裂傷
弱さとは、罪である。
幼少の頃にヘンリックは、世界の真理を見出した。
弱ければ強い者に食われ、その血肉の糧となる。強ければより多くの血肉を喰らい、飢えを癒し生き永らえる事が出来るのだ。しかし力がなければ、弱ければそうもいかない。
それは、人間社会にいる自分たちも例外ではなかった。
『クソガキが! 何だその目は、文句あんのか!』
弱ければ、こうして殴られる。心の内に湧き出た怒りの捌け口として、理不尽な理由で殴りつけられる。
頭が悪ければ簡単に騙され、搾取される。相手の嘘を見破る事も出来ず、そもそも”疑う”という概念すら知らない。唯々諾々と相手の言う事を聞くだけの人形になり果ててしまう。
だから強くなろうと、幼き日のヘンリックはそう誓った。
他者より強く、他者より賢く。
奪われる側ではなく奪う側へ、狩られる側ではなく狩る側へ。
もっと強く。
もっと、その先へ。
「……ああ、クソ」
傷口から溢れ出る血を見下ろし、ヘンリックはよろよろと後方へよろめいた。
彼の後方―――ラウルの機関砲の掃射によって破壊された時計塔クロムウェルの文字盤、その風穴の淵へと、血を流しながらよろめいていくヘンリック。
ただ、胸を斬りつけられただけだ。
それだけで倒れるほど自分は弱くない、そう思っていた。
しかし頭でそう思っていても、身体は―――彼の肉体は、限界を迎えていた。
前に出ようと思っても、相手に向かって飛びかかり、拳でその頭蓋を砕いてやろうと思っても、今まで酷使してきた肉体がそれを拒んでいるかのようだった。自分の身体ではなくなったんじゃあないか、と真面目に考えてしまうほどである。
よろり、よろり、とよろめいたヘンリックの踵が、奈落の淵を舐める。
振り向くまでもない―――あと一歩で、この身体は1200mの上空から凍てついた地表へと投げ出される。
もう一度、力也とラウルの方を見た。
どちらも血まみれで、特にラウルは今にも事切れそうなほどだった。眼孔からは血の涙を流し、口周りは吐血した血でべっとりと汚れ、耳と鼻からも血を垂れ流す。傍から見れば死体のようにも見えてしまうほどの惨状であったが、しかしそれでも目だけは死んでいなかった。
あれだけの状態であるにもかかわらず、お前を殺す、という確かな強い意志がその灰色の瞳に宿り、神話の矢の如くヘンリックを射抜き続けていたのである。例え肉体が滅びようと、意志で、思念で、魂で貴様を殺すという強靭極まる意志。
ちょっとだけ、昔の自分を思い出した。
(ああ、コイツ……そっくりだわ、昔の俺に)
やっぱり息子なんだなぁ、と嬉しくなりながら―――口元に笑みを浮かべ、その身を1200mの空へと躍らせた。
ぎょっとしたように力也が壁の穴の淵へと駆け寄るが、しかしもうヘンリックの姿はどこにも見当たらない。2mの巨体は吹き荒ぶ吹雪に浚われ、凍てつく大気に溶けてしまったかのごとく、もう見えなくなってしまっていた。
「……」
死んだか、という言葉を、しかし力也は呑み込んだ。
確かに手応えはあった。あの男の、ヘンリック・アンデルセンという男の命脈を絶った手応えが。
「ラウル!」
階段の方から響く声。
目を向けると、螺旋階段を駆け上がってきたと思われる協商連合の冒険者たち―――ロザリーを先頭にして駆け上がってきたくまさんハウスの面々が、警戒し室内に敵がもういないと悟るなり、満身創痍のラウルへと駆け寄っていった。
自分の未来の夫(妻?)が今にも死に耐えそうな状態である事を認めるなり、Origin-12を投げ捨てて抱きしめるロザリー。ラウル、ラウル、と何度か呼びかけると、ラウルはロザリーの方に視線を向けた。
しかし―――目の焦点が合っていない。
こんな、息の当たるほどの距離で呼びかけているというのに、まるで音の聴こえる方向を正確に把握できていないかのようだ。
「ラウル、大丈夫!?」
「ロザリー……そこにいるのかい?」
「あなた……まさか、もしかして……目が……!?」
「ロザリーさん、ちょっと失礼」
私が診ます、と割って入るクラルテ。何するのよ、と抗議の声を上げようとしたロザリーだったが、彼女が胸元に下げているメダリオンが紅色に発光しているのを見てすぐにその言葉と感情を呑み込んだ。
感情のままに吼えても無意味だ。何も事態は好転しない。ならばいっそのこと、心を押し殺して感情をノイズと断じ、淡々とするべき事をこなしていく方が遥かに有意義である。
確かにそうだ。
だが―――果たしてそれが人間のあるべき姿なのか、とロザリーは思った。
人間には感情がある。好きな相手に恋焦がれ、その相手が傷つけば共に苦しみ、悲しみ、怒り、そして喜びを分かち合う。感情とは時に暴走するが、しかしそれでも相手に気持ちを伝えるには重要な要素であると言えるし、だからこそ人間は人間たりえたのではないか、と。
その一切合切を排したそれは、果たして”人間”と呼べるのか?
「……体内を適性外の魔力が流れた事による視力障碍が発生しているようです。他にも聴力にも影響が」
「な、何よそれ……じゃ、じゃあ、じゃあ何なの? ラウルは目も見えないし耳も聴こえないって事……?」
「そういう事になります」
どうしてそんな、と唇を震わせるロザリー。彼女の隣から一歩前に出たクロエが「適切な処置を施せば回復の見込みはある。早くソーキルへ連れていかないと」と進言すると、クラルテは首を縦に振ってラウルを背中に背負った。
本来持ち得ぬ適性の魔力が、体内を駆け巡った―――つまりそれは、電気回路で例えるならば『定格電圧100Vの回路に6600Vの電圧が流れた』ようなものだ。当然、そんな事をすれば電気配線は焼き切れてしまう。
それと同じ事が、ラウルの肉体には起こったのだ。
僅か3分足らずの戦いであったとはいえ、一命をとりとめているだけでも十分すぎる奇跡なのである。
彼女の事は仲間に任せよう、と力也は装置に磔にされているエリスの方に視線を向けた。
―――怖かっただろう、苦しかっただろう。
知らない男たちに連れ去られ、こんな装置に取り込まれて、魔力を無理矢理吐き出させられて。
今、助けてやる……妻の顔を見上げながらそっと装置に触れようとした、次の瞬間だった。
「―――げて」
「……エリス?」
か細い、エリスの絞り出したような声。
今にも消え入りそうなそれは、しかしこれから起こる事から夫を遠ざけようとしているようで―――。
「―――逃げて!!!」
ドン、と空気が爆ぜた。
まるで室内で爆弾でも起爆したかのような、突如として生じた空気の奔流。エリスを起点としたそれは周囲に放射状に広がっていくと、壁面や天井に付着した氷を砕き、窓を叩き割り、その場にいた人間すべてを壁に叩きつけた。
常軌を逸した衝撃波に翻弄されながらも何とか踏ん張った力也。
エリス、ともう一度妻の名を叫びながら顔を上げた彼の視線の先にあったのは―――エリス・シンシア・ペンドルトンという才女、適性EXという特異点を象徴するかの如き超常現象、その先触れであった。
エリスが磔にされている装置―――その背後に、引き裂かれたような黒い”傷”とも言える裂傷が、ぱっくりと口を開けていたのである。
「なんだ……あれは」
奈落の底、地獄の窯、パンドラの箱。
そういった概念が、陳腐で子供だましに思えてしまうほどに、その裂傷から覗く闇は深く、どす黒く、そして底の無い恐ろしい何かに思えた。
「姉さん!」
「あなた、エミリア……おネがイ、逃げテ』
エリスの様子がおかしい。
氷に覆われた四肢をブルブルと震わせ始めたかと思いきや、ぽた、と鮮血が彼女の足元目掛けて零れ落ち始める。
―――血涙を流していた。
「エリス、どうしたんだ!? エリス!」
『もう、だメ……自分ノ力を、おさ、お、おお、おさえられな……』
エリス、という呼びかけを、しかし彼女が今まで発した事も無い金切声が遮った。
頬が裂けんばかりに大きく口を開け、血の涙を流しながら苦痛の悲鳴を上げるエリス。直後、背後で口を開けていた巨大な裂傷が凄まじい勢いで周囲の物体を吸い込み始めた。
みし、と装置の基部が悲鳴を上げる。ケーブルが千切れ、床を転がっていた破片を、インフェルノの戦闘員やイーライの死体を容赦なく吸い込み始める。
やがてエリスも、装置諸共その裂傷の中へと吸い込まれていった。
「エリス!」
「姉さん!」
「待って、奥様いけない!!」
ナオハが慌ててエミリアを制止しようとするが、しかし実の姉の危機を目の前で見せつけられたエミリアは止まらなかった。
あの裂傷の内部がどうなっているのか、どんな危険があるのかすら顧みず、猛然と駆け出すなり空気の流れのままに裂傷の中に広がる奈落へと身を躍らせていったのである。
裂傷の中に消えゆくエミリアの背中。
「エミリアぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ダメです坊ちゃま!」
「放せ、放せっ! エミリアがっ……エリスが、俺の妻が……!」
「ここは一旦退きましょう」
「だが……っ!」
「時には退くのもまた強さ、お父上のお言葉にございます!」
「……っ」
くそっ、と吐き捨てるなり、力也は踵を返して駆け出した。
エミリアは、エリスは生きている―――だからきっと助けるのだ、と胸に誓いながら。
「何だよコレ……いったいどうなってやがる」
ソーキル艦内、艦尾方向にあるドローンステーションのコクピットの中で、バイラクタルTB3を操縦しながら対艦戦闘を継続していたユリウスは、バイラクタルに搭載されたカメラから送られてくる映像を見て息を呑んだ。
はて、自分は今異世界で現代兵器を使い無双するような感じのゲームでもプレイしていたのだろうか―――アルカディアでそんな内容のオンラインFPSをラウルと夜通しプレイしていた時の事を思い出してしまうほど、目の前で繰り広げられている光景は現実のものとは思えないものだった。
高さ1200mにも達する、超巨大時計塔『クロムウェル』。
その頂点に位置する場所が弾け飛んだかと思いきや、中から黒い裂傷のようなものが生じたのである。
その黒い裂傷は凄まじい勢いで周囲の空間を侵食するなり、段々とその面積を広げつつあった。
咄嗟にコクピットの映像をソーキルの艦橋にあるメインモニターと共有、ヴォイテクに素早く情報を伝達する。今頃艦橋でもその光景を見て、現実のものかと疑っているに違いない。
《艦橋よりアイスマン》
「こちらアイスマン」
《ラウルたちの位置は分かるか?》
「ビーコンの反応がある……待ってくれ、今クロムウェルの70階からエレベーターで移動中!」
《間に合うか……!?》
「……艦長、提案がある」
《聞こう》
「自爆ドローンで40階西側の壁を爆破する。そこにソーキルをつけてくれるか? それならクロムウェル崩壊前にアイツらを回収できる」
《ハッ、いいんじゃねえか? 型破りな勝負は嫌いじゃない》
「……了解、すぐに取り掛かる」
バイラクタルに自動帰還を命じ、座席のコントロールをバイラクタルから船体艦尾方向のVLSに装填されている対艦自爆ドローン【スイッチブレード弐式】へと切り替える。
手元のスイッチを弾き安全装置を解除、艦橋からの発射許可を確認するなり、ゲーム機のコントローラーを思わせる操縦システムを握る。
「目標クロムウェル西側、40階壁面……」
《艦橋指示の目標、攻撃開始!》
「発射!」
ボタンを押した。
充填された装薬で弾体が船外へと射出される。
スイッチブレードをそのまま対艦ミサイルサイズまでスケールアップしたような外見のそれは、機体後部に装備された二重反転プロペラから金切声にも似た独特な飛翔音を発し、ユリウスのコントローラーから発せられる誘導に従ってクロムウェルの壁面へと向かって飛んでいく。
画面いっぱいに凍り付いた壁が迫った直後、映像が砂嵐と、ドローンからの信号が途絶えた旨の表示に切り替わった。
《破孔形成を確認!》
《よくやったユリウス! ソコロフ、あそこに感を横付けしろ! 馬鹿共をまとめて回収するぞ!》
《了解!》
頼む、1人でも無事に帰って来い。
そう祈りながら、ユリウスはコントローラーを汗ばんだ手で握り締めた。




