切り裂きジャック
どうでもいい話
試しにAKを撃ってみたラウル君、リロード時にAKにはないボルトリリースレバーをARのノリでスパンキングしまくりヴォイテクに笑われた。なおロザリーとクラルテは何かに目覚めかけた。
眉間に奔る冷たい感触。
まるでドライアイスを押し付けられたような、あるいはそこを流れる血流が氷に転じたかのような……ともかく、理屈では説明できない本能的な何かを感じ、咄嗟に首を傾けた。
その直後だった―――ライトの中に浮かび上がった人影が、ジャンプすると同時に手にしたナイフを無造作に投げ放ったのは。
フレシェット弾さながらに放たれたナイフはフロントガラスを易々と貫通。どうやらミストルテインのバンは安物で、フロントガラスに割れた際の破片飛散防止のための樹脂も使っていなかったらしい。高速で飛来したナイフが1秒前まで俺の頭のあった空間を貫通して助手席のヘッドレストに深々とめり込み、ワンテンポ遅れて割れたガラスが俺とユリウス兄貴に牙を剥く。
「ラウル!」
「ああ、クソッタレ!」
いくつか破片を浴びて頬を切りながら悪態をついた。
ユリウス兄貴はというと、どうやらガラスが割れたと判断した瞬間にドラゴンの外殻を瞬時に生成して身体を硬質化、破片から身を守っていたらしい。竜人にはあのように、瞬時に皮膚をドラゴンの外殻で覆って硬化する事で身を護る能力がある。
残念ながら獣人にはそんな能力はない。五感が発達している事、動物と話せる事を除けばだいたい普通の人間と変わらないのだ。
しかし悠長に、頬に刺さったガラスの破片を引き抜いている時間はないらしい。
ダンッ、とバンの天井に生じる衝撃。さっきの男―――切り裂きジャックがルーフに着地したのだと理解するよりも先に身体が動いていた。自分の血で濡れたセルフブラッディ(?)な手でMARS-Lを掴み、銃口を天井へ向けて発砲。さっきアイツが着地した辺りを入念に撃ちまくる。
後部座席にいたクロエとロザリーもただ事ではないと理解したらしい。手に持っていた銃器を車のルーフへと向けて撃ちまくり、バンを蜂の巣にしていく。
「振り落とせ!」
「言われんでもやってる!」
路地を抜け、大きめの道路に出る。
赤信号を無視してそのまま交差点へと突入。ルーフにしがみついているであろうジャックを振り落とすべく蛇行運転を繰り返すユリウス兄貴だが、事情を知らない第三者からすれば危険運転レベル100みたいなもんだろう。イキった馬鹿の運転が可愛く見える。
ぶち鳴らされるクラクションと怒号。それに負けじと5.56㎜弾をぶっ放している間に、バンはムーア川に架かるロンディニウム大橋へと差し掛かっていた。
この橋を渡り切った向こう側は工業地区があり、また低所得者たちが住むスラム街もある。
バンが対向車線に飛び出した。割れたフロントガラスの向こう側から迸る対向車のライトとクラクション。それを紙一重で躱すユリウス兄貴のドライビングテクニックはさすがのものだったが、しかし軽快に動けるクーペと違ってこっちは鈍重極まるバンだ。対向車を完全に回避しきれず、助手席側のサイドミラーが対向車と接触、根元から持っていかれてしまう。
60発入りのマガジンが空になったところで再装填。ボルトリリースレバーをぶっ叩いてボルトを前進させたのと、視界の端に何かが見えたのは同時だった。
爛々と輝く紅い瞳。刃のように外側に跳ねた灰色の髪と歪んでボロボロになったシルクハット。
やべえ、と思った瞬間には助手席側の窓がぶち割れて、ナイフを手にした手が素早く伸びてきた。
ドッ、と胸の左側に生じる衝撃と焼けつくような、あるいはじわりと温かい感触が外へと漏れ出ていく感覚―――ああ、やられたと頭が理解した頃に、鋭い痛みが神経を介して脳へと駆け上がってくる。
「ラウル!」
食い縛った歯の隙間から血が滲む。
そうしている間にも、ジャックは俺にトドメを刺すべく左手の袖の中から取り出したナイフを握り、勝利を確信したかのような顔でそのナイフを突き立てようとしてくる。
MARS-Lの14.5インチでは長すぎる―――こういう時に、日ごろの訓練の成果が出てくるものである。
ライフルをスリングに預け、腰のホルスターから咄嗟にグロック40を引き抜いた。それをジャック―――のご尊顔ではなく、俺に突き立てたナイフを握ったままの奴の腕目掛けて引き金を引く。
ドカン、とグロック40が吼えた。
頭に撃っても回避されそうだという予感があった。一か八かの賭けに打って出るよりは確実に手傷を負わせる方を選んだというわけだ。
10㎜オート弾を撃ち込まれたジャックの顔が、やっと苦痛に歪む。
「掴まれ!」
ユリウス兄貴の腹を括ったような声が聴こえたのと、助手席のドア側に身体が大きく投げ出されそうになったのは同時だった。強烈な横殴りのGとタイヤが石畳に擦れる音。割れたフロントガラスの向こう側を、工業地区の煙突が横へ流れていく。
半ばドリフトじみた急カーブ。
ダメ押しに、ジャックの腕にもう一発10㎜オート弾を喰らわせてやった。
痛みに耐えかねたのか、ナイフを握っていたジャックの手が離れる。あとはもう物理法則の赴くままだった。慣性に浚われたジャックの身体は背負い投げされたかのようにぽーんと投げ出され、そのまま石畳の上を派手に転がった。
「兄さんちょっと」
「あ、ちょ、ロザリ」
後部座席からこっちに身を乗り出してきたロザリー。身長186㎝もある彼女のすらりと長い足が、バンのアクセルをベタ踏みにする。
ギャギャギャ、とタイヤが何度か空転。水飛沫を派手に噴き上げるなり、急カーブを終えたばかりのバンが急発進する。
ライトの向こう側には、投げ出されて今起き上がろうとしている切り裂きジャックの姿が。
「私の旦那に何さらしとんじゃワレェェェェェェェェェェェェ!!!!!」
う わ ぁ 俺 の 未 来 の 嫁 キ レ て る 。
急発進したバンによる起き攻め~乙女の怒りを添えて~。理不尽と物騒極まる極悪コンボ、回避できるはずもなく。
ごしゃあっ、とグリルの方から凄い音。これバンパー逝ったんじゃね、なんてジャックの心配なんて微塵もしていなかったんだが、車体が何かに乗り上げたかのようにぼっこんと上に揺れたものだから、あー轢いちゃった、と生々しい実感が湧いた。南無。
《ヴォイテクよりユリウス、何があった?》
「いや、その……色々あった」
《色々あった》
「とりあえず負傷者1名、命に別状なし。無いよなラウル?」
「無いッス」
《……了解、こっちは合流地点で待ってるぞ。その調子だと支援は必要なさそうだな?》
「ああ。追手は捲いたみたいだ」
《優秀なメンバーで助かる。それじゃ、待ってるからな》
ヴォイテクアウト、と告げ、通信が終わった。
ふう、と息を吐いてから刺さったままのナイフを見下ろした。
命のやり取りをした後だからなのだろう、アドレナリンのおかげなのか痛みはスッと引いていて、そういやコレ刺さってたっけと他人事みたいに思う余裕すらあった。
そういや転生前、空手やってた時もこんな感じだった。組手とか試合の最中ってエキサイトしてくると意外と痛みは感じないもので、試合が終わってから打たれた箇所が痛み出してくるような感覚だったのを今でも覚えている。
ナイフも同じなんだな、と思いながら見下ろしていると、ロザリーが涙目で俺にしがみついてきた。
「ラウル、大丈夫!?」
「あ、ああ」
「やだやだ、ラウル死んじゃやだぁ! ラウルがいなかったら私っ、私っ……!」
「いやあの、大丈夫。大丈夫だから」
「ハッ! コレ毒とか塗ってあったら大変だよね! すぐ抜かないと!」
「いやあのバカバカやめろ抜いたら出血がひどくなるから!」
「ロザリーお前っ、応急処置の訓練で何を学んだんだお前!」
「そうだよロザリー! クラルテもこっちに向かってる筈だから仔犬ちゃんは安静にしておかないと!」
あ、危ねえ……気持ちは嬉しいが危ねえ……。
負傷した際はとにかく出血がひどくならないように対策を講じる事。これに尽きる。
バンはやがて工業区画の一角、廃業となったまま放置されていた工場へと入っていく。錆び付いたフェンスを回り込んで裏側へと回り込むと、雨の当たらないところにオリーブドラブに塗装されたハンヴィーが停車していた。
バンのライトをパッシングしながら隣に停車。俺たちが到着したのを確認するなり運転席から私服姿のヴォイテクが冬眠明けの熊よろしくのっそりと降りてきた。
助手席のドアも開いて、シスター服姿のクラルテも降りてくる。彼女は”調律”の影響もあるのだろう、クロエの肩を借りながら降りてきた俺の姿を見ても眉一つ動かさず、「さあこちらへ」と冷静な声だった。
そりゃあまあ、非常事態に取り乱してミスりましたってなったら話にならない。任務遂行に不要な感情をノイズとして除去するのは合理的だけど、何だろう……合理性って突き詰めていくとどこまでも”冷たい”んだよな。人間じゃなくなるみたいで。
車はどうすんだろ、と思っていると、ヴォイテクが車の方へと歩いていった。バンの運転席に狭そうに乗り込むと、バンはヴォイテクの体重で左側へと大きく傾いた。何あれパンクしてるん?
そのまま左に傾斜したバンが工場の中へと入っていく。どうやら俺たちが到着するまでの間、廃工場の電源を部分的に復旧していたようで、バンを停車させるなりヴォイテクは壁面に埋め込まれているレバーを操作し始める。
天井から降りてくる巨大なプレス機。ベキベキと音を立てながら潰されていくバン。
あっという間に廃車になったバンを見つめながらハンヴィーの後部座席へ。床にゴロンと寝転がると、無表情のクラルテが俺の顔を覗き込みながら右手に黄金の光の輪を生じさせた。
すっ、と刺さったままのナイフに添えられるクラルテの左手。え、まさかと思った次の瞬間、その「まさか」が現実になった。あろう事か彼女は何の躊躇も無く、刺さっていたナイフを引っこ抜き始めたのである。
溢れ出る血、脳に駆け上がってくる痛覚……いや、痛みはない。引き抜かれるナイフで筋肉繊維が再び切り裂かれているというのに、こんなにも血が溢れ出ているというのに、全く痛みを感じないのだ。
おそらくはクラルテが右手で展開している術式だろう。
光属性の魔術はあまり詳しくないが、おそらくアレが痛みだけを取り除いているのかもしれない。
ナイフが抜かれ、顕わになる傷口。結構深いところまでざっくりやられたなぁ、と思っている間に傷口が急激に塞がり始めた。血管が、筋肉繊維が断面から伸び、細胞の異常分裂を促された皮膚が覆い尽くしていく。
「はい、終わりましたよ」
「ありがとう……」
ゆっくりと起き上がってみる。傷を負っていた名残なのだろう、左腕を動かそうと力を込めると傷口のあった場所が少々張るような感覚があった。
まあ、それもすぐに消えるだろう。
「治った?」
「はい、終わりましたよヴォイテクさん」
「んじゃ帰るぞ。アルカディアに戻ったら資金洗浄だ」
待ってました。
いやぁいったいどれくらいの金額になるんだろうなぁ、と胸を躍らせた。
それと同時に、ジャックの事を思い出す。
アイツと遭遇した時に感じた、あの感覚。
なんだろう、アイツとは他人のような気がしない……。
最近、屋敷を抜け出すスリルにハマったのかもしれない。
ニコニコしながら雨の夜道を歩くエリス。屋敷に戻ったらエミリアにこっぴどく怒られるだろうが、まあそれも仕方あるまい。妹と夫を振り回しているという自覚はあるし申し訳ないという気持ちもあるが、しかし幼少の頃からずっと幽閉されている自分の境遇も考えてほしいものだ、とも思う。
確かにまたあの時のように、魔力が暴走してしまえばとんでもない事になる。制御できる保証がない大き過ぎる力は箱に収めて鍵をかけておく必要があるのだ。エリスにとってはそれがあの屋敷で、あの塔の一室である。
懐中時計を見た。
そろそろ戻ろう……いくらなんでも遊び過ぎた。
「なんだか騒がしいわねぇ」
パトカーや消防車のサイレンがひっきりなしに響き渡っている。火事だろうか? 高級住宅街の一角から火の手が上がっており、消防士たちがホースで必死に放水している姿が遠巻きに見える。
エミリアたちも心配しているだろうし、そろそろ帰ろう……そう思い帰路に就こうとしたエリスの目の前に、1台のバンが停車する。
助手席から降りてきたのは大柄な狼の獣人だった。ボロボロの軍服のようなものを身に纏っていて、左目には眼帯がある。身長は2mを超えており筋骨隆々、しかも骨格が人間のそれではなく獣に近い第一世代型の獣人という事もあって、その迫力はかなりのものだった。
「エリスさん、ですね?」
「ええ。あなたは?」
「ああよかった。あなたの夫、力也さんから頼まれましてね。屋敷までお送りするよう命じられておりまして」
「あら、あの人のお友達?」
「ええそりゃあもう、同じ狼の獣人ですし戦時中はお世話になりましたからねぇ」
さあどうぞ、とバンの後部座席に乗るように促す狼獣人の男―――ヘンリック。
何も知らずに乗り込んでしまったエリスを乗せ、バンは雨の中を走り出す。
強盗作戦の裏で、破滅は静かに忍び寄っていた。
どうでもいい話
メルキア沖空戦の最中、ヘンリックは何を思ったか友軍にも牙を剥いており、その際に力也と交戦している。ヘンリックの身体には無数の古傷が刻まれており痛々しい姿をしているが、その古傷の7割はその際に力也から受けた刀傷である。




