ヴィクトリア湖の死闘
Q.目玉焼きには何をかけて食べますか?
ラウル「塩と辣油」
チャンさん「豆板醤」
ヴォイテク「デスソース」
ユリウス「なんだこいつら」
「やりましたかね」
「それはやめたまへ」
和服姿の彼女に咎められつつも、シスター・メリーは薄々勘付いていた。
―――ヘンリックはこの程度では死なない。
.454カスール弾に被弾しても、立て続けに4発の66㎜焼夷ロケット弾を撃ち込まれてもなお殺せない。そんな常軌を逸した確信が、彼女の脳裏には確かにあった。
普通の人間であれば最初の.454カスール弾の時点で動けなくなっている筈だ。第一、あれはヒグマだろうと仕留められるほどの威力を持つ弾薬である。一発でも被弾すれば危険だというのに、ヘンリックはそれを2発も受けている。
加えて焼夷ロケット弾だ。そんなもので着火されれば人体なんぞ簡単にブリスケットと化してしまう。
そう、普通の人間が相手ならば。
ドン、と心臓にまで響くほどの衝撃波が大地を揺るがした。
地球そのものの鼓動ではないか、と錯覚してしまうほどの轟音。ぶわりと広がった衝撃波がヴィクトリア湖にまで達し、紅い月の下で揺らぐ湖面を激しく揺らす。
炎の中から一歩踏み出してくる巨大な影。
ヘンリックだった。先ほどまで彼の肉体を覆っていた筈の紅蓮の炎は完全に消失しており、体毛はうっすらと焦げているが殆どが燃え残っている。あれだけの熱に晒されながらも健在という異様な姿に、シスター・メリーも和服姿の彼女も、息を呑まずにはいられなかった。
2人には知り得ぬ事ではあるが―――焼夷ロケット弾で火達磨にされたと知るや、ヘンリックは反射的に呼吸を止めていた。息を吸い込めば炎や熱気が呼吸器系にまで入ってきて内臓を火傷する可能性があったし、そこまで行かなかったにしても身体中が炎に包まれている状態である。多量の二酸化炭素で窒息する可能性もあった。
そこで彼がとった対策は、あまりにも力業としか言えないものであった。
両手の拳を激しく打ち付けると同時に全身の筋肉を振動させる事でちょっとした衝撃波を発し、身体に纏わりつく炎を吹き飛ばしたのである。
とはいえギリギリであった。もしこれで消火するのがあと数秒遅れていれば、第3度の火傷を負い戦闘の継続も困難になっていただろう。
無論、そんな結末はヘンリックも望まない。彼の果てなき闘争の旅は今始まったばかりなのだ。これからもっと、更なる情け容赦のない大戦争が待っている。この世界は火薬と鮮血と殺意に塗れた戦争のワンダーランドなのだから。
それを、こんな出だしで躓かされてはたまったものではない。
「化け物……ですね、これは」
正直、彼を少し怖いと思った。
今まで戦ってきた相手にここまでの猛者がいただろうか? いや、いない。
浅かったとはいえメリーの音速を超えた斬撃を受け、.454カスール弾と焼夷ロケット弾の攻撃を攻撃を受けてもなお、こうして立ち上がっては拳を握り締めて格闘家のように構え、まだ戦う意思を見せているのである。
血のように紅い満月を背に受けながら立つヘンリック。
双眸は爛々と紅く煌めき、食い縛った牙の隙間からは吐息が漏れていた。
「―――ぶっ殺してやるぜジュテェェェェェェェェェェェム」
来る―――確信した頃には、しかし全てが遅かった。
もうすぐ目の前までヘンリックが迫っていたのである。
振るわれた拳を辛うじて身体を逸らして回避。続く回し蹴りからの裏拳のコンボも躱して軽やかなフットワークと反射神経を見せつけるシスター・メリーであったが、しかし裏拳を回避した瞬間に嫌な予感が脳裏を駆け巡った。
ヘンリックの拳が熱いのだ。
いやまさか、そんな馬鹿なと思いつつも、しかし最悪の可能性は決して排除しない。
メリーから注意を引こうと再びヘンリック目掛けてファニングショットを始める女性。先ほどと同じく.454カスール弾を用いた弾丸のビリヤード―――見切ったかと思いきや死角から必殺の一撃が飛んでくる奇襲の中の奇襲。
ヘンリックが身を捩った。
必中を期したその一撃は、しかし彼の巨体を捉える事はなかった。そのまま何もない空間を突き抜けてしまい、無駄弾となってしまう。
「!?」
見切ったのだ―――先ほどの一撃を。
弾速の異なる弾丸を斉射する事で行う弾丸ビリヤード。熟練のガンマンでもまずできないそれを、きっと生まれて初めて身に受けたであろうその攻撃を見切り、回避してみせたのである。
人間性では間違いなくこの世界で最底辺に位置するであろう男、ヘンリック。
しかし悔しいが、戦闘のセンスだけは超一流と認めざるを得なかった。普段ではそうでもないが、自分が興味を持った特定分野に関しては他の追随を許さないレベルで頭の回るタイプなのだろう。
ならば、と息を吐いた。
スプリング刀(※自動車の板バネで造った刀)を上段に構え、静かに腰を落とすシスター・メリー。
ヘンリックが迫ってくる。いきなり立ち止まればそのまま転倒してしまいそうなほど極端極まりない前傾姿勢。異様なほど重心を低くしているせいなのだろう、拳がコンクリートの地面に接触しては時折火花を散らしていた。
振り抜いてくるヘンリックの右の拳。
それを目掛けて、流星のような速度でスプリング刀が振り下ろされる。
引き裂かれる大気の絶叫。限界まで圧縮された空気により断熱圧縮が発生し、刀身が灼熱に燃え盛る。
ヘンリックの拳を両断してやるつもりで振り下ろしたスプリング刀。しかし柄を握る両手に返ってきたのは、まるで岩でも斬っているかのような……とても人体が発するとは思えない硬質な手応え。
有り得ない事だった。
灼熱のスプリング刀を受け止めているのはヘンリックの拳である。ナックルダスターを用いているわけでも、篭手のような防具を着用しているわけでもない。筋肉質で、数多の実戦とトレーニングを経て鍛え上げられただけのただの拳である筈だ。
それがどうしてこのような、鋼鉄が如き手応えなのか。
それだけで済めば、まだよかった。
ヘンリックの拳を直視したメリーは、すぐにはその現実を受け入れられなかった。
―――ヘンリックの拳もまた、炎を纏っているかの如く灼熱に燃えていたのである。
魔力の反応は……ない。
という事は彼もなし得たのだ。
拳による熱の壁の突破―――音速を超越した速度での殴打という、これまでどんな熟練の格闘家でも成し得なかった偉業を。
よりにもよって、この男が。
―――化け物め。
ぎり、とメリーは歯嚙みした。
しかし、だからと言って尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
自分は仮にもS&Dの頭目、アニー・コーマックにあてがわれた巫女である。彼女と共に10年もの間、共に鉄火場を潜り抜け第一線で戦い抜いてきたのだ。趣味こそ男漁りでその場のノリとライブ感で生きているというメリーではあるが、しかし彼女にも彼女の、竜人の剣士としての矜持がある。
むしろ今、こうしてかつてない強敵と戦えている事に一種の感謝にも似た念を抱きつつあった。
これまで戦った相手は格下か、頑張っても同格が関の山。明確に『自分より強い相手』と戦った経験は、少なくともアニーと組んで仕事をするようになってからは殆どなかった筈だ。
強大な逆境が、しかし彼女の意地に確かな火を灯す。
にい、と竜人特有の鋭い牙を剥き出しにして笑うシスター・メリー。ヘンリックも彼女の意思を感じ取ったのだろう、全力で討ち果たそうとでもするかのように立て続けに拳を振るいラッシュを叩き込む。
拳が突き出される度に大気が哭いた。まるでそれは、神が定めたもうた人体のスペックを遥かに逸脱したかの如き戦いぶりに大地が、大気が、空が困惑し叫んでいるかのよう。
音速を超え、衝撃波すら纏って突き出されるヘンリックの拳を、しかしメリーも反応して回避する。衝撃波に身体を煽られつつも竜人の発達した筋力がそれを強引に抑え込み、僅かな隙に断熱圧縮で紅くなった斬撃を捻じ込んでいく。
和服姿の彼女はただ、その至近距離での殴り合いと斬り合いを眺めている事しか出来なかった。
こうも至近距離で激闘を繰り広げられては、飛び道具で援護するという事は出来ない。余計な事をすればメリーを窮地に追いやってしまう可能性すらある。
それを懸念しているからこそ一発の援護もない―――されどメリーは、それを良しとした。
斬撃を拳で止められ、ヘンリックの殴打を紙一重で躱す。一瞬の油断が、些細な判断ミスが、たちどころにお互いの命を問答無用で刈り取っていくであろう生と死のギリギリの淵で、辛うじて成り立つ刹那の均衡。
今はこの男と、正々堂々と戦いたい。
ビキ、とスプリング刀に亀裂が生じる。
無理もない事だ。これだけ断熱圧縮熱に晒した挙句、ヘンリックのパンチを何度もこれで弾き、受け止め、防いできたのだから。むしろここまで耐え抜いてくれたスプリング刀の耐久力の方が驚きである。
刀だけではない―――メリーの集中力とスタミナも、限界に迫りつつあった。
正直言って、今のメリーは何とか全力を出して格上との戦いに何とかついて行っている状態だ。しかしその背伸びも限界が来れば終わりである。均衡が崩れ、一気にヘンリックが優位に立つであろう。
その前に勝負を決める必要がある。
メリーのスタミナが尽きるが先か。
それともヘンリックの首を刎ねるが先か。
ついに炎を纏ったヘンリックの拳が振るわれる。重心を下げて頭上を突き抜けていったヘンリックの正拳突きを躱し、潜り込むような軌道でスプリング刀を左から右斜め上へと振り上げた。
ビッ、と焦げた血が舞う。
振り上げたスプリング刀の一撃は、ヘンリックの右脇腹を捉えていた。これまでの浅い一撃ではない。致命傷と言えるほどでもないが、しかし駆ける流星を思わせる鋭利な刀傷がヘンリックの身体に刻まれていた。
それと同時だった―――スプリング刀が限界を迎え、半ばほどから音を立てて折れてしまったのは。
キン、とコンクリートの上に落下するスプリング刀の刀身。
ここまでだった。
メリーの体力も集中力も、さっきの一撃で尽きてしまった。
あわよくば今の一撃で仕留めるつもりで放った斬撃。しかし魔獣ヘンリックを仕留めるまでには至らない。
だが、まだだ。
折れた刀を投げ捨てて、拳を握り締めた。表皮を竜人の外殻で覆い硬質化、ヘンリックに対しまだ戦う意思表示をする。
刀は折れたが、心は折れていない。
まだこの腕がある。脚がある。牙がある。そして自身の魂がある。
抗う術はいくらでもあるのだ。
足掻いて、足掻いて、足掻き抜いて、為すべきを成し尽くすべきを尽くしてやっと、「やりきった」と言えるのだ。それこそが人間の特権でありあるべき姿。だからこそどこまでも泥臭く、残酷な現実に抵抗しなければならない。
さあ来い―――勝ち目がないと分かっていながらも、メリーは一歩を踏み出そうとした。
―――殺気。
こっちを向け、と言わんばかりの濃密なそれは、決して自分に向けられたものではない。
果たして幻覚か否か―――脳裏に過るのは100億㌧/1㎤ハンマーを肩に担いだキョダイシベリアデスライガーの幻影。
いやまさかこの殺気は……ギギギ、と軋む音を立てながら後ろを振り向こうとするシスター・メリー。しかしそんな彼女の頭のすぐ脇を一発の弾丸が擦過していた。
狙いはもちろん殺気をぶち当てた対象―――ヘンリック。
直前まで完璧に気配を消し、必中となったタイミングで放たれた殺気。メリーですら気付けないのだからエキサイトの極みにあったヘンリックが気付けるはずもなく、暗闇から放たれた弾丸……”375 Swiss P弾”はこれ以上ないほど正確に、ヘンリックの右の眼球を撃ち抜いた。
がくん、とヘンリックの頭が大きく揺れる。
375 Swiss P弾―――狙撃用の弾薬として一世を風靡した.338ラプア・マグナム弾よりも高威力、高精度を実現した次世代のライフル弾である。
完全な認識外からの狙撃に反応できるはずもない。
一発のライフル弾を受けたヘンリックは、唐突に右眼の視力がゼロになった事で何が起こったのかを悟った。
撃たれたのだ―――右眼を。
人体であれば大きく抉っていたであろう一撃。しかしそれが眼球を砕く程度で済んでいるのは、ヘンリックが第一世代型獣人として生まれたが故だ。そしてその中でも、特に大きく頑丈な身体を持って生まれた事がここで功を奏した。
今ここで踏み止まれば……殺される。
野生の本能がそう結論を導き出すや、ヘンリックは足元の地面を思い切り殴りつけた。コンクリートの地面が派手に爆ぜ、土煙が濛々と吹き上がる。それを煙幕代わりにしてヘンリックは逃走する道を選んだ。
確かに戦うのは好きだ。弱肉強食を是とするヘンリックは、自分が殺される事さえ許容している。それは弱肉強食という原始的なルールの中で自分が弱かっただけの事。そして相手が強かっただけの事なのだから。
しかし、死ぬべき時は今ではない。
今はまだ戦争が始まったばかりで、まだまだ楽しみはたくさん控えているのだ。こんなところで死んでしまうなど勿体なさすぎる。
だからまた、いずれ。
新しい楽しみが増えた―――右眼を潰されたにも関わらず心底楽しそうな笑みを浮かべながら、ヘンリックは夜の闇の中へと消えていった。




