だからきっと、いつの日か
「……は?」
ソーキル艦内の自室。
作戦が終了し、キャノピーをこじ開けられて医療室へ担ぎ込まれたのが30分前。そこでエリスさんとエミリアさんの無事を知らされ、安堵しながら手当てを受けて、こうして自室で安静にしながら療養を始めたのがほんの5分前の事だった。
そしてチャンさん手作りの中華粥をロザリーに食べさせてもらいつつ、クラルテがエリクサーの点滴の準備をしてくれている最中に、自室にある薄型のテレビでミカエルの国連でのスピーチを聞かされたものだから、そりゃあこうもなる。
これで動じない人間がいるのだとしたら、それは当事者意識が欠落しているただのバカだ。
「どういう……こと……?」
《だから我々もまた、生き延びなければならんのです。泥水を啜り、斃れた同胞の骸を喰らってでも、生き延びなければならない! 生きて、その希望を次の世代に託さなければならない―――戦争なんぞやっている場合ではないのです!!》
テレビの中のミカエルが、拳を振り上げ語気を強めた。先ほどまでの静かで淡々とした演説から一転、沸き立つマグマのような激しい言葉の激流。緩急をつけたその話術は、まるでスポンジに染み込む水のように聞き手の耳へ、そして脳へと浸透していった。
あまりにも大量の情報が矢継ぎ早に繰り出される、ミカエルの話。
恐ろしいものだった。次から次へ、聞き手がミカエルの言葉の意味を理解するだけの余裕を与え、しかしそれの審議を判断する暇を与えない絶妙な合間を維持したまま、次から次へとわんこそばの如く情報が流し込まれてくるのである。
これでは考えられない筈だ、信じてしまう筈だ。
まるでミカエルの言葉は、魔法のようだった。
「……ねえ、じゃあ私たちって」
「祖先は……同じ……」
信じられるだろうか?
ミカエルの話がもしも本当だというのであれば―――この世界に住む俺たち人間の祖先は、そもそもこの世界の存在ではなく、滅びに瀕した別の世界からやってきた異世界人という事になる。
頭の奥底、埃をうっすらと被りつつあった記憶の中でスパークが散る。
浮遊大陸カッパドキアで発見した、あのテンプル騎士団の空中艦。
意識を電子化し生き永らえていた艦長のマルギット大佐は、『隕石の落下で滅亡、環境に適応するため変容した同胞たちと地球環境を修復するため』にこの世界を訪れていた、と話していた。
じゃあ、ミカエルの話にあった『地球環境に適応するため人工進化した一派』というのは……まさか……。
「……奇妙な”縁”もあるものですね」
点滴の針を俺の腕に刺し、細いケーブルで繋がったエリクサーの袋や接合部に漏れがないかチェックしながら、クラルテが抑揚のない声で言う。
彼女の胸にある太陽を象った黄金のメダリオンは、赤い光を発していた。彼女の仕える存在、巫女を統率する”マザー”とやらによって、作戦行動に余計な感情というのは取り除かれる―――思考に生じる揺らぎ、感情にコンディションを左右されないための防護処置。彼女たちはそれを”調律”と呼ぶ。
なるほど、合理的に考えれば人間の感情は確かにノイズなのかもしれない。それを取り除いてこそ真の合理性が得られるというのであればそれはそうなのだろう。
彼女の事を否定したくないのでおくびにも出さないようにしているのだが……しかしそれは、心の無いロボットと何が違うというのだ?
それはさておき、彼女のメダリオンは……というよりマザーは、今のミカエルの話を聞いて生じた驚愕を、今の医療行為における”ノイズ”と認定したらしい。本当はもっと驚いたようなリアクションをするだろうに、クラルテだけ平然としているのはきっとそれが理由なのだ。
ミカエルの演説が終わり、薄型テレビにはアルカディアのテレビ局の様子が映し出された。スタジオにはアナウンサーの他に数名のコメンテーター、それからコメント用のAIのサブフレームが用意されている。
転生前の日本じゃあテレビ離れだの何だの言われて久しく、シェアをどんどんネット配信サービスに奪われ風前の灯火となっていたが、こっちの世界ではまだまだ現役だった(というか俺もテレビなんて見る事は無かったので上京してからはゲーム用のモニターを家に置いていた。政治家や芸能人のスキャンダルとかつまらんバラエティー番組を見るよりよっぽど有意義だ)。
他の国が未だに新分野ラジオ放送を情報伝達の主力としている中、協商連合だけはスマホやネットニュース、テレビである。2世代くらい先を行く技術格差をさらりと見せつけられながらも、しかし俺たちはただただ困惑した。
今まで謎に包まれていた、この世界の人類の正体。
それを知っているミカエルと、その事実を公表してインフェルノを世界の敵に仕立て上げる話術。
転生者としても最強なのだろうが……俺に言わせてもらえば、ああやって政治の世界で辣腕を振るうアイツの方が、よっぽど恐ろしく思えた。
「……」
中華粥の入った器にレンゲを突っ込んだまま、テレビと俺の顔を交互に見るロザリー。
気持ちは分かる―――今まで自分の中で当たり前だと思っていた前提が全部覆って、世界そのものの色が違って見えているのだろう。
読者の皆さんは経験した事はないだろうか。自分が今まで信じていた常識が、ある段階で一斉に覆ってしまった事が。そして、そのせいで世界の見え方が変わってしまった事が。
今、まさに全人類がその感覚を味わわされていた。
世界中が、世界の見え方を変えられていたのだ。
ぼんやりとした意識が、ゆっくりと輪郭を形作っていく。
微かに気配を感じるばかりだった世界が、実体を持って、色を持って、そして音を、感触を持ち始める。
まるで何か、永く悪い夢を見ていたような……けれども憑き物が全部落ちたかのような、清々しい気分だった。
ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡すエリス。身体を動かす度に内側がズキズキと痛んだ。強引に魔力を放出させられた事による後遺症だ―――如何に適性EXの魔術師といえど、文字通り「次元が裂ける」ほどの魔力を強制的に放射させられればこうもなろう。
痛みに呻きながらも、エリスは部屋の中を見渡した。
幽閉されていた塔の部屋……では、ない。
懐かしい空気だ。積み木の匂い、人形の糸の匂い。窓際にある鉢に植えられたカモミールの匂い。
全てが懐かしく、そしてもう二度と元通りになる事はない筈の匂い。
「ここ……は……」
―――エリスの部屋だ。
魔力の暴走事故を起こし、塔に幽閉されるまでの5年間―――幼少期を過ごし、エミリアと遊んでいた部屋。
何もかもが、そのままだった。
お城を作ろうとして途中で放置された積み木の山も、白馬に乗った王子様の人形も、おままごとのために用意されたオモチャのキッチンナイフやリンゴも。
17年前のあの時のまま、時間が止まってしまったかのよう。
昔の記憶を思い出したところで、身体に―――腰の辺りに、人間1人分の体重がかかっている事に、エリスはやっと気付いた。
「あ……」
ベッドに眠っていたエリス。眠る彼女を案じ、そのまま眠りに落ちてしまったのだろう……姉に覆いかぶさるようにしてすやすやと寝息を立てているのは、妹のエミリアだった。
ぱち、と紅い瞳がゆっくりと開いていく。
小さい時から、寝顔は全く変わっていなかった。そして寝起きの、まだ瞼が重い状態の顔も。
「ねえ……さん……?」
まだ眠そうな顔が、しかし急激に歪んでいった。
泣き顔に―――けれども、それは歓喜に満ちた泣き顔だった。
懐かしいな、とエリスは思う。あれはまだエミリアが2歳の頃だったか……お気に入りのお姫様の人形を、水たまりに落として泥だらけにしてしまい、泣きじゃくりながら帰ってきた事があった。
あの時も、こんな顔をして泣いていた。顔いっぱいで泣いた。声を上げて泣いた。エミリア・ペンドルトンという女は何処までも素直で、だからこそ己の感情を包み隠すような事はしない。
気を許した相手の前では―――血を分けた姉妹の前では、特に。
病み上がりだから、と気遣う余裕も無かったのだろう。気が付けば加減を知らない大型犬の如くエリスの胸に飛び込んできて、肩を震わせ嗚咽を漏らし始める。
お伽噺の女騎士の如く、いつもの凛とした佇まいはどこへやら。御三家の一角ペンドルトン家当主としてのエミリアの姿はそこにはなく、あるのはただ幼い頃から何も変わらない、エリスの妹としてのエミリアだけだった。
ついに堪え切れず声を上げ始めるエミリア。その震える背中を優しく抱きしめながら、エリスも目頭がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
視界が霞んでいく。肩が、唇が震え、迸る感情を抑えきれなくなる。
今まで心のどこかで、幽閉されている自分や周囲の人間に嫌気が差していた。不信感を募らせた事もあった。
けれどもそれは全て違ったのだと―――今回の一件を通して、思った。
エミリアは、力也は、心の底からエリスという1人の女を愛してくれていたのだと。
それが嬉しくて、そしてそんな家族を疑ってしまった自分が情けなくて、何よりも家族が愛おしくて、もう二度と離れたくなくて。
エリスというサラダボウルの中で、色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
気が付けば2人そろって、声を上げて泣いていた。
幼少期のように―――大きな声で、泣いていた。
そんな2人の泣き声を聞いて、部屋のドアを開けようとした力也はそっとドアノブから手を離した。
今、むさ苦しい男が2人の間に割って入るのは野暮というものだ―――今ばかりは、2人きりにしてやってもいいのかもしれない。
目元に涙を浮かべ、肩を震わせながら、力也は踵を返し廊下の奥へと消えていく。
この人も泣くんだな……とちょっと興味深そうに笑みを浮かべるナオハも、彼の後に続いていった。
両舷にでっかいコンテナユニットを接続したトキ級武装貨物船が3隻、就役したコマール級空中駆逐艦たちに護衛されながら単縦陣でブリタニアの空に現れるや、ブリタニア航空管制局の空中タグボートの誘導を受けながら、用意された即席の発着場へと降下していく。
トキってどこにでも現れるよな、と酷使されまくる協商連合の万能選手に思いを馳せながら、氷漬けになったままの街をソーキルの甲板から見渡した。
結論から言うと、この一連の寒冷化事件は『インフェルノによるテロ行為』として処理された。帝室及び政府からの公式発表に先駆けて、ミカエルがインフェルノを『世界の敵』として世界中に発信していた事もあり、その公式発表はブリタニアの国民や関係者全員にすんなりと受け入れられた。
間髪入れず、協商連合上層部は浮遊大陸ブリタニアに対する人道・復興支援を表明。先ほどアメリアから帰ってくる途中のミカエルが、専用艦『ラ・ピュセル』艦内で記者会見を開き正式に発表したのだそうだ。歴史ある国の再建に尽力していきたい、と。
天地戦争には参戦せず中立を貫いたブリタニアだが、今後は協商連合との付き合いも多くなりそうだ。
これから忙しくなるぞ、と思いつつ、戦いを終えたソーキルの甲板から船体を見渡した。
事件が終息してから3日の間、治療とリハビリと経過観察とロザリー&クロエからのセクハラを受けていた俺を他所に、戦闘人形の乗員たちによる昼夜問わない作業の末、とりあえず必要な応急処置は完了したソーキル。
しかしその船体はズタボロで、左舷にはパッチ溶接で塞がれはしたものの破孔の痕跡が残り、塞ぎきれない大穴は隔壁閉鎖で対応する感じになるのだそうだ。第二砲塔も浮き上がった状態で甲板に放置されており、おそらくバーベットやターレットリングが歪んでしまっているものと思われる。
母艦がこんなにズタボロのメタクソにやられるのを見たのは初めてだ。
俺たちは補給が済み次第、アルカディアへの帰路に就くが……。
きっとこれから忙しくなるだろうな、という予感が、頭の中に渦巻いていた。
「世話になったな」
力也と握手を交わすと、あの大太刀ブンブン男こと速河力也は柄にもなくそんな言葉を漏らした。
今日はロンディニウムでも珍しい快晴だ。雨と霧の都、と言われているロンディニウムだが、ここ最近ずっと快晴が続いている。あの魔力暴走事故で空気中の水分が片っ端から凍結しては失われていったため、しばらく雨が降る事はないのだそうだ。
「またいつでも遊びに来てくれ」
「うふふ、授業を受けたくなったらいつでも待ってるからね♪」
「ええ。エミリアさんも、エリスさんも、あと力也もお元気で」
「俺はついでかよ」
あははは、と笑い合う俺たちの声。
これでお別れにはなるが……いつだって、また会えるだろう。
この空は1つなのだから。
いつの日か、また。
《―――艦長より達する。これより本艦はブリタニアを出発、アルカディアへと向かう。総員配置につけ!》
「―――では、また」
「ええ」
ぎゅっ、と固い握手を残して、甲板へと繋がるタラップを駆け上がった。そのまま艦内へと入り、隔壁を潜ってタラップを駆け上がり、艦橋へと向かう。
モニターがぶち割れ、被弾した痕跡が生々しく残っていたものの、とりあえず仮説のモニターは機能しているようだった。
スマホのケーブルを艦の端末に繋いで操縦システムにアクセスし、艦のコンディションを確認。武器システムの大半は死んでいるので、はっきり言って帰りに敵と遭遇したら死ねる。5、6回くらいは。
「艦長、ロンディニウム航空管制局から離陸許可来ました!」
「よーし、両舷前進微速。上げ舵15」
「上げ舵15、ヨーソロー!」
どう、とソーキルの船体が浮かび上がった。
ぎぎぎ、と軋む音が不安を掻き立てるが、大丈夫だ……この艦は沈まない。
そのまま高度を上げ、頭上で一足先に待ってくれているコマール級やソーキル級たちと合流するソーキル。
既にエリスさんやエミリアさんたちの姿は、小さくなって見えなくなっていた。
また、いつの日か。
その時は、笑い合いながら紅茶が飲めることを祈って。
「……行ってしまったな」
「ええ」
寂しくなるな、と小さく零しながらも、口元に笑みを浮かべるエミリア。
エリスもそうだった―――こんなに清々しい気分になれたのは、そして太陽の光の下に出る事が出来たのはいったい何年ぶりだろう?
家族の絆を、綻びつつあったそれを、彼らが繋ぎとめてくれた。
ならば彼らがそのために費やした努力に見合うよう、この街を復興させなければ。
何年かかるか分からないけれど―――いつの日か。
再び彼らが訪れる頃には、きっと。
だからいつか、その日まで。
第十二章『絶対零度の魔女』 完
第十三章『故郷を焦がす戦火』へ続く




