大舘にて
どうでもいい話
シェリルのスマホにはラスプーチンの接近を検知すると警報を発する特殊なアプリがインストールされている。
和楽器を用いた、なんともまあ雅な雰囲気の車内チャイム。やはりというかなんというか、路線ごとにチャイムが違うんだな……などと呑気に考えながら窓の外を見ている俺の隣では、フルールがすっかり疲れ果てて眠っているところだった。
《間もなく、新大舘です。お降り口は左側です。お降りのお客様はお忘れ物にご注意ください。新大舘の次は、弘前に停まります》
《えー、間もなく新大舘、新大舘です。在来線お乗り換えのお客様にご案内いたします。奥羽本線、花輪線、羽後本線にお乗り換えのお客様、在来線の駅は新大舘駅向かい側の”大舘駅”からの発車となります。新大舘駅からではございません、新大舘駅はあくまでも新幹線専用の駅となっております。お間違えの無いようご注意ください。本日も羽越新幹線いなほ号をご利用いただきありがとうございました》
ん、降りよう。
荷物を準備しつつフルールの身体を揺すった。既に新幹線の減速が始まっており、大館の夜景もすぐ近くに迫りつつある。
「フルール、起きて。降りるから」
「んー……」
「ほら、起きないと青森まで連れてかれるよ」
ゆっくりと起き上がるフルール。他の仲間たちはどうだろうか、と確認してみるが、どうやらみんなちゃんと起きているようだ。荷物を手に取り降りる準備は万端といったところか。
やがて列車が新大舘駅へと滑り込んだ。開いたドアからホームへと降り立つと、北国というイメージに反してむわっとした熱気が身体中を包み込んだ。
秋田は冬になると降雪量がエグい(信号機が縦になっている事からもその規模が窺い知れる)事で有名であるが、しかし雪国だからと言って夏が涼しいかと言われると意外とそんな事はない。冬がヤバいからという理由で夏は手加減してくれないのだ。
《ご乗車ありがとうございました。新大舘、新大舘です。お降りの際はホームの隙間にご注意ください》
《間もなく3番線を、貨物新幹線”あさかわ129号”が通過します。ご注意ください》
《1番線に停車中の列車はいなほ97号、青森中央行きです。貨物新幹線あさかわ129号通過を待ち次第発車いたします。お乗りのお客様はお近くのドアよりご乗車ください。なお8号車は士族、華族のお方専用の一等車となっております。車内通り抜けできません。ご注意ください》
ホームから階段で降りていく頃に、おそらく江戸か北陸の方から来たのであろう貨物新幹線”あさかわ”が、ごう、と凄まじい轟音と共に通過していった。
改札口に切符を通して通過。博多から新幹線を乗り継いで遥々東北地方入りした俺たちを見た駅員さんが目を丸くするなり「長旅お疲れ様でした」と労ってくれる。
こういう心遣い嬉しいよね、と思いながらも「どうも」と会釈して駅の外に出た。
新幹線の駅となっている新大舘駅だが、奇妙な事に在来線の駅である”大舘駅”とは別だ。新大舘駅は新幹線専用の駅となっていて、在来線の列車が停車する大舘駅は別に存在するらしいのである。
なんでそんな面倒な事を、と思ったが、駅から外に出てその理由は何となく察した。
―――駅の周辺に武家屋敷と思われる建物が建っているのだ。
通常、在来線と新幹線の駅は一緒にした方が利便性は高まる。しかし新幹線の線路を造るにはルート次第では進路上にある建物に住んでいる人に立ち退きをお願いする事になってしまい、住人の説得から始まるため長い戦いとなる。
それが、よりにもよってお侍様となればどうなるか。
たぶん立ち退きに応じてもらえなかったから泣く泣く在来線と新幹線の駅を別々に造ったんだろうなぁ……という倭国の鉄道事情が何となく垣間見えた。交渉に向かった幕府鉄道の人も胃に穴が開く想いであったであろう事は想像に難くない。
時刻は19時50分……今行くのは迷惑かなぁ、と思った。今日はどこかに宿を取って明日、とも思ったが早いうちにプレゼントを渡してしまった方がいいんじゃねえかな、とも思う。
「……今日のうちに渡しちゃおうか」
「なら仔犬ちゃん、ボクたちは宿を取っておくよ。フルールも限界みたいだし」
おいでー、と手招きするクロエ。まるで飼い主のところにとことこ歩いていく仔犬みたく彼女にすり寄ったフルールは、そのままクロエが抱えていたボストンバッグの中にもぞもぞと潜り込んだかと思うと、チャックのところから顔だけ出してそのまま眠ってしまった。
「すぴー……」
「かわいい」
「分かります。守りたいですよねこの寝顔」
「くまさんハウスの癒し枠よねこの子」
ジャッカルのケモミミをぺたん、と寝かせて眠りに落ちるフルール。いったいどんな夢を見てるのかな、と思いながら撫でるとケモミミがピコピコ動いた。かわいい。
すっかり寝てしまったフルールを伴ったクロエとユリウスと別れ、俺とクラルテ、ロザリーの3人でひとまず範三さんの家を目指す事に。範三さんからは「新大舘駅の近くにある」と言われたし地図にも印をつけてもらっているので、まあ迷う事はないだろう。
きっと立ち退きを拒否った武家屋敷ズの中にあるんだろうな、市村家が。
何気なく、太平洋側―――今いる大舘から奥羽山脈を隔てた反対側へと視線を向けた。
その視線に気付いたのだろう、クラルテが首を傾げる。
「……どうかしましたか?」
「いや……」
あの向こうに、南部藩……岩手がある。
転生前の俺の生まれ故郷。
こっちの世界ではどうなっているんだろう、と何気なく気になってしまったのだ。
「あの山のずっと向こう側にさ、俺の生まれ故郷があるんじゃないかなって。転生前の俺の」
「ああ、そういえばラウルさんは異世界の倭国出身でしたね」
「だから倭国語ペラペラだったんだ……さすがラウル!」
ぎゅー、と左側からくっついてくるロザリー。
帰りたい、というわけではない。かつての故郷への哀愁があるわけでもない。既に川端明という人間は死んでいるのだし、今はラウル・エルマータというスパーニャ人としての生がある。
けれども少しだけ、ほんのちょっとだけ―――かつての故郷がどうなっているのか、気になってしまう。
「時間があったら向こうにも足を延ばしてみたいな」
いいかな、と問うと、クラルテは笑みを浮かべながら頷いた。
新大舘駅から少し歩く。青森方面からやってきたのだろう、貨物新幹線と思われる通貨の轟音が高架の方から聞こえてきた。この辺に住んでる武家の人も新幹線の通過の音が定期的に聴こえてくるししんどいだろうなぁ、と思いつつ、市村という表札を探し回る。
「……ここだな」
立派な塀に囲まれた武家屋敷。表札には確かに『市村』と書かれているし、門のところには秋田犬の置物がある。
間違いない、ここだ。
足を踏み入れ、玄関まで向かう。
番犬なのだろう、庭にある犬小屋で眠っていた大きな秋田犬が目を覚ますなり、唸り声を発しながらこっちに駆け寄ってきた。幸い首輪で繋がっているのでいきなり噛み付かれるような事は無いが、敵意剥き出しで向かってくる番犬にはさすがにビビる。
『ウゥー……!』
「あー……落ちついて、ね? 良い子だから」
獣人には自分と同じタイプの動物と意思疎通ができるという能力があるが、さすがに狼と犬ほど離れている動物だとこの通りだ。意思の疎通なんてできたもんじゃない。同じイヌ科だから、という大雑把な括りでは意思の疎通など出来ないのである。
うわぁコレどうしよう、と思ったその時だった。
空気の流れの変化。
風上から流れてくる風に人の吐いた息が混ざったのを、ラウル君の鋭敏な嗅覚がキャッチした。それを知覚する頃にはもう身体が勝手に動いていたというか、まあその慣れというか。
いずれにせよ頭で考えるよりも先、条件反射とも言えるレベルで勝手に動いた右腕が、庭の植え込みから飛び出してきた人影の振り下ろした木刀の一撃を受け止めていた。
「!?」
「ラウルさん!?」
視線を襲撃者に向けてみる。
袴姿の小柄な人影だった。秋田犬の第二世代型獣人なのだろうか。目つきは鋭くイヌミミはピンと立っており、食い縛った鋭い牙が覗いている。
子供だった―――雰囲気にはどことなく、範三さんに似たものを感じる。
「子供?」
「何者だお前ら!? ここが市村家と知っての狼藉か!?」
「待って、いやあの俺ら―――」
「母上! ははうえぇー!!」
話聞いて、と言葉を続けると、玄関の方から女性が姿を現す。
こちらも秋田犬の獣人のようだった。動物が二足歩行で歩いているような第一世代型ではなく、人間に秋田犬の尻尾とイヌミミがついたような第二世代型の獣人だ。
雪のように白く透き通った肌と、どこか儚さを感じる黒い瞳。
倭国の伝統的な和服姿で現れた女性の手には、随分と物騒な事に薙刀が握られている。
しかし俺たちの手に武器があるわけでもなく、敵意も感じなかったと見るや女性は薙刀をそっと壁に立てかけた。
「ええと……あなた方は?」
「あなたがお雪さんですか?」
「え、ええ」
「良かった。博多の範三さん……あなたのご主人から贈り物を頼まれまして」
多分彼女と範三さんの息子なのだろう、さっきの子供が振り下ろしてきた木刀をサッと放すなり、リュックサックから例の簪の入った入れ物を取り出す。表面に付着したおが屑を払い落して彼女に手渡すと、お雪さんは目を丸くした。
「こんな時間の突然の訪問をお許しいただきたい。なにせ、範三さんから”妻の誕生日にこれを届けてほしい”と」
「まあ……主人がこれを?」
木箱を開けるお雪さん。中に入っていた朱色の簪を見るなり、彼女は目を輝かせた。
「ありがとうございます……主人は元気でしたか?」
「ええ。本当ならば帰省したかったそうですが、何分激務続きのようでして」
「そうでしたか……わざわざ博多から、本当にありがとうございます。ほら、真之介。木刀を下ろしてお前もお礼を言いなさい」
「ですが母上……」
「真之介、お父上に恥をかかせるつもりですか」
武士にとって恥とは、現代的な価値を持つ俺たちからすると考えられないほど重いものなのだろう。真之介、と呼ばれた秋田犬獣人の仔は言葉を詰まらせると、木刀を帯に挟んでぺこりと頭を下げた。
さすがは武士の仔、潔いものである。
「父上のお知り合いとはつゆ知らず、先ほどのご無礼をお許しください」
「いやいや……こちらこそ、こんな時間の来訪でしたから」
やっぱり日を改めた方が良かったかな……でも奥さんの誕生日に間に合わせるためにもなぁ、と頭の中でプチ反省会を済ませる。ともあれ配達は無事に済んだので、後は ど う や っ て 博 多 に 帰 る か 考 え な い と 。
「最近はこの辺りでも尊王攘夷派の浪人の姿がありまして……主人が新選組の十一番隊を預かっているものですから、留守の間にも浪人が襲ってくる事があるのです。この子もそれで気が張っていたのでしょう。ご無礼をお許しください」
「いえいえ。というか……尊王攘夷派の浪人ですか? 秋田にも?」
「ええ」
クラルテとロザリーと顔を見合わせた。
随分と物騒だ。そういう倒幕派の浪士って京都とか江戸とか、幕府の偉い人がいるような場所でテロを起こしているイメージがあったのだが。
一応、倭国の歴史は簡単にではあるが頭に叩き込んである。
日本が辿ったような大政奉還、幕府による統治の終焉はこっちの世界では起こっていない。幕府が国を統治したまま近代化したような国がこの倭国であり、今でも庶民と士族、華族といった身分制度は存続している。
無論、幕府を打ち倒し新しい国を作ろう、という志を胸に活動する倒幕派も存在しているようだが、日本が辿った歴史と比較すると活動も小規模で散発的、最近に入ってからは幕府関係者というだけで襲撃リストに加えるなど、もはやかつての志は形骸化したただのテロリストに成り下がってしまっている。
市村家の場合もそうなのだろう。夫の範三さんは幕府直属の治安維持部隊となった新選組の十一番隊を預かる身。精鋭揃いの新選組の中でも指揮官クラスなのだから、あわよくばその家族を人質に取れれば……という理由で妻子が狙われているのかもしれない。
一見すると天下泰平の世のように思えて、しかし死と隣り合わせの苛酷な日常。
それでも武士の妻として、そしてその仔としての誇りを胸に、この人たちは強く生きているのだ。
どうでもいい話
ラウル君との出会いを経て真之介君は性癖にさざ波を立てられた。




