モノクロの世界に彩りを
巫女は、主人を選べない。
無数の転生者に仕える巫女は無作為に選ばれ、相手のユニークスキルを補佐するためのサポートスキルを身体に刻みつけられる。
無論、拒否権など無い。私たちにとってはマザーこそが唯一で絶対の最上位存在。その意に反する事などあってはならず、この生涯はマザーが『人間を学ぶ』ためにある。
合理を優先したそれには、転生者の人格と巫女の性格の相性など考慮されない。
だから転生者と良好な関係を築くどころか戦友以上の深い絆と愛情を育んで、最終的に伴侶となり子をもうけるまで至る幸せ者な巫女も居れば、私のように暴行を受けたり、性欲の捌け口として虐げられる不幸な巫女もまた存在する。
私、何か悪い事をしたのだろうか?
何か悪い事をして、その罰として今の状況があるというのならば納得できる。
けれども生憎、思い当たる節は無い。
「ん……おい、竿。竿引いてる」
「え、あっ、え、どうするんだコレ」
ぼーっと自分の境遇について考えていると、持っていた釣竿がぐんぐん引っ張られ始めた。それに抗うように両手に力を込めながらラウルに助けを求めると、ラウルは自分の釣り竿から手を放して後ろから支えてくれた。
ふわりと舞う彼女の匂い。
まるで背中から抱きしめてくれているような感覚―――無論本人にそんな自覚はないのだろうけれど、あのDV野郎とは180度違う仕草に、すっかり痩せ細った心に奇妙な光が燈る。
「ぅぉりゃああああああ!!」
「うわでっか」
釣り上げたのは名前もよく分からない、あの……でっかい魚!
防波堤の上に叩きつけられてびちびちと暴れるそれから手慣れた感じで釣り針を外すラウル。「こりゃあ大物だな」と満足げに言いながら屈託のない笑みを見せる彼女につられ、私も久しぶりに笑みを浮かべてしまう。
ああ、こうして笑うのっていつぶりだろう?
きっとこれが、普通の人間としての”幸せ”なんだと思う。
私の中でおそらく、最も希薄な感情。
「すげえよフルール! 一発目でこんな大物釣りあげるなんて!」
「そ、そうかな……」
「だってコレ大きさなんぼくらい……んー、某ミニマムサイズハクビシン男の娘くらいあるな」
びぇくちっ、と可愛いくしゃみがどこかから聴こえた気がした。何だ今の。
レンタルしていた竿を返却し、店主に魚を買い取ってもらう。まさかこんな堤防で大物が釣れるとは思っていなかったのだろう、店主は豪快に笑いながら魚を7500ヴリフニャ(※イライナの通貨)で買い取ってくれた。
ヴリフニャ紙幣を受け取るなり、それを全額私に渡してくれるラウル。
「ん」
「え……ぁ、いや、だって、こんなにいっぱい」
「フルールが釣ったんだからフルールの手柄だろ?」
「……でも」
ダメだな、私は。
あのDV野郎に報酬を全額持っていかれる事に慣れ過ぎて、逆に”貰う”事に不慣れになってしまっている。逆らえば次の瞬間には拳が飛んでくる、と本能が理解してしまっているのだ。
戸惑う私の手に紙幣を握らせて、ラウルは笑った。
―――コイツの巫女、クラルテは幸せ者だ。
私だからこんなに優しく接してくれているわけではないのだろう。仕草や気遣いを見れば分かる……コイツは、ラウルは元からそういう人間なのだ。他人に優しく接し、その他人が苦しんでいれば救いの手を差し伸べてくれるような、そんな優しい奴なのだ。
―――私の転生者が、もし彼女だったら。
そう思わずにはいられない。もっと真っ当な人生を送れたかもしれない。暴力に脅え、陽の当たらないところで暮らすばかりのモノクロの世界にも彩りという概念が生まれていたかもしれない。
「なあフルール、まだ時間ある?」
ん、と屋台でピャンセ(※ロシアなどで食べられている朝鮮風の肉まん)を2人分購入して片方を私にくれたラウルは、ピャンセをパクついてケモミミをピコピコ動かしながら問いかけてくる。
正直、時間はあまりない。
カシウスからは「日用品の買い出しに行ってこい」と言われている。帰るのが遅くなったらまた殴られるだろうけれど……でも今は、帰りたくない。
あんな奴のところには、戻りたくない。
もっとラウルと一緒にいたい。
彼女に……もっと楽しい場所に連れ出してほしい、というのが本音だった。
だから帰ったら殴られると分かっていても、「ある」とウソをついた。
「じゃあさ、映画でも見に行こうぜ」
ニッ、と笑いながら私の手を引き、町の方へと歩き出すラウル。
モノクロの世界に”色”がついていくのがはっきりと分かった。
私……今が人生で一番楽しい。
「う゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ちょっ、お前泣き過ぎだろ……」
ほらハンカチ、とラウルにハンカチを渡されて涙を拭う。
映画館に辿り着くなり視聴を決めた映画は、随分と切ない内容の物語だった。
魔物の身体に人間の心を持って生まれてしまった友人を元の姿に戻すため、主人公と友人の2人で魔法の泉を探して旅に出る物語。しかしその結末は悲劇的なもので、友人は人間の身体を取り戻すどころか魔物の心を取り戻して完全に魔物となってしまい、最期は主人公の制止も虚しく軍隊に射殺されてしまう……という内容だった。
悲しみに暮れる主人公の夢に友人が現れて、主人公にお礼を言って消えていくシーンでもう涙腺が崩壊してしまった。無理だろあんなの。誰だって泣くわあんなの。
そして流れてくる静かな曲調の主題歌が更に追い打ちをかけてくる。多分この監督は観客の涙腺を破壊する事に定評のある奴だ間違いない。
映画館を出てからもしばらくは涙が止まらなかった。
すっかり日は暮れていて、空には星が瞬きつつある。
人気のない公園のベンチに腰を下ろしたところで、やっと涙は止まった。
「すっかり暗くなっちゃったなぁ」
「……そうだな」
公園のベンチでラウルの肩にそっと寄り掛かる。
ラウルって、女にしては意外と体格がガッチリしている。オリーブドラブのジャケット越しでも感じる鍛え上げられた身体。私の全てを委ねてもいいと思える包容力まで兼ね備えていて、もしあんなヤツの巫女という立場でなければ全力で甘えてしまいたくなる。
「……ラウル」
「なんだ」
「……私、帰りたくない」
つい、そんな言葉が口からぽろりと零れた。
自分でもびっくりしている―――本心で思ってこそいたが、決して口にするつもりのなかった言葉。けれども心が理性と身体をジャックしてしまったかのように、本心が言葉となって溢れ出てしまう。
ラウルは驚いたようにこちらを振り向いて目をぱちくりさせたけれど、すぐに優しい笑みを浮かべながら私を抱き寄せてくれた。
「―――じゃあ、一緒に来る?」
耳元で囁かれる、甘い誘惑。
なんて狡猾な奴なんだ。
きっとラウルは、私の事を色々と見抜いていたに違いない。日常的に暴行を受けていた事も、私が受けている待遇も。
映画館でもレストランでも私にお金を払わせてくれなかったのも、こちらの懐事情が厳しい事を見抜いての行動だったのだろう。
全部全部、ラウルには―――このハイイロオオカミの獣人には、お見通しだったのだ。
「お前は……酷い奴だ」
震える手を、静かにラウルの背中に回す。
さっきの映画を見た時とは違う、ぐちゃぐちゃの心。整理されておらず、言語化も難しい感情が一気にわっと吹き出して、思わず涙が溢れ出る。
「こんな……っ、私にこんなっ、こんな思いをさせてっ……! もう戻れない……戻りたくない……っ!」
「……じゃあ、もう戻らなくていい」
その言葉に甘える事ができたなら、どれだけ幸せなのだろう。
彼女の誘惑に乗せられて、一緒に行く事ができたらどれだけ楽しい思いができるのだろう。
でも―――でも、巫女は転生者に逆らえない。
私の首輪は、まだ繋がれたまま。
「―――フルール、こんなところで何をしてる?」
びくり、と身体が震えた。
今、一番聞きたくない声。
振り向くとそこにはやっぱり、竜人の転生者―――カシウスがいた。ラウルよりも大きく筋肉質な体格で、短く切りそろえられた金髪は獅子の鬣を思わせる。けれどもそんな高貴なシンボルもこいつにはもったいなさすぎるように思えるのは気のせいではないだろう。
外見的な勇ましさに中身が伴っていないのだ。
暴行を受けた記憶がフラッシュバックする。身体がぶるぶると震えはじめ、ラウルに助けを求めるように指先に力が入る。
「何だお前、浮気か? 俺の巫女の癖に?」
「ぁ……カシウス、ぃ、いや、違……くて」
「お仕置きが必要だな、フルール」
大きな手を伸ばしてくるカシウス。
ああ、ごめんなさいごめんなさい。
また辛い毎日が始まるのだと思うと、絶望は一層強烈なものに思えた―――ラウルがあんなに幸せな時間を経験させてくれた後だと、なおさら。
けれどもカシウスに無理矢理掴まれる感覚はしなかった。
「ぇ……」
そっと目を開けてみると、カシウスの手をラウルの手が掴んで止めていた。
「なんだテメェは」
「―――こんな清々しいまでの人間の屑、初めて見たわ」
カシウスを睨みつけるラウルの顔は、もう先ほどまでの優しい顔ではなかった。
まるで闘争本能を剥き出しにした獣のように―――目つきは鋭く、顔つきは険しく、そして牙を剥き出しにした戦闘態勢。それはまるで、ラウル・エルマータという人間が2人いるのではないかと錯覚してしまうほどの変わりようだった。
一瞬だけ、ちらりとこっちを見るラウル。
離れてろ、と言われたような気がして、ラウルから手を放し後退る。
―――負けないで、ラウル。
―――そんな奴、ぶっ倒して。
そう思う―――それこそが私の本心。
けれども、分かっている。きっと私の望み通りになったとしても、もう今日みたいな幸せな日々はやって来ないと。
専属契約している転生者が死んでしまった場合、遺された巫女は―――。
「ハッ、俺に逆らう命知らずがこんなところにいたとはなぁ!」
掴まれていた手を振り払い、竜人の転生者―――フルールが『カシウス』と呼んでいた転生者が拳を握り締める。
コイツ予想以上に力強いな、と単純な力比べでは分が悪い事を悟りつつ前に出た。どうせそのまま殴りつけようとしていたのだろう、逆に相手が突っ込んできた事にカシウスは驚いているようだった。
意外かもしれないが、相手がパンチをしてくると分かっているならば逆に前に出た方が安全だったりするのだ。万一パンチを喰らってしまったとしても、基本的に(パンチの打ち方にもよるが)腕が伸び切る前―――最も破壊力を発揮する前の段階で当たってしまうから、100%のダメージは受けずに済む。
これにビビって後ろに下がると逆に危険なのだ。転生前、空手を習っていた頃に学んだテクニックである。
だからとにかく前に出る。相手の懐に潜り込んでひたすらボコるのが俺のやり方だった。
放たれたパンチが肩を打ち据える。
―――骨が外れたかと思った。
歯を食いしばって耐えながら脇腹に右のフックを叩き込む。一瞬カシウスの息が詰まるが、驚いたのはこっちの方だ。
右の拳がじんじん痛む。まるで鉄板を殴りつけているかのようだ。
さっきのパンチの威力といい、今しがた殴りつけた手応えといい……明らかに常人のそれではない。竜人の身体能力といったらそれまでだが、しかしそれはユリウスやロザリーとの格闘訓練でどの程度なのかは把握している。
しかしカシウスはどうか。
明らかに一般的な竜人の範疇を超えている―――あの間合いであの威力のパンチなど打てる筈がないし、意表を突いた一撃に反応できるほど外殻の生成は早くない。
ということは、ユニークスキルか。
参ったな、クラルテがいれば相手の本名も分かった以上ユニークスキルの解説とかしてもらえるんだが。
「気を付けてラウル! そいつ身体能力を上げるユニークスキルを持ってる!」
「!」
「フルール! てめえどっちの味方だ!?」
―――ありがとう、フルール。
なるほど、フィジカルを底上げしてくるタイプか……いわば常にバフがかかった状態で突っ込んできて暴れる、と。
それならばさっきの常軌を逸したパンチの威力も、予想以上の打たれ強さも納得
―――カシウスが消えた。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
けれども次の瞬間には目の前に拳が迫っていて―――。
「―――遅せえんだよ、雑魚」
ごしゃあっ、という衝撃を最後に、意識が途切れた。
「ぁ……ラウル、ラウル!」
吹き飛ばされたラウルの身体を揺すりながら、私は何度もラウルの名前を呼んだ。お願い起きて、と何度も呼びかけたけれど、ラウルの反応はない。
がしっ、と肩を思い切り掴まれた。肩の骨が握り潰されそうなほど締め上げられて、そのまま無理矢理ラウルから引き剥がされてしまう。
次の瞬間だった。拳が私の頬にめり込んだのは。
「かはっ……!」
「ったくよぉ。こんな雑魚に連れ回された挙句、俺の能力教えるとかどんな神経してんだオラァ!!」
「ひゅっ……!」
思い切り腹を蹴り上げられて、身体が浮いた。
その時だった。薄れゆく意識の向こうで、ドォン、と遠雷のような爆音が轟いたのは。
視界の端―――アレーサの市街地で上がる火の手。平穏な港町で爆発が連鎖して、紅蓮の炎が吹き上がる。
「チッ……海賊団の連中もう仕掛けやがったか」
早すぎる、と悪態をつくなり、カシウスは私の身体を肩に担いでその場を離れ始める。
ラウル、ともう一度小さな声で彼女の名を呼んで手を伸ばした。
ラウルは動かない。
もう、助けてくれない。
お願い……お願い、誰か……。




