観測歴38000年12月29日
どうでもいい話
イライナとの安全保障条約において、協商連合は『イライナが侵略された場合、協商連合は総力を挙げて侵略国に対し宣戦を布告。侵攻軍及び軍上層部、国家首脳を完全に殲滅する』と明記している。
「まあまあ、しばらく見ない間に随分大きくなって……いえ、ごめんなさい。背はそんなに変わってないわね」
ミカエルだったら胸にぐっさり矢が刺さっていたであろう発言を受け、あはは、と笑みをこぼした。
孤児院の教室の中。置かれた机や椅子は随分小さく感じる。まるで大人になってから小学生用の椅子に座っているような感覚だ。あの頃は子供の成長に合わせて椅子や机を買い替えるような金銭的余裕も無かったけれど、今ならばどうだろうか。
孤児院の中は思ったより変わっていない。さすがに3年くらい前、エミリオとふざけて描いた落書きはキレイさっぱり消されていたけれど。
先生も元気そうで何よりだった。旅立った頃はもう少し痩せていたような気がするけれど、今は随分と健康的に見える。戦時中なんか特にひどくて、いつか栄養失調でぶっ倒れるのではないかと心配していたほどだ。そんな状態でもお腹を空かせている子供に自分のパンを分け与えていたのだから、この人は……もうそろそろ、楽をしてもいいような気がしてならない。
だから仕送りはいつも多めに送金していたんだが、その甲斐もあって孤児院の生活がだいぶ楽になったであろう事が、内装や修繕された外の塀、子供たちや先生の服装からも窺い知る事が出来た。
あの頃は服に穴が開いてもよれよれの糸で縫い直すか、目立たないならばそのままにしている事も多かった。身体が大きくなれば孤児院を巣立っていった卒業生たちのお下がりをもらうのが当たり前で、俺もリカルド兄ちゃんのセーターを着て育ったものである。
おかげでみんな服装はボロボロで、みすぼらしい恰好だったが故に村の子供たちからの格好のイジメの対象になった。そして俺はその全てをぶちのめしてきた。
「元気そうで何よりです、ラウル」
外で元気にサッカーをしている子供たちの様子を目で追っていた俺に、笑みを浮かべながらマチルダ先生は言う。
胸の奥にあった奇妙な緊張が解けていくのが分かった。そしてあれだけ、胸の中でもやもやと滞留しては、酸性のガスのように心を苛んでいたあの焦燥感も。
これが”安堵”なのだろうな、と思う。
「手紙には元気だって書いてましたけど……やはり、自分の目で見るまでは安心できませんでしたから」
「ちゃんと元気ですよ先生」
ほらこの通り、と両手を広げて筋肉をちょっと隆起させてみる。日ごろの訓練の甲斐もあって今やラウル君は細マッチョ、さすがに現職の軍人みたいな体格ではないものの我ながらシャープな仕上がりではないだろうか。
なーんて調子良さそうにしていると、先生はちょっとだけ困ったような顔をした。
「……でもねラウル、そういう問題ではありません。冒険者になったのでしょう?」
「ええ」
「危ない事も……しているのでしょう?」
まあ、仕事ですから―――さらりとそう返しそうになった言葉を、しかし寸前で呑み込んだ。
そういう問題ではないのだ。仕事だから危ない事をしてもいい、報酬が高いから危ない事は許容範囲……そういう問題などではないのだ。俺と先生の立場では、そもそも価値観も尺度も何もかもが違い過ぎる。
危険を乗り越えるため、生き延びるため、そして大金を稼ぐため。そのために、どんな逆境も跳ね除ける力を求めたつもりだったし、その努力は決して無駄にはならなかった。けれどもマチルダ先生からすればその時点でもう思うところはあったのだろう。
親よりも先立つのは何よりもの親不孝である。
転生前、母さんが口癖のように言っていた事を思い出す。私よりも先に死ぬな……結局俺は、その言葉を裏切る事になってしまった。きっと母さんは深い悲しみに暮れていたと、とんでもねえ親不孝をしてしまったものだと思う。
当時は母さんのそんな言葉を軽く受け流していた。
そして今も、無意識のうちに軽く流しそうになっていた事に気付いて、思い切り恥じた。
どう返答するべきか。言葉を思い浮かべては、しかし実体を持つ前に霧散してしまう。それを繰り返している間にマチルダ先生は言葉を紡ぎ始めた。
「ラウル……あなたが強い事は知っています。昔からそうでした……やんちゃで、喧嘩っ早くて、いつも痣だらけになって帰ってきましたね」
「……ですね」
「年上を病院送りにした時はびっくりしました」
「そんな事もありましたね」
「大人の腕を折ったって聞いた時もびっくりしました」
「そんな事もありましたね」
「猪を殴り殺したって聞いた時もびっくりしました」
「そんな事ありました?」
「熊を叩き潰し生き血を啜ったと聞いた時はびっくりしました」
「そんな事ありましたっけ?」
「巨大怪獣を相手に三日三晩死闘を―――」
「せ、先生? 存在しない記憶が。先生? 先生!?」
「ふふっ、冗談です。でもねラウル、強いからといって危ない事をしていい理由にはならないのですよ」
「……ええ、わかってます」
「本当に?」
「本当に」
危ない事、か……。
冒険者に登録してから今までで、思い当たる節がある事は全部思い出してみる。とりあえず、どれもこれも先生が聞いたら卒倒しそうなものばかりだった。冒険者になりたての頃にバシリスクに遭遇して討伐しただとか、転生者と殺し合いをしただとか、無理な術式開放で死にかけ、あわや視力と聴力を失い再起不能になるところだったとか、その辺なんか特に。
言えない。こればかりは口が裂けても。
「でも、帰ってきてくれたんだからそれでいいの……無事に帰ってきてくれた事が一番大事なのよ」
「……ええ」
「でも、次からはもっと気を付けてくださいね」
「善処します」
「ふふっ、返事だけは立派なんだから」
先生は呆れたように笑い、それから俺の頭の上に手を置いた。今ではすっかり先生の背丈を追い越してしまったけれど、小さい頃はこうやって撫でてくれたものだ……勉強でいい成績を修めた時も、喧嘩をして叱られた後も。
この世界に生きる俺、ラウル・エルマータという人間にとっては、このマチルダ・エルマータという人がまさしく母親だった。
たとえそこに血の繋がりが無くとも。
俺にとっては、この人が母親だった。
「改めて……おかえりなさい、ラウル」
「ただいま、先生」
その時だった。
どたどたと、元気いっぱいな小さい足音が背後から聴こえてきたのは。
「ラウ姉!」
「本当に帰ってきた!」
「冒険者になったんだよね!?」
「ねえねえお話聞かせて!」
「空飛ぶ船に乗ってるって本当!?」
俺が帰ってきた、という話を他の仔たちから聞いたのだろう。孤児院の弟妹達が駆け寄ってくるなり、次々に俺の周りに集まってきては腕や服をぐいぐい引っ張ったり膝の上に乗ってきたりと、小さい子供特有の距離感がバグった盛大な歓迎を受けた。
「ちょ、お前ら一度に聞かれても答えられないって」
「ねえねえ、魔物と戦った!?」
「竜人には会った!?」
「フユータイリクってとんなところ!?」
「彼氏できた!?」
「結婚した!?」
「新婚生活どう!?」
「いやあの待っ―――ってオイコラ。エミリオ、カルロス、マルコ! どさくさに紛れて何言ってんだtテメエら!」
ぎゃはははは、と大笑いしながら逃げていく三馬鹿たち。アイツら後で覚えてろよ関節技キメてやる、と心に誓いながら弟妹達にもみくちゃにされるラウル君。子供って元気だよね。
「こらこら、みんな。ラウルは帰ってきたばかりなんだから少し落ち着きなさい」
先生が子供たちをたしなめる。
けれども、そう言う先生の顔も嬉しそうだった。
「さあラウル、荷物を置いてらっしゃい。昼食の準備をするから」
「え、いいんですか? 急に来ちゃったしそんな」
「何を言ってるの? ここはあなたの家でしょう?」
先生はさも当然のように言った。
「あなたの分くらい、いつだって用意できますよ」
その言葉に、思わず言葉が詰まった。
冒険者になってから、色んな場所を訪れた。ペンドルトン家の屋敷、浮遊大陸、怪異空間、姥捨ての森、蟲島、メルキア……立派な屋敷にも、管理局の食堂にも、パブにも、軍艦の食堂にも足を運んだ。仕事中に携行糧食や、現地調達した食料を口にした事もある。
けれどもいつだって、どんな場所で食べるどんな食事よりも、ここで先生や子供たちと囲む食卓が一番懐かしかったし、安心できた。
貧しかったし空腹とも隣り合わせだったけれど、なんだかんだであの頃は楽しかったと、そう記憶している。
「ありがとう、先生」
「どういたしまして。さて……昼食はパエリアにしましょうか。お米が手に入ったし、ホセさんから魚介類をたくさん頂いたの」
わーい、と子供たちが大喜びした。
パエリア―――この孤児院で。
昔じゃ考えられなかった。少なくとも戦時中じゃあ、まったく。
薄味の屑野菜のスープと、おがくずで嵩増ししたパンで飢えを誤魔化していたあの頃では考えられない。
あなたのおかげよ―――こっちを振り向いて笑みを浮かべたマチルダ先生の瞳が、そう言っているような気がした。
「あ、そうだ」
「?」
「あなたが良ければ、今夜はゆっくり休んでいきなさい。子供たちもきっと喜ぶだろうから」
「ええ、ぜひ」
こりゃあヴォイテクに話を通しておいた方が良さそうだな……。
俺に出来る事と言えば、まあ土産話くらいのものだ。冒険者になってからどういう所に行ったとか、どんな魔物と戦ったかとか。見聞きした事を話せば子供たちも喜んでくれるだろう。きっと。
まあもちろん、話せない事もあるわけだが。
そんなだから俺は、マチルダ先生にとってはいつまでも心配の種であるわけなのだろうけど。
いっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、いっぱい寝る。
それが子供にとっての仕事だ。少なくとも子供たちが笑っているという事は、それは幸福の証。平和の証。繁栄の証。
はしゃいで、叫んで、走り回って。身体一杯の元気を使い果たして眠ってしまった子供たちを抱き抱え、部屋のベッドに寝かせそっと毛布をかけてやる。
ここは昔、俺の部屋だった場所だ。
入り口から向かって左側に俺が、右側にリカルド兄ちゃんが使っていたベッドがある。けれども兄ちゃんが孤児院を出て戦争に行ってからは、兄ちゃんのベッドが俺の寝床になって、俺が使っていたベッドにはエミリオがやってきた。
家具類はそのまま、毛布は新しくなっている。けれどもベッドの足のところはよく見ると擦り減ったままだ。夜、寝付けない時などは男子で部屋に集まって、ベッドの上でばったんばったんと大騒ぎしたものだ。おかげでベッドが動いたりして、足の先っぽが微かに削れてしまっている。
懐かしいなぁ、よく先生に怒られたっけなぁ、と思い出していると、後ろでそんな俺を見守っていた先生が複雑な笑みを浮かべている事に気付いた。
夕食の時、リカルド兄ちゃんの話題になった。
15歳で孤児院を出て、そのまま軍へ徴兵されていったリカルド兄ちゃん。彼を見送った時、先生は泣き崩れていた―――私が子供たちを育てたのは戦争に送るためではないと、声には決して出せない感情が慟哭として、涙の姿を借りて溢れ出ていたのを今でも覚えている。
だからこそ、兄ちゃんの無事は手紙で真っ先に先生に伝えた。もちろん、手足が欠損していた事や奴隷になっていた事は伝えていないし、兄ちゃんもミカエルに手足を治してもらってからはリハビリも兼ねてこまめに手紙を出しているようだけど。
一緒に協商連合で仲良くやってるよ、と言うと、先生は心の底から安堵したようだった。
「ねえ、ラウル」
「なんです」
「あなたも……リカルドも、やっぱり危ない仕事をしているのでしょう?」
「……」
嘘をつく勇気は、俺にはなかった。
その沈黙を答えと受け取るなり、先生は更に踏み込んでくる。
「冒険者をやめて、とは言いません。あなたが選んだ道です……我がこの選んだ未来を否定する権利なんて、私にはありません。けれども……やっぱり、心配になるんです」
「先生……」
「だからどうか、元気でいてほしい。たくさんご飯を食べて、お友達をたくさん作って、立派な大人になって……たまには顔を見せに帰ってきてほしいと、そう思うのです」
「先生……俺は」
喉の奥から顔を出した言葉を、しかしポケットの中のスマホが唐突に発したバイブレーションが遮った。
ごめんなさい、と断りを入れてスマホを引っ張り出すと、画面には7.62㎜弾の弾薬箱のアイコンが表示されていた。クラルテだ(何だこのアイコン)。
画面をスワイプして通話許可を下し、スピーカーを耳に近付けながら「もしもし?」と応じる。先生は生まれて初めて見るスマホに驚いているようだったが、説明している時間はない。
嫌な予感がした。
《ラウルさん、東部の人民戦線に動きが》
「……わかった」
結局、こうなるのか。
心配そうにしている先生の顔を見てから、すうすうと寝息を立てている子供に視線を落とす。
せめて―――この子たちが、安心して寝ていられるように。
俺が守るのだ―――俺が、俺たちが。
観測歴38000年 12月29日(翌日) 未明
人民戦線、バンセレナにてクーデター実行
各地で人民戦線派が武装蜂起、スパーニャ東部を掌握
王国政府、非常事態を宣言
【スパーニャ内戦】勃発




