紅い月が上る夜に
長い夢を見る(竜人語の言い回し)
竜人たちが用いる言い回しの1つ。日本語で言うところの『枕を高くして眠る』的な意味合いがある。ニュアンスとしては「安心して何時までも眠れる」といった感じであろうか。
使用例:ヘンリックが死んでくれたので今夜は長い夢を見られそうだ。
観測歴38000年 7月26日
浮遊大陸アルカディア
協商連合本部 エンジェルパレス
「ねえラウル、親に会ってみたいって思った事ある?」
「何だよ急に」
コンバットパンツにタンクトップ姿でソーキルの甲板を清掃していると、唐突にロザリーがそんな話題を切り出した。
皆今まで気を使ってくれていたようで、孤児院出身の俺の目の前では親の話題をあまり出す事がなかったし、過去について詮索する事も無かった。おかげで昔の嫌な事を思い出さずに済んだし、お互いに踏み越えてはいけない一線を引く事ができていたように思う。
主砲の砲身内部に清掃用のクソデカブラシをぶち込んで、砲身内清掃をしていたクラルテ、フルール、クロエの3人が「お前なんて事を」と言わんばかりの目でロザリーに抗議する視線を送るが、ロザリーも何も考えずにそんな話を切り出したわけではないようだ。
彼女との付き合いは長い。巫女としてやってきてくれたクラルテには悪いが、彼女よりも頭一つ分くらいは長い。まあ、出会ったばかりの頃はお互いに話している言葉が分からなかったからコミュニケーションが取れていたかどうかも怪しかったけれども……。
それでもお互いがどういう境遇なのかは知る事ができたし、将来を誓い合ってしまった仲だ。いつかは過去と向き合う事になるし、相手にも知っておいてもらう必要も生じてくるだろう。
それに第一、俺はそもそも親がいない事を気にした事はないし、コンプレックスにも感じた事はない。
あー、こんなご時世だし生活が苦しかったんだろうな……くらいの認識だ。ドルツで姥捨ての森というこの世の地獄、人間の醜い部分を見せつけられて猶更そう思うようになった。まだああやって森に仔を捨てるのではなく、孤児院にキッチリ捨てていくだけ温情だったのかもしれない。
だから両親の事は恨んではいない。というか、「居ないもの」と思っている。俺にとっての親はマチルダ先生で、もし仮に血の繋がりのある親がやってきたとしてもその言葉に聞く耳は持たないだろう。あんたたちは仔を捨てた、その瞬間に親と仔という関係は切れたのだ。その現実を突きつけ絶縁宣言くらいはしてやるかもしれないが。
そんな空気を感じ取って確信したからなのだろう、敢えて引いた一線を踏み越えてきやがった。
ただまあ悪い気はしない……死線を共に潜り抜けてきた仲間であるが故だ。これが初対面の奴だったら相手によっては殴ってる。
「ちょっと気になって」
「ふーん」
「ほら、私たちの両親と違ってラウルの親は生きてるかもしれないし、いつか再会するかもしれないじゃない?」
「んー……」
甲板掃除用のブラシを大型のバケツにぶち込み、バシャバシャと揺らして汚れを落としながら俺は少し考えて答えた。
「会いたいとは思わないし親とも思わないだろうけど……でもまあ、そうだな」
親、か。
そういえばまともに考えた事も無かった―――俺の両親ってどんな人だったんだろう。俺は父親と母親のどっちに似たんだろう?
「もし出会う事があったら―――俺を捨てた理由くらいは聞いてみたいな」
まあ、でも出会う事はないと思う。
いったいこの世界のどこに居るんだろうな。俺の親ってのは。
「ふぃ~♪」
やりきったような清々しい笑顔で額の汗を拭い去り、井戸から汲んできたバケツの水を一気に飲み干した。
カフリアでは飲み水ですら貴重だ。死ぬほど苦労して井戸を掘るか、その辺の川の汚れた水を飲むかの二択である。だからこうしてバケツ一杯分の清潔な水を飲めるこの国はまだ裕福な方なのだろう―――それを承知の上でなお、ヘンリックは振る舞いを改める事はない。
強者故の特権だからだ。
自然界において、ご馳走にありつくのは強者の権利なのである。狩りを成功させれば獲物の血肉を得る事が出来、失敗すれば空腹に苛まれながら荒野を彷徨うしかない。
だから綺麗な飲み水を堪能できるのも自分の権利なのである。
「おーう、まーた女とヤってたのかお前」
痺れを切らしたのだろう、相棒のイーライが部屋を訪ねてきては、薄汚れたベッドの上で衣服を脱がされ、身体を丸めて失神している獣人の女性を見るなり呆れたような顔をした。
食欲と闘争心、そして性欲はいつまで経っても衰える気配がない。闘争心については言うまでもないが、性欲に関しても相当なものだとイーライは思う。ヘンリックとは天地戦争末期からの付き合いだが、この男の性欲ときたら留まるところを知らないというのが素直な評価であろう。
戦場で解放した村や街の女性と肉体関係を持つだけでは飽き足らず、敵軍の女性兵士を生け捕りにしては収容所で、あるいはその場で犯す事も少なくなかった。もしもこの世界の人間がもっと理性的で、国際法を真面目に順守するつもりがあったのならば、ヘンリックもイーライも戦争犯罪人として絞首刑に処されていたところである。
「至近距離で手榴弾とバイクの爆発に巻き込まれたってのに、病み上がりでコレか」
「いやぁ、怪我の痛みに耐えながら抱く女もまた格別」
「この調子でいったら、世界人口の10人に1人はお前の血縁者になりそうだな」
向こうにもこの狂人の仔を身籠ってしまった女性はいったい何人いるのだろう、とふと思う。割と真面目に、世界中にヘンリックの血を受け継いだ子供がいるのかもしれない。
「そりゃあ面白そうだ……もし時間があったらソイツら世界中から集めてきて殺し合いをさせよう。どのガキが一番強いか興味がある」
「ハッ……余興としては面白そうだな」
これの怖いところは、ヘンリックは冗談でも何でもなく真面目に考えているであろう事だ。この男は基本的に冗談を言わない―――妥協ナシ、有言実行がこの男の行動の根底にある。
だからもし(そんな事はないだろうが)戦争に飽きたら、世界中から自分の子供を拉致してきて殺し合いをさせ始めるかもしれない。弱者は死んで当然、という思考回路なのだから死んだ子供には涙どころか一瞥すらくれてやらない筈だ。
「で、S&Dの動きは?」
「相変わらずだ。お前が遭遇した連中の他にも精鋭部隊が居るみたいでな、お前が遊んでる間にもセーフハウスが潰され続けてた。おかげでこっちの諜報網はズタズタだ」
ボロボロの上着に袖を通し、失神する女性を部屋に置き去りにしてヘンリックは外に出た。
今夜は満月だ―――血のように紅い月が、夜空に浮かんでは血に染まりつつあるカフリアの地を見下ろしている。
古来より満月は狼の友人であった。美しい月が出ている夜は狼の獣人たちの味方であり、故に狼の戦士たちは戦に負けぬという伝承も存在するほどである。
「進撃速度を落として編成を再編……なんて野暮な真似、しねえだろ?」
「当然だ」
テントの中、机の上にある地図に視線を落とす。部下から鉛筆を借りるなりヘンリックは地図の上に侵攻ルートを書き記していった。
レギオン『インフェルノ』の構成員の中にはまともに読み書きを習っていない人員も多い。親からまともな教育を受ける前に労力として、そして徴兵年齢に達するなり戦地へ放り込まれた者たちだ。だからインフェルノでは極力文字は使わず、誰にでも分かりやすいようイラストや記号で作戦説明をする。
「イーライ、お前にレギオンの全戦力を預ける」
「正気かい、そんな大役を」
「おうとも、作戦に変更はない」
ニッ、とヘンリックは笑みを浮かべた。
「お前はこの死にぞこない共と反政府軍を引き連れて予定通り首都ロロマへと向かえ」
「お前はどうする?」
「俺はヴィクトリア湖へと向かう」
まさか、という言葉をイーライは呑み込んだ。
ヘンリックの思考回路と現状、それからヴィクトリア湖に展開する勢力を考慮すればこの男がカフリアの湖で何をしようとしているのかは一目瞭然である。
この男は、本格的にカフリア大陸に火を点けるつもりなのだ。
ヴィクトリア湖―――そこにはレギオン最大手の一角、S&Dの大規模な拠点がある。彼女らはそういった拠点を世界各地に保有しているが、カフリアのヴィクトリア湖湖畔に存在する拠点はその中でも特に大きなものだ。
有史以来、民族対立や列強国に翻弄されてきたカフリアの地。その再開発を一手に引き受けているS&Dの影響力は計り知れないものだ。
万が一、カフリア地域の経済を支えているS&Dという支柱が崩れるような事があれば?
完全な崩壊とまではいかなくとも、紛争の煽りを受けて事業に修復困難な損害を受けるような事があれば?
S&Dの主導する再開発に依存しきっているカフリア諸国の経済基盤は極めて脆弱だ。少し揺るがしてやるだけで、それは根底から音を立てて崩れ去るだろう。
経済の崩壊による国民生活の壊滅―――そこからくる不満が限界を突破すればどうなるのか。それは人類の歴史を振り返れば明らかである。
それに、いずれはS&Dも潰す予定だ。
彼女らほど地上に介入せず、浮遊大陸でお高くとまっている協商連合も同じくである。
ミストルテインが崩壊し、今まで「6大レギオン」と言われていた影の支配者たち。彼らのパワーバランスが大きく変動し、実質的にS&Dと協商連合の2強となった今、その両者が万一崩壊する事になれば世界情勢に与える衝撃は計り知れないものとなるだろう。
無論、そのためには最強の転生者たち―――アニー・コーマック、ヴォイテク、そして頂点に君臨するミカエル・パヴリチェンコ全員の排除が必須となるのだが。
正直言って、ミカエルに関してはヘンリックですら挑むのは尻込みする。
あの小柄な女だけは得体が知れない。
ともあれ、今潰すべきはS&Dとその頭目、アニー・コーマックである。彼女もかなりの実力者であり、世界の裏側で暗躍してきたとも聞いている。
どんな相手であれ、「力」を持つならば相手にとって不足はない。むしろ真っ向からのぶつかり合い以外の戦い方もできるのだから飽きが来ないというものだ。
それにもちろん、戦略的な意味もある。
万一、このままインフェルノ率いる反政府軍が全戦力を以て首都ロロマに雪崩れ込むような事があれば、S&Dはあの手この手を使って側面から戦力の切り崩しにかかってくるはずだ。既に反政府軍の補給線は伸びきっており、ほんの少し刃を入れるだけでそのアキレス腱は容易く寸断されてしまうだろう。
もっとも、反政府軍は補給を占領地域での略奪に依存している面もある。万一補給線を寸断され兵站がズタズタにされてしまったとしても、その影響が前線に波及するまでには時間がかかるだろう。多少は持ちこたえられる筈だ。
もし仮に、ヘンリックが単独でS&Dの拠点に襲撃をかけたとしたのならば?
彼の力がどれほどの脅威か、S&D側も重々承知しているだろう。反政府軍の撃滅に用いる戦力を割いてまで、拠点の防衛にあたる筈である。
そうする事で反政府軍を側面から叩こうとするS&Dの増援を、一部とはいえ封じる事が出来る。首都攻略を目指すイーライも多少は楽ができるであろう。
「俺が連中と遊んでる間に、お前らは首都で好き放題やって来い。俺も楽しいしお前らも楽しい―――最高だろ?」
部下たちが歓声を上げた。
待ちに待った大戦争だ。世界を再び混沌に叩き落す序章が始まった―――興奮のあまり、空に向けて銃を撃ちまくる部下も現れる始末であるが、しかしヘンリックも誰も咎めない。
こうやって昂っている時もまた、楽しいのだ。
そのワクワク感を奪ってしまうなど野暮であろう。
「よーしお前ら―――地獄を作ってやろうぜ、このカフリアに」
イライナハーブをブレンドしたハーブティーの香りを楽しみながら、アニー・コーマックはヴィクトリア湖の湖面に映る満月を見下ろす。
まるで今までこの地で流れた血が凝固したかのように、どろりと紅く禍々しい満月だった。
古来より月は恐ろしい狼と結び付けられる。狼男がその最たる例であろう。こんなにも月が紅く、禍々しい夜には恐ろしい狼が姿を現すものだ。
ミカエルから贈られたイライナハーブティーのストックはあとどれくらいあったか、と頭の片隅でぼんやり考えている隣で、控えていたメリーが淡々と報告した。
「反政府軍はロロマに侵攻中です。侵攻速度に想定ほどの鈍化は見られませんね」
「そうね」
それもそうだろう―――連中は国際法という概念を知らないらしい。敵対民族への恨みを晴らすが如く、占領地では民衆からの略奪や虐殺が横行している。まるでそれこそが勝者の特権であると言わんばかりに。
カフリアの村落には大量の食糧や水の備蓄がある。過酷な自然をその備蓄で乗り切るためだ。占領地での略奪に依存しているのだから、後方の兵站に攻撃をかけたところでそうすぐには侵攻速度が鈍化する事はまずないだろう。
とはいえ諜報網はズタズタである筈だ。既に見積もったセーフハウスの6割を制圧、拠点間や部隊間の連絡体制を遮断している。紛争勃発初期のような素早い連携は出来ない。
ならば側面から反政府軍を叩いてやればよい。所詮は犯罪者と民兵の寄せ集め―――圧倒的火力を見せつけてやれば士気も容易く折れよう。
(―――相手が普通ならそうするわ)
しかし今回は違う。
レギオン『インフェルノ』―――その頭目はあのヘンリックだ。戦争を愛し、戦争に愛され、行く先々に戦乱と死体の山を築いてきた歩くジェノサイド。
その思考回路も根本的な部分から常人と異なるのだ。常識的な戦略判断で勝てる相手ではない。
ヘンリックとの激突が決定的となる前から、アニーは独自に収集したヘンリックの上方から彼の人物像や思考回路を徹底的にプロファイリングしていた。戦いに勝つにはまず情報を制しなければならない。相手の好物、嫌がる事、とにかく全てを知る。そこがスタートラインなのだと彼女は信じている。
どこまでも戦いを好み、戦乱を作り出そうとする男―――ヘンリック・アンデルセン。
その行動原理が「戦争を生み出し、楽しむ事」であるのならば。
あの男が次に現れる場所が首都ロロマである筈がない。
「メリー」
「はい、マム」
「―――”彼女”と一緒に防衛の準備を」
「他の者は」
「首都侵攻部隊への攻撃は予定通りに。むしろ拠点の防備は必要最低限で良いわ」
「はい、マム」
ヘンリックならば―――S&Dを奇襲するはずだ。
増援部隊の派遣を阻止するという戦略的判断もそうだが、それ以上に彼がS&Dとの全面戦争を望んでいるであろうから。
こんなにも紅い月が出ている夜は、恐ろしい狼が現れる。
湖面に映る月は、禍々しい光を放っていた。




