『喪失歴』
※情報量注意
「―――少しだけ、昔話にお付き合いください」
彼女のその言葉を合図に、空中に投影されていた立体映像が切り替わった。
まるで子供がブロックを組み立てて城を作っていくかのように、ブロックノイズ状に組み替えられていく蒼い光。やがてそれらは、蒼く輝く美しい惑星へと姿を変えた。
惑星の7割を埋め尽くす海と陸地、白い雲のコントラスト。
大陸の輪郭も、海洋の配置も、各国代表たちのよく知ったものだ―――しかし唯一違うのは、竜人側の代表団が目を細めながら映像を舐め回すように見ている事からも分かる通り、浮遊大陸の一切が存在しないのである。
―――地球だ。
人類の住む蒼く輝く水の惑星。しかしその地球の姿は、この世界に住む人間の知るものとは違う。まるで竜人だけがその要素から零れ落ちてしまったかのように、彼らの生存圏たる浮遊大陸が一切存在しないのである。
何だあの星は、と誰かが口を開いた。
あの映像の中の星は、紛れもなく地球だ。
しかしこの世界に住む人間の知っている地球ではない―――似て非なるもの、と結論付けたのと、映像に突如として大きな変化が生じたのは同時だった。
遥か宇宙の彼方、赤々と燃え盛る巨大な隕石が地球へと接近してくる。
地球側から発射されるロケットやミサイルさえも意に介さず、圧倒的な質量で地球へと向かう隕石。
直後、惑星の表面が閃光に包まれた。
海という海が割れ、雲という雲が吹き飛び、大地という大地が裂ける。
地球全土へと至った衝撃波。粉塵が空高く舞い、成層圏を覆い尽くし、巨大な津波が世界各国の沿岸部を呑み込んでいく。
この映像だけで夥しい数の人間が―――100年続いたあの戦争以上の惨劇が、たったの一瞬で作り出された事に、各国代表団は戦慄した。
表情を変えないのは、ミカエルただ1人だけ。
「ある日、地球に巨大な隕石が落下しました。衝突によって南半球の広大な地域が壊滅しました。加えて膨大な地理と破片が大気中に放出、気候と地球環境は急激に変化。生態系は崩壊し、食糧生産は世界各地で破綻していきました」
映像が切り替わる。
荒廃した都市と、灰色の空。変わり果てた大地を行き交う人々は皆、防護服とガスマスクを身に着けていた。
「それだけではありません。隕石には、当時の人類が知り得なかった未知のウイルスが含まれていました。遥か宇宙の彼方から運び込まれたウイルスです。ワクチンの製造などそう簡単にできる筈もなく、加えて地球環境の激変も追い打ちをかけ、感染症の拡大が人類文明を追い詰めていったのです」
議場から、物音の一切が消えた。
咳払いも、小声で話すのも聴こえてこない―――誰もが、ミカエルの口から溢れ出る言葉と映像に釘付けになっていた。
「彼らは必死に抵抗を試みました。気候を制御しようとし、病原体を研究して、残された物資をかき集めた。しかし、どれほど先進的な文明を築いていようとも、文明が成立していた前提が崩れ去ってしまった以上は問題を全て解決できよう筈もありません。人類はじわじわとその生存圏を失い、やがては地下のシェルターへと追い落とされていきました。食料も無く、防護服なしでは地上に出る事すらままならない。遥か宇宙の彼方から飛来したたった1つの”贈り物”によって、地球は瞬く間に死の星と化したのです」
映像がズームアウトしていく。都市が小さくなり、やがて大陸すら一望できる高度に達し、干上がった海の全貌が顕わになる。
宇宙から俯瞰した地球は、もはや蒼い星ではなかった。
真っ赤に染まり、今にも死にかけようとしている岩の塊だった。
「日に日に尽きていく物資、縮小していく生存圏。追い詰められた人類は、やがて1つの”選択”を迫られました」
立体映像が消え、ミカエルの背後に展開していたスクリーンに映像が切り替わる。いつの間にかシェリルが映像投影装置にスマホとケーブルを繋いで操作、画像と動画ファイルをアップロードしているところだった。
やがて、スクリーンに2つの映像が浮かんだ。
左側には、培養施設の中の機械に繋がれ、あるいは手術台の上に乗せられた人々。
右側には、巨大な円環状の装置と、その向こう側に広がる果ての無い星空。
「……1つは、【自らの肉体を改造し、人間らしさを捨て変わり果てた環境に適応する事】」
左側の映像がズームアップされ、動画が再生された。
培養液で満たされた装置の中、ケーブルで繋がれていた人間たちの姿が徐々に変わっていった。肌の色は変色し、表面の質感はぬめりを帯びた爬虫類のような質感へと変貌していき、口に生えていた歯も獣のような鋭い形状へと変異していく。
それはまるで、魔物のリザードマンを彷彿とさせた。
装置の中から次々に生まれてくる人間だった者たち。彼らを見て、元は人間だったなどと信じられる者は果たして存在するのだろうか。
「生まれ育った世界に根付き、最期まで母なる大地で生きようと……たとえ人間らしさを失っても、文明を忘れても生きようとした人々の一派です」
『……っ』
「そしてもう1つ」
左側の映像がズームアップされた。
円環状の装置の彼方。無限に広がる星空へと、未知の空中艦―――この世界で運用されているそれよりも遥かに先進的な艦隊が、続々と飛び立っていく。
「もう1つは、【次元の壁を超え、生存に適した別の世界へ移住する事】でした」
異世界から、異世界へと渡る技術。
理論自体はあったが、しかし実現不可能な技術であると言われ久しいそれ。時折SF映画の題材にも上がるそれが、しかし映像として目の前に存在している事に各国代表は目を丸くするばかりだった。
「どちらの道にも、確実な成功の保証はありませんでした。肉体を変える道には、未知の変化と引き換えにもう元の人間には戻れないというリスクがあった。別の世界へ渡る道には、その異世界が本当に人類の生存に適しているのかさえ、完全には分からないというリスクがあったのです」
ミカエルは、ゆっくりと議場を見渡した。
「―――それでも、人類は選びました。自らの未来を」
スクリーンの映像が切り替わる。
無数に浮かぶ浮遊大陸―――そのうちのいくつかに、先ほど星空へと飛び出していった空中艦の一団が着陸していく様子だった。
生まれ育った世界を捨て、異世界へと旅立っていった難民たちの一派だ。
「彼らが到着した世界には、生まれ育った世界とは全く異なる環境が広がっていました。浮遊大陸の固有の重力、異なる大気、気候、生態系。そして未知の病原菌。しかし物資もエネルギーも底を突き、もはや故郷への帰還も叶わなくなった彼らもまた、故郷に残してきた人類と同じ道を辿りました……そう、”適応”が必要だったのです」
浮遊大陸の重力圏に翻弄され墜落する空中艦、艦内で蔓延する感染症、調査のため地表に降りた隊員たちがもがき苦しむ姿。中には獣に襲われ命を落とす者もいた。
映像が切り替わる。
次に映し出されたのは、見慣れない装置の内部で人間の肉体が変化していく様子だった。
「ここで、彼らは再び選択を強いられました。新たな世界に移住しただけでは、問題は解決しなかったのです」
装置から出てきた人間の頭には、動物の耳があった。尻尾があった。獣の如き体毛があった。
まるで獣が、人間と同じく服を着て、二足歩行で歩き回っているかのような……見慣れた姿の『人間』がそこにいた。
そう、この世界では珍しくもない第一世代型の獣人である。
「地上に定住する事を選んだ人々は、長い時間をかけて肉体を改造しました。地上の環境に適応し、病原菌に耐えうる抗体と、獣の特徴を取り入れた身体へと変化していった」
やがて、人間の獣の耳と尻尾を生やしただけのような、比較的人間に近い姿の獣人も現れ始めた。
ミカエルやラウルも分類されている、第二世代型の獣人だった。
議場の獣人側の代表者たちが息を呑む。
「そして、もう一つの道を選んだ人々がいました」
またもや映像が切り替わり、浮遊大陸にある研究施設の中が映し出される。
「彼らは、浮遊大陸への定住を選びました。地上とは異なる重力に薄い大気。強い紫外線。それらに適応するため、同じように肉体を改造していきました。その結果として生まれたのが―――」
ミカエルの銀色の瞳が、竜人側の代表団を見据える。中央にいたスーツ姿の竜人男性がびくりと肩を震わせた。
「―――そう、竜人です」
ひときわ大きなどよめきが、議場の中へと広がっていった。
思わず竜人代表の1人が、椅子から身を乗り出す。
「ま、待っていただきたい! パヴリチェンコ殿、あなたの話は……その話はまるで、まるで―――じゃ、じゃあまさか、まさか……!」
その先の言葉が、出て来ない。
答えは分かっている―――薄々勘付いてはいる。しかしその、新しく突きつけられた真実を、38000年という途方もない暦の遥か依然、更に9万年も昔にあった出来事を、認められずにいる。
頭が、感情が、本能が、現実を受け止める準備が出来ていない。
「―――かつて、とある人類学者は言いました。【我ら獣人と竜人は、共通の祖先を持っていた可能性が高い】と」
ぞくり、と悪寒が走る。
元を辿れば同じ人間、共通の起源を持つ―――そういった科学的主張は昔からあった。天地戦争よりも前からだ。しかし当時は鼻で笑われ、馬鹿にされたものだ。あんな野蛮な獣人と我ら誇り高き竜人が共通の祖先を持つはずがない、と。
「……昔、2人の姉妹がいました」
竜人の代表団の1人、女性の代表者がぽつりとつぶやいた。
「仲良しだった姉妹は、しかしある日大喧嘩をし仲違いしてしまいました。姉に激怒し家を飛び出した妹は地上へと降りて獣と契りを交わし獣人の祖となり、空に残った姉は竜に祈り、やがて竜人の母となりました。こうして竜人と獣人は、天と地に分かたれた種族となりました。しかしそのルーツは、元々は同じものだったのです……」
竜人に旧くから伝わるお伽噺、その一説。
そんなものは子供に母が枕元で語り聞かせるお伽噺に過ぎないと、誰もが思っていたものである。
しかし―――それがどうだ。
ミカエルの話に―――あまりにもぴったりと当てはまるではないか。
地上への定住を選び、人工進化の末に獣人となった人類。
浮遊大陸への定住を選び、人工進化の果てに竜人となった人類。
そのルーツは、共通の起源―――異世界から渡ってきた、難民たち。
「―――もう、お分かりでしょう」
ミカエルが、ゾッとするほど淡々と事実を告げた。
「―――彼らは我々です」
きっと、観測歴という暦が始まって以降、多くの人類にとって永遠の謎となっていたもの。
獣人と竜人の起源―――その答えが、よもや国連会議の場で明かされるなどといったい誰が考えたであろうか。
彼らは我々です、という一言が全てだった。
彼らは我々です―――我々の祖先は、異世界からやってきたのです。そう受け取るにはあまりにも、情報量が十分すぎた。
「もちろん、彼らがこの世界へ移住し適応した後も全てが順風満帆とはいきませんでした。人々は新たな文明を築き、仔を生み、育てていった。しかし天変地異が起き、戦争が起こり、疫病が流行しました。文明が崩壊する度に、知識や技術、歴史を記録した多くの資料が失われていったのです。記録を保管していた施設が失われれば、その記録は失われます。記録を読む事の出来る人々が居なくなれば、残された文書もただの紙切れです。世代を超えて伝えられていた知識も、戦争や疫病によって継承者が途絶えれば、そこで断絶してしまう」
画面に、異世界から人類が渡ってきた時代を起源とした新たな暦が表示される。
【喪失歴】―――観測歴1年以前、今の人類にとっては文字通りの「喪われた記録の時代」。
年代が進むにつれて、文明の萌芽と崩壊が交互に起こっていった。その度に記録は失われ、文明の技術水準は低下していき、後発の文明は旧文明の遺産を食いつぶすようにして発展し、やがて滅亡していった。
「そんなサイクルが9万年に及んだのです」
議場に、静寂が訪れた。
「ついには記録が一度途絶え、観測歴という新たな暦が生まれました。我々は永い永い歴史の中で多くの文明を築き上げ、そして失ってきたのです。今の我々が知っている歴史は、その永い歩みのほんの1ページに過ぎない。残された記録から、辛うじて再構築できた切れ端なのです」
ミカエルは、一度だけ目を伏せた。
だからこそ、と声に力を込める。
「だからこそ、我々は自分たちのルーツを知らなかった。自分たちがどこから来たのか。なぜ獣人と竜人が存在するのか。なぜ、この世界の記録は途切れ途切れなのか。その答えが、歴史の彼方に埋もれてしまっていたのです」
獣人側の代表団と、竜人側の代表団を交互に見た。
「しかし皆様、どうかここで考えて頂きたい。我々の祖先は、異なる環境に適応するために姿を変えました。異なる土地に暮らし、異なる文化を築き、異なる国家を建国した。やがて互いを異なる種族と呼び、異なる存在として扱うようになった。しかしそんな線引きなど、我々がどこからやってきたのかという事実を変えるには至らない」
時の流れとは、残酷だ。
最初は「生きる」という目的のため、人類の意思は文字通り一つだったのだろう。しかし喪失歴の分の9万年と、観測歴の分の3万8千年―――気の遠くなるほどの時間が、そして記録の断絶が、今の世界を形作っている。
議場は静まりかえっていた。
「我らの祖先は故郷を失った。生き延びるために世界を渡り、肉体を改造し、何も無い場所から文明を生み出しました。そして、その歴史の中で何度も天変地異に遭い、戦争を経験し、何度も滅亡の危機に直面してきた―――それでも、彼らは必死に生き延びたのです」
記録の中の祖先たちがいったいどれほどの困難に直面してきたのか、今の時代を生きる人類には察するに余りある。
故郷を失い、疫病で家族を失い、戦争で平和を失い、天変地異で住む場所を失った。
何度も何度も、記録は断絶した。技術の継承も途絶え、ロストテクノロジーと化していった。
それでもヒトは滅びなかった。壊れかけの世界の中、理不尽な運命に抗い続けたのである。
「獣人も、竜人も、かつて異なる道を選んだ我らの祖先も、そしてその子孫である我々も、皆等しく人間なのです。どうしようもないほど平等に、人間なのです」
議場の片隅で、ある獣人の女性が静かに目を閉じた。
別の席では、竜人の女性が夫の形見と思われるロケットに視線を落としていた。
100年前の戦争で失われた、あまりにも多すぎる命。
失われた故郷。
二度と帰って来ない家族。
それらの記憶が、脳裏に生々しく焼き付いたそれが、ミカエルの提示した新たな事実の前でどのような意味を持つのか。誰にも、すぐには答えられなかった。
「―――私は、皆様に過去を忘れてほしいと言っているのではありません。1つになれと言っているのでもありません。我々が歩んできた歴史も、築き上げてきた文化も、それぞれの国家が、民族が育んできた価値観も、決して無意味ではありません。ですが、他人と自分の違いがあるというだけで、互いを憎しみ合い、滅ぼし合う必要がいったいどこにあるというのでしょうか?」
返事を返す者は、誰もいない。
「遥か昔、我々の祖先は故郷を失いました。生き残るために、未知の世界へと漕ぎ出していかなければならなかった。彼らが先の見えない未来にどれほどの不安を抱き、どれほどの犠牲を払い、どれほどの決断を重ねてここまでたどり着いたのか―――今となっては、推測する他ありません。ですが、一つだけ分かる事があります」
彼女の声が、まるで湖面に生じた波紋の如く広がっていった。
「……彼らは、生き延びるために必死に戦ったのです。自らの命を守り、子孫を残し、次の世代へより良い未来を遺すために。次の世代に希望を託すために!」
ミカエルの声に、力が宿る。
他者を欺くためのウソなど、もはやどこにもない。
そこにあったのはミカエル・パヴリチェンコという個人の抱いた、世界に対する願いだった。
正真正銘の、剥き出しの本音だった。
「だから我々もまた、生き延びなければならんのです。泥水を啜り、斃れた同胞の骸を喰らってでも、生き延びなければならない! 生きて、その希望を次の世代に託さなければならない―――戦争なんぞやっている場合ではないのです!!」
凍り付いた魂に、炎が燈ったような訴えだった。
「私はここに宣言します。もう二度と、あのような悲劇を繰り返さないと。もう二度と、祖先が我らに託した願いを踏み躙るような事はしないと。だからこそ私は、それを平気で踏み躙り戦乱へ導こうとするインフェルノが、あの蛆虫共が許せない!」
ミカエルの話が嘘だとか本当だとか、もはやそういう次元ではなかった。
誰もが、彼女の言葉に聴き入っていた。聴かずにはいられなかった。証拠映像も提示し、長年の人類が抱いていた謎にあっさりと答えを叩きつけた彼女の言葉を。
それはまるで呪術師の言葉の如く、耳から頭の中に入り込んでは伝染していく。耳を塞ぐ、という選択肢が成立しえない。
ミカエルの言葉は、まるで魔法のようだった。
今この瞬間に限り、人類の心は1つになっていた。
「これより我々協商連合は、テロ組織インフェルノを完全に根絶するための対テロ作戦を世界各地で展開致します。どうかご理解とご協力をお願いしたい……我らの次の世代に、子孫の時代に、よりよい未来を遺すために」
映像が消える。
割り当てられた時間ギリギリまで粘り、ミカエルは結びの言葉を放った。
「―――共に、戦いましょう。全ては未来のため、子供たちのために」
ご清聴ありがとうございました、と告げて席に着くと、議場は静寂に満ちた状態から、段々と拍手の音に満たされ始めた。
衝撃に、情報量に圧倒されていた代表団たちが、ぽつりぽつりと我に返り始めたのだ。
やがて疎らだった拍手は、万雷の拍手へと変わっていった。
この日、インフェルノは公式に「世界の敵」となった。




