↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
162/223

ヘンリックの目的

どうでもいい話


リーファは幼少の頃から父親(チャンさん)の麻辣刀削麺や水煮牛肉を食べて育ったので辛さには異常に強い。


 ラウルからの報告を受けた空中艦ソーキルの艦橋内に緊張が走った。


 倭国の古都、京都。今もなお同国内で大きな経済・政治的影響力を持ち、歴史的象徴として国内外にも認知されているそれが今、未曽有の危機に晒されているのだから。


 ―――京都への”大陸落とし”。


「そんな事が……許されるのか」


 呆然とした様子で口にしたのは、操縦席で艦の操縦桿を握っていたソコロフだった。


「そんな事をしたら……倭国の経済が」


「それだけじゃないぞソコロフ。甚大な被害を被ったところに”竜人が大陸落としのテロをやった”とでも吹聴してみろ。国内外の世論はどうなる?」


「……!」


 倭国の歴史的・文化的象徴たる古都、京都。その壊滅の影響が及ぶのは経済だけだと思っていたクラルテは、政治的影響にも気付いて目を見開く。


 京都に蟲島が落着すれば、壊滅は間違いないだろう。死者、行方不明者の数はかつての東北大震災に匹敵するレベルになるだろうし、蟲島の回遊高度が1500mという比較的低空である事もあって、落下を生き延びた巨大昆虫が京都の近辺に解き放たれる事となる。


 そんな被害を被り、不安が高まりに高まった状況で「これは竜人によるテロである」という情報が拡散されればどうなるか。


 倭国の、そして同盟国であるジョンファ、コーリア等のアジアの国々へと、反竜人感情は一気に伝播していくであろう。


 今までは安全圏だった日常が、たった一瞬で死と隣り合わせの非日常へと変貌するのだ。平和を享受していた国民にとってそれは耐えがたいストレスとなるだろうし、多くの同胞が傷付けられた痛みは堪えようのない怒りとなって溢れ出す。


 そうなれば、たとえそれが真偽不明の嘘であったとしても不安を抱いた人々はそれに飛びつく。竜人がやった、という嘘を真に受け、反竜人的な感情を煮立たせて、声高に報復を叫ぼうとするのが目に見えている。


 幕府が抑え込もうとすればその不満は幕府に向けられてしまい国内の尊王攘夷派による倒幕運動を加速させる結果となるし、幕府が竜人側への報復を行えばそれは8年間の平和を濁らせ、天地戦争の再燃、そのきっかけとなりかねない。


「ヒトの心ってのは脆いものだ。特に極限状態になるとな、醜い部分ばかりが顔を出す」


 軍帽を目深に被りながら、ヴォイテクが低く言った。


 かつて彼はそれを、人間の醜い部分ばかりを目にしてきた―――地獄と評されるメルキアの戦いや、狂気に満ちた末期の戦場で。


「艦長、ラウルたちを呼び戻しましょう!」


「呼び戻してどうする?」


「決まってます、ズメイ砲で大陸ごと吹っ飛ばすんです! アルカディアを守った時みたいに一撃でふっ飛ばせば―――」


「―――それこそヘンリックの思う壺だ」


「え」


「アイツだってこっちがズメイ砲を持ってる事くらいは承知している筈だ。もし京都に蟲島が落着する前に破壊されたら、今度は竜人側へ”倭国側が自国領で浮遊大陸の破壊の演習をしている”とでも情報を流して竜人側を刺激するぞ」


 ソコロフは絶句した。


 何をやっても、相手の思う通りに事が運んでしまう―――”掌の上”という慣用句はまさにこの時のためにあるのだろう、と他人事のように思う一方で、泥濘にはまってしまったようなどうしようもないもどかしさが悔しくて、拳をぎりぎりと握り締める。


「じゃあ、どうしろって言うんですか」


 ラウルたちに賭けるしかないのか。


 自分たちは何もできないのか。


 そんな悔しさを滲ませるソコロフが何かを言おうとしたのと、艦橋のドアが開いていつもの調理服姿―――ではなく、旧い中華(ジョンファ)帝国軍時代の軍服を身に纏ったチャンさんが艦橋にやってきたのは同時だった。


 いつもは白い調理服姿で、厨房に閉じこもり汗をかきながら中華鍋を豪快に振っている姿が目に付くチャンさん。ソコロフもくまさんハウスの一員として活動してそれなりに長いが、調理服とパジャマ姿以外のチャンさんを見たのは初めてだった。


 優しそうな目つきで中華料理を作り、仲間たちが美味しそうに食べているのを見守るいつものチャンさんとは雰囲気が全く違う。その目は獲物を捉えた猛獣のそれだ。


 耳にはヘッドセットのような形状の翻訳装置がある(いつものカタコトの竜人語では拙いと判断したのだろう)。


「え、チャンさん……?」


「俺も蟲島に降下する。後は頼んだぞ、副(・)長(・)」


「……気を付けるんだよ、艦長」


 互いに敬礼をしてから、ヴォイテクは艦長席をチャンさんに譲った。立ち去り際に「チャン副長の命令はしっかり聞くように」とソコロフに言い残し、艦橋のドアの向こうへと去っていくヴォイテク。


 確かにチャンさんが実戦に出る事もあったし、料理の仕込みがない時や戦闘時の人手が足りない時は艦の指揮の補佐をする事もあった。


 しかしこうして艦長の代わりに指揮を執る事は無かったのである。


 それ故に、ソコロフは盛大に戸惑っていた。


 ちらりと隣の砲雷長席に座る戦闘人形(オートマタ)を見るソコロフ。艦長が普段のヴォイテクからチャンさんに代わっても、機械である彼らは表情一つ崩さない。


 こういう時に限って、これ以上ないほど機械が羨ましかった。


















 口器をカチカチ鳴らしながら突っ込んできた巨大スズメバチの頭が、.50ベオウルフ弾で綺麗さっぱり吹き飛んだ。よろめきながら墜落してくる胴体を回避してぬかるんだ地面を踏み締め、前へ前へと身体を押し出すようにして突っ走る。


 スズメバチは『警報フェロモン』というものを分泌する事がある。これにより他の個体が刺激され一気に攻撃的になるわけだが、面倒な事にスズメバチを殺すとアイツらはこれを分泌して仲間に危険を知らせる習性があるのだ。


 その習性はこの蟲島で巨大化してもなお、色濃く残っていたらしい。


 浪人たちをあらかた食い尽くした巨大スズメバチの群れが一気にこっちにやってきたようで、さっきから頭上がブンブンブンブンお祭り状態。ドローンでも飛んでるのか、それともぶっ壊れた換気扇でもその辺にあるのか。思わずそう思いたくなるが、あいにく頭上を飛び交うのは全長3~4、5mにもなり喰らえば一撃死はほぼ確定なクソデカ毒針を持つ巨大スズメバチの群れである。


 ガンガン、とMARS-Lのセミオート射撃でキチン質の外殻を砕き、また1匹の巨大スズメバチを死に至らしめる。


 ドパンッ、と巨大スズメバチの身体が弾け飛んだ。


 ゲパードGM6 リンクスを装備したクラルテの、12.7㎜弾による射撃だった。


 対物(アンチマテリアル)ライフルといえばとにかく巨大で嵩張り、匍匐状態でバイポッドを立てた状態で使用するのが前提の得物である。使いどころは難しいが、その長大な射程と破壊力は比類なきものだ。


 ゲパードGM6は、その「重くて扱いづらい」という常識を覆すモデルとして注目されている。


 軽量化され、尚且つコンパクトなブルパップ式を採用。更に発砲の度に銃身が後退して反動を軽減する機構も備わっており、アサルトライフルみたいなノリで立ったまま射撃する事も不可能ではないのだ。


 今回の相手を見越して、クラルテは.50ベオウルフ弾を装填したMARS-LやM4A1ではなく、ゲパードGM6を選択して持ち込んでいた。


「ユリウス、コアはどこにあるか分かったか!?」


「こっちだ!」


 ガンガン、と爆発のような.50ベオウルフ弾の強烈な反動を肩で受け、巨大スズメバチを血祭りに挙げつつ仲間の移動を援護する。フルールが俺の隣を横切って退避したのを確認するなり、後退しながら射撃を継続。


 頭の中での残弾のカウントが0になると同時にMARS-Lが沈黙。目視で薬室内に残弾がない事を確認するなりマガジンリリースボタンを押しながら銃を横に振った。遠心力でマガジンを弾き飛ばしつつ左手をマグポーチに伸ばし、予備のマガジンを引っ張り出して装着。ボルトリリースレバーを左手でぶっ叩いて初弾を装填。発砲しスズメバチをあの世へと送る。


 マガジンは止むを得ずに投棄した。本来ならばダンプポーチに収めて持ち帰るのだが……今は悠長にそんな事をやっている場合ではない。


 先ほど投棄したSTANAGマガジンが急激に錆び始めたかと思うと、3秒も立たないうちにボロボロに崩れ去っていったのが視界の端に見えた。


 『メタルイーター』と呼ばれる、カッパドキアに居たテンプル騎士団から供与された技術だ。


 特定の物質を食べる事で急激に分解、証拠隠滅に使う事が出来る微生物群である。それをあらかじめマガジンに塗布、投棄すると活性化するようにセットしておいたのだ。こうする事でマガジンを敵に拾われ解析されたり、こちらの関与を疑われたくない場合に役に立つ。


「仔犬ちゃん!」


 飛んできた巨大スズメバチを大型レイピアで刺し貫き絶命させるクロエ。返り血を浴びながらも針を剥き出しにして突っ込んでくるスズメバチたちを千切っては投げる勢いで串刺し、両断、斬首とアグレッシブな剣技で蹂躙する彼女に支援してもらい、俺も後退に成功する。


 手榴弾を群れに向かって投げつけ、クロエと一緒に全力で走った。ドォンッ、と派手に爆発する音を背に、森の中へと滑り込む。


 さすがにあれだけ派手にやられれば巨大スズメバチたちも追撃を断念せざるを得なくなったのだろう。壊れた換気扇よろしくブンブンうるさかった羽音もすっかり聴こえなくなり、ようやく一息つける状態になった。


「ふう……」


「はぁっ、はぁっ……ゆ、ユリウス君、本当にコアはこっちの方にあるのかい?」


「ああ、間違いない」


 足元の土を指先で摘まみ上げ、その感触を確かめながら断言するユリウス。それをそっと手放すと、水分を含んだ土はまるで乾いたダストが霧散するようにふわりと落下していった。


「浮遊大陸のコアに近付けば近づくほど、賢者の石が発する重力の影響が濃くなっていくんだ」


「つまり……コアが近ければ近いほど、重力が軽くなっていくというわけか」


「まあ、軽くなっていくのは蟲島の場合だがな。逆に1Gより重い重力の浮遊大陸だと重く感じていくはずだ……っていっても、親父の受け売りだが」


「親父さん、兵隊じゃなかったのか?」


「まあな。戦争さえなけりゃあ地質学者を目指してたらしい」


「……嫌なもんだな、戦争って」


「全くだ。戦争が始まればいつも若者が矢面に立たされる。政治家は安全圏で命令するだけだ、楽でいいよな」


「……まあ、いずれにせよ碌なもんじゃない」


「ああ。違いない」


 ユリウスの言っている事は本当みたいだ。


 一歩一歩、奥へと踏み締める度に身体が軽くなっていくような感覚を覚えていたが、どうやらそれは錯覚などではなかったらしい。蟲島は0.8Gだそうだが、じゃあコアの周りはどれくらいの重力なんだろうか。


 周囲を警戒しながら、霧の立ち込める森を進んだ。


 重力が地上よりも軽いからなのだろう、森を構成する樹木や植物は全体的に背が高いものばかりだった。重力が軽いおかげで自重による負荷を受けにくく、だからこそ大きく高く成長する余地が生まれたのだろう。


 植物の葉もアロエみたいに分厚い。おそらくは森に住む巨大昆虫たち、その中でも草食の昆虫に”食べられる前提”で独自の進化を遂げたものと想定される。


 まあ、あれだけの大きさならば食欲も旺盛だよな……と思ったその時だった。


 腐葉土の香りと、どこか生臭い臭い。


 止まれ、と左の拳を振り上げて仲間たちに合図を送る。


 巨大昆虫なのかと思ったが、しかしスズメバチとは臭いが違う。スズメバチたちはもっとこう、刺激のある臭いを発していた。昆虫を飼育した事のある人なら分かるだろう、複数の昆虫を長い間飼育するのに使っていた虫かごの中みたいな、あんな臭いだ。


 じゃあこの腐葉土みたいな臭いは何だ?


 ずる、ぬちゃ……泥を攪拌するような湿った音が、徐々に近づいてくる。


 やがて現れた”それ”に、俺たちは息を呑んだ。


 山のように巨大な、渦を巻いた殻。


 長い年月を経て生きてきたのであろう年季の入ったそれの表面には苔が生え、キノコがその表面に微かな彩を与えている。


 ぬめりのある体表は灰色で、それに黒い泥の汚れみたいな斑模様が浮かぶ。ずるり、ずるりと音を立てているのはその巨体を引き摺っているのが原因らしく、体表から分泌される粘液が足元の土と混ざり合って、イライナの泥濘にも負けず劣らずの重く粘度の高い泥へと変質しているのが分かる。


 しかし最も異質なのは、その”触覚”だった。


 まるで頭から芋虫が生えているように大きく太く、規則的に脈動しているのだ。薄暗い森の中でもうっすらと蛍光色の光を放っていて、さながらチョウチンアンコウを思い起こさせる。


 目の前から現れたのは、ロイコクロリディウムに寄生された巨大なカタツムリだった。


 海外では”ヒュージースネイル”とも呼ばれるカタツムリの一種。とはいえ蟲島に生息しているそれはこの浮遊大陸の環境に適応した結果なのだろう、一般的なヒュージースネイルよりも明らかにデカい。体高で5mくらいはある。


 巨大なカタツムリは少しだけ俺たちの方に関心を寄せたらしく、芋虫みたいなグロテスクな触角をこっちへと向ける素振りを見せた。しかし寄生虫たるロイコクロリディウムの目的が”鳥に食べられる事”である以上、俺たちに構っている暇はないと判断したらしい。巨大なカタツムリはゆっさゆっさと触角を揺らしながら俺たちの目の前を横切って、何事も無かったかのように森の向こう側へと去っていった。


 全部が全部、敵対的な巨大生物ではないようだ。


 とはいえ、心臓に悪い。


「ふー……」


「虫嫌いにはキツそうね、ラウル」


「そうだな……大丈夫かフルール?」


「やだ、もうやだ……おうちかえりたい……」


 顔を青くしてブルブル震えるフルール。虫嫌いだそうで艦内に蟲が出るだけで一目散に俺のところに寄ってくる彼女だが……こうもデカい昆虫やら何やらを立て続けに見せつけられてストレスがヤバそうだ。


 よしよし早く終わらせて帰ろうね、とあやしながら俺は彼女の頭を優しく撫でた。





 

大蝸牛(オオカタツムリ)


 蟲島に生息する巨大カタツムリの倭国での名称。海外では『ヒュージースネイル』とも呼ばれるが、海外で確認された個体が最大で1m程度であるのに対し、蟲島で確認されている個体は平均で4~6m。最大サイズで10mであるとされている。蟲島の重力に加え、独自の環境に適応し進化した餌を食べている事が巨大化の理由とされているが詳細は不明である。


 肉食タイプか草食タイプかで性格も大きく異なり、肉食タイプは人間も捕食対象とするため獰猛であるものの草食タイプは温厚であり、落ち蟲として地上に転落した草食タイプは飼育対象としても人気があるとされている。また一部地域では大きな荷物を持たせたり、殻の上に乗せてもらって一緒に移動したりと生活に活用される事もあるようだ。


 なお、倭国の若年層ではこの大蝸牛の事を『クソデカマイマイ』と呼ぶ事があるらしい。


※リアルのカタツムリの体表や粘液には寄生虫が含まれている可能性があり大変危険です。発見しても決して素手では触らず、触ってしまった場合はすぐに消毒したり手を洗ったりしてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
本当に不健全で非生産的なことだけは天才的ですね、もう名前も呼びたくないあの男は。どっちに転んでも世界大戦再びという手を打ってくるとは、死ぬなら一人で死んでほしいんですが…ついにヴォイテクが前線へですか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。