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勝利の美酒

どうでもいい話

ソーキル級は重力変調システムがあるので、空中巡洋艦の分際でクルビットができる。


 はて、屋敷がある方角はこっちで合っていただろうか?


 バンの後部座席から窓の外を見るなり、エリスは訝しんだ。確かに高級住宅街のある方向に向かっている。しかし、ペンドルトン邸はクロムウェルのある方向とは逆方向にあるはずだ。そんな回り道をする必要など微塵もない。


「ねえ、ちょっと」


 さすがにおかしいと思ったエリスが、運転席に座る狼の獣人―――ヘンリックに問いかける。


「屋敷はこっちじゃないわよ」


「すいませんねぇ、ちょっと高級住宅街で火事があったみたいで。いつもの道は通行止めになってるんですよ」


「あら、そうなの?」


「ええ。だからあのクソデカい時計塔……何でしたっけ名前?」


「クロムウェルよ」


「そうそれ。あっち方向から回り道で帰りますので。申し訳ありませんが……」


「ああ、そういう事なのね。分かったわ」


 それなら仕方ないわね、と納得するエリス。


 夫の名前を出すだけでホイホイついてきてしまう上に、こんな雑な話を簡単に信じ込んでしまう彼女に、思わずハンドルを握るヘンリックも困惑してしまう。


 事前に調べて話は聞いていた。エリス・ペンドルトンは幼少の頃から現在までを屋敷の中で軟禁される形で過ごしているが故に、世間知らずな一面があるのだと。


 確かにそうだろう、そうなのだろう。安全な音質で蝶よ花よと育てられればこうもなるだろう。使用人や身内が身の回りの世話をしてくれるし、夫の力也も(ヘンリックは戦時中に刃を交えた付き合いだが)思いのほか献身的な一面があるのだという。


 だからこそ、エリスはここまで世間知らずに育ってしまったのだ。


 いくらなんでもあんまりじゃあないか、と思わず頭を抱えそうになった。


 これで計画が楽に進むが、いくらなんでもコレは……世間知らずなんてものではない。親からの躾がしっかりしている子供でさえ、「知らない人について行ってはダメ」という常識を守れるというのに。


 大丈夫かこの女、とヘンリックは思わず心配になってしまった。


 だがすぐに、にんまりと口元を歪ませる。


 ―――もう、そんな心配は必要ない。


「エリス様、喉は乾きませんか?」


「え?」


「アイスティーがあります。水筒のやつで申し訳ありませんが」


「ああ、ありがとう。頂こうかしら」


 水筒を受け取り、中に入っていたアイスティーを飲み始めるエリス。


 随分と美味しそうに飲むんだなぁ、とバックミラー越しに眺めていたヘンリックは、ついつい赤信号を無視してそのまま交差点へと突入してしまう。


 クラクションを鳴らしてきた相手に中指を立てて応じている間に、バックミラーの向こうではエリスの赤い瞳が今まさに閉じようとしているところだった。


 うつらうつらと頭を振るようにして睡魔に抵抗するエリス。しかしバンが交差点を抜け、クロムウェルの足元に差し掛かったところで完全に睡魔に屈してしまったようで、がっくりと倒れ込みすうすうと寝息を立てはじめる。


 そんな彼女を見て、ヘンリックは軽く肝を冷やした。


 あのアイスティーに入っていたのはマンモス用の麻酔薬である。それも、本来10倍に希釈して使わなければならないものをほぼ原液でぶち込んだのだ。無味無臭とはいえそれを飲み、あんな居眠りみたいな感じで眠りに落ちられればそれはもう困惑するしかあるまい。


 竜人の免疫は、常人のそれを上回るとされている。


 だから竜人は疫病にも強く、体調を崩す竜人の数は極めて少ないとされている(逆に、竜人でも寝込んでしまう感染症は獣人にとって致命的なものだ)。


 それ故に大事を取ってマンモス用の麻酔薬を原液で混ぜ込んだのだが、その判断は正解だったらしい。


 クロムウェルの傍らでバンを停めると、傍らで待機していた仲間―――サーベルタイガーの獣人、イーライが手を上げながら駆け寄ってきた。


「ようボス、首尾はどうだい?」


「上手くコトが運び過ぎて逆に怖いわ」


 見ろよこれを、と顎で示すなり、イーライは後部座席を見て「Oh……」と思わず困惑する。


 彼もてっきり抵抗される可能性を考慮し、猿轡をした上でロープで身柄を拘束するような絵面を想像していたのだろう。それがどうだ、バンの後部座席にはアイスティーを飲み干し、すやすやと寝息を立てる世間知らずの夫人が眠っているではないか。


 それも無傷で、だ。


「……コレ逆に影武者だったりとかしねえ?」


「怖い事言うなよお前」


「いや、だってさあ……何、コレ何したのボス?」


「コイツの夫の名前だしたらホイホイついてきたんだよこの女」


「……マジかよ今までどうやって生きてきたんだこの女」


「とりあえず降ろせ。やるぞ」


 バンを乗り捨て、後部座席で眠るエリスを抱えてクロムウェルへと足を踏み入れる。


 浮遊大陸ブリタニア首都ロンディニウムのシンボル、時計塔『クロムウェル』。


 全高1200mにも達するこの超巨大時計塔は、固有重力が0.9Gとなっているブリタニアだからこそ可能な超巨大建築物である。重力が軽ければ、それだけ構造体にかかる荷重は軽くなるのだ。


 それ故に旧き時代からブリタニアでは高層建築の技術が発展を遂げており、このクロムウェルはその集大成ともいえる代物である。


 しかしながら一般公開はされておらず、立ち入りが許されているのは最低限の警備員か、内部の複雑怪奇な時計の歯車をメンテナンスする作業員くらいのものだ。それ以外に特に理由のない立ち入りは許可されていない。


 クロムウェルの作業員用ゲートを潜るなり、濃密な血の臭いが鼻腔へと流れ込んできた。


 磨き抜かれた大理石の床の上。喉笛から血を垂れ流し、あるいは眉間にナイフを突き立てられて倒れ伏しているのはここの警備員たちだ。


 上へと上がっていくための作業用エレベーター。その操作パネルの傍らの壁に寄り掛かるようにして立っている男を見て、エリスを抱えたヘンリックはにんまりと口を歪ませる。


「よう、こっぴどくやられたようだなぁ? ええ、我が息子よ?」


「……」


 黒ずくめの男―――切り裂きジャック《ジャック・ザ・リッパー》は撃たれた右手を庇うように左手で押さえつけながら、悔しそうに歯を噛み締める。


 所詮はその程度か、とヘンリックは少しばかり失望した。


 まあそうだろう、そうもなるのだろう。


 面白そうだからとラウルにジャックをぶつけてみたは良いものの、概ね予想通りの結果になった。


 まともに抵抗も出来ない娼婦を惨殺し、世間を騒がせてきただ(・)け(・)の殺人鬼と、常日頃から死と隣り合わせの最前線で戦い抜いている叩き上げの冒険者。いざぶつかればどちらが優勢なのかは言うまでもない。


 もっとも、戦った条件が条件なので公平な評価はできないという点には留意する必要があるが。


 ポケットから取り出した小瓶をジャックに放り投げた。シロップ状のエリクサーだ。ひどい味がするが、飲めば負傷部位の細胞分裂を促進して傷口をすぐに塞いでくれる回復アイテムである。


 治療魔術師(ヒーラー)に恵まれない冒険者にとっての生命線とも言える代物だ。


「……その女、どうする。殺すのか」


「殺すっつーかほれ、アレだ。死ぬ」


「じゃあ俺に殺させろ」


「ダメだ。負(・)け(・)犬(・)なんぞにやらん」


 瞬間、ジャックが動いた。無事だった左手でナイフを抜き払い、極端な前傾姿勢で一気に急加速。さすがはイヌ科の猛獣の瞬発力だと目を見張るが、しかしそのナイフの切っ先がヘンリックの喉笛を、あるいは心臓を捉える事はついになかった。


 そうなるよりも先に、ジャックの顔面に叩きつけられる寸前の状態で止まったヘンリックの拳が突きつけられていたからだ。


 その気になればその脆弱極まる頭蓋を粉砕する事など容易い―――言葉ではなく行動で、何よりも雄弁に物語ったヘンリック。


 さすがにジャックもそこまで愚かではなかったのだろう。ばつの悪そうな顔をしながらゆっくりとナイフを収め、眉間に皺を寄せながら一歩後ろへ下がる。


「安心しろ、次もあるさ。近いうちにな」


「……」


 ラウル・エルマータ。


 以前に蟲島で戦った時は、全く相手にならなかった。あれもまた有象無象の1つ、取るに足らない雑兵の1人という認識だった。


 それがどうだろうか。


 敗北の悔しさをバネに努力したのか、ジャックを退けるほどの実力を手にするに至っている。


 素晴らしい―――生かしておいて正解だった、とヘンリックは思う。


 まだ自分には及ばないだろうが、いつかは……きっといつかは。


 エリスを抱えたまま、イーライを伴いエレベーターへと乗った。そのまま最上階のボタンを押し、上へ上へと上がっていく。


 格子状のドアの向こう側には、大小さまざまな歯車が複雑に噛み合ったクロムウェル内部の様子が見えた。あの歯車が1つでも狂えば全体が狂う。だからメンテナンスには手間暇かけているのだろう。


 だがそれも、もう必要ない。


 いずれこの浮遊大陸は、氷に閉ざされる。


 17年前のあの時のように。


「せいぜい働いてもらうぜ、絶対零度の魔女さんよ」





















「おー、こりゃあ大漁じゃねえか」


 盗んできた盗品の数々を見ながら、ヴォイテクは上機嫌に言った。


 エイカー家の強盗と同時に展開されたブリタニア・セントラルバンクへの強盗作戦も成功裏に完了。エイカー家がインフェルノのために用意していたという”裏金”をごっそりと盗み、両者のお財布に大打撃を与える事に成功した。


 これで連中もしばらくは大規模な行動には移れないだろう。とはいえ油断は禁物だ……この世界には天地戦争の開戦を目論む過激派なんてごまんと居る。そういう連中に接触すれば金を喜んで出すだろうし、強力もするだろう。何らかの利権をちらつかせれば、落ち目の貴族とか富裕層も飛びつくかもしれない。


 いずれにせよ、今後も警戒を厳にというわけだ。


 ソーキル級13番艦『ヴォロン』の格納庫に集められた盗品の山。金の延べ棒に浮遊大陸の統一通貨であるコルタ紙幣の札束、ルビーにサファイアにエメラルド、大粒のダイヤモンド。おまけにそれらを加工した宝飾品まで多種多様である。


 これを換金したらとんでもねえ額になるんだろうなぁ……。


 何割かは協商連合の運営資金とかで持ってかれるんだろうけども。そういやソーキル級の500番艦が就役したって協商連合のSNSでニュースになってたっけ。まあウチのソーキルちゃんも500人姉妹という大家族になってしまったので維持費とかやべーんだろう、きっと。


 ちなみに天地戦争時代は同型艦が100隻とか300隻とかいるのは普通だったらしい。だからソーキル級も普通よりちょっと多いかなくらいの感覚らしいよ、この世界の人からしたら。すげえ時代だよなマジで。


 それでも俺らの懐に入る金額はかなりのものになりそうだ。今月の給与明細が楽しみである。


「いやぁ~皆さんお疲れ様ッスわ」


 ヴォロンの乗組員、褐色の肌が特徴的なヨコスジジャッカル獣人の兄貴(確かギュンターさんだっけ?)ががっはっはと笑いながら言った。


「こんだけありゃあ俺も車のローン一括返済できるわ」


「へー? 兄貴にそんな計画性あったっけ? こないだギャンブルで全額溶かしたくせに?」


「……ゴメンぐうの音も出ねえ」


 妹のミラにツッコまれ、何とも言えない顔でしょんぼりするギュンター氏。


 そんな兄妹のコントを尻目に、フランシスの海軍将校みたいな格好のライオン獣人女性が一歩前に出た。


 ヴォロン艦長のカレン・ディーア・レ・ドルレアン氏である。


「じゃあこの盗品は今夜にでもアルカディアに移送するわ。ソーキルはブリタニアに残ってインフェルノの動向を探る……予定通りお願いするわね、ヴォイテク艦長?」


「了解だ。さてと……じゃあ諸君、作戦の成功を祝して乾杯でもしようか、ん? 今頃ウチの凄腕料理人が腕を振るってくれてる筈だ」


「おー! 俺本格中華初めて!」


「あたしもー」


 くまさんハウス(ウチ)とかトキって恵まれてるんだなぁ、と痛感する。


 専属の料理人が乗ってる艦、というのは協商連合ではあまり多くないのだそうだ。実際、同型艦のヴォロンはカレン艦長、ギュンター、ミラの3人で運用し他は省人化しているそうで、料理当番は日替わりか自動調理マシーンが作成する毒にも薬にもならない料理らしい。


 そういう毎日だからなのだろう、ギュンターとミラのはしゃぎっぷりは予想以上だった。カレン艦長は冷静さを保っているように見えるが、ライオンの尻尾がぶんぶん揺れている。獣人とは本音が現れやすい種族なので実に感情豊かだ。


 とりあえず、今夜は勝利の美酒に酔いしれるとしよう。


 たまにはこういう贅沢があってもいいだろう。



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― 新着の感想 ―
お待たせ、アイスティーしかなかったけど良いかな?(サーッ) ヘンリックが困惑する通り本当にエリスさんが無防備すぎるんですわ…あんな大惨事を過去に引き起こした結果とは言え、世間を知らないって残酷なもんで…
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