作戦開始:エリス救出作戦
どうでもいい話
協商連合の艦隊運用教範には、「気に食わない奴がいる国の港から出港する際、三連装砲を搭載している艦は真ん中の砲身だけ仰角一杯に上げて中指を立てよ」という記載がマジで存在する。
なお仕事の都合で空中戦艦チェルノボーグがノヴォシアに立ち寄り出航する際、艦長のイルゼは教範通り三連装砲の真ん中の砲身だけ仰角一杯に上げ、ノヴォシア共産党本部に中指を立てながら出航した。
ちょっとだけ国際問題になった。
―――果たしてこれを、『ロンディニウム』と呼んでいいのだろうか?
ソーキル艦内のドローンステーション内部、ユリウス用に用意されたバイラクタルTB3の操縦に用いるコクピットの後ろからモニターを覗き込み、思わずそんな感想を抱いてしまう。
バイラクタルに搭載されたカメラと、地上を絶えず走査する両翼の偵察ポッド。それらが送ってくる映像と数値がモニター脇のウィンドウに表示される。専門的な教育を受けたわけではないので部分的にしか分からないが、いずれも数値が赤く表示されているところを見ると、通常の計測ではまず得られないであろう異常な数値であるという事が分かる。
「これが……ロンディニウムなのか……?」
後ろから一緒にモニターを見ていたエミリアさんが、信じられないものを見たと言わんばかりに声を震わせた。
目で見て理解は出来ている。それがどうしてそうなったのか、理屈も理解している。ただその残酷極まる結果を、自分の知る常識とはあまりにも乖離した現実を、脳が受け入れられていない―――そんな感じだった。
操縦桿を倒し、ユリウス兄貴がバイラクタルの高度を落としていく。
疎らな雪雲が頭上に去り、ロンディニウムの惨状が液晶画面に生々しく投影される。
白く、白く―――あまりにも白く。
かつて『雨と霧の都』と呼ばれていた大都市は、しかしその名にふさわしい霧を纏う都から、何もかもが一切合切凍り付いた世界へと変貌していた。
石造りの街路も。
無数の建物も。
ムーア川も。
工場の煙突も。
そして―――逃げ遅れた人々も。
その全てが霜と雪、氷に覆われている。
バイラクタルのエンジンの音と風の音以外はなにも聴こえない。まるで街の全てが―――生命体がいたという痕跡の全てが、根本から拭い去られてしまったかのよう。
偵察ポッドのカメラを最大望遠でズームアップ。気流による機体の揺れでブレる画像を、しかし生成AIがリアルタイムで修正しこっちに転送してくれる。
だからモニターから見える映像はどれもこれもが、あまりにも生々しすぎた。
街路で身体を丸めている女性の遺体。よく見ると遺体の下には小さな子供が2人見え、せめて我が子だけでもと身を挺した母親の最期が伺えて、まるで心に錐で穴でも開けられたような苦々しい気持ちにされてしまう。
―――救いは無いのか。
「クロムウェルだ」
操縦していたユリウス兄貴の声で、我に返る。
かつてロンディニウムの象徴として点を貫いていた、1200mの超巨大時計塔―――クロムウェル。
その姿はもはや時計塔というよりは、巨大な氷柱のようだった。
表面は完全に氷に埋もれてしまっており、文字盤から伸びる時計の針も凍てついて、無数のツララが下へ下へと伸びている。
時計塔の周囲に広がっていた黄金の光の環は禍々しい紅色に変色しており、時折紅い稲光が周囲へと触手のように伸びている。その度にがくん、とバイラクタルのエンジンが突発的な出力低下を引き起こし、ユリウス兄貴は慌ててリカバーを実施。エンジンを再起動させて高度を維持、クロムウェルに肉薄しての偵察を断念した。
その時だった―――クロムウェルに新たに生じた「異変」に気付いたのは。
「なあ兄貴」
「なんだ」
「あの紅い輪の周囲……分かる?」
―――ユリウス兄貴には、色覚障害がある。
2年前、仕事中に不意を突かれゴーレムの拳を受けてしまい、左の角が折れてしまったユリウス兄貴。その際の影響で脳に障害が生じ、今のユリウス兄貴は赤色を正しく識別できない。
普段ならばちょっと分かり辛い程度だそうだが、興奮状態になると完全にモノクロに見えてしまうのだろうだ。UAV専門とはいえパイロットになれたのは、彼の技量がこの色覚障害を差し引いても高く十分すぎる点を考慮してのものである。
そういう経緯もあって、「紅い」と表現してしまった事を後悔した。しかし兄貴も興奮状態ではないからある程度は識別できるのだろう。少しだけ戸惑うそぶりを見せてから「ああ」と短く返事を返してくれた。
まるで樹木の枝のように空へと伸びる、深紅の稲光。
その周囲の空間だけ―――雲の色がおかしいのである。
雪雲にありがちな灰色ではない。
薄青い、とでも言うべきだろうか。
視線をサブモニターへと向けた。バイラクタルに搭載されているセンサーが、機外の数値を絶えず拾って表示してくれている。
その気温の欄には、地表付近で-21℃という信じられない表示があった。
しかも現在進行形で気温が下降しているらしく、小数点の右隣にある数値は緩やかにではあるものの、下降傾向となってしまっている。
「”アイスマン”より艦橋、ロンディニウム周辺の魔力的エントロピーはなおも増大中……死熱化判定まであとわずかだ」
「このままじゃ、通常の魔術の使用は不可能に……」
「ああ、そうだ」
隣で映像を食い入るように見ていたエミリアさんが、目を細め眉間に皺を寄せながら言う。
「もう、あそこでは魔術がまともに使えない」
その言葉を裏付けるように、眼下で小さな光が瞬いた。
すかさずカメラを最大望遠に切り替え、その光の発生源を確認するユリウス兄貴。AIによる自動補正で映し出されたのは、都市の一角で魔術を発動しようとしている一団だった。
おそらくは救助隊だろう。魔術師の部隊だろうか?
誰かが炎属性魔術を使おうとしているらしく、右手を前へと突き出して発動、氷塊を除去しようとしている。魔力放射の反応は確かに観測されるし、閃光も生じはしたものの、それは一瞬の出来事だった。
まるで酸素を失った密閉空間で炎が立ち消えていくように、魔力放射は安定せずに消えてしまう。
もう一度、とめげずに魔術を発動するが、しかし結果は何度やっても変わらない。
火球が生じてもすぐにその輪郭が波打ち、たわみ、崩れて咳き込むように明滅を繰り返し、やがては火の粉となって霧散する。
……映像を見ている誰もが、言葉を失った。
この映像は艦橋のメインモニターにも共有されている。きっと艦橋にいるヴォイテクたちも、同じ感想を抱いている事だろう。
魔術師が魔術を使えない。
適性の有無、生まれながらにして神が与えたもうたアイデンティティー。
それが奪われたのだ。
魔術という概念、複雑怪奇な魔導力学と綿密な計算の上に成り立つ術式。それを成立させる環境が、都市全体から失われているのである。
それこそまさに、メルダース・ローヴェル・アーチボルトが提唱した『魔術的エントロピーの死熱化』であり、太古の魔術師たちが、栄華を極めた魔導文明が恐れた『終焉』。
《警告、魔力的エントロピー異常。局地的死熱化領域への接近を確認》
「いかん、距離を取る」
操縦桿を倒し、バイラクタルTB3を旋回させるユリウス。
あのまま直進を続けていれば、今度こそ機体が動かなくなっていたかもしれない。本来、魔力の流れにしか影響を及ぼさない魔力的エントロピーの乱れ。しかし魔力に依存しない動力機関にすら影響を及ぼすほどに、その異常は悪化の一途を辿っている。
いったいどこまで寒冷化は進むのか―――何気なく、この事象の”果て”を想像したその時だった。
クロムウェル上空、凍てついた霧の中の水分がダイヤモンドダストの如くきらきらと輝く極寒の空。
その向こう側から……巨大な氷塊がゆっくりと落ちてきたのである。
いや、違う。
”降下”してきたのだ。
まるでそれは巨大なツララを思わせる円錐状の物体で……しかし後端にはノズルのような孔があり、そこからはきらきらと光を放つ氷の粒子を絶えず噴射させていた。
まるで氷で作ったロケットを思わせる”それ”。
次の瞬間、”それ”の周囲の空間に光り輝くダイヤモンドダストが生じたかと思いきや急速に凝固。ダーツの針を思わせる形状になった途端、ミサイルさながらにバイラクタルへと向かって飛んできたのである。
「!?」
ぎょっとしながら操縦桿を倒して回避するユリウス。ヒュン、と氷のミサイルがバイラクタルを通過して失速、凍てついたムーア川の支流へと落着して白い煙を噴き上げた。
招かれざる客が健在である事が気に食わないのだろう。その巨大な氷塊……いや、”氷の空中戦艦”とも言うべき飛行物体は、複数の氷のミサイルを生成するなり矢継ぎ早に飛ばしてきやがった。
大慌てで回避するユリウス兄貴。幸い氷のミサイルの誘導性能はそれほどでもないらしく、かなーり緩やかなホーミングをしてくる程度だ。しかしそれでも直撃すれば航空機を撃墜するには十分すぎるほどの威力があるであろう事は想像に難くない。一番の理想は攻撃を受けない事である。
「何だアレは」
「氷の……空中艦!?」
「……十分だ、帰投する」
「了解……艦橋、偵察作戦は現時刻を以て打ち切りとする」
《了解……クソ、最悪な状況だな》
ああ、全くだ。
戦場で”いい話”なんて滅多に聴かない。
悪い話が殆どだ。
今回の作戦の旗艦はソーキルが担当する事になった。
艦長のヴォイテクが天地戦争に従軍した経験がある事と、今回の寒冷化現象が発生した際に俺たちが現場に居合わせた事から現地の状況を正確に把握しているであろう、という2点が加味された結果であろう。
これほどの大艦隊を率いる責任の重さを、しかしヴォイテクは微塵も感じさせない。まるでこの程度の重さの責任など今まで何度も背負ってきた、と言わんばかりに堂々としている。
背中の大きい奴は大体そうだ。使命を、責任を、運命を背負っている。その重荷を背負うに足る奴だけが他人に誇れる大きな背中を持つのだ。
「―――偵察機による情報によると、ロンディニウムの気温は偵察の時点で既に-21℃。今頃は-30℃に達しているものと推定される」
「クラルテ、冬のノヴォシアで何℃だっけ?」
「首都モスコヴァで-26℃前後です」
冬のノヴォシアよりも冷えている、という事だ。
魔術が使えなくなるだけならばまだ良い。手の打ちようがある。しかしこの規模の寒冷化までダブルパンチで襲ってくるとは……。
「局所的に死熱化が確認された空間も存在している以上、このまま艦隊で踏み込むのは航行不能に陥る可能性があり危険だ。しかしフィオナ博士の仮説通り、ズメイ砲を用いて魔力的エントロピーの増大した空間を吹き飛ばしてやることによって、短時間ではあるがエントロピーの影響を受けずに作戦行動ができるという事がユリウスの偵察で実証された。本作戦ではこれに倣い、艦隊を2つのグループに分ける」
艦橋のメインモニターに新しいウィンドウがポップした。ソーキルを中心としたほぼ無人艦隊と、スラヴァ及び定遠の2隻を中核とした後衛艦隊の2つが前後に重なる形で展開している。
やがてアニメーションが再生された。ヴォイテク艦隊が前進するのに合わせ、後衛艦隊が一斉にズメイ砲を発射。ロンディニウム上空を掠める軌道で放たれたそれにより、市街地を覆っていた赤いエリアに突破口が穿たれる。
「作戦展開空域への突入は、ソーキル率いる前衛艦隊が引き受ける。スラヴァ、定遠の2隻を中核とした後衛艦隊は作戦展開地域後方で待機。市街地の魔力的エントロピーの推移を監視しつつ、死熱化の予兆が見られた場合はズメイ砲を即時発射、空域での艦隊稼働を維持してほしい」
《要するに、あたしたちはアンタらを動かすための”暖房”ってわけね》
《挺有意思的嘛。无论是烹饪还是战争,火力都是关键,所以我将以壮观的方式点燃它(面白いじゃないの。料理も戦も火力が命、派手に燃やしてあげるわ)》
「せっかく戦艦で駆けつけてくれたところ悪いが、フルサイズのズメイ砲の威力がカギになる。なお今回の作戦に限り、ミカエルから出力上限を50%、場合によっては100%に引き上げても良いという許可を得ている」
フルパワーのズメイ砲。
地球に”核の冬”を発生させかねない戦略兵器、そのリミッターが解除されるかもしれない……見られずに済むのであれば、それに越した事はないのだが。
「前衛艦隊は出せる戦力を全力投入。空域に展開しているであろう”氷の空中艦隊”による守りを突破、時計塔クロムウェル内部に突入しエリス・シンシア・ペンドルトンを救出。そしてこの大惨事を引き起こしたクソッタレを始末する。これが今回の作戦の概要だ」
エリスさんの救出―――ヘンリックの排除。
こうも早くあのクソッタレとぶつかる日がやってくるとは。
やってやる、と拳を掌に打ち付ける俺の隣で、力也が左手の指を鳴らした。
作戦に参加する全員の顔を見渡して、ヴォイテクは告げる。
「―――世界の運命とやらが俺たちにかかってる。成功させて全員でヒーローになろうぜ」
タラップを駆け上がり、新たな翼のコクピットへと滑り込む。
クラルテのサポートスキル『教練空間』で何度も何度も繰り返したエンジンの始動と計器類のチェック、離陸前にするべき事を思い出しながら、目の前のアナログなスイッチを指で弾いていく。
F-105では性能に限界を感じ始めた事から、新たに用意した機体。
―――【F-14D トムキャット】。
速度に応じて稼働する可変翼を搭載した、アメリカの艦載機である。高い空戦能力と長い航続距離、それから限定的ではあるが対地攻撃も出来てペイロードもあるという至れり尽くせりの機体だ。俺にとってはな。
本来なら後部座席にもう1人乗るんだが、生憎そっちの訓練を受けている人員がいない。
そのため今回は、後部座席に火器管制担当の補助AIの端末を乗せて飛ぶ事になる。
そろそろキャノピーを下ろそう、と思ったところで、タラップを誰かが上ってくる音が聴こえた。振り向くとそこには防寒着姿のクロエが、チェストリグにSTANAGマガジンを大量に差した状態で、じっとこっちを覗き込んでいる。
「クロエ?」
「仔犬ちゃん……いや、ラウル」
珍しく名前で呼ばれた―――ちょっと驚いたのも束の間、唇で口を塞がれてしまう。
ふわりと舞う花の香りと彼女の温もり。そっと顔を離し、余韻に浸る俺に向かって彼女は微笑んだ。
「勝とうね、絶対に」
「……ああ」
勝つよ、俺は。
ぐっ、と親指を立て、クロエと別れた。俺以外誰も居なくなった格納庫の床が大きく左右に割れ、機体の背中をアームで掴まれたF-14Dがゆっくりと船外へ降下していく。
機体が格納庫から露出され、自力発進に備えてフットペダルを踏み込み機体の推力確保を始めたその時だった。カッ、と背後で蒼い光が瞬いたかと思いきや、前進するソーキル艦隊の頭上を飛び越える形で、複数の彗星を思わせる閃光が駆け抜けていく。
ズメイ砲の輝きだ。
《艦橋より”ストレイド”、発艦を許可します》
「了解―――”ストレイド”、出撃する!」
ガゴン、とアームのロックが外れた。
ソーキルからF-14Dが切り離され、真っ赤に塗装された艦底部を後方に置き去りにする形で前に出る。
他の艦からも出撃したJ-20Rの編隊やユリウス兄貴のバイラクタルと肩を並べ、進路をロンディニウムへと取った。
どうでもいい話
なおイライナや倭国などの友好国に入港する際は全力で砲塔を旋回させたり砲身をピコピコ動かしたりするので、毎回艦の誘導を行う嚮導艦の乗員たちは腹筋を破壊されているらしい。




