忌み子の逆襲
『現在、我々を取り巻く国際情勢は非常に不安定です。それどころか、かの天地戦争を再開させようと目論むテロ組織”インフェルノ”の出現により、悪化の一途を辿っている。これは由々しき事態です。戦争が終わったから軍備が不要になる、というのは些か楽観的が過ぎるとは思いませんか?』
『では我々が軍備を削れば、世界は平和になりますか? それとも我々が軍縮に転じれば、他国も同じように削減してくれると?』
『私もその保証が欲しい。誰もが武器を捨て、平和を願ってくれるという”保証”が。しかし残念ながら、そんなものはどこにもありません。平和を望むからこそ、戦争に備えなければならないのです。どうかそれをご理解いただきたい』
ミカエル・パヴリチェンコ、ソーキル級の増強に関する法案審議の際に発言
エイカー家の庶子だったソフィー・エイカーは、ミカエルの元で『クロエ・クロワール』となった。
剣術を学び、魔術を学び、銃の扱い方を、戦技を学んだ。ミカエルの持ち得るありとあらゆる技術を教えられ、この世界のどん底でもがいていた少女はやがて、最強の転生者の息子に剣術を教える指南役という栄誉まで手にするほどになった。
まるでシンデレラにでもなった気分だった。あんなにもみすぼらしく、その名を口にする事すら憚られる存在だった自分が、遥か空の果てに浮かぶ楽園で騎士として重用されている―――ようやく自分のいるべき場所が見つかった、という安堵は確かにあった。
その一方で、クロエは気付いてしまった事がある。
何度か実戦も経験した。魔物と戦った事もあったし、人間を手にかける事もあった。やがてその実力をミカエルに認められるようになると、段々と汚れ仕事をこなす事も多くなってきた。
剣で、銃で、あるいは魔術で、相手の人間を殺す度に脳裏に浮かぶノイズ。
人間とはこうもあっさりと殺せるのだ、という現実が、心の奥底に眠るトラウマのマグマ溜まりを刺激する。
―――今ならば父も殺せるのでは?
そうだ、そうである筈だ。
手にしたFA-MASを見る度にふと、自分に散々あれだけの仕打ちをしておきながらのうのうと生きているであろう父、ウィリアム・エイカーを殺す瞬間を想像したクロエ。いくら本人も魔術師とはいえ、それ以外は他人と何も変わらない。きっとこの5.56㎜弾で撃ち抜けば、他人と変わらぬ紅い血が流れるだろう。
そんな恐ろしい考えを実行に移さなかったのは、目の前に本人がいなかったからだ。
わざわざブリタニアまで出向き、殺すまでもない―――かつての父との物理的な距離が、辛うじてクロエを押し留めていたのかもしれない。あるいは自分を拾って育ててくれたミカエルの顔に泥を塗る事を恐れての事か。
だがしかし、もうその両方とも気にする必要はない。
父は目の前にいるし、ミカエルから正式に命じられているのだ―――『作戦の障害は排除せよ』と。
もう、クロエ・クロワールという女を縛る枷は何もない。今は、今ばかりは、この感情の赴くままに全てを破壊していいのだ。
天使が翼を広げて飛び立つが如く、私服にチェストリグ姿のクロエが両足に力を込めて大きく跳躍。廊下から吹き抜けを飛び越え、エントランス目掛けて飛ぶ彼女を追尾する2機の軍用ゴーレム。頭部にある赤いセンサーが輝きを増すなり、両腕に装備された7.7㎜重機関銃が火を噴いた。
冷却水の入ったタンクと、簡易的な復水器により冷却水を循環させることで継続的な銃身冷却を可能とした高級モデル。それから矢継ぎ早に7.7㎜弾が吐き出され、土砂降りの如き勢いでクロエへと迫る。
が、当たらない。
ゴーレムたちの照準は正確である筈だ。インストールされているソフトウェアも、天地戦争に投入された軍用ゴーレムと同じものを使っている。実戦で改良を繰り返された信頼性の高いモデルだ。人間1人を撃ち抜くなど造作もないスペックを誇っている。
それを搭載したゴーレムが2機、全力で射撃している―――しかしクロエには、当たらない。
魔法だとか、作劇上の都合だとか、そういう理由ではない。
空中で、あろう事かクロエは身体を捻っていた。絶妙に身体を捻る事で弾丸を紙一重で回避、ゴーレムたちの照準に誤差を生じさせ、それで生じた一瞬の死角へと入り込む事で銃撃をことごとく回避していたのである。
その神業めいた回避を見ていたラウルは、ふと彼女とダンスをした時の事を思い出した。
協商連合本部、エンジェルパレスで催されたくまさんハウスの新人歓迎会。アルカディアに戻っていた他のギルドのメンバーも総出で祝ってくれたパーティーの最中、ラウルは彼女に誘われ一緒にダンスを踊った事があった。
その時に感じていたのだ―――クロエはもしや体幹が異常に強いのではないか、と。
剣術で学んだ動きが―――何百、何千、何万回とも繰り返され、身体に染み付いた動きがそういった何気ない日常の動作から滲み出ていたのを、ラウルは何となく見ていたのである。
空中でくるりと回転しながら、エントランスの天井にあったシャンデリアを蹴るようにして急激な方向転換に転じるクロエ。シャンデリアが砕け散り、リング状の衝撃波が舞い上がる煙や細かな破片を吹き飛ばして、その存在を主張する。
急加速したクロエを追う軍用ゴーレムだったが、しかしもうクロエの姿を追えていなかった。頭部のセンサーが拾った情報を基に、内部の火器管制システムと攻撃用ソフトウェアがクロエの速度を計算、偏差射撃で対応しようとするが、しかし彼女の速度の速さにそもそも速度計算が出来ていない。数値が常にアップデートされ続ける事によって計算が成り立たず、半ばエラーを起こしている。
が、そんな電子的な悲鳴も一瞬の事だった。
ごう、とクロエの大型レイピアの切っ先が、束の間赤く燃え盛る。
腹の奥底に響くような轟音―――続けて、ボゴンッ、と高速で飛来した徹甲弾が戦車の装甲をぶち抜くが如き金属音が響き渡り、高熱で溶けた金属片が火花となって飛び散った。
「うひぃっ……!」
情けない声を発しながら慌てて両手で頭を守るウィリアム。
恐る恐る顔を上げた彼が最初に目にしたのは、首から上が消失したゴーレムの姿だった。
「な……ぁ…………ッ!?」
鮮血のようにオイルを流しながら、ぐらり、とゴーレムが崩れ落ちる。
ずずん、と重々しく倒れ伏すゴーレム。その向こう側に佇むのは、レイピア……と呼ぶにしては些か大きく、しかし槍であると断じるにしては小さいような、何とも言えないサイズ感の大型レイピアを手にした私服姿の女、クロエ。
漆黒のレイピアの切っ先には、今しがた捥ぎ取られ、串刺しにされたばかりのゴーレムの頭部がある。
ぶん、と無造作に剣を振るいゴーレムの生首を振り払うクロエ。
彼女の碧い目と目が合った途端、ウィリアムの背中を冷たいものが走った。それは確かに見覚えがあり、しかしどうも思い出せない。記憶の最底辺、奥底に遥か昔に沈殿した旧い旧い何か。
それが、しかし記憶の中にあるそれとは違って何倍も、何十倍も狂気に満ちたどす黒い殺気を放っているのである。
殺気の矛先は、明確にウィリアムだけに向けられていた。
「お、お前……お前っ、何者だ? いや―――お前、誰だ!?」
「……」
ひどく落胆したように、クロエは静かに目を伏せた。
―――そうか、覚えていないのか。
そんな幻滅が、彼女の仕草から滲んでいた。
しかし想定の範囲内でもあった―――どうせそうだろう、と。一族の恥部など、自分が勝手に性欲を持て余し、メイドと2人きりで気持ちよくなった結果生まれてしまった忌み子の現在など認知すらしていないだろう、と。
それで完全に、クロエは吹っ切れた。
もう、殺す事に躊躇はなくなった。
心が完全に、「黒」に染まった瞬間。
「や、やれ! 何をしている、撃て!」
唾を飛ばしながら叫ぶウィリアム。
その命令を聞き入れたのか、ゴーレムが両腕の重機関銃をクロエに向けて発砲し始めた。
片腕につき3門、合計6門にもなる7.7㎜ライフル弾の機銃掃射。単純計算で機関銃手6人分の火力がたった一人の人間につぎ込まれるという異常事態。常人が相手であったならば、その圧倒的なまでの火力を前に成す術もなく挽き肉にされてしまうのが道理というものだ:。
―――相手が常人であったならば。
往々にして、そういった道理というのは捻じ曲げられるものだ。
そしてそういう道理を捻じ曲げる人間に限って、軽く人間をやめている。
姿勢を低くしたままジグザグにダッシュするクロエ。恐ろしいまでの瞬発力で、一瞬も経たずにトップスピードへと到達する―――そんな急旋回、急加速の連続に、またしてもゴーレムの火器管制システムが悲鳴を上げる。
次は右か、それとも左か。あるいはフェイントをかけてくるのか、そのまま突っ込んでくるか。恐ろしいまでの身体能力を見せつけられ、彼女の後を追うのが精一杯なゴーレムの照準。至近距離であるというのに狙いが定まらず、そうこうしている間に懐へと突入されてしまう。
銃撃でダメならばと剛腕を振り上げるゴーレム。銃器と装甲を搭載した腕を振り回すだけの粗雑極まる攻撃だが、あれだけの質量で殴打されれば確かにたまったものではない。
が、しかし。
ドン、と腹の奥底に響くような轟音―――少し遅れてリング状に広がる衝撃波が、ゴーレムの右腕を肩から捥ぎ取った。
『―――』
クロエは銃も剣術もそつなくこなす、ハイレベルなオールラウンダーである。しかし決して器用貧乏というわけでもなく、数ある手札の中で特に得意としているのが大型のレイピアを用いた剣術であった。
特に彼女の刺突は見て反応できるレベルのものではない。以前までの段階でもミカエルにそう評されるクロエの武器であるが、当の本人がそれを良しとしなかった。
もっと上を、更なる高みを。
その貪欲極まる鍛錬の末、彼女の剣はついに2つの壁を超えた。
『音の壁』と―――『熱の壁』である。
あまりにも刺突が速過ぎるが故に、その切っ先は瞬間最高速度マッハ4にも到達。圧縮された空気に晒され続けた結果、やがてその優美な大型レイピアは灼熱の剣身へと姿を変えていく。
今の彼女が持つレイピアが、まさにその状態であった。
繰り返された刺突と熱の蓄積により、剣士のレイピアとも騎兵の槍とも言えぬ両者の中間のサイズを誇るクロエの大型レイピアの剣身は、赫く燃えていたのである。
残った左腕で応戦しようとするゴーレム。しかしその機関銃を束ねた剛腕がクロエの華奢な身体を叩き潰すよりも先に、一歩前に出たクロエの本気の刺突が、ゴーレムの部位の中でも最も堅牢な胸部の正面装甲を刺し穿つ。
竜人であるが故の高い筋力―――それに甘えた、単なる力任せの一撃ではない。前に出た際の勢い、肩と腰の捻り、適切な体重移動。武術の達人が至る『全身で放つ一撃』の極致に達したその刺突は、ゴーレムの胸部装甲など紙風船の如く易々とぶち抜いた。
戦車の装甲を流用した胸部装甲をぶち抜かれ、オイルの配管や電子回路、フレームを破壊し、溶断しながら突き進むレイピアの切っ先。やがてそれはゴーレムが背中に背負っているガソリンエンジンにまで達すると、赤々と赤熱化した切っ先がガソリンタンクにまで突入。燃料を瞬く間に着火させて大爆発を引き起こす。
燃える剣身を引き抜き、倒れ伏すゴーレムから距離をとるクロエ。
残るは父、ウィリアムのみだった。
「く、来るな……来るなぁっ!!」
黄金のリボルバーを構え、半ば錯乱しながら引き金を引くウィリアム。
が、装填された45口径弾はクロエの振るったレイピアの剣身を滑るように弾かれて、彼女の頭を掠め後方へと抜けていく。
いわゆる『ライデンフロスト現象』だ。断熱圧縮熱に晒されたうえ、ゴーレムの燃料が付着し燃えているレイピアの剣身。異常なまでに高温となったそれに近付いた45口径弾の弾頭表面が融解、その際に生じた気泡によって弾丸が滑り、後方へと受け流されてしまったのである。
2発、3発、4発、5発。
父に歩み寄りながら弾丸を弾くクロエ。
いい加減思い出してはくれないか―――いくら認知していないとはいえここまでなのか、と落胆しながら、クロエは無造作にレイピアを振り上げる。
「ア゛!!!」
ジュッ、と肉の焼ける音。
リボルバーを握ったままのウィリアムの手首から先が宙を舞い、ぼとりと彼の足元に落下した。
黒く炭化した断面を抑え、悲鳴を上げるウィリアム。
その髪を掴んで無理やり顔を上げさせながら、クロエは顔を近づけて静かにネックウォーマーを下ろした。
強盗作戦のために隠れていた顔が、かつての父の前に晒される。
この段階になって、やっとウィリアムは目を見開いた。
「そ……ソフィー……!?」
よもや、今になって。
棄てたと思っていた”過去”が、今になって追い付いてきた―――どうしようもないほどのどす黒い殺意と共に。
どうして、とは言わなかった。
赦してくれ、とも言えなかった。
赦してもらえるとも、都合よくやり直せるとも思ってはいない。
ではどうすればいいのか―――強盗の正体を目の当たりにし、次にどう言葉をかけてやるのが正解なのか。
そんな父親ぶった仕草すら、クロエの神経を逆撫でするには十分に過ぎた。
あんな扱いをしておきながら、今になって父親を気取るのか。
もはや言葉をかける事すら嫌だった。
もう、何もしなくていい。
余計な事は言わなくていい。
だから一刻も早く、死んでくれ。
地獄に落ちてくれ。
今までされた嫌な記憶が、一つの大きな塊になって胸の奥から頭へと駆け上がってくる。
衝動の赴くままに、ウィリアムの首元から脳天目掛けて大型レイピアの切っ先を突き立てた。頭蓋をぶち破って切っ先が顔を出すのを待たず、高熱の剣身に晒された生身の人体が破裂する。血管を流れていた血液が一瞬で沸騰し、脳味噌が弾け飛ぶ。
至近距離で実の父親の脳漿と返り血を浴びてもなお、クロエは顔色一つ変えなかった。
首から上が消失した父の死体を投げ捨て、耐熱加工の施された鞘にレイピアを収めるクロエ。
「気は済んだか」
「……ああ」
ラウルに返す声は、いつもと変わらない。
血まみれの顔でゆっくりと仲間の方を振り向くなり、クロエは淡々と、しかしすっきりしたような声音で告げた。
「帰ろうか」
どうでもいい話
クロエは0.9Gのブリタニアで幼少期を過ごしたため、1Gのアルカディアにやってきた当初は他の同年代の子供より非力で体力もなく、故に鍛錬では特に苦労したという。




