戦狼一閃
Q.天地戦争って実際どのくらいヤバかったの?
ラウル君「少なくとも俺の知ってる従軍経験者がみんな口を噤んで戦時中の話をしたがらないレベルにはヤバかったらしい」
《閣下、そろそろ気流結節点に突入します。揺れにご注意ください》
「ん、ありがと」
艦長からの艦内通話を受け、ミカエルは受話器を壁に戻して個室の座席に座っていたクラリスの膝の上に戻った。背中を預けるとすかさず頭にのしかかってくるGカップのバスト。ずっしりとした重さを感じながら「コレ絶対戦闘中動き回るのしんどいよな……」と女性の苦労に思いを馳せたミカエルは、いつの間にかクラリスが淹れてくれていたミルクティーに手を伸ばした。
彼女たちを乗せた純白の代表専用艦『ラ・ピュセル』の美しい船体が、浮遊大陸アルカディアを取り囲む気流結節点へと突入する。とはいっても揺れたのはその瞬間だけで、船体各所に搭載されているスタビライザーと重力変調システム、そしてそれらをリアルタイムで計算し完璧に制御するAIのコンビネーションにより、荒ぶる積乱雲の中にありながら、まるでぬるま湯を張った浴槽の中に浮かんでいるかのような快適さを維持している。
ラ・ピュセルの目的地はアメリア合衆国首都、ワシントン。
これから向かうのはワシントンで開催される国連議会である。地上の国々、そして浮遊大陸を拠点とする国家群が一堂に会し議論を交わす、いわば世界の意思決定機関のようなものである。
そこに今回、ミカエルもアメリア合衆国大統領から招待される形で、オブザーバーとして参加する事となっていた。
世界各国の代表団が一堂に会する議会である。”国”同士の議論が交わされる中に、特定の国家に属さず、複数のギルドの連合組織として成り立つレギオンの代表が招待されるなど、天地戦争後に発足しまだ8年しか歴史がないとはいえ前例のない事であった。
無論、この決定に意を唱える国家やレギオン、ギルドも多い。『レギオンの次は国家がミカエルに牛耳られる』という危惧を抱く相手もいるが、勝手にそう謳わせておけばよい。淡々と結果を出し、相手を黙らせる―――ミカエルという女は、そうやって今の地位を手に入れてきたのだから。
それに、この時点でこの勝負は協商連合の勝利に終わる事が確定している。
カフリアでの動乱、倭国での蟲島騒動、そして浮遊大陸ブリタニアでの死熱化事件。
総てはミカエルの思い描いたシナリオ通りだ。
策士を気取る愚かなヘンリックは、世界に混乱をもたらす事で天地戦争の再開を目論んでいるわけであるが……何ともまあ、愚かな事である。そういう世論工作を仕掛けるにしては、インフェルノは歴史の表舞台に些か姿を現し過ぎた。
この一手で、ヘンリックの構築した盤面は一気にひっくり返る。
「そういえば、ミカ」
クラリスのおっぱいをヘッドレスト代わりにして優雅にミルクティーを啜るミカエルに、傍らで『メスガキミカエル君×ラウル君わからせえっち本』とタイトルが記載され、どこかで見た事のあるミニマムサイズ男の娘と狼な男の娘がベッドで腰を下ろしながら挑発的な表情をしている表紙の薄い本を読んでいたシェリルが、ティッシュで鼻血を拭き取りながらいつも通りの澄ました声で問うた。
「ラウルには……彼女には結局、何を教えたのです?」
「”鍵”の外し方、さ」
「……鍵?」
「そう、鍵。”適性”などという概念の姿を借りて、人体を魔力から守っている鍵だよ」
禁術を使ったという事は、ラウルもただでは済まないだろう。
だがしかし、その力はヘンリックに一気に追いすがる強力なものである筈だ。それこそ、ヘンリックが戦を楽しむという自身のアイデンティティすらもかなぐり捨てて、優先的に排除するべき脅威と認識してしまうほどには。
「パラケルススは知ってる?」
「ええ。確か第一文明以前に名を馳せたという錬金術師の始祖である、と」
「そう。そして魔術の基礎理論と適性の法則を示した大魔術師でもある……んで、それを整備し体系化したのがメルダース・ローヴェル・アーチボルト」
「なぜそんな話を?」
「メルダースは大嘘つき、って事だ」
どういうことです、というシェリルの問いかけを、しかしミカエルは笑って誤魔化した。
メルダース・ローヴェル・アーチボルト。現代の魔術の礎を築いた大魔術師であり、魔術の教本やあらゆる理論にその名前が遺る偉人である。
しかし昨今の適性という魔術のシステムに関しては、メルダースはとんでもない大罪と負の遺産を遺した。
生まれつき、人間には魔術に対する適性という概念が備わっている―――2万年以上も信じられているその法則こそが、しかしメルダースの遺した最大の負の遺産と言える。
ミカエル自身、別の世界の自分を観測するまで気付く事は無かった。この世界の人間は全員、メルダースのついた大きなウソに騙されながら今を生きているのだと。
だから、ラウルにだけは教えた。
メルダースの罪を。
世界の真実を。
鍵を解き放った”向こう側”を。
その先に待つのは天使の祝福か。
それとも悪魔の手招きか。
それを確かめられるのは―――ミカエルと秘密を分かち合ったラウルただ1人。
世界に1人だけの、特別な人間であった。
生きる、って何だろう?
体内を迸る無差別な魔力の奔流に晒され、血管も筋肉も臓器も何もかもがズタボロなのに、それでいてアドレナリンは仕事をしてくれない。まるでサディストがこっちの苦しむ様子を見て愉しんでいるかのように、痛みのあまり痛覚がマヒするとか、そういう救済措置の一切がない。
鮮度の良い痛みの中で、思考回路の中に色んなバグを発生させながらも正気を保つ一方で、ふとそんな疑問が浮かんだ。
苦しむ事だろうか。楽しむ事だろうか。
生きる、の定義は人それぞれだろう。哲学的なものから理論的なものまでその振れ幅は大きい。ヒトの数だけ答えがある、とはきっとこの事なのかもしれない。
さて、どういうわけか今、俺は猛烈に「生きてる」って実感が湧いていた。
肉体への負荷の一切を考慮しない高圧の魔力。使えば使うほど魂が擦り減っていくような激痛に、許容量を超過した電気信号に神経が悲鳴を上げる。脳の処理能力が、痛みと苦しみと疲労で鈍っていく。
もう戦いを終わらせたい。エリクサーを一瓶がぶ飲みして、ベッドで横になって眠りたい。
それほどの苦痛の中で、しかし俺は生きている。
死が目前にまで迫っているから、これ以上ないほどの苦しみの中だから、そう……そんなクソのような底辺にいるからこそ、”生”という概念が生々しく実感できているのかもしれない。
そんなどうでもいい事を考えながら、力の限り跳躍して左手を振るう。その軌跡をトレースするように空気中の水分が凝固、瞬間的に凍結するなり、三日月形の氷の斬撃となってヘンリックに襲い掛かった。
「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
右の拳を握り、思い切り振り抜いて斬撃を粉砕せしめんとするヘンリック。筋肉を隆起させながら斬撃を真っ向から迎え撃った拳は、しかし今までとは違う反応を示した。
いつもの彼であれば、このような氷の斬撃など容易く粉砕してしまっていただろう。目の前に立ち塞がる障害を力で粉砕し、自分の進むべき道を自分で切り開いてきたような男だ。弱肉強食という概念を最悪の形で具現化させた存在、と言っていい。
しかし、そんな男の力が―――及ばない瞬間がやってくるなど、いったい誰が思いつくだろうか。
斬撃と真っ向からぶち当たったヘンリックの拳は、しかし斬撃を砕くのと引き換えに大きく切り裂かれた。砕け散った無数の破片がフレシェット弾の如く乱舞して、筋肉と獣の体毛で覆われたヘンリックの右腕をズタズタにする。
―――ヘンリックの攻撃の威力が、目に見えて下がっている。
疲弊した頭でも、そう思い至るのは難しい事ではなかった。
ヘンリックの適性がいかほどのものであったかは推測の域を出ない。素質がないのならばそれまでだが、魔力的エントロピーの死熱化の影響を受けているという事は、おそらくあの男は無意識のうちに体内の魔力を動員、体内で筋肉や神経系に作用させる事で、簡易的にではあるが強化をかけていたのだろう。
蟲島で戦った時から違和感は感じていた。いくら第一世代型の獣人とはいえ、人間より獣に近い筋肉や骨格の頑丈さでは説明がつかない部分が多すぎる、と。しかしそれが、なけなしの魔力を用いた簡易的なエンチャントによるものならば合点が行く。
魔力が使えなくなった以上、今のヘンリックはただの人間だ。
やっぱりそうだ。人間である以上、どれだけ強かったところで決して神にはなれないのだ。
血を流す以上は殺せるのである。
空中を舞う血のように紅い氷の破片を足場に、弾かれたビリヤードのボールが三次元的な動きをするかの如き鋭角的な動きで、ヘンリックとの距離を詰めつつ銃撃。飛び回りながらの射撃なので命中精度もあったもんではなく、当然ながら命中弾は一発も無かった。
弾切れしたMARS-Hを手放し、グロック40を引き抜きながら氷の槍を召喚。左手で握ったそれを力いっぱいヘンリックに投げつけた。
どすっ、と重々しい音。見るとヘンリックの胸に氷の紅い槍が深々と突き刺さり、さっきまで狂気的な笑みを浮かべていたヘンリックがそれはそれはもう苦しそうな顔をしているところだった。
追撃を、と思ったところで身体中に一際強烈な痛みが走る。
ぐらり、と視界が揺れた。ヘンリックの姿がぐにゃりと歪み、周囲の音もまるで耳に水が入っているような……いや、違う。プールの底に潜っている時のようにはっきりと聴こえない。ヘンリックの罵声も、砕け散る氷の音も、そしてアイツの拳が空気を引き裂く音も、何もかもが現実的な感覚を欠いた、夢のようにふわふわしたものに思えた。
しかしそんな状態でも痛いものは痛いもんである。ヘンリックの渾身の一撃を顔面に受ける羽目になったキュートなラウル君は激しく錐揉み回転しながら壁に激突しバウンド、そのまま凍り付いた床をゴロゴロと転がった。
ああ、痛い……。
冷たくて……身体から力が抜けていくようだ……。
このまま、ここで目を瞑る事が出来たらどれだけ幸せか……。
―――冗談じゃない。
カッ、と目を見開いた。
鉄の味がする口の中から血反吐を吐き、歯を食いしばって起き上がる。力を込める度に身体が悲鳴を上げ、もういい加減殺してくれと泣き叫びたくなるほどの激痛が身体中を駆け巡った。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
目の前にまで迫る、ヘンリックの拳。
これ喰らったら顔面割れるよなぁ、と他人事のように思いながら、しかし必殺の一撃を紙一重で躱した。ごう、と顔面を砕く筈だった一撃が僅か数ミリ左を突き抜けて、周囲を纏う衝撃波に身体が引っ張られそうになる。
踏ん張りながら一歩前へと踏み込み、ヘンリックの脇腹に左の掌を押し当てた。
氷の魔力を一気に放出、炸裂させる。
血管中の血液を凍結、血液の流れを阻害させたうえで、それが血管をぶち破る形で炸裂したのだ。ぼこ、とヘンリックの脇腹の一角が少しだけ盛り上がったと思った次の瞬間には、真っ赤な血肉が飛沫を散らせていた。
がふ、とヘンリックが血を吐く。
なんだ……お前もそんな苦しそうな顔をするのか。
ざまあねえな、と嘲笑しつつも、しかし自分の限界も悟っていた。
今の俺には、これが限界だ―――ここで、コイツに一矢報いる事しかできない。
けど、もう一発。
せめてもう一発。
悲鳴を上げ、力も満足に入らない肉体。
それに無慈悲にも鞭を打ち、右の拳をヘンリックの顔面へと叩きつけた。
ぺち、と頬を軽く殴るような……男子高校生が友達とじゃれ合う程度の、攻撃とすら呼べない一撃。
それが、今の俺には精一杯だった。
ふざけてんのか、と言わんばかりにヘンリックの殺気が一気に膨れ上がる。最大限の侮辱と映ったらしく、今度こそコイツは全力で俺を殺しに来るはずだ。
ああ、終わった。
凍てついた床の上にボロボロの膝をつきながら―――けれども抵抗の意思だけは、潰えない。
歯を食いしばり、目を血走らせながら拳を振り上げるヘンリックに向かい、血まみれの手で中指を立ててやった。テメエなんざ一生ケツを舐めてるのがお似合いだ、という嘲笑を添えて。
「―――十分だ。よくやった、ラウル」
熱い風が迫ってくるような、そんな感じがした。
俺を睨んでいたヘンリックの紅い瞳―――そこに映っているのは、血まみれになりながらも歯を食いしばり、残った左腕一本で身の丈ほどの大太刀を振りかざして肉薄する、倭国最強の剣士の姿。
すっかり力也の事を失念していたのだろう、ヘンリックが目を見開くがもう遅い。
ギャオゥッ、と空気を引き裂きながら熱の壁を超えた一閃が―――ヘンリックの胸板を、深々と斬りつけた。




