火種は燃え上がる
どうでもいい話
ミカエル君の毛玉がインターネットのオークションサイトに出品され、日本円でおよそ3億円の値段がついた。勝手に出品されたミカエル君は泣いた。
なお、生じた臨時収入は全額アルカディアでの難民・貧困者支援につぎ込んだ。たった1つの毛玉で多くの難民が救われたのである。
古くから、蟲島は倭国が抱える目の上のたん瘤のような存在であった。
時折、回遊するその浮遊大陸から落下してくる巨大昆虫たち。彼らが大地へ転落してくる度に倭国は大きな被害を受け、犠牲を払いながらも辛うじてこれを駆除していた。
浮遊大陸との往来を可能とした航空技術の発達は、新天地を切り開くと同時に、倭国に生きる者全てに新たな戦端を開いたのである。
蟲島を支配する巨大昆虫との、終わりのない戦争であった。
蟲島の重力は、地上のそれと比較すると軽い。
浮遊大陸にはそれぞれ固有の重力圏が存在する。それらは浮遊大陸の中核たる賢者の石で形成された『コア』が生み出しているもので、大陸によって重力の重さが違うのは当たり前の話だ。
地上よりも軽い重力の浮遊大陸もあれば、逆に重力が重すぎ生物の生存に適さない浮遊大陸というのも存在するのだ。
そういう意味では、倭国人が『蟲島』と呼ぶ浮遊大陸は生物の生存に適した場所と言えた。
固有重力は0.8G。地上のそれよりも重力が軽いのだ。
だから巨大昆虫たちの監視のために設置された『蟲島奉行所』へ赴任してきた侍たちは皆、その重力の軽さに大いに驚くという。まるで身体が羽毛と化したかの如き身軽さは心地の良いものであるが、しかし長期間の滞在は地上に降りた際の身体能力の鈍化を招く要因である。
重力が軽いという事は身体にかかる負荷が小さくなるという事で、0.8Gに慣れきってしまうと地上に戻った際に立っているだけでもかなりの負荷を受けるほどになってしまうのだ。だから奉行所に務める者たちは皆、毎日の鍛錬を欠かさない。
今日も鍛錬を終えた蟲島奉行所の奉行は、手ぬぐいで汗を拭き取りながら奉行所を見渡した。巨大昆虫の侵入を防ぐために巨大な堀と塀が築かれ、塀の内側には小銃を手にした見張りの兵士が常駐する要塞。時折散発的に銃声が聞こえてくるが、ここではよくある事だ。
「お奉行」
「ん、どうした」
「幕府より火急の知らせが。南部藩の城下町、盛岡市にて巨大昆虫の襲撃があったとの事」
「なに?」
そんな馬鹿な、と血相を変えて奉行は奉行所内の指令室へと飛び込んだ。指令室内部では奉行所に務めるオペレーターたちが、タイプライターのようなデザインのキーボードをタイピングしたり、オシロスコープのような計器類を確認して江戸城と連絡を取っている。
指令室に入ってきた奉行を見るなり、通信担当の与力が駆け足でやってきて巻物を広げ、奉行へと盛岡で起こった惨劇の顛末を事細かに報告し始める。
盛岡市は南部藩の城下町、南部家のお膝元である。
天地戦争の終戦と東北震災からの復興で強靭化された鉄道網。南部藩は今や東北地方の大動脈といっても過言ではなく、それ故に築いた富は今までの赤字経済を黒字に塗り替えてなお余りあるほどだ。
それほどまでの資金力を背景に整えられた軍備は伊達藩と並び東北の双璧とも例えられる。それが、こうもやすやすと城下町への襲撃を許してしまうばかりか甚大な被害を出すなど、普通では考えられない事である。
「もしや、落ち蟲では……」
「たわけた事を申すな! 今この蟲島は信州の上空だぞ……仮に蟲が落ちたとて、東北まで移動できるはずがない。ましてや南部藩の城下町を示し合わせたように狙うなど……!」
「では一体なにが―――」
蟲島の回遊コースは九州から関東までだ。これまでの倭国の長い歴史の中で、蟲島が東北地方にまで到達した事例は一度もないし、落ち蟲が東北地方にまで被害を及ぼした事例も確認されていない。
当然、蟲島に生息しているような巨大昆虫が地上に生息している筈もない。
そして巨大昆虫の動きと落ち蟲の有無は、この蟲島奉行所が24時間体制で厳重に監視している。だからもし仮に蟲が浮遊大陸から転落し落ち蟲となったとしても、すぐに江戸城へと報告が届くようになっている。
ならば考えられる可能性はかなり絞られてくるだろう。
落ち蟲が蟲狩衆の襲撃から逃げ伸びて傷を癒し、放浪の果てに偶然東北地方に辿り着いたか。
あるいは何者かが、人為的に東北地方へ落ち蟲を放ったか。
報告にあった巨大昆虫はオオスズメバチであるとされている。オオスズメバチには仲間との意思疎通や命令伝達を行うためのフェロモンを分泌する能力が備わっており、今回の南部藩襲撃事件もいずれかの理由で生き延びた巨大スズメバチが、フェロモンの分泌でどこかに潜んでいた仲間を呼び寄せたと見るべきであろう。
いずれにせよ、記録に残っている歴史の中で初の事例が今、この倭国で起こっている。
いったい何が、と思考の深部へ意識を向けていた奉行を、観測員の報告が現実へと引き戻した。
「お奉行、所属不明の空中艦が」
「所属を問え」
「はっ。接近中の空中艦に告ぐ、当空域は蟲島の進入禁止空域である。貴艦の所属と目的を述べられたし。繰り返す―――」
「……攻撃態勢を整えよ」
「はっ」
―――よもや、尊王攘夷派の連中ではあるまいか。
長きに渡る江戸幕府の歴史の中で、恐れていた事がついに現実になりつつあるのではないだろうか―――奉行の、いや、蟲島奉行所に勤務する全ての人員の背筋に冷たいものが確かに走った。
巨大昆虫の軍事利用。
今まで幕府の研究者が何度か試み、そしてその全てを失敗させてきた所業。
しかし尊王攘夷派には、むしろ彼らが企図したような「完璧な制御」は必要ないのであろう。
巨大昆虫を地上に放ち、混乱を生み出せればよい。
そこで幕府に倭国人民を守る力がないと訴えれば、幕府に対し不満を抱く者や、その動乱で家族の命や財産を失った者たちを中心に一気に火が点く。何世紀も続いた幕府の支配体制が大きく揺らぐきっかけになりかねないのだ。
「ダメです、応答なし」
「責任は某が取る。撃沈せよ―――」
「しょ、所属不明艦が発砲!!」
奉行の報告を遮り、悲鳴じみた報告が上がる。
その直後だった。蟲島奉行所に火の手が上がったのは。
『That's it, charge in and keep firing!(いいぞいいぞ、撃ちながら突っ込めぇ!!)』
はっはっは、と手を叩きながら北欧訛りのイーランド語で命じるヘンリックは、やはりこの上なく楽しそうな様子であった。
蟲島奉行所の連中が慌てふためく様子が目に浮かぶ。
それもそうだろう、蟲島の近隣の空域を飛行していた貨物船が唐突に進路を変更したかと思いきや、秘匿していた武装でいきなり砲撃してきたのである。航空隊を出撃させようにも既にヘンリック率いる尊王攘夷派は喉元にナイフを突きつけているも同然であった。あとは、このまま少し押し込むだけでいい。それだけで事足りる。
「へ、ヘンリック殿、いささか強引すぎぬか!?」
「ダイジョブデース! 幕府ブッ殺スシマース!」
彼らを迎え入れてくれた尊王攘夷派の浪士の忠告もどこ吹く風だ。ヘンリックはとにかく、戦争が出来ればいい。全力をつぎ込んだ情け容赦のない殺し合いが出来ればいいのだ。その果てに相手が死ぬのならば勝利の快感が得られるからそれでヨシ、自分が死ぬのなら弱肉強食の原則通りに自分が弱かっただけだからヨシ、である。
そのためならば、あのどんな麻薬も女も凌駕する刹那の快感の為であれば、手段も目的も選ばない。
『Launch the fireworks!(”花火”を撃ち上げろ!)』
ヘンリックの命令で、火器管制を担当するインフェルノの同志がゲラゲラ笑いながらレバーを引いた。
武装した空中貨物船の艦底部―――まるで解剖された蛙の如く、内臓を見せびらかすように左右に展開した船体の内側。肋骨のように両脇から抱え込むような形状のフレームで固定されていたコンテナが爆弾さながらに投下される。
艦から一定の距離をとったそれが、突然弾け始めた。
コンテナを固定していたボルトが炸裂しているのだ―――炸薬を内蔵し、いざという時には爆発させる事で連結を解除するための”爆裂ボルト”である。
ばらばらと空中で崩壊していくコンテナたち。
その中から姿を現したのは、様々な国家や様々な軍隊で運用された、様々な時代の多種多様なロケット弾であった。
対艦ロケットもあれば対空ロケットもある。中には素人が作り上げたような、噴進装置に火薬を詰め込んだケースを固定しただけの手作りロケット弾もある。新型旧式古今東西を問わず、とにかく殺傷力のあるロケット弾を詰め込んだそれらが、一斉に火を噴いて蟲島奉行所へと向かっていった。
浪人たちが各方面からかき集めたロケット弾、その全てをつぎ込んだ一斉射だった。
中には整備不良でそもそもロケットモーターに点火しないものや、あらぬ方向へと飛んでいくものもあった。それでも発射された20発あまりのロケット弾のいくつかは期待通りに蟲島奉行所を直撃、堅牢な防壁に風穴を開け、今まさに出撃しようとしていた空中駆逐艦の前部甲板に突き刺さって炸裂、甲板を火の海へと変えてしまう。
『Charge!(突っ込め!)』
艦底部からせり出してくるランディング・ギア。
進路上の邪魔な駆逐艦や空雷艇を押し退けるようにして撥ね飛ばし、武装貨物船が蟲島奉行所に突っ込む形で強行着陸する。激しい振動で艦内は揺れに揺れ、中には座席から投げ出されて壁に叩きつけられる乗員もいた。
そんな阿鼻叫喚の艦内で、しかしヘンリックは笑っていた。
まるで修学旅行を翌日に控えた学生が、楽しみで眠れぬ夜を過ごしているかのように。
今こそが祭りの前、血が沸き立ち肉が歓喜に打ち震える絶頂、その予兆を最も色濃く感じられる時間。
押し寄せる戦乱の予感と、それに期待して脳が分泌する物質の快楽に、ヘンリックは溺れそうになっていた。
これだからやめられないのだ、戦争は。
「突入シテクダサーイ! 幕府ブッ殺スシマース!」
《巨大昆虫が盛岡市を襲った今回の事件での死者、行方不明者数は合わせて673名に及び、藩は巨大昆虫がどこからやってきたのか、防衛体制に不備はなかったのかの検証を―――》
《いやもう、これは大事件ですよ。今まで巨大昆虫の被害を受けなかった東北地方がついにその毒牙に―――》
《倭国の防衛体制はいったいどうなってしまうのか。藩の守りに問題はなかったのか。盛岡城より中継です―――》
《南部藩盛岡市から中継です! 市内では藩の失態に多くの町人が怒りの声をあげており、南部家当主に退陣を―――》
ソコロフがテレビを弄ってくれたおかげで、艦内の薄型テレビでも倭国のニュースが流れるようになった。もちろんAIによる高精度の自動翻訳の字幕付きで。
そういや転生前、テレビなんて見なかったなぁ……芸能人に興味もなかったし、テレビを点けても似たり寄ったりのクッソつまらんバラエティー番組とか、的外れなコメンテーターの政治批判ばっかりだったから、東京に出稼ぎに来てからはテレビは買わずにゲーム用のPCとかモニターだけ買ってた。
何年ぶりだろう、と思いながら食堂のテレビをぼんやりと眺めつつチャンネルを回す。
やはり倭国にとって今回の一件は相当な衝撃として受け止められているのだろう、どのチャンネルも盛岡襲撃の件ばかりだった。被害の状況を伝えているニュース番組や藩への不満を訴える市民たちのデモ、そして相変わらず的外れなコメンテーターの、SNSがあったなら炎上しているであろう謎コメント。
コレなら俺の方がまともなコメントできんじゃねーの、と思う。こんなんで金貰ってるんだから楽な商売だよな……というのはさておき。
「……カフリアの事例に似てるな」
「気付いたか」
ずぞぞ、と夕飯の麻辣牛肉麺を豪快に啜っていたヴォイテクが顔を上げた。
カフリアでの少数民族の武装蜂起については、俺も記録に目を通している。
政府軍の兵士による誤射で子供が死亡した事件に端を発する、少数民族の武装蜂起。しかしそれは不幸な事故ではなく、総ては裏で仕組んでいたインフェルノの陰謀であったのだ、という事。
連中は国内の分断を利用する。少しでも火種になりそうな要素を見つければ、仲間のふりをしてそのコミュニティに取り入って、じわじわと火種を広げていくのだ。そして小さな火種は、気が付いた頃には大火に転ずる。それこそ国を焼き尽くさんばかりの大火に。
「俺は連中の仕業と見ている」
「俺もだ」
こうやって幕府や藩への不満を高め、倒幕の機運を作り出すつもりなのだろう。そして火種を育て、戦争へと持っていく。
しかし何のために?
理解できない―――戦乱を生み出して、それからは?
幕府が倒れても、尊王攘夷派が倒れても……残るのは破壊と混乱だけだ。それでインフェルノに、ヘンリックにいったい何の得がある?
「だが今回の件、それだけじゃねえな」
「というと?」
「いや……もし民衆の不満を煽るんだったら、なんで東北地方なんだ? 京都とか江戸とか大阪とか名古屋とか、人口密集地でやればもっと効率よく不満を煽れただろうに。それが何で盛岡なんだ?」
「向こうは警備が厳重だから……ではないでしょうか?」
麻辣牛肉麺のスープを冷ましながらクラルテが言うが……いや、違う。
確かにヴォイテクの言う通りだ。もっと民衆の不安を一気に呷るんだったら大きな市街地でやっても良い筈。それがなぜ、こんなにも江戸から離れた東北地方なのか。
まさかコレは―――と、嫌な予感が頭に浮かんできたのと、クロエが食堂に駆け込んできたのは同時だった。
「は、範三さんから緊急連絡が! 蟲島奉行所との通信が途絶した、と……!」




