大舘の浪人たち
ラスプーチン撃退術式
ミカエルがシェリルの為に用意した術式。ラスプーチンがシェリルの半径5㎞以内に侵入すると例外なく発動する。術式が発動するとラスプーチンの周囲の床が錬金術により変形してタンスと化し、その角でラスプーチンの小指を直撃する。靴を履いている場合は靴の上からでも小指の爪をぶち割らんばかりの勢いで直撃するためかなり痛い。
命の別状がなく、それでいて十分な苦痛を与えられる絶妙なラインを攻めてくるミカエル氏だが、ラスプーチンも「これはシェリルからのご褒美」と脳内で変換する事で苦痛すら快楽として受け入れつつあるため、早くもいたちごっこの様相を呈しつつある。
人間とは存外乗り越えられるものなのだ。それが拒絶であろうとも、苦痛であろうとも。
クロエが確保してくれていたという宿は、新大舘駅の近くにあった。
出張でやってきた労働者や旅行者をターゲットとしたホテルなのだろう。フロントには遥々大舘までやってきたと思われる観光客が居て、カウンターでチェックインを済ませているところだった。
到着するなり受付に用件を話して電話で確認を取ってもらい、ルームキーを交付してもらう。
いたってごく普通のビジネスホテルといった趣の場所だった。フロントからエレベーターに乗り3階で降りると、通路の左右に個室が広がるという、前世の世界で下手をすれば親の顔よりも見たレイアウトが広がっている。
とりあえず『313号室』を探し当てて中に入った。普通こういうのシングルとかセミダブルとかそういう区分けの筈なのだが、なんともまあ都合よく角の方に3人部屋があってクロエはそこを確保してくれていたらしい。
ベッドが3つ並んだ部屋。シャワー浴びて寝るだけであれば十分な、必要最低限の機能だけを備えた部屋に荷物をどっかりと置いた。
なんだか今日、初めて本格的に「休んだ」って感じがする。朝早くから新幹線を乗り継いで遥々九州から東北まで来たわけだ。
距離にしておよそ1300㎞―――とんでもねえ距離である。
朝からほぼ9時間ぶっ通しで新幹線に乗り継いで移動してきたのだ。最初の方は観光気分で気楽だったが、まあ江戸を越えた辺りから大変だったよね……。
でもまあ前世の日本では開業してなかった羽越新幹線に乗れただけでも鉄オタに片足を突っ込みつつあったラウル君としては嬉しい限りだった。日本だとあそこは計画だけで、新潟から秋田まで行くには羽越本線を走る特急いなほに乗っていく必要があったからなぁ……。
「で、明日からどうするのラウル?」
「んー……それなんだよな」
出発前、ヴォイテクからは『荷物を捌き終わったらそっちの居場所を探し出して連絡する』とだけ言われた。いったいどうやってこっちの居場所を特定するのかまでは言われなかったけど、どうするつもりなんだろうかあのヒグマは。
大館、といっても俺らが宿泊するであろうホテルはそれなりに候補がある。まさかそれら全部に「ウチの冒険者泊まってないッスか?」って確認の電話を入れるつもりじゃねえだろうな、いやまさかと思っていると、そんな思考を唐突に響いた電話の音が断ち切った。
フロントからのようだ。
「……はい、もしもし」
《ラウル・エルマータ様ですね?》
「そうです」
《外部からお電話が入っておりますが、お繋ぎしてもよろしいでしょうか? くまさんハウス代表のヴォイテクという方からのお電話なのですが》
「アッハイOKです」
え、どうやってここ突き止めたん?
スマホかな、と思ったが限定的なネットワークでやり取りしている協商連合製のスマホはとっくに圏外だ。これはソーキルに搭載されているルシフェルのサブフレームが管轄できる距離内でしかインターネットの接続や通話はできない。ソーキルが博多に停泊している以上、東北に居る俺たちにとってこのスマホは単なるカメラでしかないのだ。
じゃあまさかドローンで追尾してたとか?
ちょっと怖くなって部屋のカーテンを開け外を見てみた。窓の向こうには新大舘駅の駅舎があり、そろそろ21時になるというのにまだ貨物新幹線が上下線をせわしなく通過していいる姿が見て取れた。貨物新幹線優先のダイヤを組んでいるらしいので、そろそろいなほ号は本日の運転を終了する頃合いであると思われる。
もちろん外に怪しい人影も、ドローンの機影もない。
《おーうもしもし?》
「……どうやってここが?」
《ん~、熊さんの勘ってやつ?》
熊さんの勘。
なんじゃいそりゃあ、と思うがツッコんだらキリがないからやめよう。
《んで、そっちは?》
「荷物は配達した。報酬は既に支払われてるだろ?」
《おう、気前よく払ってくれたよ。それと新選組から東北まで貨物の輸送を依頼されてな、岩手まで》
「それはそれは」
《明日は荷物の積み込み、博多を発つのは明後日になるか。こっちは太平洋側に出て沿岸部、釜石に立ち寄って荷物を下ろす。こっちまで来れるか? 難しければ盛岡で―――》
「いや、釜石まで行くよ。幸い倭国は鉄道網の整備が進んでるし、1日もあれば奥羽山脈越えも十分できる」
《分かった。んじゃ、明後日に釜石で》
「了解。そっちも航海気を付けて」
《はいよ》
通話を終え、受話器を置く。
釜石……釜石、か。
―――いや俺の故郷じゃねえか。
前世の日本で実家があった場所、生まれ故郷である。
よもや異世界で、前世の自分としての里帰りが叶うとはなぁ……と感慨に浸りたくなったが、よく考えてみれば俺はあくまでもスパーニャ国籍のラウル・エルマータという倭国とは縁もゆかりもない外国人であり、こっちの世界にも川端明という人間はいるのだろうが、そいつはただの別人でしかない。決して俺ではないのだ。
異世界転生を果たし別人になったという現実と、もう俺の知る故郷はないのだという事実を突きつけられた気分だった。鳩尾に冷たく重く、それでいていつまでものしかかるような感覚が生じて不快になる。
とりあえず仲間たちとこの情報を共有しよう。
明後日、奥羽山脈の向こう側に広がる南部藩釜石市にソーキルが迎えに来る事。
明日には大舘を発つ事を。
その日の夜、なかなか寝付けず外に出た。
むわっとした熱気。けれども時折、倭国海方面から吹いてくる風がそれを吹き飛ばして、一時的とはいえ涼ませてくれる。
ホテルの外にあった自動販売機に小銭を入れてボタンを押し、ペットボトルのお茶を購入。休憩用のベンチにどっかりと腰を下ろして、キンキンに冷えたそれを一気に呷る。
スマホの時計を見た。
幕府による外出禁止時間まであと1時間と少し。24時から朝の5時まで、治安維持のため外出が禁止されるのだそうだ。範三さんの奥さん―――お雪さんが言っていたように、この辺にも尊王攘夷派の浪人が出ては幕府関係者に危害を加える事例が多発しているらしい。部屋にあったラジオやブラウン管テレビでも深夜の外出が禁じられている事、違反したら町奉行所に拘束、またはその場で斬り捨てられる可能性がある事が何度も繰り返し放送されていた。
ホテルの前にしたって、時折普通の車に紛れて町奉行所の同心や与力を乗せたパトカーが通過していくんだが、その頻度もどんどん増しているように思える。
思ったよりも物騒だな、と思いつつ空になったペットボトルをゴミ箱にぶち込んで、ひとまず今夜は寝ようと踵を返す。明日は朝一の電車に乗って秋田駅へ向かい、そこから特急こまちで盛岡へ。盛岡からは沿岸部まで在来線を乗り継いで……という旅程になる。
フルールは嫌な顔をするだろうな、さてどうするかと考えていたその時だった。
頭から生えているハイイロオオカミのケモミミが、そして常人よりもよっぽど発達した嗅覚が不穏な気配を察知する。
なんと表現するべきか……緊張した人間特有の匂い、ともいうべきだろうか。
これから大事を成すために緊張で張りつめた人間が発するあの感じだ。
てっきり深夜の大舘を警邏する与力や同心かなとも思ったが、それにしては随分と緊張の仕方が違うのではないか、と違和感を覚える。
いや、緊張感を持って職務にあたるのは良い事だ。どんな細かな異常も見逃さない観察力と正確な判断力はそれだけで治安維持に繋がるし、そういう真面目な人たちが平和を守ってくれているからこそ住民たちも枕を高くして眠る事が出来るのである。毎日の”当たり前”が数多くの人々の苦労の上に成り立っている事を忘れてはならない。
それはさておき、だ。
なんだかこの気配はまるで、これから押し込み強盗に入るぞ……とでも言いたげな、上手く言語化できないがそういう悪い気配のように思えた。
グロック21(※.45ACP弾仕様のスタンダードモデル)をサプレッサー装備のうえで召喚。あとはメリケンサックと飛び出しナイフを用意してポケットに押し込んだ。
視線を気配のした路地へと向ける。
明かりも何も無い路地へ、黒ずくめの獣人が何人か入っていくのが見えた。腰には刀らしきものを下げているが、それ以外にも風に乗ってグリスの臭いもする……拳銃でも所持しているのだろうか。
いずれにせよ、ありゃあどう見ても町奉行所の与力や同心じゃあない。お雪さんが言っていた尊王攘夷派の浪士たちかもしれない。
本当に大舘でも活動してるんだな、とちょっと感心しながら彼らの後をつけ始めた。
さて、意外かもしれないがラウル君はパルクールができる。
訓練の際、簡単な壁のよじ登りくらいは教わったのだが、「移動できるルートを選択せずに済み戦術的柔軟性が増すから」という理由でパルクールの訓練をエンジェルパレスで受けたのだ。だから壁をよじ登ったり、屋根の上を走り回ったりするくらいはできる。
たださすがに電線の上を綱渡りするのは無理だ……ミカエルは軽々と、それはもう「え、このくらいできますけど?」みたいな涼しい顔でやってのけた。まあ彼女はジャコウネコ科、ハクビシンの獣人である。元々樹上生活をする動物なのでバランス感覚は良いし肉球も枝を掴むのに特化した形状をしていて、おまけに長い尻尾を使ってバランスを取れるからこそできる芸当だ。
こちとら地上を走って獲物を追い立てる狼である。そんな事は出来ない。
……ので、両足に思い切り力を込めて跳躍した。
時代劇で見るような提灯を手にした与力と同心たちが隊列を成し、大舘の夜の街を警邏している。そんな彼らの頭上を堂々と飛び越え、大通りの反対側の建物へと着地。そのまま走って浪人たちを追う。
あれ、こっちの方角って……。
段々と迫ってくる新大舘駅の駅舎。本日最後の羽越新幹線いなほ号がホームから滑り出していく。
その傍らにある武家屋敷。立派な塀とその表札には、見覚えがあった。
―――範三さんの家じゃないか。
ここまでくるともう答え合わせのようなものだった。あの浪人連中は範三さんの家族を狙っているのだ。
尾行しているのがバレないよう隠密性に配慮してきたが、こうなってしまった以上そういった配慮は不要だ。走る両足に一気に力を込める。脚の筋肉が一気に膨張、森の狩人たる狼の最大の武器―――強靭な脚力を完全開放、一気に距離を詰める。
ホルスターからグロック21を引き抜き、撃った。
パス、と空気の抜けるような音。発射された.45ACP弾が、ちょうど市村家の塀を乗り越えようとしていた浪人の後頭部を有無も言わさず撃ち抜いて、黒ずくめの男を物言わぬ死体へと変えてしまう。
いつもの10㎜オート弾ではなく.45ACP弾を選択したのは、サプレッサーとの相性が理由だ。
.45ACP弾は9㎜パラベラム弾ほど弾速が速くない。どちらかというとその弾頭の重量と質量で相手を盛大に「殴りつける」ようなダメージを与える大口径の拳銃弾である。だから発射の際のガスを逃がして弾丸を減速させ銃声を抑えるサプレッサーと、元々弾速の遅い.45ACP弾は相性が良いというわけだ。
突然同志が倒れて慌てふためく浪人たち。いったいどこから、とでも言いたげな浪人の目と、グロックの銃口がピタリと合う。
直後、眉間をぶち抜かれてまた1人の浪人がぶっ倒れた。
「貴様……何者だ、幕府の犬か!」
憎たらし気に刀を抜き、浪人が声を張り上げる。
犬、というのはまあ、部分点くらいはあげてやってもいいだろう。こちとら狼、イヌ科の端くれだ(というか犬という括りならばむしろ”源流”というべきか)。
あと2人―――その片割れが、ホルスターから大型のリボルバーを引き抜いた。
古めかしいパーカッション式のリボルバーだ。金属製薬莢という概念が浸透する以前のもの……シリンダーの中に直接弾丸やら火薬やらを詰め込んで発射する、再装填のクッッッッッッッッソめんどくさい代物である。
視線、筋肉の動き、そして身体から発せられる気配。
その全てを頭の中で理解し終えた頃には、グロック21が火を噴いていた。
放たれた一発の.45ACP弾がリボルバーを手にした浪人へ―――その手の中にあるリボルバーの銃口へと、ぴたりと正確に飛び込んだ。銃身がラッパよろしく広がって、その衝撃に拳銃を落としてしまう浪人。
その間に片割れが動いた。刀を上段に構えつつ、ジグザグに踏み込んで距離を詰めてくる。
―――格闘技やっててよかった。
発砲している余裕はない、と瞬時に判断してタックルを決行。重心を深く落とし、下から激しく突き上げるような勢いで浪人へとぶち当たる。
実際に殴る、蹴る、ぶん投げるなどのアクション満載な格闘技(実戦形式の空手とか柔道とかボクシングとか)をやっていると、この辺の判断力が養われるのだ。接近戦は瞬間的な判断力がモノを言う。
さて、刀を力いっぱい振り下ろす前にタックルを喰らった浪人が盛大に体勢を崩して怯む。その隙に左手を伸ばして浪人の髷を掴み、引き寄せた彼の顔面に力いっぱい膝蹴りをお見舞いした。
ボキュ、と鼻の骨が折れる手応え。脳味噌を下から突き上げる衝撃にたまらず脳震盪を起こした浪人が、ぐるん、と白目を剥いて崩れ落ちていく。
グロックをホルスターに戻し、ポケットからメリケンサックを取り出した。木製のグリップに艶の無い黒いスパイク付きの打撃部のそれをしっかりと握り、笑顔を浮かべる。
「近所迷惑だ馬鹿野郎」
ナックルダスターが、リボルバーを弾かれ呻いていた浪人の顔面にめり込んだ。
『蝉しぐれ 攘夷の太刀より 拳速し』
ラウル・エルマータ、浪人をぶん殴りながら一句
ラウルのナックルダスター
護身用にラウルが用意したナックルダスター。メイスやマチェットといった近接武器を携行できないような状況で用いる武器……というか喧嘩道具。ミートハンマーのようなスパイクが打撃部に取り付けられており、ラウル本人が格闘技経験者である事と訓練を受けている事もあって、これで殴られたら痛いでは済まない。




