決して楽な毎日というわけではないが―――それでも彼女がこれまで過ごしてきた日々を思えば、間違いなく楽しい筈だ。
抑圧の毎日を送ってきた彼女に、せめて少しでも自由を謳歌してほしい。
そう願ってやまない。
少々暴れすぎたかな、というのが今回の戦闘の反省点だった。
要塞の中をシュアファイア製のフラッシュライトで照らしながらLR-300を構えて念のため警戒。抵抗勢力が残っていない事、室内に脅威が存在しない事を確認し「クリア」と宣言、室内に転がっている死体の頭と心臓に念のため弾丸を叩き込んでから室外へと引っ張り出す。
アキヤール要塞をめぐる戦いは、終わった。
ワリャーグ戦闘員の殆どが戦死し、残った一部も既にイライナの憲兵隊に引き渡した。ヴォイテクの話ではすぐに裁判が行われ、判決が出れば即日死刑が言い渡されるとの事だ。
引っ張り出した死体はアルカディアから派遣されてきた死体処理班に引き渡した。18式個人用防護装備(※自衛隊で採用されている最新のガスマスクと防護服)装備の隊員たちは死体を受け取るなり、死体から各種装備を外して、傍らに停車しているトラックの荷台へと死体を運び入れていった。
トラックの中には死体焼却炉が備え付けてある。冒険者管理局の死体処理班や憲兵隊、軍の死体処理部隊などで使用されている移動式の焼却炉だ。1000~1400度の高熱で死体を骨も残さず灰にする事ができるらしい。
まあ、この世界では人間は死後36~48時間でゾンビ化してしまうので、ああいった装備品が発達するのはある意味当然といえよう。死者への尊厳は大事だが、どこの誰かも分からない死体の身元確認をしている時間的余裕もない事から、少しでも身元の分からない死体は『詳細不明』として焼却処分を優先し、後になって身に着けていた遺品から個人を特定する……というケースも少なくない。
死体処理にタイムリミットが存在するので仕方がないが。
死体を処理班に託して要塞内部へ再突入。室内を確認中だったユリウス兄貴の肩を叩いて合流を伝え、廊下に出て奥へと進んだ。フルールの監禁されていた部屋の近くの通路には、喉仏を潰されて死んだ死体やブーツで顎を踏み砕かれて息絶えた死体が転がっている。
兄貴に向かって頷いてから、死体の頭や心臓に5.56㎜弾を叩き込んだ。
ゾンビ化の条件は『脳と心臓のどちらか、あるいはいずれかが健在である事』、『死後36~48時間が経過している事』の2つだ。この条件をどちらも満たした場合、死者はゾンビとして蘇る。
つまり逆に言えば、『心臓か脳を破損していて』、『死後36時間未満』であれば死体はゾンビ化しないという事になる。
死体に弾丸を撃ち込んで脳と心臓を破壊しているのはそのためだ。既に戦闘終結から30時間が経過しつつあり、いつ死体がゾンビ化するかも分からない。死体の運搬中にゾンビ化して動き出し噛まれた……なんて事になったら洒落にならないので、運ぶ前に死体には弾丸を撃ち込むというのが”協商連合流”のやり方なのだそうだ。
もちろん、こうした行為は明確に死体損壊罪の処罰の対象となる違法行為である。とはいえダンジョン内や当局の目の届かないような現場では焼却処分の手間を省くために死体の頭部の破壊がまかり通っている現状では暗黙の了解として認められてしまっている。
それに撃ち込んだ後にはしっかり焼却処分しているのだ。死体処理班に同行している聖職者が祈りを捧げ死者の安らかな眠りを祈念しているので、まあ頭を破壊してほったらかしにする連中と比較すればよっぽど温情と言えるのではないだろうか。
「クリア」
「……しかしお前も、躊躇なく殺すようになったよな」
「何が」
「覚えてねえのか? 5年前だよ」
「……忘れるわけねえじゃん」
顎を踏み砕かれた死体にAPC-10の10㎜オート弾を撃ち込んでから、ユリウス兄貴は言った。
5年前―――ユリウスとロザリーの2人と初めて出会った時の事だ。あの廃村で俺は実戦を経験している。
そりゃあ当時は実戦経験ゼロ、銃を使って何かを殺すなんて経験もなかったし相手に殺意を向けられるなんて経験もなかった。だからあの緊張の糸が切れた時は声を上げて泣き出してしまった。
その時と比較すれば随分と上出来と言えるのではないだろうか。
「戦士としては頼もしい限りだ」
死体の頭をブーツで軽く蹴りながらユリウスが言った。
「……だが、それには呑まれるな」
ロザリーが悲しむ―――彼の言葉の後には、そう続くような気がした。
分かってるさ。俺はあくまでも冒険者であって殺戮マシーンではないのだ。ただ、敵が牙を剥いてくるから全力で殺しにかかっているだけの事。
殺戮を楽しむつもりなんか毛頭ない。
死体を肩に担いで要塞の外に出し、死体処理班に渡した。
戦闘中はアドレナリンだとか闘争本能が剥き出しになるから殺した数なんか気にならない。
でも、こういう死体処理をしていると嫌でも見せつけられるのだ―――自分が奪った命の数を。
だからこそ冷静でいられるのかもしれない。必要以上に殺戮を誇りイキらずにいられるのかもしれない。
これがお前の殺した数だ―――物言わぬ現実が淡々とそれを告げてくるような、そんな気がした。
すっげえ食べっぷりだった。
野菜炒めを口いっぱいに頬張ったかと思いきや、濃いめの味付けのそれが口の中に残っているうちに饅頭を手に持って大きく齧る。リスのようにパンパンになった口の中に少しでも空きができたと見るや今度は羊肉の串焼きを手に取ってどんどん口の中へ。
その食べっぷりは見ていて心地の良いものだったチャンさんもニコニコしながら「还有很多,别害羞,想吃多少就吃多少!(まだまだたくさんあるから遠慮しないでたくさん食べてね!)」とどんどん料理を持ってくる。
餃子を黒酢ベースのソースにつけて口へと運びながら、思わず笑みを浮かべた。
アレーサのレストランで一緒に食事した時もそうだったが、なかなかフルールはよく食べる。まあ彼女の境遇を思えば、まともな食事を十分に与えられていたとは考えにくい。
美味い食事をお腹いっぱい食べられる―――人間とはそれだけでも十分幸せなのだ。
「チャンさんおかわり!」
「どんどん食べてネー」
どん、と野菜炒めと入れ替わりで置かれるフルール専用の大皿。今中華鍋から移されたばかりなのだろう、熱そうな湯気を発する卵チャーハンが山のように盛られていて、フルールは目を輝かせた。
「美味しい……美味しすぎるぅ……♪」
涙目になりながら、フルールはチャーハンを頬張った。
今日は彼女の歓迎会も兼ねているからなのだろう、いつも夕飯は豪勢だが今日は特別豪勢だった。そりゃあ、食堂にやってきた時は一瞬「ん、満漢全席か何か?」と思ってしまうほど大量の料理が並んでいたのだから見間違えもする。
まあ、驚くべきはそれを全部ワンオペでやってるチャンさんなんですけども。あの人マジで何なんだろう本当に。
フルールの前に置かれた蘭州牛肉麺がスープを含めて秒で消えた瞬間には思わず吹き出してしまいそうになった。
まあ、幸せそうだしいいか。
ソーキルの甲板から黒海を一望しながら、葉巻に火をつけた。
8年前まで、この海もまた戦場だった。今でもアレーサ沖には海面に着水したまま擱座した空中艦や水上艦の残骸が残っていて、重油の流出を防ぐためのオイルフェンスがオレンジ色の異物として目立つ。
戦争の爪痕は、そう簡単には消えない―――いや、一生消えないのかもしれない。それは100年、200年経っても膿のように溢れ出て、その存在を主張し続ける。
世界も、ヒトも、例外なく苦しむのだ。
「―――マザーはやっぱり頑固だったようだな、ミカ?」
振り向かずに言葉を紡ぐと、いつの間にかヴォイテクの背後にいたミカエルが隣にやってきた。葉巻を取り出して先端部をカット、自前のトレンチライターで火を着けるミカエルを見下ろしながらいつもヴォイテクは思う―――コイツに葉巻は似合わない、と。
傍から見れば子供がスティック状のお菓子を咥えて大人の真似をしているようにも見えるが、しかしそんな微笑ましさは微塵もない。むしろ全てを失い、二度と戻らぬ何かの痕跡を追い求めているような、あるいはもう二度と戻らぬ友人との縁を何かに求めているような、そんな哀愁すら漂っている。
「まあ、ね。最初から分かり切った事だよ」
「……そうかい」
「マザーは今回の一件、当事者の選択として尊重する方針らしい」
「まあそうだろう……ありゃあそういう風に出来ている」
与えられた権限以上の事は出来ない―――だからこそ電脳の母なのだ、と。
「それと、ラウルの父親の件……」
「ああ……俺も薄々勘付いていたよ。最初に出会った時はまさかとは思ったけど」
もしヴォイテクの抱いた疑念が事実であるというのならば、ラウルの強さと攻撃性の高さには納得するものがある。
転生前から積み重ねた努力と、転生後も継続した努力。そして獣人としての身体能力に転生者としてのユニークスキル―――しかし時折、ラウルはそれだけでは説明のつかない強さを発揮する事がある。
今回もそうだ。本人からの報告とクラルテからの情報では、ラウルは身体能力強化のユニークスキルを持つ転生者を相手に、あろう事か肉弾戦で圧倒していたという。
もしラウルの父親があの男ならば、全ての説明がつくのだ。
天地戦争最大の地獄、メルキア沖空戦。
従軍した将兵の全てが口をそろえて「地獄」と評するその戦場で唯一人、その地獄を楽しんでいた男。
「ヘンリック―――【皆殺しのヘンリック】」
第五章『踏み躙られた花』 完
第六章『果てなき空の航路』へ続く




