エミリアさんの憂鬱
幼少期のクラルテの写真を見たみんなの反応
ロザリー「え、どこのお嬢様?」
クロエ「はーっはっはっは! 清楚過ぎて光っているように見えるよ!」
フルール「あれ、何か子供の頃から身長デカくない?」
ラウル「……清楚そうなのにどうしてこうなったのか(白目)」
クラルテ「↑言っておきますけど私の性癖破壊したのラウルさんですからね???」
ロンディニウムという街は、年がら年中雨が降る。
あの空が晴れ渡っていたのを最後に見たのはいったいいつの事だったか……下手をするとここ5年ほど、ロンディニウムの空に太陽をはっきりと見た事が無いかもしれない。
だからロンディニウムに住む竜人は皆、肌が青白いのだ。
たまには晴れた空を見てみたい―――ぼんやりとそう思いながら、”御三家”の一角たるペンドルトン家当主、『エミリア・ペンドルトン』は白い指でティーカップをソーサーの上から持ち上げた。
バーラト王国から輸入した高級茶葉。それで淹れた紅茶に、小さじ一杯分のブランデーを加えた香りと味わいに勝るものはあるまい。この一杯があるからこそ普段の激務や鍛錬にも耐えられるのだろう、とすら思える。
ペンドルトン邸の中庭には、ちょっとしたグラスドームがあった。
南国から取り寄せた花々も、しかし温度管理がなされているこのグラスドームの中でしか生きられない。温暖な地域で赤や黄色の美しい花を咲かせる彼女らにとって、浮遊大陸ブリタニアの大気と気候はあまりにも苛酷に過ぎた。
「88753、88754、88755、88756、88757ッ」
茶くらい静かに飲ませてくれないか、と抗議の視線を送るエミリア。爬虫類を思わせる形状の紅い瞳の先には、さながらヒグマのようにがっしりとした体格の巨漢の姿があった。身の丈ほどもある大太刀を左手一本で持ち上げ、空気を引き裂く轟音を響かせながら振り下ろす。
……暑苦しい。
夫はそういう男だ。倭国からこのブリタニアへと婿入りしてきた、『速河力也』というこの男は。
サムライのメンタリティはよく分からない。確かに騎士道とどこか通じ合うように思えて、しかし似て非なるものだ。
そうでなくとも、力也は妥協というものを知らない。だから毎日気が済むまで、ああやって素振りの鍛錬を欠かさない。
執事が紅茶のおかわりと一緒にもう一人分のティーカップを持ってきたのと、夫がやっと満足して大太刀を鞘に納め、グラスドームの方へとやってきたのはほぼ同時だった。
どうぞごゆっくり、と耳障りの良い落ち着いた声で言い残しグラスドームを後にする執事。エミリアが腕を組む目の前で、鍛錬を終えたばかりの力也はどっかりと椅子に腰を下ろして息を吐いた。気のせいだろうか、グラスドームの中の温度がこの男のせいで5℃くらいは上がったような気がする。
「……アフタヌーンティー中だ。上着くらい着ろ」
目の前にいる夫は、半裸である。
上半身が剥き出しだ―――おかげで、これまでの生涯で受けた無数の古傷が見えている。
その中でもエミリアが特に視線を向けているのは、彼の右腕だった。
夫の力也の右腕は、肩から先がない。
天地戦争の最終決戦、皆が口をそろえて「地獄」と評するメルキアの戦いに参戦した彼は、あの空で右腕と左目、そして左のケモミミを失った。
激戦の最中、乗艦が弾薬を撃ち尽くした果てに竜人側の戦艦へ接舷、敵艦に乗り込んでの白兵戦の最中であったという。竜人側が味方の艦もろとも砲撃し戦艦は轟沈、その際に右腕を吹き飛ばされた……力也はそう言っていた。
婿にやって来たばかりの頃、正直言ってペンドルトン家も舐められたものだとエミリアは思った。汚らわしい獣人の一族出身で、それも御三家の一角の長男のくせに魔術の素質はゼロ。おまけに戦傷で右腕と片目のない男ときた。ハヤカワ家はペンドルトン家を何だと思っているのだ、と憤りもした。
しかし今は違う。妥協という言葉を知らず、手綱をしっかり握っていないと暴走しがちなお世辞抜きにやべえ男ではあるが、今は胸を張って紹介できる夫である。
「くうるだうん中だ」
倭国訛りのある竜人語で、力也はぶっきらぼうに答えた。
「テーブルに足を乗せるな」
「ん」
さすがにそれは行儀が悪いと反省したのだろう。すっ……と両足を引っ込めるなり、力也はティーカップを拾い上げて口へと運び、皿の上のスコーンにジャムを塗りたくって3個ほどまとめて口へと放り込んだ。
この男が婿に出されたのも、ハヤカワ家の思惑があるのだろう。
魔術の素質がないとはいえ、その身の内を流れるのは紛れもない東洋の名門魔術師一族の血である。代々、生まれてくる子の属性が安定しないペンドルトン家にとっては新たな風を吹き込み、何かしらの化学変化に至ればよいという思いもあるのだろうが、それ以上に重大なのは勢力拡大を続けるイライナのリガロフ家に対抗するという政治的意義である。
生まれた4人の仔が全員優秀な魔術師となり、国家元首と太いパイプがあり、加えて協商連合とも親密な関係にあるリガロフ家。しかも今の当主、ステファン・スピリドノヴィッチ・リガロフは天地戦争末期を常に最前線で戦い抜いた英雄豪傑ときたものだ。
その発言力の大きさは計り知れない。
パワーバランスの是正のためにも、ペンドルトン家もハヤカワ家もテコ入れが必要な局面なのだ。
「エミリア」
「なんだ」
「……お腹の調子、どうだ」
今、エミリアの腹には次の世代を担う新しい生命が芽生えつつある。
まだお腹は膨らんではいない。妊娠している、と申告しなければ誰も気付かないだろう。一族お抱えの医者からは「念のため激しい運動は控えるように」と言われているので、力也の鍛錬に付き合う事も出来ない。
魔術師であると同時に剣士でもあるエミリアにとっては不満だが、しかしそれ以上に次世代の希望をこの身に宿しているという事が、そして夫との愛の結晶がやがて生まれてくるという期待の方が遥かに大きい。
「ん、落ち着いているよ。さすがにまだ蹴るほど大きくなっていない」
「実はな、名前を考えてきてな」
「気が早いな」
「男の子だったらアレだ、”忠勝”とかどうだ。強そうだろう?」
「……」
ネーミングセンスについてツッコみたいのを、エミリアは必死にこらえた。妥協を知らぬ夫の事である、どうせ夜遅くまで眠らずにずっと我が子の名前を考えていたのだろう。そんな夫の努力をただの一言で台無しにするわけにもいかない、という妙な優しさが、何とも言えない沈黙を生み出すに至った。
なんだ駄目か、とでも言わんばかりに、力也の頭から生えるワコクオオカミ(※ニホンオオカミ)のケモミミがぺたんと垂れ下がる。ああもう可愛いなぁ、と内心で思い切り悶えるエミリアはそれを隠すように、ティーカップを口元へと運んだ。
獣人の夫を持って、エミリアは見事に性癖を破壊されていた。今の彼女は軽度のケモナーである。
今夜あたり頼んだら吸わせてくれるかな、などとついつい己の欲望を頭の中に悶々と溜め込み始めてしまうエミリア。しかしそんな彼女の邪な思考回路も、グラスドームの外からやってきたメイドの声に遮られてしまう。
「失礼いたします。エミリア様、お電話が」
「誰からだ」
「―――”ミカエル”と名乗っております」
無言で椅子から立ち上がり、メイドの後に続くエミリア。
グラスドームを出て屋敷の中に入り、書斎に備え付けられている電話に出た。「エミリアだ」と名を名乗るなり、受話器の向こう側からはネイティブなのではないかと思ってしまうほど流暢な、しかし微かにイライナ訛りの残る竜人語が聴こえてくる。
《お茶の時間に失礼します、エミリア・ペンドルトン様》
「久しいな、ミカエル」
ミカエル・パヴリチェンコ。
協商連合の頭目にして、リガロフ家やイライナのキリウ大公と太いパイプを持つやり手の政治家であり錬金術師。
受話器越しだというのに、ついつい身構えてしまうほどの得体の知れなさがあの女には確かにある。
「何の用だ。夫を待たせてる」
《ええ、そうでしょうとも。ですから単刀直入に用件を》
少しだけ、間をあけた。
《―――今日、貴女の姉君と協商連合の新人が会う事になるでしょう》
「姉さんと?」
《ええ。貴女の姉、エリス・シンシア・ペンドルトン様と》
「……何が狙いだ? そもそも貴様のところの新人とは何か?」
《聞いた事ないでしょうね。ラウル・エルマータという期待の新人なのですが》
「ふざけたことを抜かすな。一介の冒険者が、姉さんにアポも無しに会うなど……」
《残念ながら、未来は決まっている》
「え、エミリア様ぁ!」
電話中だというのに何事だ、と鋭い視線で振り向くエミリア。彼女の書斎に大慌てで駆け込んできたのは屋敷の警備兵だった。赤い軍服が栄える宮殿の近衛兵とは対照的に、紺色を基調とした色合いの落ち着いた制服を身に纏っている。
はぁ、はぁ、と乱れた呼吸を何とか整えながら、警備兵は声を裏返らせながら報告した。
「え、エリス様がいません!」
「な……っ!? 抜け出したのか、この屋敷を!?」
「お、おそらくは……っ!」
《言ったでしょう? 未来は決まっている……全てはこれから起こる事》
肩をわなわなと震わせながら、エミリアはそっと受話器を置いた。
エリス・シンシア・ペンドルトン―――エミリアの実の姉であり、本来であれば彼女がペンドルトン家の当主の座についていてもおかしくはなかったほどの、魔術の才能に溢れた大魔術師。
あんな事件さえなければ。
「警備は……何をしていた……!?」
「それが……エリス様の手料理を食べたようでして、部屋の前で泡を吹いて倒れていました」
「姉さんの……手料……理……?」
そりゃあ死ぬわ、とエミリアは顔を青くした。
あれほど恐ろしい化学兵器を、未だかつて見た事はない。なるほどそれならば精強極まる警備兵の監視を突破されてしまうのも頷けるというものだ。
「ナオハ、ナオハはいるか!」
「お傍に」
音も気配も、空気の流れすら気取らせない。
いつの間にかエミリアの背後には、黒装束に身を包んだ獣人の女性が佇んでいた。何の前触れもない彼女の出現にメイドも警備兵も言葉を失う。
ハクビシン獣人の女性、ナオハ。
力也が婿入りした際、付き人として倭国からやってきた正真正銘のくノ一である、という。その実力は折り紙付きだ―――幾度となく差し向けられた政敵からの刺客も、姉の身を狙った襲撃も全ては彼女が秘密裏に”処理”してくれている。
「力也と共に姉さんを探して連れ戻してくれ」
「承知」
ふっ、とナオハの気配が消える。
ニンジャって本当に居たんだ……と毎度密かに感激しながら、しかしエミリアは眉間に皺を寄せて窓辺に立ち、屋敷の中央に屹立する尖塔を見上げる。
あそこが、彼女の姉―――エリス・シンシア・ペンドルトンの居場所。
心苦しくはあった。血の繋がった姉を、幼少の頃はいつも一緒にいた半身同然の肉親を、あんな尖塔に押し込めておく。良心の呵責に苦しんだ日々は数えきれない。
しかし、だからといって姉を自由にする事もまた許されなかった。
あんな未曽有の大災害を、再び引き起こすわけにはいかない。
ペンドルトンの名に懸けて、それだけは防がなければならなかった。
「分かっていますね坊ちゃま、目的はあくまでもエリス様の身柄を確保する事にございます」
段々と強さを増していく雨の中、ロンディニウムの屋敷や邸宅が並ぶ高級住宅街の屋根の上を身軽に走りながら(ナオハに至っては無表情でピースサインする余裕すら見せている)、ナオハは隣を突っ走る力也に釘を刺した。
天地戦争で身体に深い傷を負い、一族からは不要な存在と半ば切り捨てられ―――そんなどん底にあった彼が、エミリアにエリスという竜人の美女を2人も妻とする事が出来たのは、きっと今までの不幸を見ていた神様からの救済なのかもしれない。
だからこそ力也は奮い立っている。エリスの身が懸かっているのだから。
「んで、そのラウル・エルマータとかいうやつはどうする? 斬っていいのか? いいんだよな?」
……違った。
猛っていた。滾っていた。荒ぶっていた。
身長185㎝、体重115㎏という巨体にすら収まりきらぬほどの闘志を燃やし、はちきれんばかりの闘争本能を滾らせる力也。残された右眼が、爛々と紅い尾をこれ見よがしに曳き始める。
あーダメだこりゃ、とナオハは一瞬で悟った。
こうなった力也はもう止まらない。例えるならばブレーキ未搭載の新幹線、一度駆け出したらもう止められないのだ。進路上の全てを跳ね飛ばし、破壊し、蹂躙しつくすその瞬間までは。
嘘か誠か、メルキアの戦いの最中に昂る闘争心のままに味方である筈の英雄ヘンリックとすら矛を交えたという目撃情報が多発している速河家の問題児、力也。そういや最近ずっと屋敷に引きこもりっぱなしだったもんね、と一定の理解を示しつつも、ナオハは溜息をつきながら麻酔針の準備をしておくのだった。
マンモス用の麻酔薬を原液で。
多分そのくらいしないと、この人は止まらない。




