笑顔の絶えない素敵な戦場
観測歴37965年 6月16日
ヘンリック 5歳
『おい、クソガキ』
痣だらけになった少年の髪を鷲掴みにして、狼の獣人は吐き捨てるように言った。
『てめえも母さんもそうしてこんなに殴られるか、分かるか』
死んだ魚のような目で、前に立つ男の顔を見上げた。彼にとってそれは恐怖の対象で、家庭では絶対的な権力の象徴で、自分も母も逆らえない存在だった。
仕事を終えて(どんな”仕事”をしているのかなど知りたくもない)酒瓶片手に帰ってくれば、いつもこれだった。母と自分に難癖をつけては殴る蹴るの暴行が当たり前。一度は母と共に祖父母の家に逃げようとした事もあったが、母の実家が天地戦争中の大陸落としで跡形もなく消え失せた事で、親類を頼る事も出来なくなってしまっている。
逃げ場など、どこにもなかった。
ここは彼にとって―――幼き日のヘンリック・アンデルセンにとって、家庭という名の牢獄だった。
『それはな、てめえらが弱いからだ。弱いから悪いんだ。弱いからこうやって殴られるんだ』
それが父の口癖であった。
弱いから殴られる。弱いから奪われる。
父の暴行に耐えかねた母がその3年後、首を吊ったのを境に、ヘンリックは悟った。
弱いから悪いのだ。
奪われたくないなら、強く在らねばならない。
他を圧倒する強さを―――理不尽なまでの暴力を。
首を吊り、暗い部屋の中で力なくぶらぶらと揺れる母の前で、幼き日のヘンリックは誓った。
暴力を屈服させるための暴力を、と。
第九章 暴力の、暴力による、暴力のための戦争
父を殺したのは何年前だったか。
今年で40歳になるヘンリックは、ふと先ほど仕留めた鹿の肉を生で齧りながら思い耽る。徴兵年齢である17歳に達するなりすぐにヘンリックは兵士に志願した。そうだ、あの時だ。軍に志願して荷物をまとめに家に戻った際、ついでに父を殺したのだ。
幼少の頃はあんなに大きく見えた父は、老いさらばえたのもあって弱々しく見えた。昔のように威張らなくなった事だけは評価してやっても良かったかもしれない。強いのが正義で弱いのが悪、というのが父の持論だ。毎日のように喧嘩に明け暮れ、スラムで年上の少年を殺すようになってからヘンリックは明らかに父親よりも強くなっていた。
一発殴ると父はすぐに命乞いをしてきた。でも殴るのが楽しくて、あれだけ散々虐待してきた父親を虐げるのが楽しくて楽しくてたまらなかったから、ついつい動かなくなるまで殴ってしまった。
死体は今頃どうなっているだろうか。とりあえず適当に庭に埋めたから、誰かが掘り起こせば骨の一本くらいは見つかるのではないだろうか。
誰に何と言われようと、あれがヘンリックなりの親孝行であった。育ててもらった怨返しである。
鹿肉を食い千切り、内臓に喰らい付き、骨をも噛み砕いて咀嚼するヘンリック。焼いた鹿肉も良いが、やはり食べるならば生に限る。特に先ほどまで生きていた痕跡が生々しく感じられるくらい、血が温かいと最高だ。「生きよう」という相手の執念とそれを屈服させた暴力の香りほど極上のスパイスは外にあるまい。
暴力と酒と女。それさえあればヘンリックは生きていけるのだ。
そして今、この大地は暴力の臭いに満ちている。
食事を終え、ヘンリックはゆっくりと立ち上がった。
身に纏うのはかつての天地戦争時代、統一獣人戦線の兵士に支給されていたオリーブドラブの軍服、その成れの果てだった。よく見れば標準的な戦闘服である事が分かるが、度重なる戦闘でそれは擦り切れており、ボロボロになった外套を纏っている事もあってさながら天地戦争の亡霊のようにも思える。
―――戦争が恋しい。
あの頃を思い出しながら、ヘンリックは草原の中を歩いた。ゾウの群れを追っていたライオンが唐突に向きを変えてヘンリックに襲い掛かってくる。恐ろしい唸り声を発しながらスポーツカーもかくやという速度で突っ込んでくるライオン。今まさに飛びかかり、その喉笛に牙を突き立てようとしたところで―――野生の勘が声高に叫ぶ。
―――コイツと戦ってはならない、と。
しかしもう、何もかもが遅かった。
本能的に恐怖を感じたライオンが身を引こうとした頃には、その眉間にヘンリックの右ストレートがめり込んでいたのだから。
身長2m、体重180㎏に達するヘンリックが繰り出した右の拳は風を切る音を発しながらライオンの眉間を捉えるや、その衝撃を余す事無くライオンへと叩きつけた。
無造作に放った一撃ではあったものの、それでも頭蓋を叩き割り、奥にあった脆弱な脳味噌を粉砕するには十分で、そんな一撃をもろに受ける羽目になってしまったライオンは白目を剥いて崩れ落ち、もう二度と動かなくなる。
「あーつまんねえ」
逃げていくメスのライオンたちを目で追いながら、ヘンリックは心の底から湧き上がる退屈さに苦しんでいた。
こんなもの、”闘争”とすら呼べやしない。
彼はあくまでも暴力を、戦争を心の底から愛しているのであって、一方的な殺戮を好んでいるわけではないのだ。こうやって殴っても相手が殴り返してくるからこそ「生きている」という実感が湧くし、抵抗する相手を屈服させるという達成感も生じるのである。
こんな一撃で死んでしまうような相手との戦いは望んですらいない。
「この程度で死ぬんじゃねえよクソが。何が百獣の王だボケ。ただのでけえ猫だろこんなん」
吐き捨てながらしばらく歩いた。
木陰で寝そべりながら、その一部始終を見つめていたサーベルタイガーと目が合う。この世界ではサーベルタイガーに代表されるように、既に絶滅した動物も生息しているのだ。無論そういった絶滅した動物の獣人たちも存在する。
歩くこと数分。クライアントの住む村への旅路を進んでいると、後方からブロロロ……と車のエンジン音が近付いてくるのが分かった。
振り向きもせずそのままヒッチハイクするなり、銃を持った兵士たちを乗せたピックアップトラックは彼の右隣に停車した。運転席からはジャカジャカと喧しい曲が流れており、所々塗装の剥げ落ちたオンボロの倭国製ピックアップトラックにはカフリアの言語で何やら殴り書きがされている。
スローガンなのか、それとも他の民族に対する怨嗟の言葉なのか。言語の意味が理解できないが故に、未知の言語は単なる”模様”でしかない。
「ようボス」
「イーライ、様子はどうだ?」
スミロドンの第一世代型獣人、”イーライ”と呼ばれた男は獣人用のサングラスをくいっと指で持ち上げながら笑みを浮かべた。サングラスの下から現れた蒼い瞳はすっかり戦争の狂気に濁り切っており、少なくとも日の当たる世界でまともに生きてきた人種ではない事がそれだけで分かる。
「やべえよ、そろそろ戦争が始まる。早く行こうぜ」
「そいつぁたまんねえな♪」
乗りなよ、と告げるなり助手席に乗っていた若手の獣人兵士が席を譲った。彼が荷台に乗るのとヘンリックが助手席に腰を下ろす(180㎏もあるので車がちょっと左に傾いた)。
重量オーバーギリギリになりながらも発進するピックアップトラック。動物たちの住む草原が遥か後方に遠ざかり、樹々が生い茂るジャングルの近くを通りかかったところで、車のラジオが政府のプロパガンダ放送を拾った。
《Taifa letu halitawahi kujisalimisha kwa wasaliti wanaopanga kuipindua serikali. Wasaliti hawa wasio na haya siku moja watainama mbele ya nchi kubwa ya Kafria na uzalendo wetu(我が国は、国家転覆を目論む反逆者には決して屈しない。恥知らずの反逆者たちはいずれ偉大なるカフリアの大地と、我々の愛国心の前にひれ伏すだろう)》
「いいねぇ。俺こういうプロパガンダ放送好き」
「分かる。このおカタい感じがこう、そそるんだような」
「そうそう! 如何にも”戦争始まりまっせ!”みたいな感じでさ!」
「修学旅行前夜みたいだぜぇ……あるいはアレだ、娼館とかで娼婦の部屋に案内される前みたいな」
「おー的確な例えだな! さすが俺の相棒だイーライ!」
ジャングルの入り口へと入っていくと、やがて停車している車列が見えてくる。
いずれもが中古の車ばかりだ。先進国ではカタログ落ちしているような旧式車の車列。いずれもがナンバープレートが取り外されていて、ピックアップトラックには水冷式の重機関銃や迫撃砲が据え付けられているのが分かる。
いわゆる”テクニカル”だ。実際の紛争地域でも戦力化が容易い事などから、こうした車両に機関銃を据え付けて即席の戦闘車両にする事がある。
どの車両も太陽と鉈が描かれたオレンジ色の旗を掲げていた。
【バンザビア民族解放戦線】―――いわゆるバンザビア政府の転覆を目論む反政府勢力である。
以前までのバンザビアは、大手レギオンの一角【S&D】による支援とそれに伴う雇用の創出により国内情勢は安定しており、内紛など起こる兆しは全くなかった。民族同士に多少の対立はあれど、選挙によって選ばれた”レペレ大統領”の下に結束し、安定した経済圏を構築していたのである。
情勢が悪化したのは、つい最近の事だ。
ここまで焚きつけるのには苦労した―――ヘンリックはこれまでの努力を振り返りながら、感慨深そうに反政府勢力の車列を見渡す。
まずはバンザビアの歴史を調べ、民族の歴史と文化を調べ、最も立場の弱い民族に取り入った。安定した国内情勢ではあれど、古来より土地を奪われ搾取されてきた弱小民族―――その胸の内にはいつか祖先の土地を奪い返そう、という野心が燻っていたのである。
そこまで至ればあとは簡単だった。彼らの負の歴史を理由に復讐心を煽りつつ世論工作を仕掛け、仕上げにその民族の子供が政府軍によって誤って殺されたという茶番劇を繰り広げる事で、彼らに蜂起を促したのだ。
笑いが止まらなかった。
昼寝していた政府軍の兵士から制服を奪い、その制服姿で子供一人を殺しただけで、復讐心は油の海に落とされたマッチのようにあらゆる民族へと燃え広がっていったのである。
政府が必死に火消しを行っても、もう遅い。いくらバケツで水をかけたところで油田火災は消せないのだ。
『Kifo kwa mtawala dhalimu!(暴君に死を!)』
『Kifo kwa Rais!(レペレに死を!)』
銃や刀剣を振り上げ、反政府軍の兵士たちが口々に叫ぶ。
統率のない雄叫びに過ぎなかったそれは、やがて統率の取れた大合唱へと変わっていった―――暴君に死を、レペレに死を。哀れな子供の魂に救済を、と。
ダメだ、笑いが止まらない。
その”哀れな子供”を殺した男が今、何食わぬ顔でここに居るというのに。
誰も気づかない。
これが全て、仕組まれた戦争である事に。
指揮官の演説が終わったところで、兵士たちを乗せた反政府軍の車列が動き出す。それに合わせてイーライがアクセルを踏み、ヘンリックたちの乗るピックアップトラックを進ませた。
集合場所を離れたところで、ギルドの若手メンバーが反政府軍の旗の隣にヘンリック率いるレギオンの旗を掲げた。
火達磨になった骸骨のエンブレムが描かれた、禍々しい黒い旗。
レギオン【インフェルノ】―――それがヘンリックの率いる、殺戮の軍団の名だった。




