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鍾乳洞の乱戦

どうでもいい話


ミカエル君は『世界で最も有名なイライナ人』としてベイカー世界記録に登録されている。

そして同時に『最も同人誌にされた人』、『最も尊厳破壊された人』としても世界記録を持っている。


 エンジェルパレス中枢に存在する無制限戦略指揮AI『ルシフェル』、そのメインフレームが安置された広い空間の中。


 広大で、しかし薄暗い空間をうっすらと照らし出すのはメインフレームのスリットから発せられる蒼い光だ。それに照らし出されてやっと、広間の床には大蛇のようなケーブルが這い回り、墓石を思わせるサブフレームが規則的に並んでいる。


 広間には、美しいピアノの旋律が響いていた。


 メイド服に身を包んだクラリスが指を這わせるのは、室内に持ち込んだピアノではない。


 椅子に座った彼女の眼前、何も無い空間に投影された蒼く輝くホログラムの鍵盤だ。クラリスの白い指が実体のないそれに触れると、AIが瞬時に音色を生成し天井のスピーカーから出力しているのだ。


 ドビュッシーの『月の光』。


 クラリスも、そして彼女の膝の上で身体を丸め、長い尻尾をゆらゆらと揺らすミカエルも好きな曲だった。


 儚げな曲が終わると、クラリスは鍵盤に再び指を這わせ始める。


 楽譜は必要ない―――ご主人様(ミカエル)が好む曲の楽譜は全て、自分の頭の中に入っているから。


 続けて奏で始めたのはスメタナの『モルダウ(プルタヴァ)』。


 目を細め、クラリスの膝の上という特等席で曲に聴き入っているミカエル。


 そんな彼女に無粋である事を承知の上で声をかけたのは、クラリスの傍らに控えていた妻の1人、シェリルだった。


「……ヴォイテク艦隊はうまくやっているでしょうか?」


「問題ないよ、協商連合(ウチ)の最精鋭だからね」


 鷹揚に返答し、佳境に入った曲に聴き入ってからミカエルは言葉を続けた。


「タ(・)イ(・)ム(・)ラ(・)イ(・)ン(・)通(・)り(・)ならば、今頃は……」


 これからどうなるのか、ミカエルは全てを知っている。


 無論、彼女の能力で観測できる事だ。今回の作戦―――ヘンリックによる京都への大陸落としが阻止できるか否かは、「ヴォイテクが現場に行くか艦に残るか」で大きく分岐する。もし彼が慎重を期し艦に残る決断を下せば、ベテランの支援を受けられずにヘンリックと激突する羽目になったラウルたちは全員……。


 しかし今、ヴォイテクは艦の指揮をミカエルの義理の父親(チャンさん)に任せて現場へと向かっている。背中を預けられるほどの実力者を側近に据えさせていなければ、艦を任せて艦長が現場に赴くという事にもならないだろう(だからこうなるようにかなり前から人事面で介入していた)。


 そして将来的なカギになるのはラウル・エルマータという転生者の存在である。


 あれが順調に育てば、やがては……。


 いずれにせよ、全てはミカエルが観測した通りに動いている。


 結果が覆る事はないだろう。


 彼女が観測した未来。それは「これから起こる事」なのだから。



















 足を滑らせないように細心の注意を払いながら、岩場をブーツで踏みつけて降りていく。岩の表面は水で濡れていて大変滑りやすく、体重のかけ方や踏む場所の選択をミスればたちまち滑落してしまうだろう。


 蟲島の中枢付近、そこにぽっかりと穿たれた洞窟を進んだ先。


 視界が急に開けたと思いきや、そこに広がっていたのは広大な鍾乳洞だった。視界を上に向けてみると長年にわたって地下水に磨かれ続けた岩盤から溶け出した炭酸カルシウムや石膏、マンガンといった成分が固まって、氷柱(つらら)を思わせる形状になっている。


 俺たちの呼吸音や足音さえなければ、あの鍾乳石を伝って地底湖へ滴り落ちる水の音も聴こえるはずだ。


 ちょっと温かかった外とは打って変わって、鍾乳洞の中はひんやりとしていた。地底湖と、そこへ流れていく地下水。陽の光を通さない環境と分厚い岩盤が熱を遮っているのだ。だからなのだろう、幸いな事にここには巨大昆虫の姿は無かった。


 妨害が入らないのは良い事だ。ヘンリック率いるインフェルノとの戦いに集中できる。


「……」


 止まれ、と合図した。


 暗くて見辛いが、足元にトラップがある。鋼鉄で作った入れ歯みたいなデザインのトラバサミだ。真ん中にあるプレートを踏むとバネ仕掛けが動作して、踏んだ相手の足を前後から挟み潰す古典的な罠である。


 ただ単に挟むだけで足の骨を骨折しかねない罠だというのに、悪辣極まる事にそれにはギザギザの牙まで用意されていた。おまけに何か、色までは識別できないが薬液っぽいものが塗布されている。


 毒、だろうな……と看破しつつトラバサミをそっと回収してダンプポーチへ。ずっしりと重いが、まあ何か役には立つだろう。たぶん。


「ラウル、あれは?」


「?」


 後ろをついてきていたフルールが、鍾乳洞の一角を指差した。


 灰色の岩肌がどこまでも続く風景であるが故に、”それ”は随分と目立った。


 岩肌の中からぽつんと1つ、小さく突き出ている紅い結晶のような物体。それは薄暗い闇の中で仄かに光を放っているが、異質なのはそれだけではない。


 その結晶の周囲だけ―――天井から滴り落ちてきた水滴が、まるでスローモーションになったかのようにゆっくりと減速してから床に落下しているのである。


「―――”賢者の石”」


 間違いない、賢者の石だ。


 浮遊大陸のコアとして存在し、それぞれが固有の重力を持つ正体不明の物質。あんな如何にも鉱石ですよみたいな見た目をしていながら有機物であり、旧い言い伝えには『隕石に乗って外宇宙から飛来した物質であって地球由来のものではない』とされている。


 おそらくアレはこの蟲島のコア、その欠片(シャード)の1つなのだろう。何らかの理由で本体から切り離されたそれがここから隆起しているのだ。


 目測ではあるが、サイズ的には野球ボールよりちょっと小さい程度。しかしそれでもしっかりと固有の重力場を展開しているのだから、その力がどれほど絶大なのかもよく分かるというものだ。


「綺麗……ねえ、持って帰っちゃダメか?」


「ダメだよフルールちゃん」


 俺に代わって冷静にぴしゃりと言ったのはクロエだった。


「賢者の石は極めて綿密なバランスで重力場を展開している。だから欠片1つでも削り出したら何が起きるか分からないんだ」


「え、じゃあ……あれ取ったら最悪の場合この島が……?」


「ああ、崩れる可能性はあるだろうな」


 実際、戦時中に竜人たちが行った大陸落としも命懸けだったそうだ。コアを破壊する最中に意図せず重力場のバランスを崩してしまい、作業員もろとも浮遊大陸が地上へと落下……という事故も少なくはなかったらしい。


 そして低高度から落下させたが故に運よく生きていた作業員は、生き延びた地上の住人たちに……いや、やめよう。あまりにも凄惨極まる話だ。


 「綺麗なのに……」と残念そうに賢者の石の欠片(シャード)を見つめながら後をついてくるフルール。あとで何か、あんな感じの宝石……は高いので、まあそれっぽいインテリアでも買ってあげよう。アルカディアにあるかな?


 鍾乳洞を進むにつれて、どんどん身体が軽くなっていくような感じがした。コアが近いのだろうな、と確信したのと、急激な空気の流れの変化を感じ取ったのは同時だった。


 後ろをついてきていたフルールもケモミミを動かして反応するが俺よりも一歩遅い。間に合わない、と断ずるなり心の中で彼女に謝罪、肩で体当たりしてフルールを吹き飛ばす。


 「ぐあっ!?」と驚く彼女の声と入れ替わるように振り下ろされる白銀の一閃。それをMARS-Lで受け止めると同時に、目の前で裏返った咆哮が響き渡った。


「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」


「っ!」


 これ、確か薩摩式剣術の……”猿叫(えんきょう)”だったか。


 一瞬、ライフルが両断されたんじゃないかとゾッとしてしまうほどの重い斬撃だった。体重移動と武器の重量、振り下ろす際に生じる遠心力に膂力。ありとあらゆる要素が「相手を両断する」ためだけに結集した、まさしく殺戮の芸術とも言える融合。


 すぐ目の前に倭国の浪人の顔があった。今の一撃でフルールを両断するつもりだったのだろうが、奇襲がバレた上に受け止められるとは思ってもいなかったのだろう。ぎりぎりと刀を押し込んでくるも、その顔には驚愕が浮かんでいた。


 てめぇ、俺のライフルに傷を。


 チッ、と舌打ちしながらMARS-Lを傾けてハンドガードの右側面を滑らせる。それだけでは終わらせず、バランスを崩した浪人の顎目掛けてPRSストックで殴打。ガッ、と鈍い手応えと同時に血と歯の破片が舞う。


 左手をダンプポーチへと伸ばして先ほど回収したトラバサミを手に取るなり、それを掌底の要領で浪人の顔面に思い切り押し付けてやった。鼻の骨が粉砕されると同時に感圧式のプレートが動作、展開していた牙が肉食獣よろしく閉じられて、浪人の顔面を上下から挟み込む。


 極限の苦痛と恐怖に喘ぐ人間の絶叫。トラバサミを外そうと無駄な努力を費やす浪人の腹に.50ベオウルフ弾を撃ち込んで黙らせる。


 腹が大きく抉れ、浪人は動かなくなった。


「……すまないフルール、怪我は?」


「あ、ああ……なんとか」


「仔犬ちゃん」


「ああ、だろうな」


 鍾乳洞の中からこちらへと向けられる殺気。


 今ので気付かれたか……いや、待ち伏せか?


 火薬の臭いと殺気で発砲の気配を感じ身を伏せた。パパパパッ、と暗闇の中で強烈なマズルフラッシュが迸り、暗闇の中を一瞬だけ激しく照らし出す。


 姿勢を低くしながら岩陰に滑り込み、さっきの発砲から敵兵の大まかな位置を算出して反撃。.50ベオウルフ弾が岩肌で弾けるが、当たった気配はない。


 バチャ、と水たまりを踏み締める音。岩陰を回り込むようにして浪人が刀を手に突っ込んでくるが、しかし刀が銃に勝てる道理などどこにもない。鍛え上げた剣術も、しかし俺に向かって発揮される前に粉砕される脳髄と一緒に打ち砕かれる。


 ドカン、とクラルテのゲパードGM6に撃ち抜かれた浪人の胸から上が吹き飛んだ。12.7㎜弾は生半可な遮蔽物などぶち抜いてしまうほどの威力があるし、車のエンジンブロックだってスクラップ同然だ。生身の人間がその直撃に耐えられる道理などどこにもない。


 立て続けにゲパードGM6を連射するクラルテ。浪人を2人まとめてぶち抜き突破口を形成したところに、すかさずロザリーとクロエが突っ込んだ。


 赤い派手なマントを翻しながらレイピアを抜き払い(なんであの人銃を使わないんだろう)、ロザリーよりも先んじて敵の懐に入り込むクロエ。薄暗い鍾乳洞の中で騎兵槍(ランス)とレイピアの中間とも言えるサイズの大型レイピアが閃いて、敵兵が手にしていた小銃もろとも両断してしまう。


「きえぇぇぇぇ―――」


 浪人の猿叫は、しかしそれ以上の銃声に遮られた。


 無慈悲にも放たれた12ゲージのスラグ弾―――弾頭形状ゆえに空気抵抗が大きく、狙撃には向かない癖の強いそれ。しかしながらヒグマなどの大型の猛獣にも致命傷を与えられる威力は伊達ではなく、振り下ろされた刀の刀身をぶち折って余りある運動エネルギーを浪人の顔面に叩きつける。


 うへえ、と思いつつ俺も.50ベオウルフ弾で敵兵をヘッドショット、上顎から上を吹き飛ばす。


 いずれにせよ、手っ取り早く突破しなければならない。


 ヘンリックの狙いが京都への大陸落としならば時間がない―――今は既に琵琶湖上空、京都は目と鼻の先である。


「へぇ、なかなかやるじゃねえか」


 倭国語ではなく、聞こえてきたのは南米訛りのスパーニャ語だった。


 空気の流れと殺気、それから血の臭い。本能的な危機察知能力がそれらにさらに補正をかけると同時に、身を大きく逸らして攻撃を回避する。


 ぶぉん、と空気を裂く音と共に俺の首があった空間を突き抜けていったのは、随分と大きな鎌だった。


 後ろへと飛び退きMARS-Lを構える。


 目の前に現れたのは、倭国の浪人とは様子の違う獣人の男性だった。私服の上に革の防具、腰には水平二連式のソードオフ・ショットガン。おそらくは猟銃のストックと銃身を切り詰めたものなのだろうがそんな事はどうでもいい。


 肩に担いでいる身の丈以上のサイズの鎌。死神にでもなったつもりなのだろうが、その刃には奇妙な渦輪模様が浮かんでいる。ダマスカス鋼でも素材に使っているのだろうか? いったいその模様には何の戦略的(タクティカル)優位性(アドバンテージ)があるんだ、と小一時間ほど説教してやりたいがそれはさておき。


 おそらくはインフェルノの構成員なのだろう。顔には古傷があり、右の頬にはタトゥーがある。日本だったら温泉とか銭湯でお湯に入るまでもなく出禁になるような類だが、ついでと言っては何だ。この世からも出禁にしてやろうか。


「なあ女、少しは俺を楽しませてくれよ?」


 腰を低く構えたのと、引き金を引いたのは同時だった。


 放たれる.50ベオウルフ弾。命中すれば人体など一撃で……という威力なのだが、しかしこっちの視線と指の動き、筋肉の動きで発砲のタイミングを推し量っているのだろう。一発、二発と射撃を回避する。


「あっはっはっは! 危ねえ、危ねえッ! たまんねえなァおい! ぎゃははははは!」


 大きく跳躍しながら、インフェルノの構成員は鎌を大きく振り上げた。


「手足切り落としてオモチャにしてやんぜぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 MARS-Lを構え、撃った。


 コイツはバカなんだろうか? 


 なんで銃を持っている相手に対し、身動きの取れない空中へとジャンプしたのだろう。しかしそんな疑問に答える間もなく、放たれた.50ベオウルフ弾が男の右肩の根元をぶち抜いた。筋肉が、骨があっさりとその運動エネルギーに屈して、鎌を握る手が空中でだらりとぶら下がる。


 何かを叫びながら落ちてくるソイツの頭を左手で掴み、髪を引っ張りながら本気の膝蹴りを顔面に叩き込んだ。ボキュ、と顔面の骨が砕ける手応え。血と唾液と歯の破片が舞う中で両手をソイツの首に絡ませて、力いっぱい首の骨を捩じ切った。


 脊髄が外れる音。筋が逝くようなそれと共に、男が動かなくなる。


 死体を乱暴に投げ飛ばし、ゾンビ化防止のために.50ベオウルフ弾で頭を砕いてから吐き捨てた。





「……イキってんじゃねえ、殺すぞ」






 

アルカディアにおける調律治療


 アルカディアではナノマシンとAIを併用した『調律治療』が実用化されており、これにより先天的・後天的な障害やパニック障害、PTSD、鬱病といった障害/精神疾患の即時完治が可能となったほか、視覚障害を抱えていた患者の視力が完全に回復、脳死状態から完全回復するといった成果も記録されている。


 これにより世界各地から不治の病を治すべくアルカディアを訪れる『医療巡礼』が本格化。各国では医療技術の遅れや宗教的理由で治療できない患者がアルカディアへと殺到する事となった。その結果多くの命が救われているが、一部では「この”調律”とは洗脳ではないのか?」という疑問や批判の声も少なくない。


 なお、原則として調律治療は患者本人の意思確認が必須となっており、義務ではなく任意である。


 アルカディアでは調律を受ける事を民間人へ広く推奨しており、CMにはミカエルも出演している。

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― 新着の感想 ―
元々尊厳なんてなかったと描くだけでこれだけの同人誌が?(ブリカス煽り並感) そんなミカエル君が観測している未来ですがヴォイテク次第で分岐したんですね。今のラウル君たちだけじゃヘンリックの相手は厳しい…
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