孤独の森から楽園へ
艦尾の格納庫のハッチが開いた。
7月下旬―――夏真っ盛りだというのに、流れ込んでくる空気は冷たい。夏だろうと春だろうと関係なく空の上は寒いものだ。だから艦内には季節を問わず、防寒用の装備が常設されている。
酸素マスクのフィルターから白い息を吐き出しながら、パレットを固定している金具のロックを解除した。OK、とクラルテに向かい親指を立ててパレットを離れるや、手元のレバーを引くクラルテ。唐突にパレットに取り付けられていたボックスからするすると落下傘が伸び、荷物を載せたパレットはその空気抵抗を受けて格納庫の外へと引っ張り出されていく。
絵具や絵筆、その他の画材20㎏……ミカエルから頼まれた荷物を満載したそれが、神聖グラントリア帝国領ブラウゲナウ・アム・インの一角にある民家の近く、ちょうど裏手に広がる草原へと降下していった。投下地点の指示に使う発煙筒のすぐ近くではなんか歴史の教科書で見た事がある独裁者っぽい若者が大きく手を振っている姿が見える。表情までは分からないが、きっと笑顔を浮かべているに違いない。
願わくばこの世界のアドルフ・ヒトラーという青年が、独裁者の道ではなく画家の道に進んでくれる事を願うばかりである。
ハッチを閉鎖する寸前、ソーキルの進行方向から見て左舷を2隻の空中強襲揚陸艦が通過していった。黒い船体の側面には天秤と剣、そして広げられた天使の翼を象ったエンブレムが描かれている。
協商連合所属の強襲揚陸艦だった。
姥捨ての森を離脱する俺たちと入れ違いで、続々とドルツ入りした艦たちだった。民間用のタンカーを改装したそれの艦内には無数の戦闘人形兵やドローン、戦車に装甲車が満載されている。
既にミカエルは、ドルツ皇帝ヴィルヘルム12世から軍事行動の許可を取りつけていた。あれは姥捨ての森に蔓延るゾンビを殲滅するための掃討部隊なのだ。
さすがにあれだけの規模のゾンビを(アノマリー込みで)撃滅するのは冒険者には荷が重い。しかしかといって軍隊を動かせば目立ってしまうし、竜人たちに「なんだなんだ再戦か?」と思われてしまうのも拙い……となっていたところでミカエルが協商連合を売り込んだのだそうだ。「ウチなら損害ゼロで殲滅できまっせ」と。
食料・経済支援に重ねてゾンビの殲滅という大きな貸しを作ったわけだ。アイツの政治的な立ち回りの狡猾さには毎度脱帽である。
そうやって後ろ盾となってくれる国家を増やし、今後のレギオンの地位を確固たるものにする―――ミストルテインが事実上崩壊した今、5大レギオンの中で急成長を遂げているのは協商連合とS&Dの大手2つである。実質的にこの双璧を成す2つのレギオンが軍事的・経済的影響の大きなレギオンと言っても過言ではないだろう。
加えて両者とも特に対立したり火種を抱えていたりという事もなく、むしろ分野によっては業務提携をしていたり技術交流が盛んだったりと、なんだかんだで上手くやっている。
だから今のところ、少なくともレギオンの間では特に問題はない―――あるとすれば国家間、種族間での問題だろう。
「ミカエルさんも上手く立ち回られていますね」
「……ああ」
こうしてヒトラーという人間を画家の道に進ませる事で最悪の独裁者を生む未来を変える。これが第一段階だ。
仮にヒトラーが生まれなかったとしてもそれに相当する独裁政権が誕生してしまう恐れがある。ドルツ国内の国民の不満は、ハイパーインフレや食糧問題で最高潮に達しているからだ。そこで協商連合が経済にテコ入れをしつつ、イライナという”世界のパンかご”に食糧・経済支援をとりつけそれを皇帝の功績とさせる事で国民の支持を高め、独裁政権の芽を根こそぎ摘み取る。
もしパラレルワールドだとか、運命を管理している女神様がいるとしたらミカエルはまさに不倶戴天の敵であろう。
「知ってるか、クラルテ」
「何です?」
「……過去を変えても未来は変わらないんだそうだ。結局、新しいパラレルワールドが生まれるだけで」
「もしその理論が正しいのだとしたら、ミカエルさんはとてつもない数のパラレルワールドを生み出している事になりますね」
神様も大変だ。
そのうち過労死しないか心配になりながら、ハッチ閉鎖のレバーを倒した。
いい加減、気流結節点の突破にも慣れた。
船体の軋む音と風の音が遥か後方に遠ざかる。艦橋の窓の向こうには北海道くらいの面積のクソデカ浮遊大陸【アルカディア】の威容が広がり、人口520万人にものぼるその大陸を、光の輪が抱きしめるかのように幾重にも取り囲んでいる。
あれは一種の結界で、あれが生じる特殊な力場のおかげで高度3500mでありながら地上と変わらない重力と気圧、気温、酸素濃度を維持しているのだそうだ。だから低酸素状態に苦しむ事もないし、紫外線も気にしなくていい。地上で暮らす時と何も変わらない生活を送る事ができるのである。
イージス・アショアが設置された浮遊島と浮遊ブイの間を通過し、ドルツでの魔女確保作戦に参加したソーキル、カナレイカ、チャイカ、トキの4隻がゆっくりと浮遊大陸へと降り立っていく。
アルカディアは大陸中心部に行くにつれて勾配が生じており、その”山頂”ともいえるエリアに協商連合の本部が存在しているのだ。
白亜の城のようにも見える荘厳な巨大建造物―――協商連合本部【エンジェルパレス】。
「天使の宮殿」の名の通り、確かに背中に羽を生やし頭に光の輪を頂く天使が住んでいそうな場所だ。まあ、実際住んでいるのだが……多くの人々を安寧へと導いた、ロリケm……ゲフン、ハクビシン獣人の姿をした守護天使が。
「エンジェルパレスより入港許可出ました」
「トキを先行させろ。あっちには大事な積み荷が……」
「ゲフン!」
「あー……」
レディーに向かって”積み荷”とは何か、と鋭い視線を向けながら咳払いするクラルテ。通信士の席に座る彼女の視線に気圧されたのだろう、見た目は荒々しいヒグマのヴォイテクがテディベアみたいに小さく見えた。
「えーとその、アレだアレ。ご婦人がお乗りあそばされてる」
「了解」
だってよ、とクラルテの方を振り向くと、既に彼女はトキに先に行くよう通達しているところだった。
ごう、とソーキルの上を通過するトキ。なんだか俺、初めてここに来た時から色んな仕事でトキの姿を見てるような気がするんだけど、もしかしてあの艦ってここのレギオンにかなり酷使されてたりする?
輸送船やって空母やって爆撃機の真似事されて、今回は強襲揚陸艦ときた。あの艦に出来ない仕事なんてないのだろうか。
優秀な操舵手が乗っているのだろう。コンテナユニットの増設で重心も変化しているだろうに、それでもふらつく素振りを一切見せずにトキはエンジェルパレスの発着場へと降下していった。
カナレイカ、チャイカの2隻もソーキルの下を潜るように通過して、それぞれの発着場へと降下していく。
「トキ、チャイカ、カナレイカの並ぶ姿は壮観だなぁ」
腕を組みながらヴォイテクが言う。
「よし、我がソーキルもあの隣に着陸だ」
「了解です」
そりゃあ重巡3隻に軽空母1隻という強力な艦隊だからな、俺ら。
レシプロエンジンのポッドの向きをオスプレイのメインローターみたく偏向、ホバリングするような挙動でふわりと降り立つソーキル。すかさず整備士たちが整備用ドローンを艦の周囲に飛ばして装甲の強度や損傷の有無などを走査し始める。
エンジン停止、とヴォイテクが命じる声を聴きながら、さてこれからどうなるのか……と思いを巡らせる。
イライナとの仲介を行い支援を取り付けたばかりか、ゾンビの掃討まで買って出た協商連合。これで新たに協商連合の後ろ盾にドルツという軍事大国がめでたく加わるわけだが……。
ミストルテインが斃れ、世界のパワーバランスは大きく変わった。
先の見えない不安……しかし今は、それでも進むしかない。
粛々と、毎日を生きるしかないのだろう。
きっと。
向日葵の咲き乱れる花園。
花々の間を飛び交う蝶と小鳥たちの囀り。
暖かな陽気―――ひとたび足を踏み入れ、空気を胸いっぱいに吸い込むだけで、ここが誇張抜きに「楽園」なのだという事が分かる。
32000年―――気の遠くなるほど永い永い時間の中、外界との接触を避け、外部の人間を信じず、ゾンビの蔓延る森の奥深くで息を潜めて暮らしていたエンゲルの一族にとって、浮遊大陸アルカディアで感じる太陽の光はあまりにも眩しすぎた。
子供たちが花畑へと駆け出していく。蝶を追いかけたり、早くも他の子供と駆けっこに興じたり。お菓子の家の中ではできなかった、広大な土地を使って全身全霊で遊ぶ姿は何とも微笑ましくて、陽の光に目を覆いながらもティアナは笑みを浮かべた。
「初めまして、ティアナ・エンゲルさん」
全く気配がしなかった―――”いきなり現れた”としか言いようがないほどの気配の出現と少女のような声に振り向いた先に居たのは、長身で蒼い髪の竜人メイドを従えた小柄な獣人の少女だった。黒髪の一部が白く、すらりとした体格をしている。傍から見れば彼女が保護していた子供たちと同じく幼女にしか見えないが、やけに大人びた雰囲気を放っている。
「あなたは?」
「私はミカエル・パヴリチェンコ。ヴァシリーから名前は聞いている筈です」
「あなたが……」
ミカエル・パヴリチェンコ。
オークの身体で生まれたヴァシリーの肉体を文字通り”再構築”するという神業を披露し、現在進行形で多くの人々を救っているレギオン”協商連合”の代表。
それがこんな、こんな小さな子供だとは。
……いや、子供なのだろうか?
ティアナはその大人びた雰囲気の正体に、微かに勘付いていた。
まるで100年……1000年。いや、もっとだろうか。
エンゲルの一族が紡いできた孤独の歴史。それに匹敵するかのような”時”を刻んできたかの如き貫禄が、ミカエルにはある。
「ご安心を。あなたの保護していた子供たちや老人、ケガ人に病人……全員を受け入れるだけの土地がこのアルカディアにはあります」
「……あなたのご厚意に感謝いたします」
「いえいえ。私も苦しんでいる人を放っておけない性分でして」
裏表のない笑顔だった。
今までティアナに近付いてきた相手は皆、下心があった。あわよくば救いの手を差し伸べた見返りに魔法の力を論文にさせてもらおうだとか、分かりやすい広告塔として弱者救済ビジネスの利用しようという下衆。そんな本心がティアナには見えていたし、だからこそすり寄ってくる外部の人間に心を開く事は決してなかった。
しかしミカエルには、それがない。
この人は心の底から人を救おうとしているのだと、ティアナの目にははっきりと映った。
「今朝、ドルツへの食料を乗せたイライナの空中輸送船団が出発したという知らせがありました。それに加えてこちらからも経済の専門家を現地に派遣し経済の立て直しの提言を行っています。今日明日の話ではありませんが、ドルツの状況は少しずつ良くなっていくでしょう」
「よかった……でも、それまでに捨てられてしまう子供がいたら……」
「ご心配なく、それも既にこちらの組織の者が森の内外を巡回し保護する手筈になっていますし、ドルツ国内にもこの度我々協商連合の連絡事務所を開設させていただきました。何か問題が生じれば、惜しみなく支援する姿勢が整っています」
だから安心してください、とミカエルは続けた。
「もう、迫害に苦しみ孤独に怯える毎日は終わりです」
太陽の光が、ミカエルの背後から差す。
さながら天使が降臨したかのような、神秘的な光景だった。
「共に、太陽の下で自由に生きましょう」
あなたには、その権利があるのです。
凍てついた心を溶かす、これ以上ないほど温かい言葉だった。




