シスター・メリー
どうでもいい話
ヘンリックはコイントスをする際、力加減をミスってコインを空の彼方まで投げ飛ばしてしまうのでそもそもコイントスという賭けが成立しない。
こんな鉄火場に放り込まれるのだから、あの2人の女は相当な使い手に違いない。
クレーターの底で、ヘンリックはとりあえずそう考える事にした。
戦時中、前線で女の兵士は何度も見た。しかし大半の女性兵士が後方支援か、前線にやってきていても数合わせといった感じだったのは覆りようのない事実である。
これは肉体の発達の差だ。どう頑張っても男性の方が総じて筋肉量が多く、それに伴って力も強く、雑に扱っても壊れない。軍隊にとってこれ以上使いやすい「部品」は存在しないだろう。だから男女平等だろうが何だろうが関係なく、男性の方が戦闘タイプと言っていい特性を備えている。
天地戦争末期―――竜人軍も獣人軍も手札を出し尽くし、あとはどちらが先に滅ぶのかというチキンレースに突入し始めた地獄の戦い。その最前線で戦っていたからこそ、ヘンリックは正直落胆していた。
こんな鉄火場に出てくるのが女か、と。
S&Dも存外、まともに戦える人材が居ないと見える。
―――そんな想いは、しかし直後に覆った。
ぞくり、と背筋を駆け巡る悪寒。
頭で理解するよりも先に身体が動いていた。抉れた地面を蹴って跳躍した直後、どこからともなく飛来した三日月形の斬撃が一瞬前までヘンリックの立っていた地面を深々と穿っていたのだから。
今のをまともに受けていたらどうなっていた事か。
包丁で切り刻まれる豆腐を連想しながらも、しかしヘンリックは心の中で先ほどまで抱いていた非礼を詫びた。
結局、男でも弱い奴は弱いし女でも強い奴は強い。そういう事なのだ、と。
「―――お判りいただけましたか?」
「!」
跳躍し空中へ逃げたヘンリックを追って、いつの間にか目の前に牧師服姿の竜人の巫女―――シスター・メリーが迫っていた。
(速ッ―――)
腕の筋肉の動きで、辛うじて次の一撃のタイミングを掴んだヘンリック。
脳天をかち割らん勢いで振り下ろされたメリーのスプリング刀。それを真剣白刃取りの要領で左右から挟み込んだヘンリックであったが、しかし。
―――手のひらから伝わってきたのは、予想もしない手応えだった。
「―――!?」
じゅう、と皮膚が焼ける感覚。
そう、”熱い”のだ。
触れればひんやりとしていそうな金属製の刀。その刀身を左右から挟み込んだヘンリックの手のひらは、まるでラードを塗りたくったアツアツの鉄板に押し付けられたかの如く焼けていたのである。
着地するなり後方へと飛ぶヘンリック。刀から無理矢理引き離したせいで、手のひらにある肉球の一部が剥がれてしまっていた。
火傷を負った手のひらを見下ろし、しかしその口が三日月のように歪む。
(見たことがねえな……このレベルの剣術の使い手は)
倭国の刀の使い手として名が知れている剣士はそれほど多くない。有名どころでは浮遊大陸ブリタニアの名門ペンドルトン家に嫁いだという『速河力也』や、倭国に現れたエンシェントドラゴン”マガツノヅチ”を討ち取ったという『市村範三』……あの辺りであろう。
いずれは戦いを挑んでみたいと思っていた使い手たち。そんな彼らと同等の力を持つ女が、よもやこんなところで戦いを挑んできてくれるとはなんたる僥倖か。
ドン、とメリーがコンクリートの地面を蹴った。
弾丸みたいな勢いだった。装薬の爆発的な燃焼、銃身内部での回転と加速を経た一発の弾丸のような勢いで真正面から突っ込んでくるシスター・メリー。小細工なし、フェイントなし、妥協なしの真っ向勝負。
拳を振り上げ、足元の地面を殴りつけた。コンクリート片が舞い、その中でもひときわ大きな塊を掴んで投げつけるヘンリック。
スプリング刀が閃いた。
ヂッ、と一瞬だけ火花を散らし、半ば”溶断”する勢いでコンクリート片を両断するシスター・メリー。
メリーとアニーの付き合いは長い。アニーが15歳の誕生日を迎えるや”マザー”の元から彼女専属の巫女として宛がわれて以降、数々の鉄火場を潜り抜けてきた。空賊との激突、他の転生者やレギオンとの抗争。その最前線には常にメリーの姿があって、その激闘の中でも未だなお竜人の象徴たる角は折っていない。
両断したコンクリートの向こうに、ヘンリックの姿は無かった。
ふ、と口元に笑みが浮かぶ。
「―――ええ、どうせそういう事だろうと思いましたよ」
振り抜いたスプリング刀の柄に左手を添え、迎え撃つかの如く左斜め上へ、流星のようにかち上げる。
空気を引き裂くような咆哮にも近い異音を響かせて、駆け抜けた白銀の刃が頭上からの奇襲を試みようとしていたヘンリックの肩口を掠める。ビッ、と浅く皮膚が切れ、今ので仕留め損ねたと判断したメリーは足に力を込めて後方へと飛んだ。
ドカン、とコンクリートの地面が爆ぜる。
ヘンリックの拳がめり込み、その質量と運動エネルギーに耐えきれなくなった結果だった。目測であるが3m近く陥没したコンクリート、すり鉢状のクレーターの底で、紅い光を双眸から発する巨大な獣人の影がゆらりと起き上がる。
今度はヘンリックが反撃を開始する番だった。
あの巨体の一体どこにそんな速度を出せる要素があるのか、と疑いたくなるような勢いで急加速するなり、メリーの間合いまで一瞬で肉薄。拳を握り締めるなり、ヘビー級ボクサーもかくやという勢いでラッシュを始める。
頭を傾け、上半身を逸らし、無駄な動作を省いてヘンリックの一撃を全て紙一重で回避するメリー。仕損じれば一瞬にしてその華奢な肉体は豆腐の如く砕け散ってしまうだろうが、しかし10年以上もの歳月を最前線で過ごし、自分とアニーの身に降りかかる火の粉を打ち払い、鉄火場をノリと勢いとライブ感で生き延びてきた彼女にとっては何のプレッシャーにも感じない。
それどころかメリーは、ヘンリックの攻撃を回避しながらこの後の予定を考えていた。
(明日日曜日ですし……どうしましょう。その辺の男でも漁りに行きましょうか)
容姿と普段の仕草から、メリーは「真面目で仕事のできる女」だとか、「アニーの冷静沈着な補佐役」と見做される事が多い。
それは決して間違っていない。実際に組織内での立ち振る舞いはその通りだし、真面目になるべき局面では愚直なほどに真っ直ぐで、仕事をきっちりとこなし成果を出すからだ。
だが素の彼女はというと……割とそうでもない。
頭の回転が速い切れ者ではあるものの、豊富な知識を持つが故に逆に面倒を嫌い、「楽だから」という理由で脳筋をやったりと、意外と適当なところがあるのだ。
それに加えて男を漁る悪い癖がある。
ちなみにだが、メリー的にはヘンリックはタイプではないようだ……金を積まれても彼と一晩、という事はないだろう。
右ストレート、左ストレート、右の回し蹴り。
格闘家のような洗練された動きではなく、ストリートファイトでのし上がって来たかのような、洗練という言葉とは程遠いヘンリックの攻撃を躱しつつ頭の中を一瞬だけ空っぽにするメリー。趣味の男漁りも一旦蚊帳の外に出すや、小波一つ立たないほどの落ち着きの中でタイミングを計る。
直後、スプリング刀が疾風の如く振り払われた。
ヘンリックの胸板に奔る刀傷。じゅう、と噴き出た鮮血が沸騰し、周囲に血の焼けるような悪臭が立ち込める。
今の一撃でヘンリックは悟った。
先ほどから、何故メリーの刀はこんなにも熱いのか。
(この女の斬撃……音速を超えているのか!)
【断熱圧縮】、という現象が存在する。
戦闘機が特にそうだが、音速を超えた物体―――主にマッハ3を突破すると起こる現象が断熱圧縮だ。いわゆる『熱の壁』であり、刀を振るう速度があまりにも速過ぎるせいで周囲の空気が圧縮され、熱を持ってしまうのである。
これによって刀は徐々にその熱を蓄積してしまい、最終的には赤熱化。対象を斬撃だけではなく熱による『溶断』も出来るレベルに達してしまう。
現時点でこの域に達している剣士は倭国の速河力也、市村範三などごく一部の使い手に限られている。
長年の鍛錬が生み出す灼熱の刃―――それがメリーの刀に秘められたトリックの正体であった。
「はっはっはっ、なるほどなるほど……そういう事かい」
「あなたもなかなかしぶといですね。さすがは”八艘飛び”」
「ハッ、俺もお前みたいな強い女に会ったのは初めてかもなァ。見くびって悪かったよお嬢ちゃん」
「あらあら、口説いてるおつもりですか?」
「ダメか?」
「お生憎様。少なくともあなたの前で股を開くつもりは微塵もございませんので」
「そうかい。じゃあ―――」
ぞわ、と身体中の毛が逆立つ感覚。
ギアを上げてきた―――メリーの本能が理解した直後、ヘンリックはおもむろに足元の地面を思い切り殴りつけた。
ぼごん、とコンクリートが大きく陥没したかと思いきや、そのコンクリートを突き破るようにして岩塊がさながら牙の如く、幾重にも隆起してきたのである。
土属性の魔術か、とメリーは一瞬疑った。土属性の魔術であればこのような現象を引き起こす事は容易である。しかし今のヘンリックから魔術の反応は一切感じなかった……加えて、アニーの調べ上げた情報ではヘンリックには魔術の適正など無い筈である。
(まさか)
信じられない事だった。
本人も狙っているかどうかは分からないが―――地面を殴り、その衝撃で地盤を刺激し簡易的ではあるが地殻変動を誘発したとしか考えられない。
本来であれば土属性の魔術を用いてやっと発生するべき現象。それを、己の腕力だけでなし得たという事だ。
隆起してくる岩塊を躱し、それを足場代わりにして疾駆しながら、メリーは改めてヘンリックの規格外な力に戦慄していた。
これほどの力を持つ者であっても、善良な人間であれば危害とはなり得ない―――しかし一番最悪なのは、これほどの力を持つ人間が邪悪そのもの、戦争という概念が服を着て歩いているかの如き思想に染まってしまっている事である。
「―――全身の骨をぶち折ってオモチャにしてやるしかねえなァ!」
地面に影が落ちた。
真上か、と身を捻り回避するメリー。右の拳を振り下ろしながら落下してくるヘンリックを回避する事には成功したが、しかしすぐ真下にある岩塊を直撃したヘンリックによって衝撃波が生じ、それに煽られる形でメリーの身体が吹き飛ばされてしまう。
「しまっ―――」
躱そうにも、躱せない。
空中であるが故に回避行動の一切が取れないのだ。
そんな無防備な彼女を、ヘンリックが放置するはずもなく……。
爛々と輝くヘンリックの双眸。それが放つ左の拳が、メリーの目の前まで迫った。
しかし、死は訪れなかった。
横合いから飛来した一発の銃弾―――.454カスール弾の精密極まる狙撃が、ヘンリックの二の腕を撃ち抜いていたのである。
「!?」
ヒグマなどの大型の猛獣へも大きなダメージが期待できる、大口径の弾薬である。そんな強烈な一撃がヘンリックに通用しないわけがなく、左腕の筋肉を削ぐように吹き飛ばされたヘンリックの拳は大幅に軌道を逸れ、メリーの頭1つ分ほど右を掠めて通過していった。
追撃として放たれた膝蹴りを紙一重で回避し、回転しながら岩塊の上に着地するメリー。バックジャンプしてヘンリックから距離を取りつつ、今の狙撃で窮地を救ってくれた仲間に視線を送る。
そこに居たのはやはり、彼女だった。
和服姿の倭国人の女性である。お淑やかな気品に満ち、しかしその視線はどんな逆境にも屈しないという芯の強さが垣間見えるほど鋭い。
その手にあるのはスタームルガー・スーパーブラックホーク。伝説的なリボルバー、コルト・シングルアクションアーミーをベースに製造されたスタームルガー・ブラックホークの構造を強化し、より大口径の弾薬の発射にも対応させた大型リボルバーだ。
女性が手にするには、あまりにもロックが過ぎる代物である。
「―――君死にたまふことなかれ」
清楚極まる声で述べ、彼女はメリーに向けて微笑みかける。
しかしそれも一瞬だった―――その視線が今度はヘンリックに向けられるなり、再び先ほどまでの鋭い視線が蘇る。
そこから先は、まさに電光石火の如き早業としか表現できなかった。
トリガーを引きっぱなしにしたまま左手で撃鉄を何度も起こす、西部劇のガンマンもかくやという速さのファニングショット。装填された.454カスール弾たちが4発も矢継ぎ早に放たれて、ヘンリックへと向かっていく。
恐ろしいのはそこからだった。
弾丸と弾丸が道中で衝突し、回避しようとしたヘンリックに対し先回りするかの如く方向転換を果たしたのである。
「!?」
それは銃の構造と強度、弾道、そして己の力量を正確に推し量っているからこそできる神業であった。
.454カスール弾の装薬量を自ら調整する事で弾速の速い弾と遅い弾を意図的に生み出し、それらをファニングショットで斉射。弾速の速い弾丸で装薬量が少なく弾速の遅い弾丸を後方から追突させる事で弾道を偏向させるという、さながら『弾丸ビリヤード』とも言える超絶技巧。
屈折するように曲がった2発の弾丸が、ヘンリックの脇腹と右の肩口へと吸い込まれていった。
「―――!」
馬鹿な、と食い縛った牙の間から鮮血を漏らすヘンリック。
その視線の先では、和服姿の女性はどこからかとんでもないものを取り出していた。
M202ロケットランチャー……4本の砲身を束ねた、口径66㎜の【4連装ロケットランチャー】である。
「―――君はとっとと死にたまへ」
被弾し回避もおぼつかないヘンリックに向かい、無慈悲にも焼夷ロケット弾が放たれる。
それも、4発も。
「むぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
絶叫と共に、ヘンリックは火達磨になった。




