バレーシャへ
そういえばラウル君コールサインが「フェンリル」になりましたけど、父親のヘンリックは北欧出身なんですよね。
志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
手紙の文字を見れば、書き手の気持ちも分かる。
SNSが普及し何でもかんでもデジタルへと移行していった前世の日本ではなかなか感じる機会もない、そんな感覚だった。人の書いた文字には心が現れる。喜びながら書いたのか、怒りながら書いたのか。心から溢れ出た感情がエネルギーになって、紙の上の文字にアクセントを加えているかのよう。
だからこそ、孤児院から送られてきた手紙を見る度に俺も笑顔をもらった。
今日はたくさんかけっこをして遊んだという話から、村に友達が出来たという報告。豪勢な夕飯が出てみんなお腹いっぱいになるまで食べたという他愛もない話。慣れ親しんだスパーニャ語で綴られた文字を見るだけで、孤児院の風景が脳裏に広がる。楽しそうな弟妹達の顔、そしてそんな子供たちを見守るマチルダ先生の優しい笑み。
弟妹たちからもらった手紙は全部、大事に保管してある。
それを読み返しながら、思いを馳せた。
大丈夫、きっと大丈夫。
戦争なんて起こらない―――きっと政治家の連中が、上手い具合に戦争を回避してくれる筈だ。きっとそうだ。そうに違いない。
そうすれば今回の仕事なんて、ただの里帰りで済むのだ。
大丈夫、皆はきっと無事だ……大丈夫、大丈夫。
弟妹の1人、マルコから送られてきた手紙を読み返しながら強くそう願う。だってマルコの奴、嫌いだったトマトがやっと食べれるようになったって……案外美味しいって、次は嫌いな牛乳を克服するって……あんなに楽しそうに報告してきたのに。
他の弟妹達もそうだ、もらった手紙の数だけアイツらの人生が、アイツらの幸せがあるんだ。戦争なんてそれを踏み躙るだけじゃないか。何が楽しくて戦争なんか……!
息を吐きながら頭をぐしゃぐしゃと掻き、手紙をファイルにまとめてから脇に置いた。
代わりにマニュアルを取り出して、コクピット内のディスプレイ点検と細かい調整を今のうちに済ませておく。
ソーキルの格納庫内にある戦闘機―――それはF-105Dサンダーチーフでも、F-14Dトムキャットでもない。
黒く塗装された新たな翼―――【F-15EX イーグルⅡ】。
F-15シリーズの最新型、ある意味で最終形態のような機体だ。戦闘機としての機動性と恐ろしいまでの重装備が可能なペイロードの余裕、そしてその火力。ステルス性こそ持たないものの正面切っての殴り合いであれば文字通り最強クラスの機体と言っていい。
ちらり、と機体の後ろを見た。
複座型の機体ではあるが1人での運用も可能なF-15EX。そんな新しい機体の後部座席にはマネキンの頭を思わせるAIのサブフレームが乗せられている。戦闘時はコイツは火器管制や操縦、機体の各種操作をアシストしてくれるのだそうだ。
そして俺の機体の後ろにはもう1機、戦闘機を収容できるだけのスペースとクレーンアームがある。
ソーキルが改修を受け、船体が10mも延長され200mという巨体になった事で、艦内容積にも余裕が生じた。その恩恵なのだろう、今までは艦底部の格納庫に1機、艦尾上部の格納庫にUAV1機という搭載機数だったソーキルは、合計で3機の航空機を運用する能力を得た。
とはいえ、肝心のパイロットがまだ訓練中なので戦力にはならないだろうが……いつかは仲間と編隊を組んで飛ぶ日が来るのかもしれない。
「ラウル」
フルールの声が聴こえた。
ん、とマニュアルを閉じてコクピットから顔を出すと、「やっぱりここに居た」と心配そうな顔をしながらやってきたフルールが、トレイに乗った器を差し出した。
朝食の中華粥だ。卵とネギが入っていて、小皿には付け合わせの搾菜がある。
「これ、ラウルの分」
「ありがt……熱っ!?」
器がアツアツだった。
チャンさんは料理に対するこだわりが凄まじいのだが、お国柄なのだろうか、あの人絶対に『冷めた飯を出さない』という特徴がある。杏仁豆腐とかアイスクリームとか、そういう最初から冷たい状態で口に入れる前提の料理を除き、ほぼすべての食事をアツアツの状態で提供してくれるのだ。
なんでも、チャンさんの祖国―――ジョンファ帝国では東洋医学が特に重視されているのだが、その東洋医学の教えの中に「冷たいものは身体に悪い(※要約)」というものがあるのだそうだ。身体を冷やすと血流の悪化に繋がって、それがどんどん悪い病気を引き寄せるのだという。
だからそうならないよう、常に身体が温まるようアツアツで食事を提供してくれるのである。あの人なりの気遣いなのだろう。
関係ない話だが、そういう文化で育った事もあってか、倭国の冷やし中華を見せた時は思考停止していた。そりゃあそうだ。
「ああ、もう……火傷したらどーするんだっ」
まったく、と呆れながらもトレイに乗った中華粥をレンゲで掬ってふうふうと冷ましてから食べさせようとするフルール。いや自分で食べるって、と抗議しても言う事を聞いてくれる気配はなく、仕方がないのでとりあえず一口。
なんだろう、いつもより二割増しで美味しく感じるのは気のせいだろうか。
「……おいしい?」
「……ん、バチクソに美味い」
「そうか!」
よかった、と笑顔を咲かせるフルール。
口の中に残っているお粥を呑み込んでから、「……ありがとう」と彼女に礼を述べた。
フルールのおかげで、少しだけ気が楽になった。
「右翼見張り台より艦橋、バレーシャ港を肉眼でも確認」
《了解した。間もなく着陸態勢に入る》
「了解」
心の底から安堵した。
俺の生まれ故郷―――バレーシャの街は、そしてその内陸部に続く村は、スパーニャを旅立ったあの日から何も変わっていなかった。戦火も黒煙も、瓦礫の山も無い。幸運にも戦火に晒されず、旧い時代から受け継がれてきたエキゾチックで伝統的な建築物が軒を連ねる港街、バレーシャ。
良かった、本当に良かったと何度も繰り返した―――みんな生きている。みんな無事だ。まだ戦争は始まってはいないのだ。内戦勃発を何とか押し留めている政治家たちに、心の底から賛辞を述べる。
フレイヤ率いる空母打撃軍に続く形で、ソーキルも高度を落とし始めたのがはっきりと分かった。全長200mの巨体が、バレーシャの眼前に広がるバレアス海目掛けてゆっくりと降下を始める。
命綱を繋いだまま艦内へと戻った。エアロックを通過してから命綱を外し、そのまま艦橋へと向かう。
既にバレーシャ航空管制局からの侵入許可は受けているらしかった。俺の席に座っている交代要員の戦闘人形が「これから忙しくなります。お休みになられた方が良いですよ」と休憩を奨めてくれた。
礼を述べるが、しかしはっきり言ってそれどころではない。
「ラウル」
そわそわしているのが背中越しにも分かったのだろう。艦長席のヴォイテクが、野太い声を投げかける。
「分かっているとは思うが、バレーシャは中立地帯だ。攻撃を受けた場合のみ自衛行動を取る事になる。いつ何が起きるか分からないんだ……いつでも動けるようにな」
「……分かってるよ」
「ああ、でも」
にっ、とヴォイテクは笑みを浮かべた。
「そういや、即応体制のシフト組むのミスってさ。今日のシフトにお前を入れるの忘れてた」
「……!」
このヒグマ最高か???
コイツに限って、特定個人をシフトに入れ忘れるなんて事はないだろう。その発言と笑みの意味を瞬時に理解するなり、「……ありがとよ」と柄にもなく小さな声が出た。
「よせよ、ミスったって言ってるだろ? それよりせっかくの自由時間なんだ、ガキ共に顔を見せ……バレーシャ市街地のパトロールでもしてこい。治安維持も立派な仕事だ」
その名目には無理がある。
とはいえ、ありがたい話だった。
もう一度礼を述べて艦橋から自室へと向かいつつ、俺もまだまだ青いなと自嘲する。
きっとあのままでは使い物にならないと、ガス抜きが必要だとヴォイテクは判断したのだろう。だから意図的に即応体制のシフトから俺だけを外し、実質的な上陸許可を出したに違いない。
本当に部下の事をよく見ている理想の上司だと思いつつ、自分の未熟さを恥じた。
そういや着陸はまだだろうか、と思いつつ窓から外を見た。丸い窓の向こうにはもう既にバレアス海が広がっていて、ソーキルは海面に着水し水上航行に移っているところだった。着水の振動も何も感じなかったのは重力変調システムが優秀なのか、それともウチの操舵手が優秀なのか……きっと両方だろう。
駆け足で自室へと戻り、荷物をまとめた。引き出しの中にストックしていたお菓子をとにかくポーチの中にたくさん詰め込んで、護身用の銃とナイフを準備し車両格納庫へと向かう。
《接舷完了。各員即応態勢で待機せよ》
獣人用ヘルメット(ケモミミを収めるスペースがある)を被り、顎紐をしっかり締めたのを確認してから、愛車のベスパに跨った。
久しぶりに弟妹達の顔を見に行くとしよう。
旅立った日の朝、あの時見た風景がそのまま保存されているかのようだ。
そりゃあ旅立ってまだ半年と少し、1年も経っていない……ってウソ、まだ1年経ってないのかと自分でもびっくりする。それだけこの半年間に詰め込まれた経験の密度が濃かったのだろう。特濃だ特濃。
ブロロ、とベスパに跨りながら石畳で舗装された道を進んでいく。やがてバレーシャの喧騒もほど良く後方へと去り、のどかな畑の風景が目立ち始めた。
さて―――観測歴38000年もそろそろ終わる。
今日は12月28日。大晦日の一歩手前だ。
今頃孤児院では大晦日の準備で大忙しだろう。
エルマータ孤児院では、大晦日になると孤児院の子供たちやすぐ帰って来れる近隣の村や町にいる孤児院出身の人たちが集まって、豪勢な食事で来年の幸運を祝う習わしがある。さすがに戦時中は食料が配給制だった事もあってそんな贅沢は出来なかったけれども、それでも毎年サラミやチーズが振舞われた。
懐かしい……先生が生ハムの原木を買ってきてくれた時だったか。エミリオとマルコが生ハムの取り合いになって喧嘩をしてしまい、俺とリカルド兄ちゃんで2人を諫めたものだ。
あの頃は貧しかったけれど、けれども楽しかった。
本当の幸福の前では、貧しささえもちょっとしたアクセントに……なるわけねえか。
などと考えている間に、見慣れた建物が見えてくる。
『Orfanato de Elmata(エルマータ孤児院)』と記載された看板を通過して、正門の前に愛車のベスパを停めた。エンジンを切り、ベスパを手で押しながら孤児院の中へと足を踏み入れていく。
―――やっぱり、何も変わっていない。
変わった点を挙げると言えば……あ、塀が修理されてる。昔は塀に開いた穴から孤児院をこっそり抜け出したりしていたものだが、これじゃあ脱走のしようがないな。
昔を思い出して笑みを浮かべていると、庭でボール遊びをしていた小さい子供たちがこっちを見た。
俺が旅立った後にやってきた仔たちなのだろう。見慣れない奴がやってきた、と警戒感をあらわにしながら後退る。
参ったな、と思いながらヘルメットを取り、頭を振って張り付いた髪を振り落としていたその時だった。
「あ、ラウ姉!!」
元気な子供たちの声。
ちょうど外で遊ぶ時間が始まったのだろう。サッカーボールを手に庭へと出てきた孤児院の弟妹達が、ラウ姉だラウ姉だと口々に大きな声で言いながら群がってくる。
みんなちょっとだけ大きくなった……かな? あ、アベルは背が伸びたか。カルロスはちょっと、ちょ、お前太ったな? 腹出てるぞお前マジか。
でもまあ、そういえばそうだ。
子供たちはみんな、全体的にふっくらしている。
いや、今までが痩せていたのだろう。手足が細くて……そりゃあおがくずで嵩増ししたパンやら屑野菜のスープで飢えをしのいでいたのだからそうもなるだろう。食べ盛りの子供にあれはなかなかキツかった。
良かった、と心の底から思う。
孤児院に仕送りを続けた甲斐があった。
もう、弟妹達にあんな思いはさせたくない。戦火に脅え、明日の食べ物さえ口にできるか分からない不安。親の温もりなど無ければ将来の夢など抱けないような、先の見えない暗黒の迷路。あんな絶望をもう味わわせたくない。
だから俺たちの世代で、それを終わりにするのだ。
「あーよしよし。ほら、お菓子たくさん持ってきたぞ~」
「「「わーい!!!!」」」
おっふ、子供たち元気あるなぁ……。
キャンディやらチョコレートやらを詰め込んだポーチを持っていかれたかと思いきや、中身が空っぽになったポーチが返ってきた。おうふ、おかえり……。
「そういやマチルダ先生は?」
「まだきょーしつにいるよ!」
「ありがと。ちょっと先生に挨拶してくるから」
「ラウ姉、終わったらサッカーしよ!」
「ダメ! ラウ姉はおままごとするの!」
「はいはいわかった、わかったから。な。ラウ姉逃げないから順番にな、順番に」
あはは、と弟妹たちと別れて孤児院の中へ。
教室の中には確かにマチルダ先生がいた。国語の授業が終わって片づけをしている最中だったのだろう。黒板の文字を消し、教科書をまとめて教室を出ようとしたところで、俺と目が合った。
「あ……ラウル……?」
「お久しぶりです、先生」
久しぶりに帰ってきました―――言葉を続けると、先生の目に涙が浮かんだ。




