尖塔のエリス
コールセンター勤務ラウル君
『お電話ありがとうございます。くまさんハウスお客様コールセンターです……は? んなバカみたいなクレームある? テメエ平日の昼間からんな下らねえ理由で電話してきたってのかボケが。俺の昼休み返せや人間の失敗作がよ』
クラルテ「カスハラは激減しましたが普通のクレームが増えました」
ユリウス「口悪すぎだろアイツ」
ヴォイテク「それはそう」
浮遊大陸ブリタニア 首都ロンディニウム
コバルトチャペル地区
人間の中身ってこんなふうになってるんだ、と思ってしまった事を、何よりもロイド・ベイカー警部は恥じた。
娼館の一室、ベッドの上。そこに手足を縛りつけられて絶命している被害者の姿は、幼少の頃に学校の理科の授業で受けた蛙の解剖を思わせるものだった。
腹を裂かれ、取り出された内臓がカーペットの上に無造作に散らばっている。まるでこの被害者の腹の中に探し物でもあったのではないか、と思ってしまうほどの荒れっぷりで、周囲に飛び散った内臓の1つ1つを鑑識が写真のフィルムに収めている。
「被害者はコレット・テイラー。25歳、娼婦。この娼館に務めて明日でちょうど5年になるそうです。落ち着いた物腰で冒険者から労働者まで幅広く客を取っていたそうで、店長の話だと彼女を恨んでいる人なんて思いつかないと―――」
「……」
部下の報告を聞きながら、ベイカー警部は部屋の中に視線を這わせる。
娼婦が仕事帰りの労働者や冒険者を相手にする、ごくありふれた部屋。一夜限りの愛を育む空間には、しかし特に争った形跡は見られない。引き出しも荒らされた様子はなく、何かが盗まれた痕跡もない。
「警部、被害者ですが」
「何か分かったか」
「その……散らばった臓器を確認しましたが、その」
「何だ、はっきりしろ」
「無いんです―――バラバラになった臓器の中で、子宮だけが」
鑑識の報告で、現場がざわついた。
縛られた女性の被害者。
解剖され、部屋の中に散らばる臓器。
そして唯一欠けた子宮。
こんな殺し方をする殺人犯は、ベイカー警部の知る限りでは1人しかいない。
「奴だ―――間違いない、切り裂きジャックだ」
元々、ペンドルトン家は騎士の家系であったとされている。
ペンドルトン家の始祖”エミリー”は文武両道の騎士として名を馳せ、そこから徐々に魔術に傾倒していき今に至るのだという。その過程で様々な貴族から婿やら嫁を迎え入れ、属性関係なしに適性の高い子を追い求めていた経緯もあり、今でも生まれてくる子供は魔術適性にこそ恵まれているものの、その身に秘めた属性はバラバラで一貫性がないのだ、とも。
適性至上主義の貴族社会の闇が垣間見えたような気がする。
エミリアさんに通されたのは屋敷の応接室……のような部屋ではなく、あろう事か中庭だった。外は土砂降りやぞ、と思いながらも後についていったが、どうやら濡れる心配はしなくて良さそうだ。
ペンドルトン家は上から見ると「ロ」の字のような形状となっており、屋敷の中心に中庭と、それからエリスさんを幽閉しておくための尖塔が配された構造になっている。
中庭の上方には巨大なグラスドームが設置されており、屋外ではあるがほぼ毎日雨が降るロンディニウムでも気軽に庭の散策ができるような環境が構築されているようだ。
グラスドームの中は、冷たい雨が降る寒冷な屋外とは打って変わって南国……とまでは言わないが、それでも十分すぎるほどに温暖だった。じんわりと服の下に汗が滲んでくる程度には温かく、その調整された温度はここに咲き乱れる花々に合わせたものらしい。
よく見ると花壇で揺れている花たちはどれもこれも、寒冷なブリタニアには自生しないものばかりだった。おそらくだがバーラト王国のものなのだろう。花壇の周囲には使用人……ではなく庭師用の民生型ゴーレムが居て、雑草を摘み取ったり花に水をあげているところだった。
「座ってくれ」
「……失礼します」
協商連合のAIの方が遥かに高性能だな、と思いながら椅子に座らせていただく。隣にいるクロエもちょっと居心地が悪そうに腰を下ろしたところで、メイドがクッキーやら紅茶やらを運んできてくれた。
「ともあれ、今日は姉さんが世話になった。改めて礼を言わせてほしい」
「い、いえ……当然の事をしたまでです」
「ふふっ……姉さんは昔から好奇心旺盛でな。ちょっと目を離すとこれだ……ああ、失敬。熱いうちに飲むといい。バーラト産の高級茶葉だ」
「いただきます」
奨められるがままにティーカップを持ち上げ、冷ましてから少しだけ口に含んだ。
ふわりと鼻腔を舞う花のような風味。特に強烈な渋みもなく、すっと喉の奥へと抜けていくようなさっぱりした味わいが実に心地よい。
口から食堂、鼻腔にいたるまでのラインが浄化されていくかのような錯覚すら覚える。
「……クロワール殿、先ほどの非礼を詫びたい」
「え」
「いや……人前で出生を質すなど、非礼の極みだったな」
「ぁ……いえ、そんな」
本当にすまなかった、と謝罪の言葉を重ねてから、エミリアさんは視線を隣へと向ける。
「マジでダメだって何であんなところで全部暴露すんだよなんでだなんでマジ有り得んってホントになんなの何でアイツ倭国語分かるのおかしいじゃん外人じゃんどう考えたって壁に耳あり障子に目ありってかマジふざけんな殺すぞクソがクソクソクソ」
「……で、ウチの夫はいつまでブルーベリーみたいな顔の色をしているんだ」
「エミリア様、実はかくかくしかじかで」
「Oh……」
説明を省きたい時の便利な言葉、かくかくしかじか。
僅か8文字のそれで事の次第を把握したエミリアさんは思わず左手で頭を抱えた。
そっとティーカップをソーサーの上に置くエミリア氏(21)。すっと椅子から立ち上がるなり「ナオハ、バケツを」と申し付ける。
まるでそう命じられるのを見越していたかの如く「こちらに」と素早く対応するナオハ氏。いったいどこからあの金属製のバケツを取り出したのかと思っているうちに、エミリア氏は隣でうなだれている力也をあろう事かひょいと持ち上げた。
え、あの……いやいやおかしいでしょ、明らかに身長180㎝以上はある筋肉モリモリマッチョマンをそんな子供を抱っこするみたいに。
そこから何をするのかと思っている俺たちの目の前で、とんでもねえことが始まった。
あの、みんな小学校の頃掃除の時間ってあったでしょ? 教室とか廊下を箒で掃いたり雑巾がけしたり。その、うん、雑巾がけの時の事を思い出してほしいんだけど。
汚れた雑巾ってさ、水道で洗うじゃん。んで絞るじゃん。ぎゅーって捩って力いっぱいさ。
その、あの、語彙力が衝撃のあまり吹き飛びかけてるんだけどその、それを思い出してほしい。捩って絞ってる時の雑巾を。
べきべき、べりべりべり。
ブチュチュチュチュ、べちゃべちゃべちゃ。
だばー、とバケツに流れ落ちるブルーベリー汁。身体を(物理的に)絞られに絞られた力也さんはというと、元の肌の色に戻った状態で椅子の上にそっと座らせてもらっていた。やさしい。
バケツ一杯に溜まったブルーベリー汁を見下ろし、エミリアさんはこっちに視線を向けた。
「……飲むか?」
「飲むか!!!!!」
いや飲むか! それアンタの夫の汁(深い意味はないよ)じゃん!
「そうか……ふむ、飲んだら美味しいと思うんだがな、”力也汁”」
「名前が最悪すぎます」
「だってブルーベリーだぞ」
「ブルーベリー以前にあなたの夫の汁(※直喩)ですよ」
「ナオハ、カップ」
「こちらに」
「イヤイヤ飲むな止めろよアンタも」
「ぐびー」
「いったー!?」
一気に飲み干すエミリア氏。で、味は……その答えは、彼女の今にも吐きそうな顔が何よりも雄弁に物語っていた。
あ、駄目だコレ。絶対虹を吐くやつだと確信したところで懐から濃いめのモザイクを取り出すナオハ氏。いやあのバケツといいこのモザイクといいアンタいったいどこから、とツッコむ暇もなく映像が切り替わる。
どこまでも晴れ渡る青空。純白の雲とのコントラストが映える空の中を、1隻の空中艦が飛行機雲を描きながら悠然と進んでいく綺麗な映像が1分ほど流れた。映像の右下には『しばらくお待ちください』というテロップまで用意されてるんだけどナニコレ。
映像が元通りに戻った。
なんかちょっとげっそりしているエミリアさんと絞られてスッカスカになった力也氏、グラスドームの隅にぶちまけられた虹色の液体(※黒塗り修正済み)を掃除するメイドたち。なにこれ。
「ふっ……このエミリア・ペンドルトン、不覚を取った。よもや夫の汁で吐いてしまうとは」
「夫の汁」
「この悔しさをバネに次いきましょうエミリア様」
あの、もしかしてペンドルトン家っていつもこんなノリだったりします?
世界にはギャップのすげえ人っているんだな、とエミリアさんの後ろ姿を見ながら思う。
はっきり言ってこの人の初見の印象はすっげえ冷静沈着で、自分の目的の為ならば手段を選ばないドライな女というイメージがあった。それでいて御三家の当主であるが故に腕も立つ優秀な魔術師であり剣士、非の打ち所がない。
さっきのあんなところを見るまでは。
「―――17年前、姉さんは魔力を暴走させてな」
尖塔の上部にあるエリスさんの部屋。そこへと続く螺旋階段を一段ずつ上がりながら、エミリアさんはポツリと言った。
尖塔の内壁に沿う形で配置された螺旋階段は、とにかく音が良く響く。金属製の階段を踏み締める足音も、そしてエミリアさんの声も。
「姉さんの適性はEX判定……正直、私なんかよりよっぽど当主に相応しい人だった」
「……」
「しかし姉さんが5歳の頃、魔術の習練中に制御不能に陥り氷属性の魔力が暴走。ロンディニウムはあっという間に氷の地獄と化した」
「それでエリスさんは……」
「ああ、そうだ。父上と母上はこの事実を隠蔽、開発中だった魔力リアクターの暴走事故という事で落ち着いた。しかしそれ以降、姉さんを表舞台に出すのは危険と判断してな……私が当主に選ばれたのも、姉さんと違って暴走の心配がない、という理由だけだ」
この姉妹は、どちらも被害者なのだ。
エリスさんは生まれつき持っていた適性の高さに苦しめられ、エミリアさんは当主という重圧と、姉から約束された栄誉を奪ってしまったという後ろめたさに。
こればかりは、誰も悪くない。
罪人がいるとするならば、それはきっと神様だ。
この2人に、こうあれと生まれる運命を強いた神様が悪い。
一番上に、温かみのある高級木材で作られた扉があった。一見すると貴族の屋敷とかにある、一族お抱えの職人が贅を尽くして作った品に思える。しかしよく見るとドアノブには複雑なエングレービングが刻まれており、扉の表面にもひんやりとした感触があった。
もしやこれが、と視線をクロエの方に向けると、彼女は首を縦に振って肯定してくれる。
魔力抑制術式と、対魔力コーティング。
魔術の発動を限界まで抑制する、魔術師にとっての何よりも悪辣な”檻”。
何ケタもの暗証番号を入力し魔力認証までやって、やっと扉が開いた。
塔の中か、と思ってしまえるほどの広い空間と、ふわりと舞う花の香り。
バーラト王国から輸入したのであろうお香を焚いている火鉢が発する熱と、その香りだ。雨が年がら年中降り続ける寒冷なロンディニウムの街を一望できる尖塔の部屋。中にはずらりと魔術の教本から漫画や小説までもが並んだ本棚があり、左手には簡易キッチンが、右手にはシャワールームとトイレがあるようだった。
部屋の真ん中にあるソファからそっと立ち上がるのは、この部屋の主―――エリス・シンシア・ペンドルトン。
俺たちの姿を見るなり、まるで飼い主の帰りを待っていたゴールデンレトリバーのように笑顔を咲かせた。
「あら、エミリア。それにラウルさんも。来てくれたのね」
「ああ」
「お世話になります、エリスさん」
頭を下げると、エリスさんは嬉しそうに笑いながら「いいのよそんなに畏まらなくても」と言ってくれた。
先ほど、エミリアさんに頼み込んだ事だ―――「エリスさんから、是非とも魔術を学びたい」と。
どうやら俺たちがエリスさんと出会う直前に、ミカエルからも連絡が行っていたらしい。ウチの期待の新人がそっちのお姉さんと会う事になってるからよろしく、と。
こんな適性Eのカスみたいな奴が、それも竜人と犬猿の仲である獣人の俺を快く受け入れてくれたのは、そんなミカエルの「事前通告」があったからなのかもしれない。よく分からんが、おかげで話がこじれずに済みそうだ。
「そうだ。ラウル君、だったか」
「あ、はい」
何か、と振り向くと、エミリアさんは銀色の鍵を俺の手に握らせた。
「通行証だ。警備兵にこれを見せれば、いつでも姉さんのところに案内してくれる」
「いいんですか、そんな大切なものを」
「貸しておく。用が済んだら返却するように」
「分かりました」
「……姉さんの事、頼んだ」
そう言い残すなり、踵を返して部屋を出ていくエミリアさん。もうちょっとお姉さんと話でもしていけばいいのにとは思ったが、あの人も御三家当主として執務があるのだろう。
こうして姉上のところまで案内してくれたのも、激務の合間だったに違いない。
これほどまでの厚意、決して無下にはできない。
「さあ、それじゃあ授業を始めましょうか」
「よろしくお願いします、先生」
これが、ミカエルの見た「未来」。
彼女との出会いが、俺の運命を大きく変える―――どうやらその通りになりそうだぞ、ミカエル。




