大鬼熊
どうでもいい話
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『大鬼熊』、という魔物が倭国には生息している。
ざっくり言うと「頭に角が生えた異様にでっかい熊」とでもいうべき存在で、その膂力は並みの熊を遥かに凌駕する。極東アジアやノヴォシアの極東地域、アメリアのマラスカ地域で生息が確認されており、イーランド語では『オーガーベア』とも呼ばれる。
未確認情報ではあるが、『一撃で飛竜の首をへし折った』という信じられない事例も確認されている。少なくとも、その膂力は人間の常識を遥かに凌駕したものと見ていいだろう。
「……」
7.62×51㎜弾のつるべ撃ちを受けて動かなくなった大鬼熊の死体に、念のため2、3発ほど追加で叩き込んでおく。弾丸は頭に食い込んで血が出るが、しかし熊が動き出す気配はない。
死んだと思い不用意に近づいでそのまま爪で腹をバッサリ……という経緯で犠牲になった冒険者は多いのだそうだ。だからこういう死亡確認は、人間の兵士以上にしっかりやっておかなければならない。
死亡を確認し、死体を検めた。
体長3mほどの大鬼熊の頭には、その名の通り角が生えていた。しかし竜人のように整った角が生えているのかというとそうでもなく、長さのバラバラな角ばかりが目立つ。短い角だったり、1本だけ威容に長い角だったり。真っ直ぐ生えているのもあれば緩やかなカーブを描いていたり、羊みたいにぐるぐる丸い巻き角だったりと、どれ一つとして同じものがない。
一説によると、頭部の骨芽細胞の暴走でこのような事になるのだそうだ。
大鬼熊は通常の熊よりも身体が大きい。それに伴って摂取しなければならないカロリー量も莫大なものとなるのだが、そうやって色々食べてるうちに骨芽細胞も異様に活性化してこのようになるのではないか、とも言われているが定かではない。仮にそうならばヒグマはどうなんだという話になる。
そもそも、動物と魔物の線引きも曖昧なのだ。何を以て動物と魔物を分類するか、という話は大昔から議論が繰り広げられていて、「従来の動物の姿や生態から逸脱した生物」を魔物と分類する等、国や地域によって分類はさまざまである。
実際、ノヴォシアではこの大鬼熊を魔物ではなくヒグマの近縁種として扱っているのだそうだ……しかも信じがたい事に、ノヴォシアではヒグマは車両扱いなので、車道を走っているとヒグマに跨った半裸のおっさんをよく見かけるらしい……どういうこと?
「やりましたねラウルさん」
「ああ」
まあ、ともあれあの爪でバッサリやられなくて良かったと心の底から思っている。やられたら泣いてた。
さてさてそれじゃあ討伐の証拠に角を切り取り、討伐確認のために管理局の職員に立ち会ってもらいますかね。
火縄銃を改造した信号銃を装備しているユリウスに信号弾の撃ち上げをお願いしようとして……ぴたり、と俺はナイフを持つ手を止めた。
「どうかしたのかい、仔犬ちゃん?」
「……何かがおかしい」
「何かって、何が?」
チリ、と頭の奥が焼け付く感覚。
さっき見た、地面にくっきりと刻まれていた熊の足跡。
ハッとしながら、俺は討伐した大鬼熊の前脚に視線を向けた。肉球のある手がはっきりと見えるように裏返してみて、その抱いた疑念が確信に変わる。
「―――クロエ、さっきの足跡覚えてるか?」
「ああ」
「ラウル、どうかしたの?」
「……コイツの手、さっきの足跡より明らかに小さいぞ」
まさかとは思ったが……やはりそうだ。
コイツはさっきの足跡の主ではない。あの足跡を刻んでいった、より大型の大鬼熊は別にいるのだ。
「一応、依頼では大鬼熊1頭の討伐という事になっているが……」
どうするんだラウル、とこっちの反応を試すようにユリウスが言う。
確かに依頼はすでに達成している。依頼主からは1頭の大鬼熊を討伐してくれ、とだけ言われているから、このまま管理局職員に討伐確認を取ってもらえば依頼は達成、報酬は俺たちの懐に入る事になる。
冒険者は慈善事業ではない。命懸けで仕事を遂行する冒険者と、契約通りに報酬を支払うクライアント。両者の信頼関係があるからこそ成り立つビジネスなのだ。
だが、しかし。
今回依頼してきたのは、この山の付近に住む町民である。
大鬼熊が山を徘徊していると、危険で薬草の採取にも行けない……特に今回のクライアントには恒例の母親がいるそうで、薬草を調合して作る薬が文字通りの生命線なのだ。今回のこの依頼が、母の為を想ってのものであるであろう事は想像に難くない。
家族の命をかけて依頼してきたクライアントに、そんな中途半端な仕事はしたくない。
「……続行だ」
仲間たちの方をゆっくりと振り向いた。
「あの足跡の主を……確実に始末すんぞ」
山の奥に入るにつれて、獣臭がより濃密になっていくのが分かった。
おそらくこの辺り一帯はあの大鬼熊の縄張りなのだろう。獣臭に加えて、血の臭いも混じっているのが分かる。
「!」
その時、フォアグリップ付きのBulldog 762を構えながら警戒していたフルールが目を見開いた。
彼女の視線の先にある、大樹の根元。
苔やキノコが生えた樹齢500年はくだらないであろうその大樹の足元に、薬草を採りに来たのであろう農民の男性が身体の腹から下を埋没させる形で埋まり、ぐったりしていたのである。
助けよう、と駆け出そうとしたフルールの肩を、俺は慌てて掴んで止めた。
「何をするんだ!」
「よく見ろ」
「ぇ……」
大樹の周囲に埋まっているのは、その男性だけではなかった。
猪がいる。鹿がいる。ゴブリン(※和名は『小鬼』)がいる。動物、魔物の区別なく、食物連鎖において大鬼熊の下位に位置する被食者たちが、大樹の根元に半身を露出する形で埋まっているのだ。
そういえば、と管理局で出発前に見た張り紙を思い出す。確か昨日から薬草を採りに山に入って帰って来ない農民が1人いる、という張り紙が管理局にあったが……。
いずれにせよ、あれは大鬼熊の『保存食』だ。ヒグマなどの熊はああやって仕留めた獲物を保存しておく習性がある。そしてその保存食に近付いたりする部外者は「食料を横取りしようとしている外敵」と判断し、どこまでも追いかけて襲ってくるのだ。
あの農民の人がまだ息があるにせよ、既に事切れているにせよ、今ここで駆け寄って助け起こす事がどれだけのリスクを生み出すかは計り知れない。実際、ヒグマのこの習性を知らずに被害を受けてしまった獣害の事例は数多く存在する。
とはいっても前世の世界、インターネットで目にして得たにわか仕込みの知識だ。生兵法は大怪我の基とよく言ったものだが、予備知識として押さえておくに越した事はないだろう。
ずん、ずん、と重々しい足音。
身を屈めて茂みの中でじっとしていると、やがて巨大な影が大樹の根元へと戻ってきた。
頭からは無数の巻き角が生え、無数の牙が生えた口からは涎を垂らす黒い巨体。頭には数々の死闘を制してきた証なのだろう、無数の古傷が刻まれており、右眼は視力を失って久しいらしく真っ白に濁っているのが窺い知れる。
大鬼熊―――それもさらに大型の個体だ。
体長にして5m……いや、6mはあるか。さっき仕留めた奴の倍はある。
その時だった。半分埋められていたゴブリンが、唐突に呻き声を発しながら手をぶらぶらと揺らし始めたのである。死後36~48時間が経過してゾンビ化したのだ。
しかし大鬼熊はそんな事など意に介さなかった。巨人の如き剛腕を振り下ろして、ゴブリンをあっさりと叩き潰してしまう。
もはや原型を留めなくなったゴブリンの死体の臭いを嗅ぐや、脳を食べ始める大鬼熊。腐敗している部位とまだ食べられそうな部位をより分けているのだ。
ぐっちゃぐっちゃと、肉を噛み潰す湿った音が周囲に響く。
やるなら今しかない。ユリウスに目配せするなり、彼は頷いて背中に背負っていたカールグスタフM4を準備し始める。
幸い、天もこっちに味方してくれていた。
風向きは俺たちのいる方が風下である。大鬼熊は、臭いでこっちを索敵できない。
やれ、とハンドサインを出すなり、ユリウスが引き金を引いた。
バックブラストを高らかに噴き上げ、多目的榴弾が大鬼熊のケツを盛大に蹴りつける。食事中だった事もあってすっかり油断していたところに手痛い一撃を受けた大鬼熊は大きく怯むなり、大樹の根に向かって大きく転がった。
左の後ろ脚の付け根を吹き飛ばされ、まともに立ち上がれないらしい。
「射撃開始!」
攻撃開始命令を下すなり、俺もMARS-Hで大鬼熊を撃ちまくった。ドカドカドカ、と7.62×51㎜NATO弾の強烈な反動をストック越しに感じながら、一発一発を丁寧に捻じ込んでいく。
当たっている、当たっているのだ。
しかしなんだか手応えがない。人間相手だったら「まあこれなら死んだな」という手応えがあるのだが、相手が5m超の大型熊ともなれば別だ。まるでスポンジに水滴を垂らしているような、撃てば撃った分だけ吸い込まれているような錯覚すら覚える。
大鬼熊がこっちを振り向いた。
その眉間にすかさず弾丸を叩き込む。しかし相手にとってはこのフルサイズのライフル弾すらも、ヘビー級ボクサーのパンチ程度にしか思えていないのだろう。頭を振って怯んだり、嫌がる素振りを見せたものの、一向に沈む気配はない。
次の瞬間、ドンドンッ、と強烈な銃声が響き渡った。
ロザリーだ。DP-12に装填したスラグ弾を一気にぶっ放したのだ。
さすがにこの距離では7.62×51㎜弾よりも有効な一撃となったらしい。被弾した大鬼熊の頭、頭蓋の一部が抉れて吹き飛び、苦しそうな咆哮を発し始める。
シャコン、とカールグスタフM4の後部に多目的榴弾を装填するクロエ。ラッパのようなバックブラストのノズルを元の位置に戻し、トントン、とユリウスの肩を叩いて後方からの退避を通告。両耳を塞いで口を大きく開け、圧力差から内臓を守るための処置をする。
二度目のカールグスタフの鉄槌が、大鬼熊の肩口をぶち抜いた。毛皮が焼け、肉が抉れる。
だがしかし、まだだ。
まだ巨大な熊は倒れない。
「おいおい、こりゃあちょっと―――」
「ラウルさん、ここは私が」
「クラルテ?」
MG5で弾幕を張っていたクラルテが、汎用機関銃を手放してゆっくりと立ち上がった。
背中に背負っていたあの楽器ケースみたいな容器―――それから新しい得物を取り出して装備するクラルテ。顕わになったその異様な代物に、思わず仲間たちの視線が釘付けになる。
それは迸る攻撃の意思を体現したような、とんでもない代物だった。
長いポール状の柄の先端に取り付けられた巨大な丸ノコと、柄から伸びるケーブル。それらはバックパックと有線接続されており、クラルテの大きな背中にはガソリンエンジンを思わせる物体が背負われている。
そう、電動ノコギリだ。
それも、遥かに巨大な。
「おまっ、それ―――」
「―――援護を」
チェーンソーよろしくスターターロープを引くなり、彼女の背負ったバックパックが鳴動を始めた。ガソリンが内部で燃焼し、生じた電力によって巨大な回転ノコギリが高速回転を始める。
周囲に滲むガソリンの排気―――システム全体で50~60㎏はするであろうそれをものともせず、クラルテは大鬼熊へと斬りかかっていく。
獲物が自分から突っ込んできたのを好機と見たのだろう、数多の獲物を葬ってきた剛腕を振り上げてクラルテを叩き潰そうとする大鬼熊。しかしその剛腕が地面を殴りつける事には既にクラルテが跳躍、剛腕を紙一重で回避していた。
次の瞬間だった。低予算のスプラッター映画よろしく、血飛沫が吹き上がったのは。
回転ノコギリが何か柔らかいものを巻き込んだような音と共に吹き上がる血飛沫。その中を、二の腕から切断された大鬼熊の剛腕が舞う。
剣でバッサリ斬られたような断面ではなく、力任せに引き裂いたような、何とも表現しがたい断面だった。
血飛沫をこれ見よがしに曳きながら空中を駆けるクラルテ。大樹の幹を蹴って弾丸のように急加速する彼女を、迎え撃たんと大鬼熊は左の腕を振り回す。
だがしかし、その剛腕が190㎝のデカ女を捉える事はついになかった。
ごちゅ、と柔らかい肉の中に固い物体を突き入れるような音。
勢いのままに大鬼熊へと突っ込んだクラルテ。彼女の手にあった巨大な回転ノコギリは先ほどロザリーがスラグ弾で抉った頭部の傷口へと、力任せに捻じ込まれていたのである。
頭蓋を火花を散らして切断しながら脳にまで達する丸ノコ。もちろんそこで終わりなどではなく、脳味噌に刃を埋没させた状態で高速回転を始めたのだからたまったものではない。
大鬼熊は双眸から血の涙を流しながらビクビクと身体を痙攣させ、やがて動かなくなった。
すとん、と着地する血まみれのクラルテ。
返り血ですっかり紅くなった彼女の顔に、しかし全く変化はない。
調律のせいもあるのだろうが―――時折、本来人間が抱いているべき感情がごっそりと欠落している彼女を見ると、恐ろしく感じる事がある。
「さあ、帰りましょうか」




