17年前の悪夢
どうでもいい話
ソーキル級の増産に合わせ、協商連合では『ソーキル級と部品に互換性のある空中駆逐艦』を800隻建造するための予算案が既に議会を通過、爆速で建造が始まっており、本編の時点でもう既に5番艦までが就役、6番艦から10番艦が艤装の搭載を受けている。
異変が真っ先に現れたのは、空だった。
いつものロンディニウムならば、毎日のように雨が降り注ぎ、石畳を濡らして、工場から立ち昇る熱気や蒸気と混ざり合い街路を白い霧で覆っていくものである。
しかし街の風景の一部と化した雨が、唐突に―――止まった。
雨が止んだわけではない。
落下していく雨粒が、その途中で急激に冷却され、次々に白い結晶へと変わっていったのである。
「……雪?」
誰かが空を見上げながら言った。
しかしそれは、雪などという綺麗なものではなかった。
確かに最初は雪であったのだろう。しかしそれは気温の急激な低下に伴って、雨粒そのものが凍り付いた雹へと姿を変え―――石畳を殴りつけ始めたのである。
それに呼応するかのように、クロムウェルの周囲を飛んでいた鳥たちがバタバタと地上へ落ち始めた。
雹に殴りつけられたから落ちてきたのではない。
高度1200m付近から叩きつけられた鳥たちは皆、冷凍されたチキンの如く凍り付いていたのである。
それが一羽、二羽……それに続くように三羽、四羽、五羽と増えていくにつれ、通行人たちはいつもとは違う異常事態である事を認識し始める。
そこでやっと視線を上へと向けた通行人や高級住宅街の住人たちは、目を見開いたまま凍り付いた。
パキ、パキ……と薄氷を踏むような音と共に、超巨大時計塔『クロムウェル』の壁面の隙間から純白の霜が迸る。それは木の枝さながらに枝分かれし、絡み合い、巨大な氷塊へと成長することで頂上部分が氷で覆われつつあった。
年配の竜人たちの脳裏をよぎったのは、忘れもしない17年前の事故。
開発中だった新型の魔導装置、あるいは魔力式エンジンの暴走に伴うロンディニウム市街地の凍結事故。天地戦争末期の大惨事という事もあって、特にロンディニウム市民たちにとっては記憶に新しい出来事であった。
17年前の記憶を呼び起こされるなり、人々は一目散に逃げだした。通行人たちは荷物をかなぐり捨てて走り、車道を行き交う車のドライバーたちはUターンし、渋滞が生じたとみるや高価な車を乗り捨てて、ムーア川に架かるロンディニウム大橋の対岸、工業地区を目指して我先にと逃げ惑う。
クロムウェルの周囲を取り囲む黄金の光の輪が、禍々しい紅色へと染まっていった。やがてその光はより一層眩く輝き出すと、周囲の空間に深紅のスパークを放出し始めた。
凍り付いていくロンディニウムのシンボルと、そこから拡散していく紅いスパーク。その異様極まる光景は市街地上空を飛行していた貨物船や空中艦からも観測できた。
しかし異常を察知した船長たちが退避を命じるよりも先に、更なる異常事態が彼らを襲う。
《機関出力低下!》
《どうなってる、再起動急げ! 非常電源は!?》
《ダメです、立ち上がりません! ……ああクソッ、動力喪失! 墜落します!》
《プルアップ、プルアップ! プルアップ―――》
―――機関出力の低下。
最初は「咳き込む」程度の出力不安定化に留まっていたそれが、ついには機関の強制停止という非常事態を引き起こしたのである。
《墜落する、本艦は墜落する!》
機関士たちによる決死の復旧作業も虚しく、ついには推力を完全に失ってしまった空中艦たちが市街地へと墜落していく。建物を巻き込み、工業地区の煙突をぶち折って、増水したムーア川へと墜落する空中艦たち。
逃げ惑う人々、墜落していく空中艦。
17年前の再演。
人々の心をへし折る絶望的な光景は、しかしそれだけでは終わらない。
全高1200mに達する超巨大時計塔『クロムウェル』。市街地の中心に聳え立つそれの頂点から、見えない「何か」が街全体へと放たれ始めたのである。
巨大な塔の周囲を漂う霧すらも、空気中の水分という水分が凍り付き、無数の氷の粒子となって舞い始める。
クロムウェルの外壁は完全に氷に覆われ、その絶対零度の侵略は周囲の高級住宅街にまでも及んだ。
時計塔の周囲、高級住宅街に軒を連ねる貴族たちの屋敷。贅の限りを尽くしたその窓に、白い結晶の花が芽吹く。窓から外壁へ、外壁から内壁へ。白いレンガも、マボガニーの扉や瀟洒な調度品も、芸術的価値のある彫刻や絵画、使用人たちの寝室に至るまで、住人の避難が済み無人となった屋敷が氷に呑まれ、閉ざされていく。
被害は高級住宅街に留まらない。
車道に乗り捨てられた車も例外ではなかった。丸みを帯びた車体が霜に覆われ、エンジンをかけたまま放置されていた車すらも稼働中のエンジンもろとも凍結してしまう。
石畳も、街路樹も、そして逃げ遅れた人間も。
有機物、無機物の区別なく、全てが極寒の世界に沈んでいく。
喫茶店の軒先に吊るされた看板が白く染まり、雨に濡れた石畳が瞬く間に銀色の被膜に覆われる。
その様子をムーア川の対岸、ロンディニウム大橋を渡り切ったところから眺めていた人々の吐き出す息が―――じわりじわりと、白く濁る。
「……まさか」
「おかあさん、あれ」
「え……?」
抱き抱えていた幼い子供が、ムーア川の激流を指差す。
その指の先を見た母親は、絶句した。
ああ、神様―――胸の前で十字を切らずにはいられなかった。
毎日の雨で増水するのが当たり前だったムーア川。その濁流が、いつの間にか止まっていたのである。
濁った土色の水が荒々しい流れそのままに凍り付き、厚みを増し、川面全体へと広がっていく。
ムーア川の対岸も安全ではない―――そう悟った人々が、悲鳴を上げながら一斉に逃げ始める。しかし急激な気温の低下と石畳が凍結し始めていた事もあり、一部では足を滑らせて転倒したり、それを引き金とした雑踏事故までもが発生した。
逃げる人々に踏みつけられ、転倒した人々の下敷きになり圧死する住民も相次いだ。
そんな市民たちと入れ違いになるように、魔術師たちを乗せた軍用トラックがロンディニウム大橋に到着。訓練通りに展開した魔術師たちが杖を掲げ、一斉に炎属性魔術を放ち始める。
―――いや、そうはならなかった。
いつものように魔力を放射しても、杖を掲げても―――その杖が火を噴く事はなかった。
術式は展開できる。魔力を放射するまではいつもと何も変わらない。
しかし放射された魔力の淡い光は途中で咳き込むように点滅し、揺らぎ、霧散してしまうのである。
何度繰り返しても、結果は変わらなかった。
「ま、魔術が……魔術が使えない!!」
周囲の魔力の乱れ―――魔力的エントロピーの急激な増大。
魔力的エントロピーとは『一定面積の空間の魔力がどれだけ整っているか』を現す指標だ。魔力的エントロピーが小さければ空間中の魔力が整っており、魔術の発動に適した環境であると解釈されている。
逆に大きければ空間中の魔力が乱れに乱れ、乱雑極まる魔力の点在が正常な魔術の発動を妨げる……今はまさに、その状態であった。
ロンディニウムの市街全域、魔力的エントロピーが異常な速度で上昇していたのである。
「そ、総員退去!!」
指揮官の命令で、ブリタニア軍の魔術師たちはトラックへと乗り込んだ。
しかし運転手が何度キーを捻っても車のエンジンは動かない。
エンジンが凍り付いてしまったのか、あるいは魔力的エントロピーの増大がエンジンの始動を妨げているのか。
トラックが動かないと知るや、兵士たちはトラックを棄てて逃げ始めた。
ムーア川の対岸で、凍り付いた建物がその重みに耐えかねて倒壊を始める。地中の水道管が破裂し、瞬く間に凍結して、石畳をぶち破り鋭利極まる氷の華がいたるところで咲き乱れる。
天地戦争の戦火を知らず、栄華を極めた雨の都は―――今、再び氷に閉ざされようとしていた。
いったい何が起きているというのか。
死ぬ気で突っ走り、セーフハウスの外に停車してあるハンヴィーに仲間たちと一緒に乗り込んだ。全員の搭乗を確認、乗り遅れた仲間がいない事を確認するなり「出してくれ!」と運転席のユリウス兄貴に叫ぶ。
言われるまでも無く、ユリウス兄貴はハンヴィーを急発進させた。分厚い防弾タイヤが思わず何度か空転するほどの勢いで回転、アクセルをベタ踏みで一気に加速させていく。
サイドミラー越しに後方を見た。
凄まじい勢いでクロムウェルが、そして街が凍り付いていく。俺たちがさっきまでいたインフェルノのセーフハウスも、1ブロック先の交差点を通過する頃には純白の霜に覆われて、中に残っている死体もろとも冷凍保存されてしまう。
ドパン、と周囲の車道が弾けた。まるで砲撃でも受けているように思えるが、違う。地下を通っている水道管が一気に凍結し破裂、圧力を受けて吹き出した水が急激に凍り付いているのだ。
車内で吐き出す自分の息も段々と白くなっていく。指がじんわりと赤くなり、霜焼けしそうなほどだ。
後部座席を振り向いた。フルールが身体を震わせて、そんな彼女を何とか守ろうとクラルテが小柄なフルールを抱きしめている。
当たり前だが、皆吐き出す息が真っ白だった。
ずるっ、とハンヴィーの車体後部が右へ左へと揺れ始める。その度にユリウス兄貴がハンドルを切ってリカバー、事なきを得る。
車道の石畳が凍結していた。
ほんの数分前まで雨が降っていたのである。そこにこの急激な気温低下からの凍結だ。冬季用のスタッドレスタイヤを使っているならばもう少しマシなのかもしれないが……こんな急激な寒冷化現象が発生するというのは予想外である。
スピードを出せばスリップし横転する恐れがある。
しかし悠長に走っていれば、俺たちも……!
もう少しでムーア川が見えてくる、という地点に差し掛かったその時だった。
「……エリスさん?」
「どうしたラウル!?」
「いや、今……エリスさんの、エリスさんの叫びが……」
俺だけなのだろうか。
助手席の窓の向こう、市街地の中心部にあってこの寒冷化現象の発生源となっている超巨大時計塔『クロムウェル』。
その頂点、今は紅い光を放ちながら凍てついてしまっている時計塔に彼女の幻を見たのは。
血の気の引いた、ゾッとするようなエリスさんの顔。
やがて遥か空の彼方へと視線を移した彼女が―――おぞましく、痛々しい叫びを発した。
目を見開き、大きく開いた口が裂け、みるみるうちにその皮膚を突き破って氷の結晶が生えてきて―――。
エリスさん……まさか、あそこにいるのか? あのクロムウェルに?
《お前ら、こっちだ!》
ハンヴィーに搭載されている通信機から唐突に響いたのは、ソコロフの声だった。
急激に凍り付いていく道の遥か向こう側。ロンディニウム大橋にほど近いムーア川の流域で、ソーキルが艦尾をコンクリート製の堤防にびったりと密着させた状態で待ってくれていた。
艦尾にある船体上部の格納庫、ドローンステーションの後方に位置するシャッターが解放されており、その向こうではオレンジ色のツナギ姿のソコロフがヘッドセットのマイクを手で押さえながら大きく手を振っていた。
《こっちだ、飛び込んで来い!》
「兄貴!」
「しっかり掴まってろぉぉぉぉぉッ!」
スリップ上等、と言わんばかりにアクセルを一気に踏み込むユリウス兄貴。
見ると、連日の雨で増水したムーア川までもが凍り付き始めていた。あのまま川に停泊していればソーキルも氷漬けになってしまうかもしれないというのに、彼らは俺たちの帰りを待ってくれていたのだ。
「ああ、くそ……くそっ!」
バフ、バフ……とハンヴィーのエンジンが咳き込み始める。回転数が安定しなくなり、速度も上がったり下がったりを繰り返して、いよいよエンジンまでもが不調をきたし始めた。
窓にも霜が張り始め、このままではハンヴィーもろとも氷漬けになる。
そんな危険が目に見えてきたところで、しかし幸運の女神は俺たちに味方してくれた。
兄貴がアクセルベタ踏みで加速してくれていたおかげもあり、ハンヴィーは無事に河川敷へと到達。勾配をジャンプ台代わりにして跳躍、ソーキル艦尾の後部甲板へと滑り込むや、慣性のままに格納庫の中へと到達する。
ソコロフが大急ぎで艦尾のシャッターを閉鎖してくれたおかげで、氷漬けにならずに済んだ。
窓の向こうからソコロフの『若手共を収容!』と艦内電話で報告する声が聴こえ、やっと生きた心地がしてきた。
だが、しかし。
エリスさんは……あの人は、まさか……。
「錨上げろ! 緊急発進!」
「了解ぃ!!」
息を切らしながら艦橋に上がって来るなり、操縦席に座るソコロフ。手慣れた様子で目の前のパネルのスイッチを弾いて錨を巻き上げるなり、重力変調システムを停泊モードから飛行モードへと切り替えた。
床越しに響く対消滅機関の甲高い駆動音。
しかしヴォイテクは、その振動がいつもと比べると不安定である事に気付いて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
通常、魔力的エントロピーの増減が影響を及ぼすのは魔術の発動、及び魔力を動力源とする機関のみである。
かつて魔力的エントロピーの死熱化を提唱した大昔の大魔術師、メルダース・ローヴェル・アーチボルト。彼が警鐘を鳴らしたからこそ、今の魔力に依存しない動力機関の普及があるのだ。
が、しかし。
(イライナ純正の動力機関にまで影響を及ぼしてるっていうのかよ……!?)
考えられない事である。
そもそもが魔力に依存しない対消滅機関。しかしそれにすら干渉し出力を揺るがすなど、到底考えられない事だ。
例えるならば屏風から虎が飛び出して襲ってくるようなものである。あるいはテレビの中の怪獣が、視聴者に牙を剥くようなものか。
いずれにせよ、その次元の話なのだ。
「ソーキルよりロンディニウム航空管制局。緊急事態につき離陸許可を無視する!」
どーせ誰も聞いてないだろうがな、と言葉を添えながら航空管制局への回線を切断、ソーキルの発進を命じた。
剣のように鋭利な衝角が、凍り付きつつあるムーア川の水面を砕氷船よろしく粉砕しながら一気に加速。やがてふわりと船体が浮き上がり、氷の付着した船底が冷え切った大気に晒された。
艦尾の二重反転プロペラが氷の塊を払い落しながら駆動を開始。付着した氷の影響でバランスが乱れに乱れ、いつも以上に激しい振動でプロペラシャフトに負荷をかけながらも通常航行レベルの回転数に到達したソーキル。
氷に呑まれつつあるロンディニウムから、辛うじてソーキルは飛び立ったのだった。
偶然この艦を訪れていた、エミリアと力也、ナオハの3人を伴って。
どうでもいい話
アルカディアのSNS上では『建造されている艦に対し、造船所の数が少なすぎる』、『造船所の数の割に建造され就役する艦の数が多すぎる』という指摘が散見されるが、機密に触れるためAIルシフェルによって書き込みはすぐに削除されている。




