新たな旅先
「楽園」とは、こういう場所の事を言うのだろう。
浮遊大陸アルカディアの中心、北海道サイズの超巨大浮遊大陸を一望できる山の頂上に屹立する白亜の城塞、『エンジェルパレス』。
協商連合というレギオン最大手の総司令部として、そして兵器工廠や軍事施設として、更には所属する人員の家族が住まう居住施設として、様々な機能が集約されたエンジェルパレスはとにかく巨大だ。それこそ、その辺の王族の宮殿が何の変哲もない一戸建てに思えるほどに。
今しがたソーキル級の1隻が、整備を終えて離陸していくのが見えた。重力変調システムの恩恵による揺れの無いスムーズな離陸には技術力の高さを痛感させられるが、それにしても全長190mのソーキル級ですらエンジェルパレスの周囲を飛ぶとただの羽虫にしか見えない。
遠近法だとか目の錯覚だとか、そんなんじゃない。ただ単にエンジェルパレスがデカいのだ。
距離感バグるなぁ、と思いながらも飛び去っていくソーキル級を見送っていると、「さあこっちへ」とミカエルに着席を促された。
満月みたいな真っ白なテーブル。その上には2人の来客を見越していたとでもいうのか、既に2人分のソーサーと小さなスプーン、それから皿の上に乗った焼き菓子が用意されている。
言われるがままに席に着くと、どこからかやってきたメイドがトレイの上に乗ったティーカップを静かにソーサーの上に置いていった。ぺこり、と無表情で一礼していくメイド。あれも中身機械だったりするのかなぁ、と思いながら周囲を見渡した。
エンジェルパレスの一角、『空中庭園』と呼ばれるエリアだ。
ミカエルのお気に入りの場所らしい。花壇には様々な種類の花が植えられていて、高度3500mとは思えない温かなそよ風と太陽の光の中で揺れている。
周囲にある土は全て、彼女の祖国イライナから取り寄せたものなのだそうだ。水分をよく保ち、それでいて栄養価の高い土は農作物や植物の栽培にこれ以上ないほど適している。それ故にイライナは『世界のパンかご』と呼ばれているのだそうだ。
そしてイライナを穀倉地帯足らしめているのが、この土である。
だから国外への持ち出しは原則として禁止、あるいは厳しく規制されていると聞いていたが……それを平然と、こんな気流結節点の中心に浮かぶ浮遊大陸まで持ってきている辺り、ミカエルという人物の得体の知れなさが窺い知れる。
「それで用件は?」
「まあそう急かすな。茶でも飲んで落ち着くと良い」
どうぞ、と紅茶を飲むように勧めるミカエル。彼女はというとスプーン1杯分のブランデーを足しているところだった。オイオイ未成年が酒は拙いだろと思ったが、そういやコイツは30歳男性既婚者で子持ちである。事情を知らない人からすればなんかこう、色々とヤバい絵面にしか見えないが。
ティーカップを持ち上げた。ふわり、と爽やかな香りが鼻腔を突き抜けていくのが分かる。
おそらくだがイライナハーブをブレンドしているのだろう。その名の通りイライナで栽培されているイライナハーブは、郷土料理やサラダ、料理の添え物にシロップ、薬草と幅広く活用されてきた歴史を持つ。
すっきりとした味わいのそれを楽しんでいると、ミカエルは焼き菓子(多分コレもイライナのものなのだろう)に手を付け始めた。スコーンみたいにジャムを塗りながら、さらりと会話を始める。
「で、ボコられたろ。ヘンリックに」
まるで昨日のアニメどうだった、とでもいうかのように友達に話しかけるような、そんな軽いノリだった。それも当事者に、心にさざ波が立つどころか気分を害するような話題をこれでもかというほどカジュアルに投げかけてくる。
無論、思い出して腹が立った。
けれども分かっている。ミカエルとは、この得体の知れない男の娘はそんな無神経な奴ではないと。あえてこんな会話の切り出し方をしたのにも意図があるのだろう、と。
幸い今は、感情よりも理性が勝った(人間とは本来こうあるべきである)。
「……ああ。指先すら届かなかった」
「そうだろうね」
焼き菓子を小さく齧り、紅茶を口に含むミカエル。まるでリスがどんぐりを口に含んでいるような微笑ましい仕草だった。
「少なくとも、あそこで奴に勝てる君はいない」
「じゃあ、俺はどこで奴に勝てる?」
知っている筈だ、コイツならば。
次元の壁を隔てた全てのパラレルワールドの自分、そして未来すら見通してしまう『全知全能』という、神に愛されているとしか思えないユニークスキルを持つミカエル・パヴリチェンコならば。
キキキッ、と小さな鳴き声。見てみるとミカエルの膝の上にはハクビシンが居て、くりくりした丸い目でミカエルを見上げながら焼き菓子の方に手を伸ばしている。
はいはい、と呆れたように焼き菓子の残りを与えると、ハクビシンは嬉しそうに尻尾をパタパタさせながらミカエルの頭の上によじ登った。
「―――悪いが、ネタバレはしない主義でね」
「だろうな」
未来、というのはそう簡単に知り得るものではないし、それによって結末が変動する可能性だってある。
自分の観測している未来を予想不可能なものへと改変してしまうのはミカエルも本意ではないのだろう。そう納得していると今度は俺の焼き菓子がハクビシンにロックオンされたので、面倒な事になる前にくれてやった。
がう、と威嚇してくるハクビシン。礼の一つでも言ったらどうだ、と思いながら腕を組むなり、ミカエルは口元に笑みを浮かべた。
「ただ、もし君が自分に足りないものを補おうとあれこれ模索しているのであるならば……少しだけ助言をしよう」
「……」
やっぱりそれもお見通しか。
俺に足りないもの―――幼少の頃、俺には不向きと早々に見切りをつけた魔術という分野に再び足を踏み入れようとしているというのも、ミカエルはきっと”観測済み”なのだろう。結局は彼女の掌の上、というわけだ。西遊記の孫悟空が、結局はお釈迦様の掌から出られなかったように。
「―――魔術の適性を覆す秘術は、存在する」
口に含んでいた紅茶を危うく吹き出すところだった。
今、コイツは何と言った?
魔術の適性を覆す術がある……?
一般的に、魔術の適性とは生まれ持った素質そのものである。そしてそれはどれだけ頑張ろうが、後天的な努力では決して上昇する事はない。
故に幼少の頃の適性検査で適性のある子は優秀な魔術師という将来が約束されるし、適性の無い子供は無能と早々に切り捨てられるというわけだ。無論ラウル君はその切り捨てられた側の人間である。孤児院に検査にやってきた検査官の、あの「期待外れだ」とでも言いたげな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
強力な魔術師というのはそれ自体が戦略兵器足り得る存在だ。大昔なんかは、「魔術師の保有数が軍事力を左右した」とまで言われていたのである。
まあ、それも天地戦争で優秀な魔術師が死にまくってしまい、適性の高い魔術師そのものが希少種となっているのだが。
今となっては「魔術の名門一族」と名乗れるのはイライナの【リガロフ家】、浮遊大陸ブリタニアの【ペンドルトン家】、そして極東の倭国【速河家】。この三つの一族は、魔術師界隈では【御三家】だなどと呼ばれているらしい。
生まれた時点で宿命づけられる素質。
後天的な要素で変動する事がないが故に、優秀な魔術師は貴族たちに独占されてしまう。そしてその血を受け継いだ仔がまた、新たな魔術師となっていくのだ。この荒廃しきった壊れかけの世界で、自らの一族の拍付けのために。
それが……それが、だ。
そんな歪な構造が、全て覆る。
ミカエルの言っている事が、本当ならば。
「教えてくれ」
ガタッ、と音を立てて立ち上がり、ミカエルに掴みかからんばかりの勢いで迫った。驚いたハクビシンが「ぴえー!」と涙目になりながら逃げ去っていくが、しかし今はそれどころではない。
力が手に入るのだ。
あの男を、ヘンリックを超えるための力が。
俺が今、一番欲しているものが。
「頼む。俺はあいつを、ヘンリックを殺さなきゃあならない」
「まあ、教える事に関してはやぶさかでないよ。ただ……約束してほしい」
そっと立ち上がり、テーブルを回り込むようにしてこっちにやってくるミカエル。彼女は俺の両手を掴むと、いったいこんなちんちくりんなミニマムサイズのボディのどこにそんな力を秘めていたのか―――俺を無理矢理座らせると、唇が触れるほどの至近距離で、小さく言葉を紡ぐ。
「―――その秘術は、絶対に使わないと」
「艦長、エンジェルパレス航空管制より離陸許可下りました」
「了解。両舷前進微速」
「両舷前進微速」
ソーキルの船体を左右から抑え込んでいたアームが、大きな音を立てて外れた。しかしそれで支えを失ってもなお、ソーキルが横転したりドックの底に落下する様子はない。既に機関から発せられる電力で活性化した人工タイプの賢者の石が重力を発生させていたからだ。
そのまま前進しつつ、緩やかに高度を上げていくソーキル。
エンジェルパレスの威容が小さくなるよりも先に、アルカディア首都『アルテリア』の街並みがみるみるうちに小さくなっていった。あらゆる民族の難民だった人たちでにぎわう大都市も、巨大な浮遊大陸を彩る緑と白のグラデーションの一部として、俯瞰した風景に組み込まれていくのがはっきりと感じられた。
アルカディアを覆う光の輪を脱し、気流結節点へと突入するソーキル。艦に搭載された高性能AI『ルシフェル』のサブフレームが気流の流れをリアルタイムで計算、姿勢制御に反映しているおかげで、まるで新幹線に乗っているかのように船体は全く揺れない。本当にこれがあの難所中の難所、気流結節点の中なのだろうかとすら思えてしまうほどだ。
雷と気流の渦を、やがてソーキルは難なく越えた。
渦巻くトルネードのような積乱雲から舳先を突き出し、外に広がる空へと飛び去っていくソーキル。艦橋の窓から差し込む陽の光にAIが反応し、艦橋の窓にはすぐさま遮光フィルターが展開した。ブロックノイズ状のフィルターが広がり、スモークガラスよろしく日光の強さを調節してくれる。
砲雷長の座席で武装や武器システムに異常がないか、コンソールを弾いてチェックした。既にそれはAIがやってくれているが、何もかもをAIに丸投げするわけにはいかない。最終確認は人間の目で―――それはギルド内でもレギオン内部でも徹底されている事だった。
異常がない事を確認しヴォイテクに報告。座席の背もたれに背中を預けながら息を吐いていると、艦橋に上がってきた戦闘人形の乗員がマグカップを差し出してくれた。「ありがと」と礼を述べながら受け取り、中に入っているブラックコーヒーを口に含む。
浅煎りですっきりした味わいが特徴的な、北欧スタイルのコーヒー。砂糖やミルクは一切入れず、コーヒー豆の風味と控えめの苦味をカジュアルに楽しみながら肩の力を抜く。
コンソールを弾き立体映像を投影、航路を確認する。立体投影された航路図を指で押し広げるようにしてズームアップしていくと、やがて航路の終点に大きな浮遊大陸の姿が見えてくる。
―――浮遊大陸【ブリタニア】。
西欧から北欧までの間を回遊する浮遊大陸の1つにして、竜人たちの住まう浮遊大陸でありながら、最大の勢力を誇る浮遊大陸メルキアとは距離を置いている独特な立ち位置の大陸として知られている。
竜人陣営なれどもあの天地戦争に参戦しなかったというだけで、如何にその政治的な立ち位置が独特なものかが窺い知れるだろう。
戦火が及ばなかったが故に、旧い時代の記録も極めて良好な状態で保存されているのだという。それこそ、確認されているだけでも”第17文明”までの記録が断片的にではあれど保管されているのだとか。
世界の博物館とも言える歴史の縮図。俺たちはこれから、そこへ荷物を届けに行く。
「……」
ミカエルから直接賜ったアドバイス。
適性を覆すという秘術ともう1つ―――その鍵を握る人物が、浮遊大陸ブリタニアに居るのだという。
その人物の名はエリス―――『エリス・シンシア・ペンドルトン』。
そう、魔術師の名門一族にして”御三家”の一角、ペンドルトン家の血筋の1人。またの名を『絶対零度のエリス』。
確かに俺は氷属性の魔術に対しEランクの適性判定を受けている。だがEランクというのは「魔術が使える最低ライン」でしかなく、魔術師界隈からすれば底辺中の底辺だ。頑張っても金平糖サイズの氷を作るだけで精一杯なのである(これは練習次第かもしれないが)。
しかもあっちは獣人を毛嫌いする竜人で、更に名門一族の女性である。会いたい、と言って簡単に会える人物ではないだろうし獣人に対する風当たりの強さにも気を付けなければならない。
だがミカエルは言った―――『彼女との出会いが、お前を大きく変える』と。
未来を知る者の助言、というよりは答え合わせのようなものだが。
とにかく、体当たりでやっていくしかあるまい。
可能性が少しでもあるならば。




