『夢見るクジラ』
ヴィクトリア湖を一望できる自室のソファに腰を下ろしながら、今や5大レギオンの中でも協商連合と並ぶ規模にまで成長したレギオン大手『S&D』の首領、アニー・コーマックはラジオから流れてくる音楽に聴き入りながら、ヴィクトリア湖の水面をぼんやりと眺めていた。
ソファの後方にある壁には、『眠っているクジラの背中で手を繋ぐ人々』を描いたS&Dのエンブレムがある。
正直言って、あの協商連合とミストルテインの紛争で一番得をしたのは彼女率いるS&D―――正式名称『サバイバーズ&ドリーマーズ』である、という自負があるし、それは揺るぎようのない事実だった。
S&Dの拠点がこのヴィクトリア湖と”とある浮遊大陸”に存在する事もあり、周辺のカフリアの国々や浮遊大陸方面では強い影響力を持つS&Ⅾ。天地戦争で荒廃したカフリア地域の開発事業で影響力を確たるものとした彼女たちは、更に先進技術の商業転用で勢力を拡大した経緯がある。
では浮遊大陸ではどうかというと、こちらは『反体制的な浮遊大陸』で大きな影響力を持っていた。特に戦時中の大陸落としを「生活圏の縮小」として真っ向から反対していたり、そもそも天地戦争を「大儀なし」として不参加を貫いていた浮遊大陸など、竜人たちも一枚岩ではないのだ。
そういった浮遊大陸の住民を味方につけ、更には戦後になって故郷を大陸落としに使われ帰る場所を失った帰還兵なども組織に吸収しており、組織の人員は獣人だけでなく竜人も数多く含まれている。
反体制派の浮遊大陸で活動していた事から、体制側のミストルテインとは上手い具合に”棲み分け”ができていたのだが、例の協商連合との一件でそれも考慮する必要がなくなった。
ミストルテインの規模縮小に伴って行き場を失った人員や浮遊大陸、港湾施設、保有艦艇の一部などを接収した事で、S&Dの規模は更に大きく膨れ上がったのである。
漁夫の利、という奴だ。
今でこそミストルテインが落伍し「5大レギオン」などと言われているが、実質的には協商連合とS&Dの二極化となっている。そしてその両者はこれといった敵対関係にあるわけでもなく、むしろ分野次第では業務提携も行っている事から関係は良好であり、レギオン情勢はひとまず安定期に入ったと考えていいだろう。
労する事なく巨大な利益を得た―――勝者の1人とも言えるアニーだが、しかしその表情は険しいままだった。
「繰り上げでの序列3位就任おめでとうございます、マム」
すたんっ、と天井から降りてきた竜人の巫女―――”シスター・メリー”の突然の登場に、しかしアニーも慣れているからか眉一つ動かさない。彼女も実は転生者で、前世の世界ではどこかのくノ一だったのではないか、と冗談っぽく考えている間に、メリーは淡々と要件を話し始めた。
「1ミクロンも嬉しくないわよ、何なのこのクッソ要らん棚ぼた」
「しかしまさかゴドフロワ殿がやられるとは」
「……そうね」
「それはそうと、バンザビア情勢が悪化の一途をたどっています」
「レペレ大統領は?」
「首都で指揮を執っています。反政府軍に対し徹底抗戦の構えを見せていますが、正直言って旗色はかなり悪いかと」
「そう」
アニーの顔が険しい理由はそれだった。
唐突にバンザビアで始まった内戦―――発端は少数民族の子供が政府軍の兵士に誤って射殺された事であるが、それ以前からおかしな動きはあった。
少数民族、特に今の政府を構成する民族たちに土地を奪われ、追いやられていた歴史を持つ民族たちの中に『祖先の大地を取り戻そう』という、一種の報復に近い思想が芽生え始めたのである。
転生者であるアニーも、前世の地球の世界情勢くらいは頭に入っている。多民族国家において少数民族が反旗を翻す事例は確かに存在すると言っていい。しかし今回のケース―――バンザビアの少数民族たちが土地を追われたのは、少なくとも1万年以上も昔の話である。
複数の文明を跨いだ話だ。記録も満足に残っておらずあやふやで、それ以上につい一週間前まではそのような復讐心が持ち上がる事など全くなかった。少数民族たちは他の民族たちと手を取り合い、バンザビアの発展と約束された繁栄を謳歌して平和な日々を過ごしていたのである。
それが、たった一週間でこれだ。
何者かが両者の憎悪を煽っている……そうとしか考えられない。
「ORCAからの報告は?」
「二ヵ月前からバンザビアに外国の傭兵の出入りが確認されています。少数民族と多数民族の分断が決定的になった時期とも符合しますし、その時期を境に少数民族側のメディアに多数民族との分断を煽るような文言が確認されています。紛争を煽っているのは彼らと見て間違いないでしょう」
「……そう」
ORCA、通称『オルカ機関』。
レギオンS&D―――サバイバーズ&ドリーマーズは、他のレギオンがそうであるように複数のギルドの集合体である。いや、彼女たちの場合は統率が取れ過ぎているあまり、複数のギルドというよりはもはや「部署」と言っても過言ではないレベルだ。
ORCAもそのうちの1つである。
S&Dの誇る諜報部門であり、平時、有事問わずS&Dの活動を利する情報収集を絶えず行っている。盗聴、通信傍受はお手の物であり、協商連合とミストルテインの間で勃発した『カッパドキア紛争』の際も常にアンテナを張っていた事で知られている。
なお、ORCAとは【Organization of Reconnaissance for Contract and Assault(契約及び暴力のための偵察組織)】のバニクロムであり、S&Dのエンブレムにも採用されているクジラの天敵たるORCAのエンブレムが採用されている。
「それとORCAから。精査前の未確認情報ですが」
「ん」
スマホに送られてきたデータをタップしてファイルを展開するなり、アニーは目を細めた。
画像ファイルには大柄な獣人男性の後ろ姿が映っている。アニーやミカエル、ラウルのように人間にケモミミと尻尾が生えただけのようなタイプのいわゆる『第二世代型』の獣人ではなく、獣が二足歩行で歩いているような、より動物的な形態が外見的特徴となる『第一世代型』の獣人であった。
身に纏う衣服は軍服である事が分かる。天地戦争中、獣人側の勢力である『統一獣人戦線』に広く普及されていた軍服だ。その上にカーキ色の外套を纏った姿なのだろうが、数多の戦場を渡り歩いてきたが故なのだろう。いたるところに穴が開き、擦り減り、もはやぼろ布も同然だ。暗闇で目にすれば兵士というよりは天地戦争の亡霊のように見えるかもしれない。
何より、見覚えのある顔だった。
「……コイツ、まだ生きてたんだ」
天地戦争の英雄―――ヘンリック・アンデルセン。
”皆殺しのヘンリック”、”八艘飛びのヘンリック”、”鉄拳のヘンリック”。徴兵年齢に達した彼が天地戦争という地獄に参戦してから、その身には常にいくつもの異名がついて回った。筋骨隆々の体格と、スラムでの喧嘩で自然に鍛え上げられた戦闘スタイル。魔術にも錬金術にも恵まれなかった獣人の彼は、しかしその拳一つで戦場を渡り歩き数多の死体の山を築き上げた。
最も有名なのが天地戦争末期、最終決戦となったメルキアの戦いである。生身で8隻の空中戦艦を墜落に追い込んだ『八艘飛び』は今なお語り草となっている。
ノヴォシア共産党は彼に第一級人民英雄勲章を授け、戦争の英雄として祭り上げたそうだが―――三度の飯よりも戦を好む狂人が、そんなメッキの勲章で満足するはずがない。
その後は数多の紛争地帯を転々としていたのだろう。ORCAの報告では、カッパドキア紛争でミストルテインが協商連合に戦いを挑んだ理由の1つがこの男に唆されたからである、というものまで存在しているが定かではない。
いずれにせよ、この世界で最も危険で、最も邪悪で、最も死んだ方が世のためになるであろう世界の癌細胞ことヘンリック・アンデルセン氏(40)がその矛先をカフリアへと向けてきた―――つまりはそういう事なのだろう。
何と面倒な事か。狂人の戦争ごっこに付き合っていられるほど、アニーも暇ではないのだ。
彼女には彼女としてなし得なければならぬ大義がある。
「彼が率いているレギオン”インフェルノ”は、ここ数年で規模を拡大しつつある勢力です。テロリスト、危険思想者、戦争犯罪者……そんな連中が集まっています。さながら死刑囚の百鬼夜行みたいなもんです」
サングラス越しに、アニーは目を細めた。
そんな連中が、彼女らの”庭”を荒らしている。
大国が攻めてきたとか、大手レギオンが紛争を吹っ掛けてきたというのならばこんなにも胸糞悪くなる事はないだろう。それはそれで威勢があってヨシ、見ていていい気分にもなる。
しかし―――平和な日々が続き、争う必要もなかった民族に不要な分断を招いて紛争を起こし、あまつさえS&Dの勢力圏でデカい顔して好き勝手に暴れられるともなれば不快の極み。いくら他所の子供だとて、自分の家の庭を勝手に荒らし回っていれば引っ叩きたくもなるというものだ。
そしてそれが、ただ一人の戦争志望異常中年男性によって引き起こされているともなれば、一刻も早く取り除く以外の選択肢はない。
「メリー」
「はい、マム」
そっとアビエータースタイルのサングラスを外し、ソファから立ち上がるアニー。
普段は猫背である事もあってそれほど大きくはないが、背筋を伸ばすと思ったよりも背の高さに驚かされる―――アニー・コーマックとはそんな不思議な女であった。
サングラスの向こうから現れた彼女の目は―――言うまでもなく、本気である。
「潰すわよ、コイツらを」
「イエス・マム」
(んで、俺らがアサインされたと)
ふぁー、と大きなあくびを一つ。
カフリア情勢が混乱の一途を辿っているせいで、安物のスナックを齧りながらソファに横になり、低予算のB級映画を流し見するという贅沢な日曜日が台無しだ。が、この程度の事ならば日常茶飯事。計画とは往々にしてその通りに行かないものである。
フライヤー72の助手席に座るS&Dの兵士―――”アウルス”は食べかけのチョコバーを口の中へと押し込んで、車内に備え付けてあるゴミ袋の中に包み紙を放り込んでからゴーグルを装着。戦闘準備を整えた。
これから忙しくなるんだろうな、と思いながら停車したフライヤー72から降車。フォアグリップとドットサイト、ライトにサプレッサーを装着したMP7A2を構えるや、他の兵士たちと共に建物の中へと足音も立てずに忍び込んでいく。
相手が訓練された兵士ならばもっと困難だっただろうが、しかし所詮は犯罪者まがいのテロリストだ。いつ敵が攻めてくるかもしれない、という想定をしているとは思えないほど警戒感ゼロのセーフハウスの部屋の中ではボロボロのソファにどっかりと腰を下ろし、成人向けの雑誌を読み漁っている男が1人。
アウルスの剛腕が大蛇の如く絡みつき、その首の骨をねじ切るその瞬間まで、男は自分の身に何が起こったのか理解する事なく地獄に落ちた事だろう。
雑誌を男の顔にかぶせ、『Ad inferos abi, nebulone(地獄に落ちろ、クソッタレ)』と吐き捨てた。
別の小部屋ではカッティング・パイの要領でクリアリングしていた仲間の竜人の兵士が敵性戦闘員をMP7で射殺。ベッドショットで物言わぬ肉塊へと変えているところだった。
突入した兵士たちは皆、アウルスの竜人軍時代の軍人仲間である。
彼らの故郷は大陸落としで失われた―――記録上、最後に行われたポルスキー共和国首都ワルハワへの大陸落とし。その際に用いられ失われた浮遊大陸こそが、アウルスたちの故郷だったのである。
戦後、故郷へ帰還する事も出来ず、自分たちの生まれ育った故郷すらも兵器にしてしまうメルキアの皇帝に対する不信感はそれだけで限界に達した。
今、共に戦っている戦友たちも彼のツテでS&Dに参加した元竜人軍の兵士たちである。
3人、4人と手にかけたところで、セーフハウスにいるインフェルノの連中もやっと敵襲に気付いたらしい。いったいどこから引っ張り出してきたのか、銃身を切り詰めた粗末な水平二連式散弾銃(しかも撃鉄が突き出た”有鶏頭”と呼ばれる古いタイプだ)を取り出して滅茶苦茶に散弾を放ってくる。
1発、2発。
くそ、くそ、と悪態をつく男。しかしそれ以上、口汚く罵るような悪態は続かなかった。
4.6×30㎜弾が男の眉間を撃ち抜いて、その命を終わらせたからである。
素早く駆け寄り追加で心臓にも2発叩き込むと、仲間の”アグリッパ”がセーフハウスの制圧を宣言した。
「クリア。んで隊長、お次は?」
「記録は全部回収、終わったら全部燃やせ。とっとと次行くぞ」
「へーい」
ここだけではないのだろう。
平和な国を短期間のうちに紛争地域へと変貌させる―――そのためには入念な下準備があった筈だ。
竜人たちには「雑草の根を取り除かない限り、雑草は何度でも生える」という諺がある。何事も問題の根源を取り除かない限り、根本的解決には至らないのだ。
今はとにかく、潰すしかない。
インフェルノの連中がまいた種と、そこから出た芽を。
手当たり次第に。




