疑念は底深く
ストレス解消には、10㎜オート弾をマガジンいっぱいに装填したグロック40で的を撃ち抜くのが効果的であると気付いたのは、つい最近の事だった。この手元で生じる爆発と、ガツンとくるキツめの反動。「ああ、撃ってるんだな」というのが直感的に理解できる感覚と、銃弾で的を撃ち抜く達成感がクセになる。
そんな冗談はさておき、とにかく非番の間は身体を動かした。射撃訓練を終えるなり銃のメンテナンス、そしてトレーニングルームでひたすらサンドバッグを殴り続ける。
本物の砂がぎっしりと収まった堅いサンドバッグ。そこに本気のストレートを打ち込むなり、拳が砕けてしまいそうな痛みと衝撃が肩まで突き抜けてくる。
それでも殴るのをやめない。拳が潰れる勢いでひたすら殴る、殴る、殴る。
殴って殴って、ひたすら殴る。頭の中からヘンリックのあの勝ち誇ったような笑い声が消えるまで。
あの男が、俺の父親だという事実を忘れるまで。
何度も、何度も拳をめり込ませる。
激痛が声高にトレーニングの中止を叫んでも、とにかく止まらない。拳の皮が裂け、血が滲み始め、床に血痕がぽつぽつと刻まれる。
まだだ、まだだ。
こんなところで止めていては、あの男に勝てない。ヘンリックを超えられない。
更に上へ、更に先へ。
どんな手段を使ってもいい。力が、とにかく力が欲しい。
アイツを殺せる力を。
しかしそんな暴走じみた殴打も、後ろから右腕をがっちりと掴まれた事で止められた。
「……その辺にしておけ、ラウル」
「機関長……」
「やっぱり、ここに居ると思ったわい」
意外だった。非番だろうが何だろうが、いつも機関室を離れないヨルゲンセン機関長がこんなところに顔を出すなんて。
長年工具を握っていたが故に出来た、肉刺の潰れた痕。ごつごつとした手にガッチリと止められて、そこでやっと俺はサンドバッグに叩きつけていた拳から力を抜いた。
まあ座れ、と休憩用ベンチに座るよう促されて、言われるがままに腰を下ろした。ここに来る途中に買ってきてくれたのであろう缶コーヒーを渡される。「ども」と短く礼を言い、機関長がコーヒーを飲み始めるのを待って俺も缶コーヒーを口へと運んだ。
思ったよりも苦味は控えめで、どちらかというとやや酸味がある。缶にはデンマルク語で『Bjørnekaffe』という記載と、コーヒー豆を抱き抱えるホッキョクグマのイラストが添えられている。
北欧スタイルのコーヒーらしい。飲みやすく、苦味もほど良くて気に入った。
「……ワシも戦場じゃあ、泥水のようなフィーカを啜ったもんじゃ」
「機関長もやっぱり天地戦争に?」
「ああ、お前にゃあ言ってなかったな」
機械油で汚れたツナギのポケット。彼がそこから引っ張り出したのは、洗い流しきれないほどの泥と血で汚れ、すっかり歪んでしまったワッペンだった。しかし黒ずんだ血痕の隙間から、辛うじて『血の涙を流しながら燃え盛る髑髏』のエンブレムらしきものが確認できる。
息を呑んだ。
だってそれは、天地戦争の闇を象徴する獣人側の部隊―――『亡霊大隊』のエンブレムだったのだから。
「機関長、アンタまさか」
「ああ、ワシもそうじゃ。退役して戦局報道を聴きながらフィーカを啜っていたんじゃが、息子が戦死してな。仇討ちに復帰したんじゃよ」
まあそんな事をしても息子は帰って来なかったがな、と機関長は自嘲気味に言う。
しかしすぐに、彼の目つきが変わった。
ヘンリック、という名前が出たからだ。
「……ヘンリックは、メルキアの戦いでわしらの乗っていた強襲揚陸艦を乗っ取りおった」
「なぜ?」
「分からん。じゃが奴はいきなり艦橋に居た仲間の全員を殺し、艦を乗っ取って敵艦に突っ込ませた。亡霊大隊の工兵として乗り込んでいたワシには何が起こったのか分からなかったが……」
あの男は、やっぱり殺すべきだ。
居るだけで戦乱を招く。そしてすでに、多くの人々に消え難い爪痕を刻んでいる。一刻も早く殺した方が世の為になる、と胸を張って言える人間もそうそう居ないだろう。
「あの男と会って、どうだった?」
「……勝てない、と思った」
本心だった。
絶対に越えられない壁―――少なくとも、今の自分では太刀打ちできない相手だと強く認識した。もっと強くならなければならない、と。
「でも、努力すればいつかはきっと」
「……お前はヴォイテクの奴に似ているな」
「え?」
「アイツもそうじゃったよ。努力して、努力して、血の滲むような努力をして今あそこに立っている。だからラウルもきっと……」
そこまで言葉を続ける機関長。でもその視線が俺の拳に向けられるなり、「ああ、でも」と口元に苦い笑みが浮かんだ。
「もう少し、自分の身体を労われ。”加減”というものを覚えろ、馬鹿」
「すんません……」
ぽん、と強めに肩を叩くなり、機関長はゴミ箱に空き缶を投げ捨ててからトレーニングルームを後にしていった。
自分の根城だった機関室を離れてまで励ましに来てくれた―――その事が嬉しくて、同時に気付いた。
昔からそうだが、やっぱり多くの人に支えられているんだなって。
1人で生きていける人間なんて、そう居ないのだ。
人間誰しも誰かに支えられている。誰かに生かされている。
だからこそこの命を大切に使おう―――そう思った。
……あと、もうちょい自分の身体を労わろう。
さすがに痛い、拳が。
相も変わらず、アルカディアは活気に満ちていました。
浮遊大陸アルカディアの首都『アルテリア』のメインストリート。石畳でしっかりと舗装された未知の左右には、大きな建物がずらりと軒を連ねています。西洋風の建物があったかとおもうとすぐ隣に北欧風や東欧風の建物が並び、その向かい側には倭国の伝統的な建築様式のお茶屋さんが軒を構えていて、一歩進む度に風景が目まぐるしく変化する落ち着きの無さがあります。
よく言えば多様性に富んだ、悪く言えばちぐはぐな街並み。
まあ、無理もない事でしょう。元々協商連合は、代表のミカエル・パヴリチェンコを中心に世界中から爪弾きにされた人々や難民が集まって出来上がった共同体です。国家でいえば多民族国家、多くの人々が自分の国や文化を持ち寄って構築された場所なのですから、こうなるのも当然と言えるでしょう。
とはいえ、ミカエルさんも強引な融合は反発を生むと理解しているからなのでしょう。こういう異国の建物が軒を連ねる区画はごく一部で、倭国出身者はこっち、アメリア出身者はこっち、ジョンファ出身者はこっち……という風に区画を分け、文化の”棲み分け”をしているようでした。
ここから見ればほら、大通りの向こう側には大きな門があり、そこを潜ればジョンファ様式の建物が奥まで並ぶ中華タウンになっています。
こうして散策しているだけでも楽しい場所です。
まあ、ラウルさんも一緒に来てくれればもっと楽しかったのでしょうけど……。
「……」
スマホのアプリを開き、ラウルさんとのメッセージのやり取りをもう一度見てみます。私が「気晴らしにお買い物に行きませんか?」と誘っても、ラウルさんは「ごめん、また今度にしよう。次は絶対行くから!」と絵文字を添えて返信していました。
無理もありません、あんな手ひどい敗北の後に、しかもその殺戮の主が自分の父親であるという衝撃の真実を告げられてしまったのですから。
いつかは越え、そして消さなければならない実の父親、ヘンリック。そのために今、ラウルさんは必死にトレーニングに励んでいます。色んな人に頭を下げて回っては指導を賜り、自分にとってプラスに作用しそうなものは貪欲に取り入れて……。
まるで何かに取り付かれたように、そうしているのです。
強くなろう、という向上心は凄まじいものですが、正直言って巫女としてちょっぴり心配です。まるでエンジンが壊れるのも構わずに全力疾走を延々と続けるスポーツカーのようで。
「はぁ……」
首に下げたメダリオンに視線を落としました。これさえあればもっと効率的に動けるようになりますし、変なストレスに苦しむ事もないので楽なのですが、ラウルさんは頑なにマザーの「調律」を拒み続けています。
あの人にはあの人のこだわりがあるのでしょう。
考え事をしながら歩いているうちに、『リトル・アメリア』というホログラムが投影されたエリアに入っていました。その名の通りアメリアからの移民たちが住むエリアのようで、雰囲気や文化、売っている物が先ほどとは大きく様変わりします。
とりあえず露店で売っていたドーナツが美味しそうだったので立ち寄りました。黒豹の獣人のお兄さんが素敵なスマイルで出迎えてくれ、テキパキと注文通りに出来立てのドーナツを箱に詰めてくれます。ドリンクのカフェオレまでサービスしてもらい、私はついつい笑顔になってしまいました。
だってほら、お砂糖をこんなにまぶした甘そうなドーナツがたくさん。糖分は多めの方がいいのです、甘ければそれだけ幸せなのです。パチパチ弾けて脳味噌幸せなんですよ、それがスイーツというものです。
ラウルさんやロザリーさん、クロエさんにフルールさん、それからユリウスさんにも行き渡るだけのドーナツを確保しました。しかし美味しそうですね……1つ1つがラージサイズですし。カロリーが気になりますけど……ええい、後から動けばいいのです。それにほら、私って身体大きいですから。190㎝でJカップの超弩級美女ですから。そうですこれくらいカロリー摂取しても許されるのですぐふふ。
《ノイズを取り払ってクリアな日常を。調律を受けましょう》
《現在、エンジェルパレスでは調律治療推進キャンペーンを実施中です。これを機に調律を受けて見ませんか? 詳しくはウェブサイト、またはSNS公式アカウントを―――》
モニターとスピーカーをぶら下げた広告用ドローンが2機、私の頭上を通過していきました。
アルカディアではああやって、調律を受ける事を推奨しています。
私がマザーから授かったこのメダリオンで受けられる調律と同じものなのでしょうか。それとも協商連合で独自に開発した技術なのか……正直言うと以前から気になっていました。
ドーナツの入ったLサイズの箱を抱えたまま歩いていると、協商連合の戦闘人形が3体ほど大通りにブースを設けているのが見えました。迷彩服ではなく魔術師のようなローブ姿で、道行く人々を呼び止めては無償で何かを配っているようです。
なんでしょう、と気になり私はブースの方に足を運んでみました。
「Hello, lovely nun. How about trying out a simple attunement treatment—free of charge? Just by wearing this medallion, the noise in your heart will vanish(こんにちは、素敵な修道女のお姉さん。無償で体験できる簡易調律治療はいかがですか? このメダリオンを身に着けるだけで心のノイズが消え去りますよ)」
「Of course, thank you(ええ、是非。ありがとう)」
イーランド語で応じるなり、私はその無料配布されているという簡易調律治療用のメダリオンを受け取りました。
デザインは私のものと比べると簡素で小型、使い捨ての安物といった感じがするのですが……。
それをポケットに入れたまま、私は帰路を急ぎます。
何か、胸騒ぎがします。
もしかして、という嫌な予感。
しかしそんな感覚すらも、メダリオンは鋭敏に「心のノイズ」として処理。抱いた疑念が片っ端から消えていく事に煩わしさを感じながら、エンジェルパレスへと向かう電車に乗り込むのでした。
アメリアサイズのドーナツはでけえ。
なんだろう、カロリーの塊を直接細胞で摂取しているような、そんな感じがする。油でサクサクになるまで揚げられたドーナツの香ばしさと食感、そして医者が見たら卒倒しそうな量の砂糖。手のひらからはみ出すサイズの贅沢と幸福感をアイスコーヒーで流し込む。
室内に設けられたテーブルの向かい側では、クラルテが幸せそうな顔をしながらチョコレートドーナツを頬張っているところだった。砂糖の代わりにチョコレートを塗りたくられたそれを咀嚼する度にヴェール(※シスターが頭にかぶってるアレだ)の中で狐のケモミミがピコピコ動いているのがここからでも分かる。
そんなこんなでおやつが終わるなり、クラルテはカフェオレを飲み干してから唐突にポケットから何かを取り出した。
随分と小さなメダリオンだった。傍から見ればちょっと中二病っぽい感じのアクセサリーにも見えなくもない……まあ肯定的な表現をすると、ファンタジーな世界観に合ったデザインとでも言うべきだろうか。
真ん中には蒼く輝く宝石らしきものが埋め込まれている。
「これは?」
「街中で無料配布されていました。簡易調律治療用のメダリオンだそうです」
調律、という言葉に思わず顔をしかめた。
クラルテにはしっかりと伝えてあるはずだ―――俺に調律は必要ない、と。
巫女として転生者の身を案じてくれているのは分かる。でも俺にとってはこの苦悩と痛みも大切な……。
「いえ、これはラウルさんに使っていただくために貰ってきたものではありません」
「え?」
「以前から気になっていたのです。私たちシスターが受けるマザーの恩寵たる調律と、協商連合が推奨している調律。両者の違いは何なのか、そのルーツはどこからなのか……」
「確かに……」
偶然とは思えない。
いや、偶然一致してしまったという可能性を排除するわけではないが、しかしそれは天文学的とまではいかなくともかなり確率の低い話ではないだろうか。名称も、デザインも、効果も全てが一致してしまうという事があり得るのか。
もしかして、協商連合は裏でマザーと繋がっている?
静かに、クラルテは自分の首へと手を伸ばした。
まるで自分の心臓の如く大切にしていた例のメダリオン。転生者専属の巫女である彼女の証でもあるそれを、クラルテは静かに外す。
「……これで、私の声はマザーには届かない」
「おい……」
いいのか、という問いを遮るように、クラルテは話を続けた。
「この簡易型のメダリオンを解析してみました」
「……結果は?」
「―――やはり、同じ系統の技術が使われています」
第十章『英雄の父、戦狼の仔』 完
第十一章『広がる血脈』へ続く




