持たざる者の戦法
どうでもいい話
ミカエル君は『ヘンリックがまともな父親だったパラレルワールド』も観測しているらしく、その世界ではラウル君と2人で親子仲良く冒険者をやっているらしい。
なお、その世界でのラウル君は『ラウル・エルマータ』ではなく【ラルフ・アンデルセン】というフルネームになっている。
「仔を育てる」という行為に、いったいどれだけの親が責任を持っているのだろう?
物心ついた頃から陽の光の当たらない路地裏に座り込み、カビの生えたパンを齧っていたジャックはそう思った。
陽の当たる大通りに視線を向けてみると、確かに戦時中で先の見えない不安はあるものの、それでも活気に満ちた人の営みがすぐそこにある。配給の列に並ぶ人々、子連れの買い物客。
本来、自分もそれを享受して然るべきだった。
”親の愛”というものに触れて然るべきだった。
―――自分は捨てられたのだ。
親の愛も、何も無い。
仔を育てる責任など、微塵もない。
ただただ男女が、一夜限りの快楽を求めた結果として生まれた存在なのだと―――そう理解した瞬間に、彼は憎悪した。
快楽を売る娼婦を。
そんな連中に性欲を突きつけた父親を。
そしてそんな歪んだ行為がまかり通る、この世界を。
そんなデリケート極まるジャックの内面に、コイツは―――この腹違いの妹は土足で踏み込んできた。
それだけではない。何も知らないくせに、ジャックが幼少の頃からどんな扱いを受けてきたかも知らないくせに、彼の内面を踏み躙ってきたのだ。
赦せる筈もない。
ありったけの憎悪と共に、歯を食いしばりながら立ち上がった。ナイフを握る手に自分でも驚くほどの力が入る。黒く艶の無いその刃が、ぎりぎりと震えはじめる。
滾る憤怒を解き放つように、ジャックは叫んだ。
姿勢を低くしながらラウル目掛けてナイフで切りかかる。腕を振るい、振り上げる。しかしいずれの斬撃もラウルを斬ったという手応えを残す事は無かった。
どれもこれもが紙一重で躱される。まるで次にはこういう攻撃が繰り出される、というのを彼女が理解しているかの如く。
ドッ、と脇腹に奔る強烈な衝撃。みし、と肋骨が悲鳴を上げ、圧迫された臓器のせいなのか一瞬ばかり呼吸が詰まる。
よろめきながらエレベーターに積載されているコンテナに背中を激突させ、苦痛に呻きながらもナイフを3本まとめて投擲。相手に対し必殺を期した攻撃ではなく、更なる追撃を阻む事を意図した牽制だ。
コンテナの背後に回り込み、呼吸を整えた。
負け犬、というヘンリックの言葉が脳裏に過り、ジャックは奥歯が砕けてしまうほど歯を食いしばる。
認めたくない現実が、しかしじわじわと迫ってくる焦燥感。
実際、ヘンリックの指摘は正鵠を射ていた。まともな抵抗も出来ない、理不尽な殺意と狂気に抗う術も無い娼婦たちを嬲り殺しにしていただけの殺人鬼と、毎日のように死と隣り合わせの戦場で感覚を研ぎ澄まし、肉体を鍛え抜き、戦技を身に着け実践、フィードバックを繰り返してきた叩き上げの兵士が激突すればどうなるか。
衝動の赴くまま「殺し」をしていた奴と、「殺し」という行為に最適化された相手では天と地ほどの差があるのが道理であった。
今までは、ジャックこそが”狩る側”であった。
逃げ惑う娼婦を路地裏に、密室に追いつめて、命乞いをする彼女らを生きたままバラバラにする―――そうやって女に苦痛を与えて殺す事によってのみ、彼の心は満たされ、尊厳もまた回復していった。仔を生み育てる覚悟も無く、一夜限りの快楽を売り物にする連中など皆死んでしまえばいい、という憎悪が、必要な相手に届いたという達成感もあった。
が、しかし。
今、”狩られる側”に立たされているのはいったいどっちか。
「……!」
懐からナイフを取り出し、反撃に転じるべくラウルの居場所を探り始めるジャック。聴覚や嗅覚が常人よりも発達している獣人であれば、視覚以外の情報から相手の居場所を特定したり、その足跡を追う事など容易い。索敵はすぐに終わり反撃に転じる事が出来る―――と、その瞬間まで彼は思っていた。
しかし漂う空気の中、彼の鼻腔に流れ込んでくるのは火薬の臭いばかりだ。つんとした、それでいて鼻腔の奥にねっとりと、水飴のようにいつまでもへばりつくそれが、嗅覚というセンサーに対しジャマーの如く作用する。
使い物にならないというレベルではないが、それでも索敵の精度は大きく落ちた。
(さっきからガンガン撃ちまくっていたのはこれが狙いか……何と小癪な)
だがしかし、ジャックもハイイロオオカミ獣人の第二世代型。その辺の猟犬よりは鼻が利くという自負がある。
充満する硝煙のノイズの中からラウル・エルマータの”匂い”を嗅ぎ当てるなり、彼女が隠れているであろう遮蔽物へと忍び寄った。確かに二度、接近戦ではしてやられている。だがしかしラウルの主力はあくまでも飛び道具であり、ナイフも交えた純然たる白兵戦ではこちらに軍配が上がるだろう。
コイツもバラバラにしてやる。蛙の解剖実験のように、四肢を床に磔にして腹を裂き、内臓を全部取り出して、切り取った生首をレギオンの連中の前に晒してやるのだ。この切り裂きジャックの手にかかって死ぬ以上は、ヒトとしての尊厳など微塵も与えてはやらない。ただただ猟奇的で、恐怖を掻き立てる遺物に成り下がる―――それこそが最高の屈辱であろう。
が、しかし。
殺気を押し殺したつもりになりながら踏み込んだジャックが見たのは、ラウルの姿ではなかった。
「……!?」
コンテナの影に無造作に捨て置かれた、オリーブドラブのジャケット。
見覚えがある。これはラウルが、マルチカム迷彩のコンバットシャツとコンバットパンツの上に羽織っていた空軍用のジャケット―――極寒の空で身体を温めるための防寒着であり、彼女自身のアイコンでもあるそれ。今まで数多の戦場を共にし、ラウルの匂いが芯まで染み付いたであろうそれが、コンテナの影でジャックを出迎えたのである。
奴はそこにいる筈、この匂いは奴のもの……。
実戦経験が少ないが故に、彼には「疑う」という概念がなかった。感じ、見聞きした情報がそのまま、己の中にあるフィルターを通り”加工”される事なく判断材料として上層まで上げられてしまう―――端的に言うならば、これは罠かもしれない、という疑念を抱かなかった事がジャックの失策であった。
たんっ、と背後で生じる足音。
振り向くまでもない―――そこにいるのだ、ラウルが。
反撃を試みている場合ではない、と本能で理解できたのは僥倖だった。まるで運動神経が脳という指揮系統の最上位に君臨するそれを無視、さながら自動操縦に切り替わったかの如く、両足に力が入り横へと飛び退くジャック。
そこを突き抜いたのは、ラウルの拳だった。
正確には、彼女の中指に装着された指輪―――そこに仕込まれた、黒く長い針。
飛び退く一瞬に垣間見えたそれは、暗器のようにも思えた。毒か、呪物か、あるいは怪異空間内部でドロップした遺物か。
いずれにせよ、あの指輪の攻撃を受けてはならないと本能で理解した。
飛び退いたジャックを、MARS-Hの銃口が睨む。
コンテナの影へと飛び込んだジャックに対し、今度は7.62×51㎜NATO弾の洗礼が追い打ちをかける。パワフルなフルサイズのライフル弾、.30-06スプリングフィールド弾をその原型とするそれの情け容赦ない連続射撃。被弾すれば如何に獣人であろうとひとたまりもない。
遮蔽物の影に追い立てられ、攻守が完全に逆転してしまった事をジャックは痛感させられた。
今までこんな事は無かった。獲物が反撃してきて、主導権を握られるような事など無かった。
そもそも、「戦闘」などという概念にまで殺しが発展する事も無かった。
何もかもが、違う。ペースを乱される。
―――負け犬。
ヘンリックから受けた侮蔑の言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
目を血走らせ、歯を食いしばり、違う、違うと何度も否定する。自分は負け犬なんかじゃない。まだ負けてなどいない。こんな不利、覆す手段などいくらでもあ
そこで、ジャックは整えた筈の呼吸が乱れたままである事に気付いた。
「……?」
まるで100mほどの距離を、全力で走り切った後のような疲労感。
失ったスタミナが回復してこない。いや、むしろ減少していくかのような感覚すら覚える。
浮遊大陸の酸素濃度のせいか、とも思った。浮遊大陸ブリタニアの高度は2000m。地上と比較すれば大気は薄く、高山病になるほどではないが、それでも地上の大気に慣れ親しんだ人間にとっては多少の息苦しさを感じさせる環境かもしれない。
いや、違う。
確かにブリタニアの大気は地上よりも薄い。しかしそれは0.9Gというこの浮遊大陸固有の重力によってある程度は相殺されている。地上よりも身体にかかる負担は小さいから、むしろ1Gに慣れた獣人としては大気の薄さはプラマイゼロとして作用するのだ。
ならば、この息苦しさはなんだ。
いくら空気を吸い込んでも、酸素を肺に取り込んでも、全く足りないこの感覚。
カツン、と凍てついたエレベーターの床の上に転がる硬質な音。コンテナのすぐ近くに転がる握り拳ほどの大きさのそれを見て、ジャックは瞬時に飛び出した。
その直後だった。投げ込まれた破片手榴弾が爆ぜ、爆風と破片を撒き散らしたのは。
飛び散った破片のいくつかが身体に突き刺さる。微細な刃物で刺されたというより、小口径の弾丸を受けたような激痛。幸い致命傷とはなり得なかったものの、傷を負った部位の周囲が痺れるような感覚を覚える。
ごろごろと凍てついた床を転がるように、積み上げられた鉄パイプの山の影に身を潜めた。腰のポーチの中から錠剤タイプのエリクサーを取り出し、本来ならば1錠で足りるそれをいくつかまとめて口へ放り込む。
エリクサーは服用すれば屑口は瞬時に塞がる。血液が補充されたり、切断された手足が生えてくるような化け物じみた回復力は無いが、傷を瞬時に塞ぐという効果は大きい。それ以上の出血を止められるし、感染症から身を護る事も出来る。
回復アイテムによりもたらされる、自身の細胞の局地的な異常増殖。
「……!?」
ジャックが異常事態に気付いたのは、服用から3秒が経過した後の事だった。
(傷が……!?)
手榴弾で受けた傷が―――塞がっていない。
じわり、じわりと傷口からは血が滲む。黒い破片が突き刺さったままの傷口はぱっくりと開いていて、極寒の世界に身の内を流れる熱い血液を垂れ流し続けていた。
服用するエリクサーを間違ったか、と困惑するジャックに、しかしラウルの低く、それでいて淡々とした声が答えを教えてくれた。
「……お前、魔術の勉強した事ないだろ」
「何を……何をした。俺に何をした、ラウル・エルマータ!!!」
「魔術師の世界では、その根源たる魔力は”生命エネルギーの一部”……もっと言い換えれば魂の一部と定義されている」
コツ、コツ、と迫る足音。
何か対抗手段は、と懐のベルトへ指を彷徨わせる。
「そして氷属性には1つ、他の属性には無い特性がある……魔力的エントロピー、空間中に存在する魔力を乱しに乱しまくるから、その空間及び周辺での魔術の発動に多大な悪影響を与える」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「エリスさんから受けた授業は実に有意義だった……俺は生まれつき、魔術適性に恵まれてなくてね。検査の結果判定はE、落ちこぼれもいいとこだった。そんな状態で、まともな魔術師とまともにやり合っても勝機はない。だから魔術は補助的運用、あるいは搦め手に全振りする事にした」
「搦め手……だと……!?」
天は、ジャックを見放した。
もう、ホルダーに投げナイフは残っていない。銃の類も、手榴弾もない―――あるのは右手に握られた、ナイフが1本だけ。
ラウルの足音は、もうすぐそこまで迫っていた。
あの足音が近付いてくるにつれて、身体中が冷たくなる。
それは決して、比喩表現などではなかった。
そう、そのままの意味だ―――ラウルが近付いてくる度に、ジャックの周囲の気温がさらに下がっているのだ。
エリスとは別に、新たな寒冷化現象の発生源が生じたような……ジャックにはそう思えた。
無論、エリスのそれと比較すると遥かに規模は小さい。だが、このメンテナンス用のエレベーター内部を冷蔵庫へと変貌せしめ、尚且つ内部の魔力的エントロピーを局所的死熱化へ追い込むには十分すぎる。
それがラウルの仕業であると、結論が出るのにそれほど時間はかからなかった。
そもそも『魔力』とはラウルの言う通り、生命エネルギー……つまるところ「魂の一部」と定義されている。
だから魔力の浪費は魂の浪費に外ならず、行き過ぎた魔力的エントロピーの死熱化は魔力や魔術だけではなく―――その根源たる魂に対しても悪影響を及ぼす。
傷口が塞がらないのも、疲労が回復しないのも―――全てはジャックの魂が、ラウルの生み出した局所的死熱化の影響下にあったためであった。
エリスの生み出す寒冷化現象が極めて広範囲に広がっていくのならば、ラウルの場合はその逆―――限定されたごく狭い範囲に、魂にまで影響を及ぼす『魔力的エントロピーの局所的死熱化』を発生させる。
範囲を絞りに絞れば、適性Eの魔術師でもできない事ではない。
尚且つエリスの寒冷化現象と同じベクトルに作用するから、この魔力的エントロピーが増大した空間でも影響を受ける事がないのだ。
遮蔽物の影に回り込んだラウルが、ジャックを冷たく見下ろしていた。
灰色だった筈の彼女の瞳は―――禍々しい紅色に変わっていた。
こんな結末、認められる筈がない。
突きつけられた現実に、理不尽に抗うかのように咆哮するなり、ジャックは立ち上がった。強力なバネで飛び上がるかのような勢いでナイフを手に、ラウルの喉元目掛けて切先を突き出す。
が、ナイフで飛び道具に勝てる道理はない。
切っ先が彼女の柔肌を貫くよりも先に―――MARS-Hから放たれた7.62㎜弾が、その頭蓋を、脳漿を粉砕していた。
上顎から上を砕かれ、大きく頭部を欠損した状態で崩れ落ちるジャック。
死熱化を解除したのだろう、瞳の色を紅色から灰色に戻しながら、ラウルは詰まっていたかのように息を吐き出し、呼吸を整える。
半径2mの範囲に限定しても、死熱化をまともに発動できるのは3分が限度らしい。
身体中にどっとのしかかってくる疲労感に息を乱しながら、額に浮かんだ汗を拭い去った。
「あばよ……兄貴か弟か、よく分からなかったけどさ」
せめて来世は、まともに生まれてこい。
そう、祈らずにはいられなかった。




