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雨の都の物騒な朝


「待機命令だぁ?」


 ぐびっ、とウォッカの酒瓶を一気に呷りながら、ヴォイテクはアルコールの回った赤い顔でメインモニターへと視線を向けた。


 ソーキルの艦橋にあるメインモニター。ちょっとした映画用スクリーン……とまではいかないが、それでも大きなサイズの薄型テレビくらいはあるであろうモニターには紺色の海軍の軍服に赤いスカーフの映える金髪の獣人女性が映っていた。


 頭には王政時代のフランシス海軍で採用されていた三角帽をかぶっており、腰には同じくフランシス海軍式のサーベルがある。彼女の祖国が王政から共和制に移行してから既に久しく、その服装はまるで旧い時代の亡霊にも思えた。


 しかしそれが、過去の栄光に縋るようなみっともないものに見えないのは、彼女の纏う気品ゆえなのかもしれない。過去に縋るのではなく、「過去を忘れない」という一種の覚悟のようなものすら感じられる。


《エンジェルパレスからの命令よ、ヴォイテク艦長》


「しかしなぁドルレアン艦長。こんな雨ばかりの浮遊大陸で放置プレイってのもなかなか酷いもんだぞ。葉巻も湿気っちまって……」


《あなたは少し禁煙したら? いい機会だと思うけれど》


「バカ言え、俺の身体の6割はニコチン、3割はアルコールで出来てるんだ」


《……あと1割は?》


「んー……友情?」


 がっはっは、と笑うヴォイテクを、モニターの向こうに映るソーキル級巡洋艦『ヴォロン』のドルレアン艦長は呆れた顔で見下ろしていた。


 ”カレン・ディーア・レ・ドルレアン”―――フランシスの大貴族、ドルレアン家の当代当主である。彼女の実家は王政フランシスが革命で倒れた事により祖国からの亡命を余儀なくされ、紆余曲折の末にアルカディアへと流れ着いたという経緯を持っている。


 王政時代は王国の一翼を担っており、代々優秀な海軍将校を輩出してきた名門中の名門として名を馳せていたのだそうだ。しかしそれも今は昔、という言葉で済まされてしまうのだから、時の流れとは何とも残酷なものである。


《それと情報部から追加の情報が2つ。ブリタニアにもインフェルノの拠点がある、というのがまず1つ》


「もう1つは?」


《―――ヘンリックがペンドルトン家の長女を利用する可能性がある、と》


 ヘンリック、という名が出た途端にアルコール度数90度を誇るお気に入りのウォッカをがぶ飲みしていたにも関わらず酔いが覚めるのを、ヴォイテクははっきりと知覚した。


 あんなにも火照っていた身体が、すっ……と潮が引くように冷えていく。嫌な酔い覚ましだ、と心の中で悪態をつきながら、ヴォイテクは「確かか?」と真面目なトーンで返す。


 ペンドルトン家の長女―――エリス・シンシア・ペンドルトンが今から17年前、適性EXという規格外の判定を受けているにも関わらず、その魔力のコントロールを誤り暴走事故を引き起こした。


 一般的に、人間が体内に持つ魔力というのはその人間の魔術適性に比例して増えていくものである、というのが原則だ。Eランクであればそれ相応の魔力量しか持たず、Sランクであれば自分だけではなく他人の魔力消費すら賄えるほどの暴力的な魔力をその体内に宿す事となる。


 エリスのEXランクというのは、EからSまでのランクには分類できない未知の領域―――少なくとも現代の人類には観測しえない、持ち得る尺度の埒外であったのだ。


 そんな”測定不能”と同義の適性を持つ人間が、魔力の使い方を誤り暴走させてしまえばどうなるか。


 しかもそれが、よりにもよって魔力的エントロピーを著しく増大させる氷属性の魔術であれば……。


 記録によるとロンディニウムの街は一夜にして氷に閉ざされ、魔力的エントロピーの増大に伴う魔力の【死熱化】によってあらゆる魔力機関が停止。上空の空中艦は例外なく市街地に墜落し―――天地戦争にこそ参戦しなかったブリタニアであるが、しかしその事件が未曽有の大惨事となった事は想像に難くない。


 もしそれを、人為的に再び引き起こせば。


 獣人たちがやった、とでも吹聴すればどうなるか。


 如何に天地戦争に参戦しなかったブリタニアと言えども、国内の世論が獣人憎しに傾くのは必定だろう。その流れに竜人内部の過激派が迎合する事があれば……水の流れもまとまれば大河となる。やがてそれは濁流と化し、誰にも止められない奔流と化す。


(結局、俺らはミカの掌の上って事か)


《確か、そっちの新人がペンドルトン家の長女とコンタクト取ってるって言ってたわね?》


「ああ……何(・)と(・)も(・)都(・)合(・)の(・)い(・)い(・)事(・)に(・)な(・)」


 総(・)て(・)は(・)タ(・)イ(・)ム(・)ラ(・)イ(・)ン(・)通(・)り(・)。


 今頃ミカエルはこう嘯いている事だろう。


 『全てはこれから起こる事』と。


















 すん、すんすん。


 すんすんすんすん。


 すんすんすんすんすんすんすんすんすんすん。


「あのー……ロザリーさん?」


「すんすん」


「何……してるんです?」


「すんすんすん……すん」


 エリスさんとの邂逅から一夜明け、ムーア川に停泊中のソーキルにある自室で目を覚まして5秒でこれである。


 目覚ましうっせえな、と枕元の目覚まし時計に手を伸ばそうと思ったら柔らかくてずっしりとした物体を鷲掴みにしてしまい、ああこれロザリーのおっぱいだわと瞬時に理解したのが2秒前。褒めてほしい。そして誰か、このヤンデレちゃんに襲われても何とかなりそうな保険があったらぜひ紹介してほしい。


 というわけで眠い瞼を擦る事も出来ず、両手両足をがっちりホールドされているラウル君。そういえば夜まで俺の上に乗ってフルールが寝てたけどあの子どこ行った……って、クラルテのお腹の上で身体丸めて寝てるわかわいい。


 さて、ロザリーさんはというとやっぱり翡翠色の瞳からはハイライトが消えていた。誰だよヤンデレスイッチONにしたの。俺か。そうかそうか俺か……そろそろコレ不可抗力だって学んでほしいなぁ。


「ラウル?」


「ハイ」


「知ラナイ女ノ匂イガスル」


「気のせいであってほしかった」


「うふふ……浮気?」


「違いマンモス」


 ヤンデレに詰め寄られてる状態で違いマッスルとか違いマスタードとか違いマンモスとか言えるようになったか俺も。慣れてきたというかヤンデレが日常の一部と化してきたというか……ヤンデレが日常の一部って何?


「これはかくかくしかじかで」


「じゃあ仕方ないわね♪」


 便利だなぁかくかくしかじか。たった8文字で経緯をまるっと説明した事に出来るもんなぁかくかくしかじか。皆も使おうかくかくしかじか。


「まあ相手は人妻だし、旦那さんとの中も良好で夫婦の間にトラブルがあるとかそういうわけじゃなさそうだし、あの旦那さん強そうだから浮気相手には容赦しないだろうしそもそもラウルならそんな浮気なんてしないわよね……うん、そうよ。ラウルを信じましょう。さすがに人妻をNTRなんてしないしラウルってそんな節操なしじゃないもの。そうよ、R-15とはいえこんな美女&美少女に囲まれて183話目にして童貞を今なお堅持してるって相当だもの。うん、そうよ。きっとそう、大丈夫。ラウルの下半身にはエロゲのキャラと違ってR-15の理性があるッ!」


「うん朝ごはん食べに行こうか」


「行くー♪」


 夜間の警備で疲れているであろうクラルテやフルールたちを起こさないようにそっと着替えを済ませ、食堂へと向かった。


 本日の朝ご飯は中華粥。日本のお粥と違ってお米を更に柔らかくなるまでとろとろに煮込んでいるので、とにかく胃に優しい。日中の活動に向けて立ち上がっている途中の身体に朝一番にぶち込むにはうってつけだ。


 本日のお粥はピータン入りの中華粥。細かく刻んだネギとゴマが散りばめられていて、ただ単にドロッとした食感で終わっていないところが素晴らしい。


 食事を済ませ食器を返却口に戻し、さて今日もエリスさんのところに授業を受けに行こう、と踵を返したその時だった。


「ラウル、ちょっと待ってネ」


「?」


 振り向くと、返却口の食器を流し台の脇に置きながらチャンさんは冷蔵庫の中から何かを取り出した。陶器製の小さな茶碗には、オレンジ色のぷるんとした柔らかいものが入っているのが見える。


 茶碗ごと手頃なサイズの木箱に収め、氷をいくつか一緒に入れて蓋をするチャンさん。その木箱を受け取ると、芳醇なマンゴーの甘い香りがした。


「マンゴープリン作ったヨ。おやつにみんなで食べテ」


「ありがとうチャンさん!」


「行ってらっしゃいラウル!」


 見送ってくれたロザリーとチャンさんに手を振り、そのまま武器庫に立ち寄ってから艦の格納庫へ。


 武器庫から持ってきたのは10㎜オート弾を使用するアメリカ製のピストルカービン『Mk10 Banshee』。ショートバレルのARライフルにピストル用のマガジンをぶっ刺したような見た目をしており、元々が民間用の銃なのでセミオート限定となっている。


 まあ、俺が持ってるMk10 Bansheeは改造してフルオート射撃も可能なPDWと化してしまっているが。


 マガジンは10㎜オート弾仕様のクリス・ヴェクターのものを流用しており弾数は25+1発。SMGやPDWとして見るとちょっと少ないが、そこは10㎜オート弾のパンチ力と腕でカバーしたいところだ。


 一応、他にも10㎜オート弾仕様のSMGは存在する。例を挙げるとクリス・ヴェクターの10㎜オート弾仕様だとか、MP5/10(※MP5の10㎜オート弾仕様)、ユリウスも使っているAPC10があるのだが、俺は敢えてコレを良しとした。


 理由は単純明快、「操作方法が使い慣れてるARと全く同じだから」である。


 やっぱりね、操作方法が同じ銃っていうのは使い勝手がいい。今まで蓄積してきたノウハウがそのまま生きるからだ。逆に今更操作方法の違う銃を使えって言われたらちょっと嫌だ、だいぶ嫌だ。土壇場で操作方法ミスって死にそうである。


 極限状態ともなると人間の素の部分が出るわけだが、訓練というのは繰り返しでその”素の部分”に新しい要素をインストールしていくものだ。今の俺にとっては、それがAR系の銃の使い方というわけである。


 サイドアームにグロック40、いざという時のターシャリのグロック29を装備。ナイフは最近お気に入りのTask J。


 ノートとか筆記用具の入ったバックパックと一緒にMk10 Bansheeをぶち込み(※もちろんマガジン抜いて装填はしていない)、マンゴープリンの入った木箱をベスパGTS150スーパーのサドルラックに積み込んで、格納庫から後部甲板へ上がるエレベーターに乗る。


 耳を収めるスペースの付いた獣人用のヘルメットをかぶり、後部甲板に出るなりベスパに跨ってアクセルを入れた。


 マンゴープリンを崩さないように、安全第一で。


 法定速度を順守、先に行きたい後続車がいるなら道を譲り、煽ってくるバカには中指を立てながらロンディニウムの雨の中を走る。


《―――それでは次のニュースです。ロンディニウムのコバルトチャペル地区で昨日、娼婦がバラバラの遺体で発見される事件がありました。ロンディニウム市警によると被害者の臓器は子宮だけが欠落しており、この犯行は最近ロンディニウムを騒がせている切り裂きジャック《ジャック・ザ・リッパー》によるものとして―――》


 ヘッドセットから聴こえてくる竜人語のラジオ放送。ソコロフが周波数を弄ってくれたおかげで、艦でも通信機でもスマホでもラジオ放送を拾えるようになった。


 にしても物騒だねぇ、朝イチのニュースがこれかよと気分がどんよりしてきたその時だった。


 ―――血の臭いと殺気。


 いやまさか、とベスパを路地の目立たないところに停め、ホルスターの中のグロック40に手を伸ばしながら臭いを辿る。


 いくら富める者からの搾取という社会構造が定着しているとはいえ、こんなにもフレッシュな血の臭いが流れてくるほどロンディニウムはバイオレンスな街ではない筈だ。まあ、朝っぱらからやべえニュースを見たせいで思考がついついそういう方向に考えてしまうバイアスがかかってしまっている、というのは認めよう。


 意を決して路地裏へと飛び込み、臭いの発生源に辿り着いた。


 ―――娼館の裏口に、人が倒れていた。


 服装からして娼婦なのだろう、ゴシック風のドレスに身を包んだ金髪の竜人女性。お腹の辺りはすっかりと血に染まっており、倒れている彼女の周囲には紅い血だまりが出来ている。


 そしてその傍らには、黒いロングコートに身を包み血の付いたナイフを手にした長身痩躯の男。


 躊躇する理由は無かった。


 一言も言葉を発する事なく、その男に向かって引き金を引いていた。


 間違いない、コイツが―――コイツが切り裂きジャック《ジャック・ザ・リッパー》!


 放たれた10㎜オート弾が、切り裂きジャック《ジャック・ザ・リッパー》の腹に飛び込む。


 前世の世界では2026年の時点でも正体不明とされ、半ば怪異のような扱いを受けている連続殺人犯。しかしあくまでも殺人犯でしかない。ヒトである以上は物理で殺せるのだ。


 というわけで腹に10㎜オート弾を受ける事になったジャックはナイフを手から取り落とし、身体を「く」の字に折ってその場に倒れ込む。


 うぐ、と呻き声を発するジャックにグロックを向けていると、やがてどこからかパトカーのサイレンの音が聴こえてきた。



 

魔力的エントロピーの増大に伴う『魔力の死熱化』


 第6文明の魔術師、メルダース・ローヴェル・アーチボルトが提唱した仮説の1つ。氷属性魔術の使用により周囲の空間の魔力的エントロピーが著しく増大するという前提から派生したものであり、要約すると【増大に増大を重ねた魔力エントロピーがついに飽和状態に達した状態】。この状態を『魔力の死熱化』と呼ぶ。


 魔力的エントロピーが大きいと魔術の使用に大きな負の影響が生じるが、それが飽和し『魔力の死熱化』と呼べる状況となると、その空間では【魔術の発動が一切不能となり、魔力も反応しなくなる】という恐ろしい状態となる。


 記録によると第3から第7文明は特に魔力による技術発達が著しかった時期とされており、魔力に大きく依存した当時の人々にとって『魔力の死熱化』とはやがて訪れる破滅に等しかったのである。


 第7文明後期から第8文明では魔力に依存しない動力装置が著しい成長を見せているが、現代ではこれを『大魔術師メルダースの仮説を受け、魔力への依存のリスクを直視した結果ではないか』と推測されているが真相は定かではない。


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ヘンリックはこっちでも拠点を構えて、よりによって彼女を利用しようとしましたか…エリスの適正EXって利用しようと思って利用できるんですかね。成功したら彼の望む大戦争を招きやすいでしょうけど、丁度利用目標…
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