魔術実習
「というわけで今日は外で実習です」
むふー、と胸を張るエリスさん。普段は塔の中での座学だったり机の上で出来る規模の実習だったりと、基本はあの塔の中での授業に留まっていた。
ロンディニウム市街地、ロンディニウム中央駅前。
今回は珍しく、屋敷を飛び出しての実習―――無論俺とエリスさんだけでロンディニウムの街をぶらぶら散策というのも色々と危険なので、今回の実習はエミリアさんの許可のもと、ペンドルトン家側とくまさんハウス側から立会人をそれぞれ派遣し随伴する事で外出OKと相成った。
くまさんハウス側からはクロエが、ペンドルトン家側からはナオハさんと夫の力也さんの2人が立会人として派遣されている。
黒いドレス姿のエリスさんは、手にしたフリル付きの可愛らしい傘で街頭に等間隔に並ぶ街灯を指し示した。
「ここから金融地区までの間にある街灯を消してもらいます」
「……マジすか」
「特訓の成果を見せる時よ、ラウル君っ♪」
エリスさんの話によると、ロンディニウム市街地にある街灯はどれも魔力式になっている。市街地の光量が一定レベルを下回るとセンサーが動作し、魔力伝達弁が解放される事で灯りが燈る、という仕組みなのだそうだ。
つまり何が言いたいかというと、氷属性魔力の放射に伴う魔力的エントロピーの影響を大きく受ける、という事だ。
氷属性の魔力を放射して街灯を消す。1つずつそれを繰り返していき、総ての街灯から光を消す事が出来れば成功というわけだ。
まあ、適性Eランク程度であれば街灯を消したとしてもエントロピー関係で回路が焼損したりする事はないから心配はいらない。もっとも、エリスさんレベルの魔術師が本気でエントロピーの増大をやったら街灯どころかすべてのインフラが止まるそうだが……。
というわけでやっていきましょう、魔術実習(お出かけ編)。
街灯の表面に触れ、目を瞑って息を吐いてから魔力を放射。
魔力を放射する感覚は属性によって異なる、というのはご存じだろうか。
例えば炎属性であれば魔力の流れている部分が熱く、氷であれば冷たく、雷であれば痺れるように……といった感じで、魔力の感じ方は属性によって違ってくるのである。
俺は氷属性なので冷たく感じている。まるで右腕の中を流れる血流がキンッキンに冷えた炭酸飲料にでもなったような感覚。肘から先、指先に至るまでの全てが冷たくなっていき、しかし感覚ははっきりと感じられる矛盾。
街灯を見上げた。ガラスの向こう側に燈る緑色の魔力の炎。薄暗いロンディニウムの街を照らしていたそれが、ボッ、ボボッ……と唐突に乱れ、まるで”咳き込む”ように明滅を始めた。
落ち着け、もう少し……もう少し。
ふう、と息を吐いて呼吸を整える。
もう既に息が上がりつつあった。まるで軽くランニングしてきた後のような疲労感。
フッ……と街灯の灯りが消えた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「うん、合格ね。それじゃあこれを金融地区までやっていきましょうか♪」
「オラ立てラウル。ちなみにこっから金融地区まで2㎞あるからな」
「ヒッ」
「ガンバですラウルさん」
「はーっはっはっは! 仔犬ちゃん、意地の見せどころだよ!!」
膝に手をついて呼吸を整えていた俺に苛酷な現実を突きつけてくる力也。こ、これをあと2㎞分も……マジで?
ふぇぇ、と心の中で悲鳴を上げる二頭身ラウル君ズ。しかしやるしかない、魔力のコントロールと魔術の補助的運用、これを身につけない限りヘンリックを超える事は出来ないのだ。
2つ目の街灯にぺたりと手を付け、魔力を放射。腕の中を流れていく冷たい感覚。しかし疲労のせいなのだろう、その魔力の流れも不均一になり始める。
無理もない話である。
魔術師にとっての原則の1つだが、【魔術師の魔力量は適性に比例して増減する】のである。
例えば適性Sランクの魔術師であれば上級魔術をバンバン連発できるような羨ましいレベルの魔力量を持っている。だから適性の高い魔術師であれば、この街灯の灯りを消すという課題は簡単にこなしてしまうだろう。
それに対し、ラウル君の適正はEランク。適性区分の中でも最底辺、辛うじて魔術を使える程度のものであり、体内の魔力量もそれ相応のものでしかない。初歩的な魔術をなんとか使えるレベルで中級や上級魔術を使うには魔力量が足りないから、実質的にできる事はかなーり限られる。
まあ、ごく稀にこの適性と魔力量の関係が破綻し「適性が高いのに魔力量が低い」とか、「適性が低いのに豊富な魔力量を持つ」という噛み合わない組み合わせの特異体質の魔術師が生まれてくる事がある。こうした適性と魔力量が噛み合わない魔術師を【クロスドミナント】と呼ぶ。
残念な事にラウル君はクロスドミナントでも何でもない、ただのEランク魔術師である。
実は俺にはとんでもない素質があって……みたいな一昔前の異世界転生ラノベみたいな展開って思いのほか少ないのだ。というか、そんな都合のいい展開はまずないと言っていい。窮地に陥って都合よく覚醒とか、そういう展開などナンセンスだ。燃えるけど。
基本的にそういうのは、実際は日頃の努力の積み重ねで手繰り寄せるものである。
まあその、なんだ。
どん底から這い上がるのは得意だ。前世もそうだったし、今もそうだ。
というわけで3つ目の街灯の灯りを消す事に成功した頃には、もうすっかり息が上がって脂汗をかいていた。どれだけ息を吸い込んでも酸素が全く足りていない。取り込める酸素で消費量が全く賄い切れていないような、そんな感じだ。
「あー……クソッ」
「どうしたラウル、もうギブアップか?」
「まだ、まだ……ッ!」
しっかりしろ、ラウル・エルマータ。
まだ3つ目だろ。この程度で音を上げるのか?
脳裏にヘンリックの顔が思い浮かぶ。そしてあの男が、倭国で何をしようとしていたのかも。
あんな男を生かしていてはダメだ。是が非でも止めなければならない―――そしてそれを、天地戦争が生み出した怪物の誤った英雄譚に幕を引くのは、不本意ながらアイツの血を受け継いでしまった俺でなければならないのだ。
ぎり、と歯を食いしばる。
さて、ここで魔力を一度に大量に消費するリスクについて述べておこうと思う。
魔力とはそもそも何か、という話になるんだが、この世界における魔力とは『生命エネルギーの一部』と定義されている。
そんな生命エネルギーの一部を大量に消費すれば当然身体に大きな悪影響が生じ、枯渇すれば死に至るのだ。
魔力が減少すると『魔力欠乏症』という症状が段階的に発生する。基本的には疲労に似た感覚なのだが、魔力残量が21%を下回ってきた辺りで息切れと動悸(※脈の乱れ)、頭痛が発生するほか、人によっては熱中症のように目がチカチカするような刺激を感じる。
17%で倦怠感と激しい発汗、体質次第で呼吸困難。大半の魔術師はこの辺りで症状をはっきりと知覚し魔術の使用を控えるが、そのままさらに消費して13%を切ると酸欠になったり、意識を失ってぶっ倒れてしまう。
そして枯渇すると死に至る……とまあ、魔力の消費は非常に危険なのである。
正直、情けない話だがラウル君は街灯4つ目を何とか消したところで頭痛を感じ始めている。息切れも激しく、何か眼球の裏側がぴりぴりするような感じもする……もう21%まで減ったのか。
イヤ早いわ、いくら何でも早すぎるわ。
Eランクという素質の無い自分の体質が恨めしい。もっと、もう少し、もう少し……。
歯を食いしばって5つ目の街灯に手を付けたところで、エリスさんが肩を掴んだ。
「え、エリスさ……」
「いったん休憩にしましょう」
「でも……」
まだいけますよ、と抗議しようとする俺の唇に、エリスさんは人差し指を押し当てて遮った。
「確かに私は金融地区まで頑張りましょうって言ったけれど、休憩なしなんて一言も言った覚えはないわよ?」
「ぁ……」
「ふふっ。あ、ほら、見てダーリン! あんなところに中華スイーツの屋台が!」
「え? うおマジだ」
ん、中華スイーツ? ブリタニアで?
なんでそんなものが、と呼吸を整えながら顔を上げてみると、紅い簡体字でこれ見よがしに『来自中国帝国的正宗杏仁豆腐(中華帝国の本格杏仁豆腐)』と書かれた旗と屋台、商売繁盛を祈念した盛り塩、それから見覚えのあるパンダの獣人の姿が。
……おかしいな、魔力欠乏症の症状に幻覚ってあったっけ?
あーなんか幻聴も聴こえてきた。チャンさんの声が聴こえてくる……。
「すいませんパンダさん、これは何という料理なのかしら?」
『您好,女士。这叫做杏仁豆腐,是中国古代的一种传统甜点。它原本是一种药膳,对身体温和。您想尝尝吗?(こんにちはご婦人。これは杏仁豆腐と言って、中華帝国の伝統的なスイーツですよ。元々は薬膳料理でして、身体にも優しいものです。おひとつ味見してみますか?)』
「ええと……ごめんなさい、ナオハ? 通訳お願いできるかしら?」
「エリス様、これは杏仁豆腐というジョンファの伝統的なスイーツだそうです。試食してみますか、と」
「ええ、是非! ……あっ、美味しい。優しい甘さと食感が……美味しいわ! パンダさん、これを5つくださいな!」
『当然可以,请便!(毎度あり!)』
えーアレ絶対チャンさんだよね?
呼吸を整えながら屋台の方によろよろと歩いていく。店主はやっぱりチャンさんで、俺の姿を見るなりにんまりと笑いながら片手をあげて挨拶してきた。
「な、何やってんスかチャンさん」
「小遣い稼ぎと情報収集ネ」
「情報収集?」
なんのです、と続けると、チャンさんは周囲を確認してからそっと耳打ちする。
「インフェルノの拠点、ロンディニウムにあるヨ。そこに強盗仕掛ける、その情報収集ネ」
「インフェルノの?」
「是。そのうち作戦あるヨ、準備しておくネ?」
なるほど、そりゃあ大仕事になりそうだ。
久しぶりの強盗作戦。それも相手はヘンリック率いるレギオン、インフェルノ。
レギオン、といっても連中は公式なレギオンでもギルドでもない。管理局からの認可を受けていない以上はただの犯罪者の集まりでしかなく、資金繰りにも工夫に工夫を重ねているはずだ。少なくとも正規の金の流れではないのだろう。
そこに強盗作戦を仕掛け、連中の財布にダメージを与える。
悪い話じゃないな。こっちも小遣いが欲しかったところだ……それに孤児院への仕送りも、だ。弟妹達が少しでもいい暮らしができるように、ひとつ派手にやるとしようか。
「ラウルくーん! この杏仁豆腐おいしいわよー!」
ぶんぶんと手を振るエリスさん。あの調子だとおかわりを要求してきそうなので、チャンさんに500コルタ支払って追加で杏仁豆腐を1つもらう。エリスさんのおかわり用だ。
駅前である事に加え、異国のスイーツでもあるから珍しいのだろう。富裕層や冒険者と思われる客が次々に屋台の前に並び始める。早くも商売繁盛してるじゃないっスかチャンさん。
真面目にあの人、ウチみたいなギルドではなく宮廷料理人として働いてるレベルなんだよな。なんでくまさんハウスに居るんだろうか……いや、毎日美味い中華料理が食えるからこっちとしては願ったりなんだけども。
おかわり用の杏仁豆腐を渡すとエリスさんは大喜びしていた。やっぱり甘い物好きなんだな、この人。
にしてもこの杏仁豆腐、確かに美味しい。甘いシロップに杏仁豆腐とパイナップル、マンゴーの切り身が入っているんだけど、シロップの甘さはちょっと控えめにして食材の食感と風味を生かす味付けに留めている点が特徴だ。チャンさんの料理の特徴がこの「食材の味を生かしている」点である。
「あー、もうなくなっちゃった……買ってこようかしら」
「エリス」
「何かしらダーリン?」
「……そんなに好きなら、俺のをやる」
そう言いながらあまり口をつけていない自分の分の杏仁豆腐を渡す力也。甘い物嫌いなんだろうかと思ったが、視線で何となく分かった。この人エリスさんが甘いものが好きなのを知ってて、いくらでも食べてしまうから自分の分をあげようと最初から取っておいたのだ。
なんだこの人、蛮族だのブルーベリーだのボロクソ言っちゃったけど良い人じゃん。奥さん想いで。
「いいの!?」
「ああ、俺はあまり甘いものは好かん」
「ありがとうダーリン!」
ちょっと照れくさそうに顔を赤くする力也氏。奥さん限定のツンデレなのかコイツは。
微笑ましいねぇ、こういうの。
同時刻
ロンディニウム市街地 金融地区 地下
燦然と輝く黄色いヘルメットと、滴る汗。
掘っても掘っても水分を含んだ土が出てきて、コレ本当に終わるのかと心配になってくる。
「うへぇー……まだ終わらねえのか」
「文句言わない。はい、3度上に修正。3m掘ったら右に5度ね」
ふう、と息を吐きながら魔力式ドリルに向かって魔力を放射する。ソコロフの魔力を吸って動力とするドリルだが、しかしちょうど彼らの頭上で実習と称した隠蔽工作が行われているからなのだろう、ドリルの回転は時折弱くなったり、出力が安定しない。
ソコロフの隣では冒険者ギルド『モリガン』から派遣されてきたヨコスジジャッカルの獣人『ギュンター』が、同じくヨコスジジャッカル獣人で妹の『ミラ』にどやされながらひいひい言っているところだった。
えらく気の強い妹らしい。魔力を消費するが故に使用者に負担を強いる魔力式ドリルで酷使されている兄に「くまさんハウスの先輩にカッコ悪いところ見せられないよ!」と言いながら、図面を確認して掘削角度の修正を命じているところだった。
祭りの前が一番楽しいとはよく言ったものだが、ソコロフに言わせてもらえば一番楽しいはこういう準備フェーズだ。この下腹部からじわじわ込み上げてくる感覚が、なかなかどうしてクセになる。
バスタブ一杯の紙幣が手に入るまでもう少しと思うと、居ても立っても居られなくなるのだった。
魔力欠乏症
魔力の消耗によって引き起こされる症状。この世界の魔力とは「生命エネルギーの一部」であり、当然ながらそれが枯渇すれば死に至る。回復するには他人から分けてもらうか、あるいは適度な休養が必須となるが、回復速度には個人差がある。
主な症状は以下の通り。
魔力残量21%
・動悸
・息切れ
・激しい頭痛
・めまい、ふらつき
魔力残量17%
・倦怠感
・激しい発汗
・呼吸困難
・幻覚(体質による)
魔力残量13%
・酸欠
・意識の喪失
なお、魔力残量が限りなく0に近くなった場合、回復しても身体に後遺症が残るケースが報告されている。危険だと感じたら魔術の使用は中止して休養を最優先にしよう。




