彼女の覚悟、彼女の選択
気が付けば、身体が勝手に走っていた。
戦いが終わった疲労も関係ない。今ここで少しでも速度を落とせば一生後悔する―――本能的に、そう理解していたのだ。
カシウスを撃ったのが誰なのか。
その気になればいつでも殺せたのにあえてそうしなかった―――あわよくば殺さず、戦闘不能に追いやって連れ帰ろうという考えもあった俺とは違って、彼女はそう思わなかったのだ。
カシウスを野放しにすれば世間に迷惑が掛かる―――何かのきっかけで竜人脅威論が再燃し、第二次天地戦争開戦という状況にもなりかねないだろうし、そんな政治的な事情を抜きにしてもきっと彼女は彼を許せなかった筈だ。
だから、自分でケジメをつけた。
俺なんかよりもよっぽど、フルールの方が腹を括っていたのだ。
「フルール!」
アキヤール要塞の崩れかけの城壁をよじ登ると、そこにフルールがいた。
床にライフルを置き、武器も手放して、黒海から吹き上げてくる潮風に晒されながら―――ただ1人、どこまでも続く海原を見つめている。
その背中が告げている―――「もう全て終わったのだ」と。
フルール、ともう一度彼女の名を呼んだ。
静かに、ゆっくりとこちらを振り向くフルール。
アレーサで出会った時のような、どこかに重苦しいものを抱え込んだ表情ではなかった。まるですべての重石から解放され、最期の最期に自由を得たかのような、達成感に満ちた清々しい笑顔。
けれども俺の顔を見るなり、瞼の端にきらりと光る雫を蓄えているのが見て取れた。
「ラウル……」
「フルール、お前……お前……っ」
なんて事を、と彼女の肩を掴んだ。
アイツを生け捕りにして、アルカディアにでも幽閉しておけばこんな事をしなくて済んだのだ。そりゃあ警備部門には迷惑をかけてしまうし、生かさず殺さずという塩梅での管理が必要になってしまうから労力もコストもかかってしまうが、そうすれば自身が削除されるなんて事にはならずに済んだ筈なのだ。
それを、なぜ。
「見て、ラウル。海……とってもきれい」
「フルール……」
「……こんなにも綺麗だったんだ」
空が明け始めた。
夜の闇が遥か彼方へと追いやられ、地平線の向こう側から顔を出した太陽がイライナの大地を照らし出す。
戦闘の狂乱も何もかもが夜と共に永劫の彼方へと去っていく。やがて陽の光に照らし出されるのは、戦闘の破壊が生々しく刻まれたアキヤール要塞の惨状。
破壊された航空機や空中艦の残骸、兵士たちの死体。歴史的価値があるであろう城壁は崩れ、石畳は死体から流れ出た血でべっとりと汚れている。噎せ返るような血糊の悪臭は黒海の潮風がどこかへと攫い、あるのは波の音と潮の香りだけ。
《―――転生者、カシウスの死亡を確認。管理番号GLB-6778、個体識別名”フルール”の削除を開始します》
「!」
彼女が首に下げている太陽のメダリオンが、生成AIで再生されたであろうシステム音声でそう告げた。中心部に埋め込まれたルビーみたいな発光部が一際強烈な赤い光を放ったかと思いきや、フルールの身体に変化が生じ始める。
彼女の身体、その輪郭がボヤけ始めたのだ。
それだけではない―――身体のいたるところにノイズが走り、まるでオンラインゲームで電波の調子が良くない時のような状態、いわゆる”ラグい”状態であるかのように、彼女の動きがカクつき始める。
『ラウル』
スピーカー越しに録音した音声のように、彼女の声は変質していた。
『ありがとう。あなたが私を、楽しい世界に連れ出してくれた』
「これで……これで良かったのか、フルール」
ぽろり、と彼女の瞳から涙がこぼれ落ちる。
『後悔してない、って言ったらウソになる。本当はあなたと一緒に……一緒に、もっと過ごしてみたかった』
「だったらどうして……どうしてだよ!」
『カシウスは、私の転生者。だからアイツを葬るのもまた私でなければならない』
「もっと何か方法があった筈だ……君が助かる方法が!」
『……そうかもね。でも私は、マザーの仔だから』
やめてくれ、と声を震わせた。
脳裏に浮かぶ―――アレーサで過ごした彼女との1日。あんなにも、心の底から無邪気に笑っていたフルールの笑顔。
本来、彼女にもそんな未来が待っていても良かった筈だ。
それがあんなクソ野郎の担当になってしまったばっかりに……。
『ラウル、最期に1つ……いいかな?』
「……なんだ」
『私を……抱きしめて、見送って欲しい』
困惑も、疑問も抱かなかった。それほどまでにフルールの、幸薄い少女の最期の願いは頭の中にスッと自然に入り込んできた。
歩み寄り、優しく彼女の背中に手を回して抱きしめる。まるで雪で作られた人形を壊さないように優しく、けれどもこの温もりを彼女の身体にまで刻み込むように。
彼女の感触を、自身に深く刻むように。
『ありがとう、ラウル』
「……っ」
『私―――もし生まれ変わったら、またあなたと』
「ああ……待ってる。待ってるから……っ」
自分の声が震えている事に、今になって気付いた。
こんな結末、俺は認めない。
けれどもフルールの選択であるというのならば尊重しよう―――理性ではそう理解していた。これがフルールの選んだ結末なのだと。彼女が選んだのだから仕方がない、と。
彼女を抱きしめる腕に、力が入る。
フルールの身体がフェードアウトを始めた。身体の表面にノイズが幾重にも走り、段々とフルールの発する声にすらもノイズがかかって、彼女の言葉が聴き取れなくなっていく。
段々と”フルール”という存在が、この世界のものではなくなっていく。
還っていくのだ。
1と0の世界、果てのない電子の海へ。
いや、違う。
―――消えていくのだ。
この世界からも―――広大な電子の海からも。
それはヒトとしての最期ではなく、データとしての最期。
不要なものとして切り離されたデータと同じ末路。
『縺ゅj縺後→縺??繝ゥ繧ヲ繝ォ縲よ?縺励※繧?』
「……っ」
もう、何と言っているのかも聴き取れない。
不快極まりないノイズ―――けれどもそれは紛れもなく、彼女の声帯が発している声。
この世界に刻み込もうとしている、自分の足跡。
唐突に、ふわり……と、彼女の身体の感触が消えた。
まるで最初からそこに誰もいなかったかのように―――唐突に生じた、人間一人分の空白。
残ったのは彼女が羽織っていた、俺のジャケットとメダリオンだけ。
まだ温もりが残るそれを握り締め、身体を震わせた。
辛うじて衝動を押さえつけていた最期の箍が外れた気がした。気が付けばみっともなく叫び声を上げ、拳を石畳に何度も振り下ろしていた。
拳の骨が折れ、肉が潰れて血が噴き出そうともお構いなしに……何度も、何度も。
クラルテやロザリーたちが、心配そうに俺の様子を見守ってくれている。
無理に止めようとはせず、この溜まりに溜まった感情を吐き出す時間をくれるだけ―――みんな優しいな、と思った。
―――幸せになって欲しかった。
彼女にはせめて―――あれだけ辛い思いをしたのだから、これからたくさん幸せな事が待っていて然るべきだった。そうでなければ人生は釣り合わない。そんな残酷な現実が許されていいものか。
現実は、受け入れるしかないのか。
この理不尽な結末を、認めるしかないのか。
血まみれの両手で頭を何度もかきむしりながら、思い切り石畳に頭を叩きつける。
額が割れて、赤い飛沫が飛び散った。
―――視界の端に、フルールが遺したメダリオンが映る。
赤い発光部から立体映像で投影されている、何かのパーセンテージ。
フルールの姿が消えたというのに、そのバーはまだ70%で止まっていた。
「……」
腰の鞘から、無言でナイフを引き抜いた。
逆手持ちにしたそれを―――残った力の全てを込めて、彼女のメダリオンに叩きつける。
「ラウルさん、何を……!?」
クラルテの制止する声もお構いなしに、何度も何度もナイフの切っ先をメダリオンに叩きつける。最初は刃を弾いていた巫女のメダリオン。しかし段々と表面には亀裂が生じ、次第に刃を受け入れるかのように穴だらけになっていく。
フルールの削除の進行度を意味するパーセンテージの立体映像に、ノイズが生じ始めた。
以前にクラルテが教えてくれた事だ。
全ての巫女はあのメダリオンを通して、”マザー”と交信しているのだ、と。
ならば巫女の削除もまた、あのメダリオンを介して行われているのではないか。
メダリオンが表示するパーセンテージは75%―――フルールの姿は消えたが、彼女という存在はまだ完全に消えていない。不完全な状態なれどまだどこかに残っているのだ。
では、その作業を行っているメダリオンが破壊されればどうなるか。
不完全な状態で作業が止まるのか―――それとも操作がキャンセルされて”復元”されるのか。
もう、賭けだった。
一縷の望みに全てを賭けて、俺は何度も何度もメダリオンにナイフを振り下ろし続けた。
帰って来い、帰って来い―――世界から消えてしまったフルールを連れ戻すように、何度も声を絞り出しながら。
暗い世界の中を、ただ歩く。
目指すのは向こうに見える蒼い光。
あそこに行かなければ。
役目を終えた巫女が向かうべき場所―――巫女という不要なデータの最終処分場。巫女たちの墓場。
そこにこれから私も加わるのだ。
心残りがないと言えば嘘になる。本当はもっと、アレーサでラウルと出会ったあの時のように色々と経験してみたかった。一緒にもっと映画を見て、釣りをして、町を散策して。
けれども、それはもう叶わない。
私たち巫女にとってマザーからの命令こそが全て。あのお方こそが巫女を導く光。
そのマザーが私に死ねというのならば、そうするしかない。私たち巫女はマザーの定めたもうた運命に従い行動するしかないのだ。
『……?』
ぐいぐい、とシスター服の裾を何かに引っ張られる感覚。
視線を下に向けてみると、いつの間にかそこに仔犬―――いや、小さな狼がいた。茶色い体毛混じりの灰色の狼。つぶらな瞳を涙で潤ませながら、まるで「行かないで、行かないで」と言っているかのようにシスター服をぐいぐいと咥えて引っ張っている。
段々と他の狼たちも集まり始めた。大型の狼までやってきて、ぐいぐいと私を引っ張り始める。
『ちょっ、おい、お前たち!』
なんなんだお前たちは、と思ったところで、鼻腔を懐かしい匂いがくすぐる。
―――ラウル。
脳裏に彼女の姿が思い浮かぶなり、私は狼たちに逆らうのをやめた。むしろ彼らが導くがままに、蒼い光とは逆方向へと向かって走り始める。
それは紛れもない、マザーに対する叛逆。
巫女にはあってはならない事。
分かっている―――私は、私の神に逆らったのだ。
決して許される事の無い大罪。
頭では理解していたが、もう止められない。
走る―――狼たちに導かれて、闇の底へと走り始める。
帰って来い、帰って来い―――私を呼ぶラウルの声。
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、私は走った。
ラウルの下へ―――全力で走った。
腕の中に、温もりがあった。
人間一人分の温もり―――ふわりと舞う花のような香りと柔肌の感触。
見なくても分かる。感触と、匂いで分かるのだ。
彼女が戻ってきてくれた、と。
これは夢か、現実か……そんなものはどうでもいい。夢ならば夢でもいいのだ。何でもいいのだ。
紅い瞳を涙で震わせて、彼女が―――フルールが、震える両手を背中に回す。弱々しかった彼女の両手。しかしやがて己の存在を刻み込むかのように強く、力が込められ始める。
「ただいま……ただいま、ラウル……っ」
「ああ」
ぎゅっと抱きしめながら、涙で震える声を何とか絞り出した。
「おかえり、フルール」
『―――なるほど、興味深い』
立体映像を見つめながら、マザーは顔色一つ変えずにそう言った。
フルールの行為は、マザーの定めたルールへの明確な叛逆だ。転生者の監視という任務意外に巫女の存在意義はない―――不要になったデータはメモリの節約のために削除するのは当たり前の事であり、フルールはそうなって然るべきだった。
このような事は前例がない。
転生者が―――他の転生者の巫女のメダリオンを砕く事で削除を中断させて救い出すなど。
前例がないからこそ、マザーは興味を抱いていた。
ラウル・エルマータという転生者に。
未知の可能性を呼び寄せる彼女に。
『―――転生者と巫女の契約破棄は不可能、前例がありませんし例外もありません』
「が、こうなってしまった以上は認めざるを得ない……か」
『ええ。これが彼女の、彼女たちが自ら選択した事ならば』
「はっはっはっは……どうだいマザー、人間って面白いだろ?」
ゆっくりと後ろを振り向くマザー。
既にそこには、ミカエルの姿はなかった。彼女が座っていた椅子も痕跡も何もかもが綺麗さっぱり拭い去られていて、けれどもミカエルの言葉が余韻として何度もマザーの脳裏をリフレインする。
―――人間って面白いだろ?
ふっ、と思わず口元に笑みが浮かんだ。
『ええ、そうですね』
人間とは、合理に生きるものではない。
感情という不確実性の塊を糧にして生きる存在。
だからこそ―――機械のような定まったパターンではなく、思うがままに生きる彼らは格好の学習対象なのだ。
『面白いものです、人間は』
だから、大好きだ。
冷酷な電脳の母は笑みを浮かべると、再びメインフレームの中へと戻っていった。




