魔女の叫び
どうでもいい話
ソーキル級は現時点で500隻が就役しており、艦名の命名規則は『スラヴ系言語での鳥の名前』となっている(ソーキル=ウクライナ語で『ハヤブサ』、カナレイカ=ロシア語で『カナリア』等)。
それだけの数の同型艦がいるなら名前がネタ切れになってしまう。実際ソーキル級では艦名のネタ切れが発生してしまったため、『ソーキルⅡ』『ソーキルⅢ』といった感じにローマ数字を足し、艦名を水増しして対応している。
なお、ミストルテインがかつて運用していた空中艦の中にはローマ数字で210を意味する『CCX』が冠せられた艦が存在した。いったいどれだけの同型艦が建造されていたのだろうか……。
強盗作戦における完全勝利から一夜明けた。
硬質な金属音と共に、ソーキルの後方に停泊していた同型艦『ヴォロン』の錨が巻き上げられていく。がごん、と錨が艦首に収まるなり、赤く塗装された喫水線下の周囲の水がぶわりと抉れるように押し退けられた。
艦に搭載された重力変調システムが停泊出力から飛行出力へと押し上げられたのだ。やがて連日の雨で増水したムーア川の上流に向いていた舳先が、濁流の如きムーア川の流れに逆らって進み始める。
前方に停泊するソーキルの左舷を緩やかに通過していくヴォロン。もがみ型護衛艦の艦橋を彷彿とさせる艦橋構造物、その窓の向こうでミラが大きく手を振っているのが見えたので、見送りをするべくレインコートを羽織り甲板で待機していた俺たちは大きく手を振った。
ソコロフが手にしていたラッパを吹き始める。統一獣人戦線の軍歌―――ではなく、協商連合の船乗りたちの間に伝わる曲なのだそうだ。陽気な曲調で、果ての無い空の航海の孤独を振り払うような力強さがある。
ソーキルの左舷を通過し、徐々に上昇に転じるヴォロン。誘導する小型の嚮導艦に続いて上昇するや、艦尾から伸びる長いシャフトに搭載された大口径の二重反転プロペラが駆動を開始。やがては退避に転じた嚮導艦を追い越して、土砂降りの続くロンディニウムの空へと旅立っていった。
甲高い二重反転プロペラの音を響かせながら、段々と小さくなっていくヴォロン。腹の中に盗品をたっぷりと詰め込んだソーキルの13番艦は、これから空の海原と雲の波濤を乗り越えて、アルカディアへと帰還するのだ。
やがて二重反転プロペラを備えた艦尾が曇天へと消えると、俺たちは雨の降り注ぐ甲板から艦内へと戻った。レインコートを洗濯室のカゴの中にぶち込んで、それぞれ持ち場に戻っていく。
ソーキルはしばらくブリタニアで待機だ。ヘンリック率いるインフェルノに今回の強盗作戦でどれだけのダメージが入ったのか、そして連中が今後どのような動きを見せるのか。奴らの情報収集と、可能であれば追加攻撃を行う事―――それがソーキル組に課せられた次の任務だった。
居残りというお鉢が回ってきたのは、ヴォロン組よりもソーキル組の方が人員に余裕があるためだろう。必要最低限の艦の運行要員だけを残して陸戦隊を編成なんて事も出来るが、3名のみで艦を運用しているヴォロンでは無理な話だ。
無論、戦闘人形の一部の個体にも俺たちや他のギルドのメンバーの戦闘データをインストールした戦闘タイプが含まれているので、陸戦隊の組織は難しくないらしいが……しかし今の精度では不確実性が勝るというのが上層部の判断なのだろう。
そう、俺たちの戦闘データは常に収集されている。
ギルドメンバーに支給されているスマホ。それがあらゆる作戦行動記録を収集し、各艦に搭載されているAI『ルシフェル』のサブフレームに転送。そしてそのサブフレームがリアルタイムでデータをメインフレームにアップロードする事で、ルシフェルはその戦闘データを学習し新たなドクトリンへと昇華、AIによる統括下にある戦闘人形たちに分配し更新していくという仕組みになっているらしいのだ。
ミカエルの話では、『将来的に戦闘はAIに委ねる』という計画があるらしい。そうする事で貴重な人員を危険に晒す事の無くなる次世代の軍隊が完成するのだ、と。
ウチの総大将は優しい奴だ。
救いを必要としている弱者が誰なのか、そしてそんな利権に群がる『人権屋』を嗅ぎ分け徹底的に弾く。そして救済が必要な人々からしっかりとヒアリングを行い、必要な支援が必要な場所へ必要なだけ届く環境を整えている。
そんな揺り籠を守る守護者の役割すら、機械に任せようというのだ。
そうすれば少なくとも、協商連合の仲間は誰も死なない。
”死”という不可逆的な喪失。取り返しのつかないそれを、資源と資金の浪費で代替できるというならば安いものだ。AIはいくらでもバックアップがあるし、無人兵器を壊されてもまた造り直せばいいのだから。
将来的に、俺たちもお役御免という事になる。
もし俺の目が黒いうちにそんな事になったらどうしようか……孤児院でも開くか、あるいはチャンさんに弟子入りして中華料理でも作るか。結局のところ、走って殴って撃って殺して、という破壊的行為で飯を食っているわけだから、いざそれがなくなるとなると別の食い扶持を探しておかないといけない。
俺戦う以外に何かできたっけ、と思いながらチェックリストを取り出し、更衣室で作業用のツナギに着替えて艦内の保守整備を始めようと思ったその時だった。
《艦長より達する、艦長より達する。手隙の乗員は直ちに艦橋に集合せよ。繰り返す、手隙の乗員は直ちに艦橋に集合せよ》
……どうやら、早くも”仕事”が出来たようだ。
ブロロロロ、と走り去っていくハンヴィーを見送りながら、ヴォイテクはスマホのスリープモードを解除して画像フォルダを開き、本部から送られてきた情報を再確認していた。
ロンディニウム市街地に点在する、インフェルノの『セーフハウス』。
正規軍ほどの軍事力はなく、兵員と言っても犯罪者や軍人、冒険者崩れのゴロツキ同然の連中ばかりであり、ヘンリックを含めたごく一部の人員の戦闘力が突出しているだけの烏合の衆、というのが、本部のインフェルノに対する評価である。
もし仮に、協商連合と真っ向から戦争を始めればあっという間に潰されてしまうだろう。ヘンリックは大喜びする状況になるだろうが、そうなれば彼の悲願である『天地戦争の再度開戦』は達成できなくなってしまう。
だからインフェルノは、正面からの衝突を嫌っている。
あくまでも事件を起こし、それを使って天地戦争を再開するよう国際世論を誘導しようとする―――いわゆる『認知戦』に重きを置いている。
つまるところ、彼らは”情報”で戦っているのだ。
そのためにも諜報活動の拠点は必須となる。彼らの活動を許していれば、いずれここもカフリアの二の舞となるであろう。
災いの芽は早い段階で摘むに限るのだ。
そういうわけで、ラウルを始めとする若手たちをセーフハウス狩りに放ったのがついさっき、というわけである。練度の低いゴロツキ相手にラウルたちが後れを取るなど到底思えない事であるが、万が一という事があるしヘンリックのブリタニア入りも確認されている。
襲撃を察知したヘンリックが増援に駆け付ける可能性もある―――いくら彼との戦闘を経験し訓練も積んでいるとはいえ、今の若手が束になって勝てる相手とも思えない。
ヴォイテクが万全の状態で挑んでやっと互角、という次元の相手である。よほどうまく不意討ちでもするか、万に一つのミラクルでもない限り勝機はない。
そのため、万一ヘンリックとの遭遇があった場合は交戦せずに逃げるよう厳命していた。
ラウルたちならば上手くやるだろう―――若手に信頼を寄せながら吉報を待つヴォイテク。マグカップになみなみと注がれたカクテルをそっと口に含み、身体から無駄な力を抜いた。天地戦争に従軍した際、ノヴォシア出身のかつての戦友から教わった飲み方だ。こうやって、ブラックコーヒーにウォッカと卵黄を混ぜて飲むと体が温まるのだという。
戦争にはろくな思い出が無いが、これだけは別だった。
そんなリラックス中のヴォイテクの視界の中。操縦席でラウ×ミカ本を広げて読んでいるソコロフの近くにある艦橋の窓。その向こうにちらりと、黒塗りの高級車が見えたのである。それも立派な家紋付き―――このロンディニウムの中でも特に大きな権力を持つ一族のものであろう。
車から降りてきたのは蒼い髪の竜人女性と、隻腕で大柄なワコクオオカミの獣人男性。蒼い髪の女性はともかく、その隻腕の巨漢には見覚えがあった。天地戦争末期のメルキアの戦いで、ヘンリックと並ぶ武勇を打ち立てた倭国最強の剣豪―――速河力也ではあるまいか。
こんなところに何の用だ、と訝しみながらも、艦橋をソコロフに任せて艦の外を目指した。艦橋から船体に降りるタラップを滑り降り、雨で濡れる甲板まで出る。巨大な20.3㎝連装砲が2基も鎮座する前部甲板からムーア川の河川敷へと伸びるタラップを駆け下りると、やはりそこにはペンドルトン家の当主エミリアと、その夫力也が待っていた。
「これはこれは」
「くまさんハウスとかいうギルドの艦はこれで合っているか?」
「ええ、合っていますよ」
「私はペンドルトン家当主、エミリア・ペンドルトン。こっちは―――」
「―――久しいな、ヴォイテク伍長」
「そちらこそ。メルキア以来ですかな、速河少佐殿?」
隻腕の彼に考慮し、左手で握手を交わす。やはりそうだ―――かつて共に、メルキアで戦った倭国の英雄豪傑。顔を合わせた時間は短いが、『倭国の赤鬼』、『ポルスキーの魔獣』と異名を欲しいがままにした猛者同士、その活躍は聞き及んでいた。
「改めまして、冒険者ギルドくまさんハウスのギルドマスター、ヴォイテクです。本日はどういったご用件で……ああ、こんな雨の中で話すのもなんです、どうぞ艦内へ」
「いや、生憎急ぎの用なのでな」
「急ぎの用?」
「ああ、由々しき事態だ」
いったい何が―――これ以上ないほど悪い知らせの予感に、ヴォイテクは息を呑んだ。
「姉さんが―――行方不明になった」
17年前、このロンディニウムの街は一度氷に閉ざされた。
遥か大昔の大魔術師、メルダース・ローヴェル・アーチボルトが提唱した仮説―――魔力的エントロピーが増大に増大を重ねた果てに待ち受けるであろう魔導文明の終焉、すなわち【魔力的エントロピーの死熱化】。
魔力の乱用を戒める目的で提唱したのか、それとも探求の果てに垣間見えた破滅の未来なのか。それはもう既にメルダースの時代から少なくとも2万年以上も経過している今となっては、誰にも分からない。
だがしかし、1つだけ確かな事がある。
かつてメルダースが、果ての無い魔導文明の先に垣間見た破滅―――魔力的エントロピーの死熱化という終焉に、一度だけ限りなく近づいた瞬間が確かに存在したのだ。
それが17年前。
それを引き起こしたのは、当時まだ5歳だった1人の少女。
生まれつき、当時の尺度では(現代でも)測れぬ類稀な魔術適性を持って生まれ、しかしそれが強大すぎるが故に制御する事が出来なかった恐るべき力。
『絶対零度の魔女』の吐息は今もなお、このエリス・シンシア・ペンドルトンという女の中で息衝いている。
ごく一部の人間しか知らない、ロンディニウムが氷に閉ざされたあの事件。
その話を聞いた時からずっと、ヘンリックは思っていたのだ。
ペンドルトンの一族が大事に鍵をかけた禁忌。エリス・シンシア・ペンドルトンという女の姿をしたパンドラの箱をこじ開けたら、いったいどんなことになるのか……と。
きっと素晴らしい混乱が巻き起こる筈だ。
全てが凍てつき、魔術も使えない。
太古の魔術師たちが畏れ、忌避した魔導文明の終焉。
極めて脆弱でアンバランスな今の世界で再現されれば、取り返しのつかない大混乱に至るであろう事は想像に難くない。
超巨大時計塔『クロムウェル』最上階に位置する部屋の中。ここに密かに持ち込まれ、組み立てられた巨大な装置を仰ぎ見て、ヘンリックは歓喜に顔を歪ませる。
無数のケーブルが大樹の根の如く張り巡らされた装置―――その中心部には、まるで磔にされたような状態で、エリスが拘束されている。
鼻歌を口ずさみながら、ヘンリックは装置の制御盤へと足を運んだ。ガラスカバーを外して赤いスイッチを露出させるなり、相棒たるイーライの方を見てウインクする。
これから始まるのだ、終わりが。
そしてそれは、もう止められない。
「さあ、お目覚めの時間だよん」
スイッチを弾いた。
瞬間、目を見開いたエリスの絶叫が響き渡った。
少なくとも室内戦において、銃身は短ければ短いほど良い。
サプレッサー付きのM4A1、10.3インチのショートバレルのそれを構えたまま部屋の入り口から必要最低限の面積だけ身体を露出させて室内を素早く、かつ確実に索敵。ホロサイトに一瞬だけリボルバーを手にした戦闘員の姿が見えたのですぐさま頭を引っ込める。
直後、俺の頭を刈り取るべく放たれた弾丸が壁にめり込んだ。
さっきよりも姿勢を低くし、相手の射線から身体を外すよう意識しながら飛び出して素早くダブルタップで射撃。パスパス、と5.56㎜弾が相手の肩口と眉間にめり込んで、インフェルノとかいう泥船に乗り込んでしまった後先考える事も知らない人間の失敗作は物言わぬ肉人形に成り下がった。
心臓に2発弾丸を叩き込んで確実な死亡確認を行い、スマホに向かい「クリア」と報告する。
「クラルテ、そっちは?」
「こっちもクリアです」
サプレッサー付きのMINIMIを抱えたクラルテが、さも当然のように淡々と報告してくれた。
戦闘員はもういない。あとは記録を持ち出せる分だけ全部持ち出して、とっととここを離れよう。理想は死体の処理をしていく事だが、そんな事を悠長にやっている暇はない。だから心臓に2発、頭に1発弾丸を叩き込んで、確実な死亡確認とゾンビ化防止を徹底しておくのだ。
机の引き出しやコルクボード、些細なメモ書きに至るまで、とにかく何かの手掛かりになりそうな情報を片っ端からダンプポーチに詰め込んでセーフハウスを出た。
その時だった。
肌が凍り付くような冷たい風に乗って、聞き覚えのある悲鳴が聞こえたような気がしたのは。
「エリスさん?」
今の声、まさか。
「ラウルさん、あれ」
「え」
クラルテが指差す先。
そこに鎮座するのは、ロンディニウムの象徴たる超巨大時計塔『クロムウェル』。
黄金の光の環に幾重にも覆われたそれが―――まるで血のように紅く発光しながら、急激に凍り付き始めていたのである。




